ログイン「大丈夫よ。リビングで大人しくしてなさい」蒼空は台所の入り口まで追い返され、少し呆れたように言う。「手伝うって言ってるのに、そんなに嫌?」文香は彼女を一瞥して、きっぱりと言い放つ。「嫌よ。あなたは一日中働いてきたんだから、ちゃんと休みなさい。こっちはもうすぐで終わりなんだから、もう手は足りてるの」その様子は、蒼空が一歩でも踏み込めば、今にもおたまを振り上げて追い出しそうな勢いだった。蒼空は両手を上げて降参し、大人しくリビングへ戻る。時計をちらりと見ると、すでに夜8時10分を回っていた。優奈からの返信は、まだない。蒼空は施設の先生に電話をかける。「先生、澄依を迎えに来た方はいましたか?」電話の向こうで、先生はため息をついた。「まだです」蒼空はわずかに眉をひそめる。「保護者の方には、まだ連絡がついていないんですか?」先生は困ったように説明した。「最初に登録されていた番号は、以前はずっと繋がっていたのですが、急に繋がらなくなってしまって......もう一つの番号もずっと不通で、こちらもどうしようもなくて」蒼空の胸が、少し沈む。最初の番号は、おそらく相馬のものだろう。彼は今、警察に拘束されているのだから、電話に出られるはずがない。もう一つの番号は、優奈か和人のものに違いない。蒼空は指先をぎゅっと握りしめた。先生は優しい声で続ける。「関水さん、もうすぐ夜9時になります。もし9時までにお迎えがなければ、澄依は園でのお正月越しとして、正式に手続きを進めることになります」蒼空は少し考えてから尋ねた。「......施設には、何人くらい残っていますか?本当に大丈夫でしょうか......」先生は穏やかに答える。「安心してください。先生が三人と警備員が二人残りますので」蒼空はさらに問いかける。「そうですか。ほかの子どもはもういないんですか?」先生は答えた。「ほかのお子さんは、ここ数日で全員ご家族に迎えられて帰りました。今は、澄依ちゃんだけです」そこで先生は小さくため息をついた。「だからこそ、どうしても寂しくなってしまうと思うんです。できればご家族と一緒に年を越させてあげたいんですが......」蒼空は壁に掛けられた時計を見る。今は、夜8時15分。秒
エレベーターを待つ間、蒼空は遥樹にメッセージを送ろうかと考えていた。結局、その場で【今夜、時間があるときに電話してほしい】とメッセージを送る。だが、しばらく経っても遥樹からの返信はなかった。エレベーターの中で、小春が肩で軽く蒼空をつつく。「で、遥樹とはお正月どうするの?」蒼空はもう一度スマホの画面を見下ろしたが、やはり通知はない。そのままスマホをポケットにしまう。「どうするも何も、それぞれ実家に帰るしかないでしょ」小春はちらっと彼女を見て、「まあ、そうだよね」と頷いた。それから日程を指折り数える。「まあ、私もお正月は家にいるけど、その後はあんたの家に遊びに行くよ」蒼空は素直に了承した。彼女と文香は首都で暮らしていて、お互い以外に特別な親族もいない。親しい隣人が数人いるくらいで、訪ねて回る相手もほとんどいない。年休に入れば時間は十分にある。小春が来たい日に来ればいい。いつでも歓迎するつもりだった。二人は駐車場で別れを告げ、それぞれの家へ向かう。明日はもう大晦日。街には濃い年越しの空気が漂っているが、同時に車の数が普段より明らかに多い。地方から働きに来ている若者たちが、一斉に帰省しているのだ。道路には車のテールランプが連なり、赤い帯のように続いている。渋滞はひどく、本来なら十数分で着く距離なのに、40分以上かかってようやく家に着いた。地下駐車場に車を停めると、蒼空はスマホを取り出してメッセージを確認する。優奈からは、相変わらず何の返信もない。一方で遥樹からは返事が来ていた。【夜10時過ぎなら時間が取れる、今は会議中だ】蒼空は【大丈夫。急がなくていいから】と返し、もう一度優奈とのトーク画面を開く。やはり変化はない。スマホをしまい、エレベーターに乗って上階へ向かった。ここ数日、文香はずっと家で年越しの準備をしている。首都では花火は禁止されているため、人々は装飾でできる限り年越しの雰囲気を演出しているのだ。玄関に入ったとき、エプロン姿の文香がフライ返しを手にキッチンから顔を出し、笑顔を向ける。頬はほんのり赤く、いかにも忙しそうだ。「おかえり。ちょっと待ってて、もうすぐご飯できるから」漂ってくる料理の香りに、蒼空の空腹が刺激される。彼女
佑人はここ数日、瑛司の家に泊まっていたが、澄依のせいで優奈や和人のところにはまったく戻りたくなかった。今日になって優奈に連れ出されて遊びに来て、ようやく澄依が保育園に送り返されたことを知った。それは彼にとって大ニュースだった。――あのうっとうしい子が、ついにいなくなったのだ。そのせいで今日はずっとはしゃぎっぱなしで、真冬で雪がちらつく中でも、背中も額も汗をかくほど遊び回っていた。だが、喜びも束の間、優奈のその問いを聞いてしまった。もちろん嫌に決まっている。絶対に澄依を連れ戻してはいけない。もう大人たちの注意や愛情を奪われたくないのだ。心の中で思う――できればあの厄介者、このまま消えて二度と現れないでほしい、と。言い終えると、佑人は情けない顔で優奈の袖をつかみ、揺らした。「おばさん、お願い......ぼく、本当にあの子が嫌......」優奈の口元に、意味深な笑みが浮かぶ。望んでいた答えを得て、もう迷いはなかった。彼の頭を軽く撫で、スマホをしまう。「じゃあ、佑人の言う通りにしましょう。佑人が楽しくお正月を過ごせるために」佑人はぱっと顔を輝かせ、両手を上げて歓声をあげた。「やったー!」優奈は微笑みながら彼を見つめ、そのまま蒼空からのメッセージのことなど頭から追い払い、箸を取り、柔らかくて美味しそうな牛肉を一切れ彼の皿に乗せた。――蒼空はオフィスで30分ほど待ち、優奈の返信を待っていた。だが返事は来ず、その間に仕事終わりで一緒に帰る予定の小春がやって来た。小春はゆっくり歩いてきて、どかっとデスクの端に腰掛け、肘をつきながら身を乗り出す。「何見てるの?もう仕事終わりでしょ、行こうよ」蒼空は顔を上げて一度彼女を見てから、スマホの画面を見せた。「優奈、まだ返信してこないの」小春は軽く舌打ちした。「澄依はまだ子どもなのに、なんて無責任なことを......」蒼空は何も言わなかった。澄依のことだ。軽く扱う気にもなれないし、このまま放っておくこともできない。彼女はもう一度メッセージを送る。画面いっぱいに並ぶ送信履歴を見て、小春は眉をぎゅっと寄せた。少し迷ったあと、ぽつりと言う。「ていうか、今の蒼空って......なんかあいつの指示を仰ぐ手下みたい」蒼
蒼空から澄依が片親家庭で、父親の相馬しかおらず母親はいないと聞いて以来、小春はあの子に少し同情するようになっていた。相馬が収監されたあと、この子はどうやって生きていくのかと、どうしても気になってしまうのだ。小春は眉間にしわを寄せ、やるせなさそうに言った。「為澤もさ、家にまだ子どもがいるのに、なんであんなことしたわけ?恋愛に頭やられすぎじゃない?自分の子どもまで放っておくほどってどうなのさ。結局捕まって、子どもの将来どうするつもりだったんだよ」蒼空は特に肯定も否定もせず、ただ黙っていた。彼女は視線を落とし、優奈とのチャット画面を見つめる。いくら待っても返信は来ない。だが会社の仕事も残っている。蒼空は仕方なくスマホを置き、車を走らせて会社へ戻った。会社に戻っても退勤までまだ2時間ある。蒼空は仕事を片付けながら、合間に何度もスマホを手に取り、優奈へメッセージを送り、電話をかけた。だが――どれだけ送っても、どれだけ電話をかけても、優奈からの反応は一切なかった。午後6時。首都の冬の夜は早く、外はすでに暗い。SSテクノロジーの社員の大半は荷物をまとめて帰り、正式に年末休暇へ入っていた。空からは細かな雪が降り、うっすらと道路を覆っている。明日は大晦日。通りの店々には正月飾りが飾られ、年の瀬の空気が濃く漂っていた。すべての仕事を片付け終えた蒼空は、オフィスチェアに座ったまま、眉をひそめてスマホを見つめている。時刻はすでに6時半。それでも優奈からの返信はない。――これはわざとだ。蒼空はようやくそう悟った。少し考えた末、彼女は施設の先生に電話をかけた。すぐに繋がり、スピーカーの向こうから柔らかな声が響く。「もしもし」蒼空が優奈が迎えに来たかを尋ねようとしたその瞬間、先生のほうが焦った様子で口を開いた。「関水さん、澄依ちゃんの保護者にはご連絡つきましたか?もう7時近いのですが、まだお迎えがいらしていなくて......」その言葉に、蒼空の眉がきゅっと寄る。「先ほど連絡はしましたが、まだ来ていませんか?」先生はため息をついた。「はい......今のところは。申し訳ないのですが、もう一度ご連絡をお願いできますか?9時には私も帰らなければならず、その前に預かり予定を確定
澄依を見るたびに、どうしても咲紀のことを思い出してしまう。そして、咲紀に向けていた感情が、そのまま澄依への優しさへと変わってしまう。かつて自分も人の家に身を寄せていたからこそ、優奈と和人のもとで「預けられている」澄依の気持ちが分かる。他人の家に居候するのは、決して楽なものじゃない。あの日、神社で澄依が優奈に置き去りにされたときから、すでに薄々感じていた。――あの二人は、あまりこの子に心を向けていない。優奈の気まぐれな性格からして、澄依を引き取ったのも、ただの一時的な衝動だったのだろう。だから最初の熱が冷めれば、関心も自然と薄れていく。実の親でもない限り、子どもに対して長く忍耐強く接するのは難しい。ましてや、甘やかされて育った優奈なら、なおさらだ。――そして今夜の電話が、その推測を裏付けた。明日はもう大晦日だというのに、澄依を保育園に置き去りにしたまま?それは単なるうっかりでは済まされない。完全に、あの子のことを軽んじている証拠だ。蒼空は澄依の現状を理解するほど、胸が重くなっていく。こんなことすら忘れられるなんて......あの子はどれほど肩身の狭い思いをしているのか。蒼空は車を停めたまま、優奈からの返信を待つことにした。さっき電話を二度かけたとき、どちらもすぐに切られた。つまり、スマホは手元にある。メッセージに気づかないはずがない。――だが、数分経っても返信は来ない。蒼空は眉を寄せ、もう一通メッセージを送った。――その頃。優奈は佑人を連れて、首都のテーマパークで遊んでいた。そこは、もともと澄依も一緒に行く予定だった場所だ。巨大なガラス水槽の前で、佑人は目を輝かせながら泳ぐ魚を追い、何度も歓声を上げている。あまりのはしゃぎように、人混みに紛れて何度も見失いかけた。優奈はそれを防ぐため、しっかりと手を握って離さない。その一方で、彼女は蒼空からのメッセージを見下ろしていた。口元には冷笑。目には露骨な軽蔑と嘲り。――電話もメッセージも、すべて「見せつけ」にしか思えなかった。自分が澄依を預かっているのに、保育園に残した連絡先も自分のものなのに、連絡してくるのは蒼空。まるで言われているみたいじゃないか。――どれだけ一緒にいても、あの子は結局
向こうが一瞬黙り込んだ。「......申し訳ありません......その番号、澄依ちゃんのリュックの中から見つけたもので......本当にすみません。実はどうしようもなくて、澄依ちゃんの保護者が保育園に残している番号に何度もかけたんですが、まったく繋がらないんです。別の電話からも試しましたが同じで......澄依ちゃんに聞いても、『ここに残る』としか言わなくて......」先生は少し言葉を選びながら続けた。「澄依ちゃんはまだ子どもですから、保護者のご意向が一番大切です。もう大晦日も近いので、こちらとしては全員の行き先を把握しなければなりません。でも保護者の方と連絡が取れず、やむを得ずリュックを確認してしまい、それで、この番号を見つけました......保護者の方だと思ってお電話してしまい、失礼しました」と、声を少し和らげる。「ですが、澄依ちゃんがこの番号を持っていたということは、何かご関係があるのではと思います......もしご存じでしたら、保護者の方にご連絡を取っていただき、澄依ちゃんの今後について確認していただけないでしょうか」丁寧で低姿勢な頼み方だった。申し訳なさもはっきり伝わってくる。しかも澄依のこととなれば、蒼空は断れない。「連絡先なら知っています。こちらで確認して、後ほどご連絡します」先生はすぐに感謝を述べた。「ありがとうございます。差し支えなければ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか。記録に残したいので......」蒼空は簡潔に答える。「関水です」通話はすぐに切れた。通話の間、小春は隣で頬杖をつきながら一部始終を聞いていた。何か言う前に、蒼空が車を路肩に停め、スマホを取り出して連絡先を探し始める。小春が覗き込む。「何探してるの?」「優奈」そう言って、表示された名前を迷いなくタップし、スマホを耳に当てる。呼び出し音が鳴っている間に、小春が小声で聞いた。「なんで彼女に電話?何かあった?」蒼空は横目で軽く答える。「あとで説明するよ」だが、その電話はすぐに切られた。蒼空は特に驚く様子もなく、もう一度かけ直す。――また切られた。内心ため息をつきながら、蒼空はスマホを下ろす。隣で小春が呆れたように舌を鳴らした。「あいつ、感じ悪いよね」電話がダメな
そして彼女は悟った。どれだけ気を遣っても、どれだけ敬一郎から「いい子だ」と褒められても、あのわがままで、手のつけられない孫娘――優奈には、とうてい及ばないのだと。敬一郎が本当に怒った時のことは、忘れようにも忘れられない。彼女を松木家から追い出した、あの一日。あれがまさに「親しさの差」というものだった。服だけじゃない。彼女の知らないような高級品、父親の年収をはるかに超える値段の物たち――そのほとんどが、瑛司が彼女のために買ってくれたものだった。彼女が何も欲しがらなくても。物欲がほとんどなくても。松木家の使用人が「そんな外の子に、そこまでしてやる必要はない」
見慣れた名前を目にした瞬間、蒼空の瞳がわずかに揺れた。スマホから鳴り続ける着信音と振動が、まるで彼女に電話を取れと急かしているかのように響いていた。蒼空は、じっと「瑛司」という名前を見つめたまま、指一本動かさなかった。聞かなくても分かる。きっと彼は、ネットで彼女の投稿を見つけて、問い詰めに来たのだ。瑛司の最愛の瑠々によれば、彼女は「うつ病」になったそうだ。おそらく、蒼空の投稿のせいで「うつ病が悪化した」とでも言いたいのだろう。蒼空は電話に出ず、スマホを放り投げ、黙々とスーツケースを引き出して荷物をまとめ始めた。瑛司に、もう言葉を交わす必要などない。彼女はすで
蒼空はそれ以上何も言わず、何か言おうとする風見先生の手を取って、職員室を後にした。廊下を歩く間、蒼空は一言も発しなかったが、風見先生の胸には言いたいことが山のように積もっていた。「蒼空さん!聞いてるの?ねえ!一体どうしてそんなことを......!」風見先生は前を歩く蒼空の背中を見つめながら、眉を深く寄せた。自分の手首は蒼空にしっかりと掴まれていて、まるで導かれるように歩かされている。その力強さに、驚きと戸惑いが入り混じる。おかしな話だった。彼女はただの生徒で、しかも細く小柄な体つきに、ぶかぶかの制服を着ている。その姿は、風が吹けば飛んでいってしまいそうに儚い。
普段の瑛司はまだ自制を保っていたが、今夜は違った。彼の中に潜む暴虐の本性が完全に解き放たれ、抑え込んできた狂気と混乱の感情すべてが、敬一郎に向けられていた。敬一郎は眉間を寄せ、低く唸るように言った。「こんな夜更けに、何の用だ」瑛司は居間の中央に立ち、まだ辛うじて感情を抑えていた。険しい眉を寄せ、低く掠れた声で問う。「俺の部下は、どこだ」利口な者同士、余計な説明など要らない。敬一郎にはすぐに分かった。――蒼空のアパートの前に張り付かせていた、あの男のことだ。彼は静かに目を細め、濁った瞳を孫の顔に据えた。視線には探るような色と、老獪な判断の影。「こん







