舐めた先に待っていたのは、ひとりママの現実

舐めた先に待っていたのは、ひとりママの現実

By:  林 安奈Updated just now
Language: Japanese
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桜井由依(さくらい ゆい)が人生で最も後悔していること。それは、橘雅紀(たちばな まさき)という氷のように冷たい男を愛してしまったことだ。 彼を追いかけ続けた3年と、妻として尽くした2年。氷のように冷たい彼でも、愛を注ぎ続ければいつかは心が溶けると信じていた。しかし、結局すべては自分の悲しい一人相撲でしかなかった。 義母からの嫌がらせ、夫の徹底した無関心。さらには、か弱き「初恋の女」がことあるごとに現れては夫婦の間に影を落とす。 ついに彼がその女とホテルで密会しているのを目撃し、完全に心が死んだその日――皮肉にも、妊娠検査薬には陽性を示す二本の赤い線が浮かび上がった。 「……馬鹿みたい」 由依は自嘲気味に笑い、テーブルに離婚届を投げ出すと、彼への一切の未練を断ち切って跡形もなく姿をくらませた。 ――それから数年後。 再び彼の前に姿を現した彼女は、誰もが振り返るほど洗練された、自立したシングルマザーになっていた。当然、そんな彼女の周りには言い寄る男が後を絶たない。 ある土砂降りの雨の日。かつてあれほど高慢で冷酷だった男が、惨めな姿で彼女の車の前に立ち塞がり、掠れた声で哀願してきた。 「由依……頼むから、一緒に帰ろう」 しかし、スッと開いた窓から顔を出したのは、彼に瓜二つの小さな男の子だ。その子は冷ややかな視線を雅紀に向け、生意気にもこう言い放った。 「ママに近づきたいなら、まずは僕を納得させてからにしないと!」

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Chapter 1

第1話

Y市警視庁・交通総務課。

桜井由依(さくらい ゆい)は待合室の椅子に腰を下ろした。右耳の奥では、まだキーンという耳鳴りが続いている。

五分前、高橋翔太(たかはし しょうた)が止めるのも聞かずに車へ乗り込み、発進させた途端、居酒屋の前のガードレールに突っ込んだのだ。

エアバッグは作動しなかったが、その反動で額をハンドルに強く打ち付けてしまった

血の気を失った翔太は、彼女を車から引きずり下ろしながら怒鳴った。

「由依、しっかりしろよ!ろくに帰りもしない男のために死ぬ気か!」

由依の耳には、翔太の言葉など全く届いていなかった。彼女はただ虚ろな目で宙を見つめ、その手にはスマートフォンが固く握りしめられている。

その画面は真っ暗だ。

橘雅紀(たちばな まさき)に八回も電話をかけたが、相変わらず応答はなかった。

ここ半年、こんなことは日常茶飯事になっていた。

最初はまだ、自分を納得させる理由を見つけられた。現場に出ているのか、会議が長引いているのか。あるいはどこか遠くの寂れた道で、大きな事故の処理に追われているのだろう、と。

でも、今回は違った。

深夜で辺りが静まり返っていたせいだろうか、雅紀が電話に出た時、電話の向こうからかすかに別の声が聞こえたのだ。

若い女の声。甘ったるい口調で、二言三言話したかと思うと、低くすすり泣く声に変わった。

由依が「誰?」と口にするより早く、雅紀はさっと身を起こし、上着を羽織るなりそのまま出て行ってしまった。

それから丸一日、LINEを送っても既読すらつかず、電話をかけてもコール音が虚しく響くだけだった。

考えれば考えるほど腹が立ち、やけになって居酒屋で焼酎のボトルを半分もあおると、そのまま車のキーを掴んで店を飛び出した。

そして結局、ここへ連行される羽目になった。

「由依さん、これは……さすがに基準値を大幅に超えてますよ」

当直をしているのは中村隼人(なかむら はやと)という若い警察官で、雅紀が直々に育てた部下だ。

アルコールチェッカーに表示された数字を見て、彼は報告書にどうペンを走らせるべきか頭を抱えていた。

「由依さん、係長ならさっき現場から戻ったばかりで、今こっちに向かってます」

由依は椅子の背もたれに寄りかかり、ひどく酔った様子で首を傾げながら笑った。

「留置でも罰金でも、好きにして」

傍らにいる翔太は、険しい顔つきで隼人を隅へと引っ張っていった。

「お仕事中すみません、中村さん。確かに由依は酒を飲んでいましたが、1メートルも車を動かしていないし、駐車場から出てもいません。罰金でも免停でも、処罰は甘んじて受けますし、ガードレールの弁償もします。

でも彼女の額を見てください。脳震盪を起こしているかもしれないんです。とりあえず先に、病院へ連れて行って検査を受けさせていただけませんか?」

隼人はひどく困惑した顔をした。

この交通総務課で、由依のことを知らない者はいない。

彼女の方から雅紀を猛烈に追いかけていた頃のことは、警視庁内で知らない者がいないほど有名だった。二人が結婚してからも、由依は時々夜食を差し入れにやって来ては、若い職員たちもよくそのおこぼれに預かっていた。

彼女の親友である翔太も何度か同行していたため、職員たちにとっては顔なじみだ。

普段のちょっとした擦り傷や軽い違反くらいなら、隼人も係長の顔に免じて融通を利かせることはできるが、今回の数値は完全に飲酒運転の域に達している上、公共施設まで破壊しているのだ。

防犯カメラは赤いランプを点滅させており、こんな状況で彼女を帰すことなど誰にもできない。

ましてや、相手は係長の妻なのだ。

「それは本当に無理です。やはり、係長が戻るまで待ってください」

「係長」という言葉を聞いた瞬間、由依の胃はまた締め付けられるように痛んだ。

目を閉じると、結婚したばかりの頃の記憶が脳裏を駆け巡った。

あの頃の雅紀は、まだこんなに冷たくはなかった。

口数が少ないのは当時からだったが、少なくとも彼の目には、確かに自分が映っていた。

婚姻届を出す前、由依は彼に尋ねた。

「ねえ、五年、十年経っても、私のこと今と同じように見てくれる?」

雅紀は何も言わず、彼女の額に自分の額をすり寄せた。彼の深く温かい息遣いが、彼女の鼻先に落ちる。

言葉はなくても、心の中で「ずっと同じだ」と言ってくれたのだと、由依は信じている。

この五年間、彼女は一生懸命この結婚を守ろうと努力してきた。雅紀はただ性格が淡白で、感情表現が苦手なだけだと思い込もうとした。

彼がそばにいてくれるだけでいいと、何度も自分を慰めてきた。

しかし、昨夜のあの電話で、必死に自分に言い聞かせていた嘘が脆くも崩れ去った。

雅紀に感情がないわけでも、愛情表現が下手なわけでもない。彼はただ、自分の情熱を電話の向こうで泣いているあの女のために取っておいただけだ。

待合室の自動ドアが開き、制服を着た男たちが数人入ってきた。

先頭を歩く男は肩幅が広く、背筋が真っ直ぐに伸びた長身で、制服のコートにはまだ溶けきっていない雪の粒がついている。

雅紀は手袋を外し、車のキーをカウンターに放り投げた。

隼人は慌てて背筋を伸ばした。

「係長!」

雅紀は短く応じ、何気なく待合室に視線を巡らせた。そして、ベンチに座っている由依の姿を捉えた瞬間、ピタリと足を止めた。

由依の髪は乱れ、額には痛々しい腫れができている。

「どういうことだ?」

隼人は口ごもりながら答えた。

「由依さんが……南口の居酒屋の駐車場で、ガードレールに衝突しまして。呼気検査をしたら、少し数値が高いです。公道には出ていませんが、規定の手続きは一通り行わないと……」

雅紀は眉間を深く寄せ、大股で歩み寄り、由依の目の前で立ち止まった。

覆い被さるような影に、由依は鈍い動きで顔を上げた。焦点の合わない目が目の前にある顔をはっきりと捉えるまで、ずいぶんと時間がかかった。

彼の切れ長で鋭い瞳が、彼女を見下ろしている。

その顔を見ていると、由依の胸の奥がズキズキと痛んだ。

昨日は、ごく普通の火曜日だった。

誰の誕生日でもなく、何の記念日でもなく、特別な祝日でもない。

ただの、ありふれた火曜日。

朝、家を出る前に彼は朝ごはんを用意してくれ、「今日は冷えるから、出かけるなら厚着をして」と声をかけてくれた。

何もかも、いつも通りの穏やかな日常だった。

それなのに、彼はあの電話に出てしまった。

昨夜、一度も振り返ることなく去っていった彼の姿を思い出すと、肺の空気がすべて吸い取られていくような息苦しさを覚える。

この半年あまり、いつか彼に置き去りにされるか分からないという無重力のような不安感が、彼女を狂わせそうになった。

由依は騒ぐことも暴れることもなく、ただ顔を上げて彼を見つめている。瞳の奥に滲んだ涙が頬を伝い落ちた。

見かねた翔太が、由依の腕を引こうと手を伸ばした。

「もういい、車はここに置いて勝手に調べさせとけ。病院に行くぞ」

雅紀は腕を上げ、翔太の行く手を遮るようにしてその手を払いのけた。

翔太の怒りが一気に爆発した。

「橘係長、何のつもりだ?取り調べるのか?由依は駐車スペースから出る前にぶつけたし、せいぜい器物損壊だろうが」

雅紀は彼を無視してしゃがみ込み、由依の額の傷を確かめた。

透き通るような白い肌に、はっきりとした青あざが痛々しく目立っている。

彼は眉をひそめ、指の腹をそっとあてがった。

「どうしたんだ?」

十秒ほど待っても由依から返事がなく、彼はもう一度彼女を呼んだ。

「由依」

その名前がスイッチになったかのように、由依の涙はさらに激しく溢れ出した。

「どうして電話に出てくれなかったの?」

雅紀の瞳の奥がスッと暗くなった。

「現場に出ていた。充電が切れてたんだ」

「嘘つき」

由依は低い声で呟き、涙が手の甲にポロポロとこぼれ落ちた。

現場に出ていた、充電が切れた、聞こえなかった。この半年、彼はその言い訳を何度も何度も繰り返してきた。

もう聞き飽きた。もう、信じたくない。

翔太が冷笑を漏らした。

「橘係長も現場に出るタイミングが絶妙だね。夜中に女から電話がかかってきた時ばかり出るんだから」

隼人は即座に背を向け、机の上の書類を整理するふりをした。できることなら、机の下に潜り込んでしまいたかった。

雅紀はようやく視線を上げ、翔太を一瞥した。

しかし、その表情には波一つ立っていなかった。まるで彼女の悲しみや怒りが、単に自分の気を引くための馬鹿げた振る舞いだとでも言わんばかりに。

「中村、規定通り処理しろ」

彼は立ち上がり、隼人に指示を出した。

「車は一旦署で預かる。必要な書類をまとめて、明日の朝俺の机に置いとけ。居酒屋のガードレールは損壊状況を確認してこい。こっちで実費弁償する」

隼人は何度も頷いた。

指示を終えると、彼は再び腰をかがめ、由依の膝の裏と背中に腕を回し、少し力を入れてベンチから彼女を抱き上げた。

体が浮き上がり、由依は本能的に彼の首に腕を回した。

彼から微かなタバコの香りと、外の冷たい雪の匂いがした。

これが五年間、彼女がずっと身を委ねてきた腕の中だ。これまで数え切れないほど、この温もりに包まれて眠りについた。

彼女は彼の首筋に顔を埋め、溢れる涙はあっという間に彼のシャツの襟を大きく濡らした。

翔太が一歩前に進み出て、二人の行く手を遮った。

「おい雅紀、はっきり説明しろ」

翔太は一切の遠慮を捨てていた。

「お前のせいで、由依はここまで酔い潰れたんだぞ。あの電話の相手が誰なのか、ここでハッキリさせない限り、今日由依を連れて帰れると思うなよ」

由依を抱きかかえる腕にグッと力を込め、雅紀は彼女を見下ろした。

アルコールと衝撃のせいで意識が朦朧とし、由依はきつく眉を寄せて目を閉じている。

彼の胸に寄りかかり、息遣いが荒くなっている彼女には、この後の会話に割って入る気力などもう残っていない。

雅紀は沈黙の中、歩みを進めた。

「白石椿(しらいし つばき)だ」

翔太は呆気に取られた。

「誰だって?」

絶対に知らない名前だが、どこかで聞いたことがあるような気もする。

「白石椿って誰?元カノ?それとも外で囲ってる愛人か?職業は?モデルか?インフルエンサーか?」

雅紀の眉が、ピクリと動いた。
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第1話
Y市警視庁・交通総務課。桜井由依(さくらい ゆい)は待合室の椅子に腰を下ろした。右耳の奥では、まだキーンという耳鳴りが続いている。五分前、高橋翔太(たかはし しょうた)が止めるのも聞かずに車へ乗り込み、発進させた途端、居酒屋の前のガードレールに突っ込んだのだ。エアバッグは作動しなかったが、その反動で額をハンドルに強く打ち付けてしまった血の気を失った翔太は、彼女を車から引きずり下ろしながら怒鳴った。「由依、しっかりしろよ!ろくに帰りもしない男のために死ぬ気か!」由依の耳には、翔太の言葉など全く届いていなかった。彼女はただ虚ろな目で宙を見つめ、その手にはスマートフォンが固く握りしめられている。その画面は真っ暗だ。橘雅紀(たちばな まさき)に八回も電話をかけたが、相変わらず応答はなかった。ここ半年、こんなことは日常茶飯事になっていた。最初はまだ、自分を納得させる理由を見つけられた。現場に出ているのか、会議が長引いているのか。あるいはどこか遠くの寂れた道で、大きな事故の処理に追われているのだろう、と。でも、今回は違った。深夜で辺りが静まり返っていたせいだろうか、雅紀が電話に出た時、電話の向こうからかすかに別の声が聞こえたのだ。若い女の声。甘ったるい口調で、二言三言話したかと思うと、低くすすり泣く声に変わった。由依が「誰?」と口にするより早く、雅紀はさっと身を起こし、上着を羽織るなりそのまま出て行ってしまった。それから丸一日、LINEを送っても既読すらつかず、電話をかけてもコール音が虚しく響くだけだった。考えれば考えるほど腹が立ち、やけになって居酒屋で焼酎のボトルを半分もあおると、そのまま車のキーを掴んで店を飛び出した。そして結局、ここへ連行される羽目になった。「由依さん、これは……さすがに基準値を大幅に超えてますよ」当直をしているのは中村隼人(なかむら はやと)という若い警察官で、雅紀が直々に育てた部下だ。アルコールチェッカーに表示された数字を見て、彼は報告書にどうペンを走らせるべきか頭を抱えていた。「由依さん、係長ならさっき現場から戻ったばかりで、今こっちに向かってます」由依は椅子の背もたれに寄りかかり、ひどく酔った様子で首を傾げながら笑った。「留置でも罰金でも、好きにして」傍
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第2話
雅紀はこれ以上、翔太を相手にする気がない。由依を軽く抱き直すと、隼人に視線で合図を送り、そのまま外へと歩き出した翔太が後を追おうとしたが、すかさず隼人に腕を掴まれた。「高橋さん、待ってください!とりあえずここにサインをお願いします。こっちも規則通りに動いてるだけですから。係長だって、家に帰れば由依さんと二人でちゃんと話し合うはずですよ」警察官に引き留められては、無理やり振り切るわけにもいかない。由依が連れ去られるのを目の当たりにしながら、翔太は怒りで頭が割れそうだ。外は雪が激しく降っている。冷たい雪の粒が顔に当たり、由依は寒さに身を縮め、さらに雅紀の胸の奥へと擦り寄った。雅紀はなんとか彼女を助手席に押し込むと、シートベルトを締めてやり、運転席に回り込んでエンジンをかけた。カーナビの画面に自動的に自宅マンション・青葉苑へのルートが表示された。車内の暖房は強く効いている。温度が上がるにつれて由依は喉の渇きを覚え、意識もいくらかはっきりしてきた。彼女は目を開け、窓の外を流れる景色をぼんやりと見つめながら尋ねた。「どこ行くの?」雅紀は前を見据えたまま短く答えた。「家に帰るんだ」その声で、由依はようやく隣にいるのが雅紀だと気がついた。横を向いて彼の横顔を見つめた。相変わらず、見惚れるほど綺麗な顔立ちをしている。昔彼が何も言わなくても、ただ隣に座ってくれているだけで地に足がついているような安心感を抱いていた。しかし今、その顔を見ていると、視界が何となくどんどん滲んでいく。「そこには帰りたくない」ふいにプツンと感情の糸が切れ、彼女は雅紀に飛びかかるようにして、その腕を力任せに引っ張った。ハンドルがぶれ、タイヤが縁石に擦れて甲高い摩擦音を立てた。雅紀は咄嗟にブレーキを踏み込み、深くため息をついた。「由依、いい加減にしろ」頭がぼんやりしている由依には自分のしでかした事が理解できず、ただ彼の責めるような声だけが耳に響いている。自分が何をしても、彼にとっては厄介事でしかない。彼女は手を振り上げ、前触れもなく彼の頬を平手打ちした。顔を背けた雅紀に対し、由依の怒りは収まらず、その手を止めようともせず彼の肩を引っ掻き、噛みついた。分厚いコート越しにもかかわらず、由依はありったけの力を込めて彼の肩に噛みついた
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第3話
翔太のマンションに着くと、由依は指紋認証で鍵を開けた。リビングは散らかり放題で、ローテーブルにはデリバリーの容器が積み重なり、ソファには脱ぎっぱなしの服が何枚も放り出されている。見ただけで、彼の年下の恋人が戻ってきたのだとわかった。翔太は自分に正直に生きている人間だ。数年前に家族へ自分の性的指向を打ち明け、そのまま勢いよく動画配信の世界に飛び込み、今ではそれなりにうまくやっている。雅紀は由依にこんなにも親しい異性の友人がいると初めて知ったとき、言葉の端々に嫌悪感を滲ませていた。しかし、そんな彼のあからさまな拒絶態度は、ある深夜を境に一変することになった。翔太が総務課に配属されたばかりの若い警察官をナンパしていて、わざと甘えたような声で道を尋ねるのを、彼が直接目の当たりにしたのだ。雅紀は車の中で丸々五分間、沈黙を貫いた。それ以来、彼は二度と由依に翔太から離れろとは言わなくなった。由依はわざとガチャガチャと大きな音を立てた。翔太はてっきり彼氏が買い物から帰ってきたのかと思っていたが、由依の姿を見て、すぐには状況が飲み込めなかった。「どうしたの?さっきは電話切ったくせに、今度は自分で来るなんて」由依は靴を脱ぎ捨て、ソファに身を投げ出した。「もう、あの家にいられない」翔太は彼女の隣に座り、口を尖らせた。「そりゃそうだろうね。夜中に車をぶつけて、おでこにこんな大きなコブを作ってるのに、夫のくせに、病院へ連れて行くどころか違反を取るなんて、本当に呆れたよ。いや、勉強になったよ」由依は力なく鼻で笑い、そして言った。「今朝、聞いたの。本当に何も説明するつもりはないのかって」「それで?」「説明することなんてないって」由依は体を起こし、雅紀の口調を真似して、無表情のまま言った。「それは俺のプライベートだ。干渉される筋合いはないって」翔太は呆れて笑い出した。「プライベート?よくそんな言葉が思いつくね。夫婦でそんなこと言うくらいなら、いっそ赤の他人に戻ればいいのに。何のために結婚したんだか」由依はソファに寄りかかり、天井にぶら下がる妙な形のペンダントライトを見上げた。そしてふいに、雅紀と暮らしていたあの家のことを思い出した。家の引き渡しが終わったばかりの頃、彼女は彼を引っ張って家具屋巡りをし
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第4話
「由依!しっかりして!」翔太の声が、由依を回想から引き戻した。血の気のない彼女の顔を見て、彼は心配そうに眉をひそめた。「どうしたんだ?」由依はスマホを押し除けた。「思い出したの」「何を?」由依が手短に事の顛末を話すと、翔太もすぐに思い当たったらしく、腹を立てて声を荒げた。「だからあいつ、言えなかったんだ。こんなの、口にするのも汚らわしい話じゃん!」何が兄と妹だ、恋愛ドラマの主人公だとでも思っているのか?本当に実の妹だと思っているなら、何があったって奥さんにちゃんと話せるはずだ。「雅紀の奴、頭おかしいんじゃないのか!自分が結婚してるってこと忘れてるだろ?その妹とあんなふうに絡んで、いったい何がしたいんだ。スリルでも欲しいのか?」由依も聞いてみたい。彼はいったい何がしたいのか、と。翔太は彼女がずっと黙っているのを見て、また昔みたいに情に流されかけているのだと思ったらしく、さらに火を注いだ。「よく考えろよ。あいつは昔、あなたにきつかったでしょ?今じゃ可愛い妹分がいるんだ、これからもっと冷たく当たるに決まってる」実を言うと、由依は以前、雅紀にきつく当たられるのが嫌いではなかった。家のしつけはゆるく、由依は小さいころからかなり自由に育った。雅紀と付き合っていた頃、一度バーへ遊びに行って連絡を忘れたことがあった。雅紀は彼女を見つけられず、翔太のところに直接電話をかけて問いただしたのだ。真っ黒な顔で迎えに来た彼は、彼女をボックス席から引っ張り出し、そのまま車に押し込んだ。帰り道はずっと無言。家に着くと玄関のドアに押しつけるようにして、容赦なく説教した。その夜以来、由依は味をしめてしまったように、長い間わざと彼を怒らせるようなことばかりしていた。たった一度だけ、例外があった。由依は八方手を尽くし、一生分の運を使い果たすような思いで、ようやくコンサートのチケットを二枚手に入れた。アリーナの最前列、ど真ん中の特等席だった。開演五分前、雅紀の電話が鳴った。ほんの二、三言葉を交わしただけで、彼は立ち上がって帰ろうとした。由依は引き止めた。椿には付き添う人がいないわけでもないのに、どうしてそんなに四六時中気にかけて、何から何まで面倒を見なきゃいけないのか、と。そのとき雅紀も苛立って、「わがまま言うな」
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第5話
雅紀はバックミラー越しに彼女を見て、ハンドルから手を離し、眉間を揉もうと手を伸ばしたが、また下ろした。「君の質問に答えなかったからか?」由依は首を横に振った。もう同じ話を何度も蒸し返す気力がない。問いただすことにも、疲れてしまった。眠れない夜を何度も過ごすうち、彼は本当にもう自分を愛していないのではないか、と取り憑かれたように考えることさえあった。きっとそうだから、嘘をつく手間さえ惜しむのだろう。「椿が戻ってきたんだ」雅紀は言った。「病気になって、それで連絡してきた」その説明はあまりにも遅すぎたし、あまりにも淡々としていた。二か月も経ってから口にされたそれは、かえって取り繕っているようにしか聞こえない。「彼女に会いたいなら、場を設けるが」彼はさらに言った。由依はきっぱりと拒絶した。「何か勘違いしてない?わざわざあんなあざとい女と仲よく握手して、病状でも語り合って、そのあと何事もなかったみたいにできた妻を演じ続けるとでも?」「彼女はそんな人間じゃない」雅紀が言葉を遮った。眉間には深いシワが寄り、口調も強くなった。由依の心はさらに冷え込んだ。彼は、椿のことを少しでも悪く言われるのが耐えられないのだ。「じゃあ何なの?」由依は問い詰めた。「夜中にこそこそメッセージ送って、隠れて電話しなきゃいけないような、大事な妹ってこと?」雅紀はため息をついた。「俺が悪かった」「悪いに決まってるでしょ」由依は言った。「何も言わなくても、家に帰ってきて何もなかったようにすれば、全てはもう水に流せるって思ってるわけ?」「そんなこと思ってない」「じゃあどう思ってるの?」彼はまた黙り込んだ。薄い唇を一直線に結び、再び車を走らせた。これが雅紀という男だ。彼の中では、いつだって言葉より行動のほうが重い。動いて片づけられることなら、口では語らない。けれど由依が欲しいのは、そのたったひと言の本音だ。本当に、つまらない。家に着くと、雅紀はいつものように身をかがめて、下駄箱から彼女のスリッパを取り出し、足元に置いた。それは彼が二年間続けてきた習慣だ。由依はそれを足で蹴りのけ、裸足のままゲストルームへと向かった。手がドアノブに触れた瞬間、後ろからついてきた雅紀にドアに押し付
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第6話
理恵の家は市の中心部にある一戸建ての高級住宅街にある。見渡す限りの洋館が立ち並んでいる。車が完全に停まる前に、由依は車窓越しに、夜の闇の中で家の前に立つ人影を見つけた。椿だ。相変わらずどこか病弱そうで、見る者の庇護欲をそそるような、可憐で儚げな顔立ちをしている。雅紀はブレーキを踏み、無意識に由依の方をちらりと見た。由依が特に反応を示さないのを確認してから、彼はシートベルトを外し、先に車を降りた。「雅紀!」椿の甘く柔らかい声が響いた。彼女は小走りで駆け寄ると、ごく自然な動作で雅紀の腕に抱きついた。雅紀は彼女を見下ろし、眉をひそめた。「外、冷えるだろ。そんな薄着で出てきたのか」それは、由依がもうずっと聞いていなかった、親しい身内に向けるような温かい口調だ。彼が自分に対して、最後にこんな口調で話しかけたのはいつだっただろうか?思い出そうとしても、全く思い出せない。椿は少し照れたように笑った。「窓からあなたの車が見えたから、嬉しくて、つい忘れちゃったの」そう言って、彼女はまた上目遣いで彼を見た。「私が見当たらなくて、きっと雅紀が心配するんじゃないかと思って」由依の胸がチクリと痛んだ。彼女は車のドアを開け、急ぐこともなくゆっくりと歩み寄り、二人の前に立った。椿は今になってようやく彼女に気づいたかのように微笑んだ。「由依さん、お久しぶりです」由依は彼女を無視し、雅紀の腕に絡みついているその手に視線を落とした。雅紀も気まずさに気づき、腕を抜こうとしたが、椿はかえってさらに強くしがみついた。「……入ろう」彼が歩き出すと、椿も自然に引きずられるようにしてついて行った。由依は半歩遅れて歩き、まるで部外者のようだ。二人のあまりにもお似合いな後ろ姿を見ていると、言葉にならない酸っぱい思いが胸に込み上げてきた。駐車場から別荘の玄関までは、ほんの数十メートルの距離だ。なのに、由依にはこの道が果てしなく長く感じられた。椿はずっと何かを話しており、時折軽やかな笑い声を上げた。雅紀はあまり口を開かなかったが、その横顔のラインは、由依に向ける時よりもずっと柔らかい。玄関に着く直前、由依は突然口を開いた。「いつ帰国したの?」椿の笑い声が止まった。振り返った彼女の顔には、あどけなく無害そうな
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第7話
椿の顔に浮かんだわずかな不自然さは一瞬で消えた。彼女はすぐにまた無垢な笑みを作ると、慌てたように家政婦へ声をかけた。「初江、早く由依さんに薬膳スープをよそってあげて」彼女は振り返り、由依に優しく説明した。「ごめんなさい、さっき聞くのを忘れちゃって。由依さん、スープを飲んで胃を温めてね。ハトムギとクコの実が入っていて、滋養に一番なのよ」初江はすぐに湯気を立てる小さなお椀を運んできて、由依の手元に置いた。由依はそれをちらりと見て、胃の奥が引きつるのを感じた。妊活をしていた頃、彼女は本がボロボロになるまで読み漁り、ありとあらゆる知識を詰め込んでいた。何を食べてもいいのか、何を口にしてはいけないのか、分厚いノート一冊分も研究したのだ。ハトムギというものは、妊婦や妊活中の女性は絶対に避けるべき食材だと、由依はわかっている。椿が本当に知らないのか、それとも知らないふりをしているのか、由依には分からないし、見極める気すら起きなかった。以前なら、椿はただ世間知らずなだけだと、自分に言い聞かせて慰めていただろう。かつて、自分が半日かけて煮込んだスープを椿にひっくり返されたことがあった。そのときも雅紀は眉をひそめて、「椿に悪気はない」と言っただけだった。そもそも、この家で嫁である自分がわざわざ台所に立つ必要などどこにもない。理恵がわざと自分をこき使っただけだ。それでも雅紀のために全て耐えてきた。馬鹿だったのは、自分一人だけだ。今はもう妊活をする必要もないし、これ以上彼女たちを甘やかすつもりもない。「ありがとう、でも結構よ。私は元気だし、気力も十分足りてるから、滋養など必要はないわ」理恵の顔が険しくなり、手に持っていた箸をテーブルにドンと強く叩きつけた。「由依さん、どういうつもり?椿がせっかく親切にしてあげてるのに、その態度は何なの?」「母さん」雅紀が低い声で遮った。「飯にしてくれ」誰を庇っているのかは分からない。むしろ、騒ぎに苛立った本人が「全員黙れ」と言っているかのようだ。由依は心の中で毒づいた。妻が彼の実家で責め立てられ、名目上の妹に罠を仕掛けられているというのに、彼が見せる最大限の擁護が、この痛くも痒くもない「飯にしてくれ」の一言だ。本当に、ありがたいことだ。政和は世間体を気にする
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第8話
パァン!と、乾いた音が響いた。殴られた衝撃で由依の頬にかかった髪が目元を覆った。左の頬が焼けるように熱い。痛みはたちまち広がり、耳の奥ではキーンという耳鳴りがしている。彼女は瞬き一つせずに理恵を真っ直ぐに睨みつけた。その鋭い視線に、理恵はなぜか胸の奥がざわつくのを感じた。政和が厳しい顔つきで言った。「由依さん、理恵に謝りなさい。そうすればこの事は水に流そう」由依は鼻で笑った。平手打ちをされた上に、謝れというの?テラスのガラス戸が開き、雅紀が姿を現した。電話を終えた彼が、ダイニングで睨み合う数人と、由依の頬に赤く残る指の跡を見た瞬間、その場で凍りついた。そして、理恵へと鋭い視線を向けた。理恵は冷ややかな目で見返した。「雅紀、本当に良いお嫁さんをもらったわ。ますます礼儀知らずになっていくじゃない」雅紀は無言のまま大股で由依の前に歩み寄り、彼女の頬に手を伸ばそうとした。「雅紀……」椿が片手で胸を押さえ、真っ青な顔をしてよろめいて、今にも倒れそうになった。「……なんだか気分が……」そう言い終わるか終わらないかのうちに、彼女は糸が切れたように後ろへと崩れ落ちた。政和が「あっ」と声を上げたが、距離が遠すぎて支えるのが間に合わなかった。雅紀は反射的に身を翻し、長い腕を伸ばして、地面に倒れそうになった椿を間一髪でその胸に抱きとめた。由依は、そのすぐそばに立っている。自分が平手打ちを食らった次の瞬間、彼はためらうことなく別の女を選んだ。その瞬間、胸の奥で何かがパリンと音を立てて、完全に砕け散った気がした。もう、いい。所詮は、こんなもんだ。彼女は何も言わず、黙って背を向け、椅子の背もたれに掛けてあったコートとバッグを手に取った。「由依!」雅紀は椿を抱きかかえているため手が離せず、ただ彼女の名前を呼ぶことしかできない。由依は足を止めることなく、一度も振り返らずにその場を後にした。冷たい風に吹かれると、頬の痛みがさらに増した。彼女は明々と灯りのともる高級住宅街の道端に立ち、通りかかったタクシーを拾った。「青葉苑までお願いします」家に帰った由依は、半分だけ荷物を詰めたスーツケースを再び引っ張り出した。全ての服を、種類ごとに分けて、普段使っているスキンケア用品や化粧品をメ
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第9話
「だから行くなと言っただろ!今まで散々人を殴ってきたくせに、今日は逆にボコられて帰ってくるとか……痛くねえのかよ!?」うるさいな、と由依は心の中で白目をむいたが、言い返す気力もない。「まあまあね」「まあまあじゃないだろ!顔、真っ赤に腫れ上がってるんだよ!」翔太は死にかけみたいな顔をしている彼女に腹を立てながらも、結局は心配でたまらなかった。冷蔵庫から氷を取り出してタオルで丁寧に包むと、不機嫌そうに彼女の頬に押し当てた。ひんやりとした感触が伝わり、火照った皮膚がピクッと引きつった。由依は思わず息を呑んだ。「それにしても雅紀のあのクソ野郎!自分の妻が殴られたのに、あのあざとい女を抱き抱えるなんて!?」蓮は由依の植物を並べて、部屋から顔を出して小声で尋ねた。「翔太、僕……やっぱり先に大学に戻ろうか?」翔太は彼に向かって怒鳴った。「戻ってどうするの!ほら、由依に何か食べるものを買ってきて。胃にやさしいやつね。あと、腫れに効く薬も買ってきて!」蓮は「お、おう」と返事をし、叱られた子犬のように慌てて上着を羽織って出て行った。由依は笑おうとしたが、口角を少し動かしただけで傷に響き、「痛っ」と声を漏らした。「よく笑えるね?」翔太は呆れ果てたように彼女を睨んだ。「じゃあ、どうしろって言うの?」由依はソファに寄りかかり、彼に氷を当てられるがままに答えた。「泣く?今日、私の涙はもう売り切れよ。一滴も出ないわ」あの平手打ちで、ここ数年溜め込んでいたすべての悔しさと涙が、奥底へ押し戻されたような気がした。頬は確かに痛い。しかし胸の奥には大きな穴がぽっかりと開き、そこから冷たい風がヒューヒューと吹き込んでいるようだ。空っぽで、痺れていて、もう痛みさえ感じない。「やっと目が覚めた」由依は天井を見つめ、ぽつりと言った。「あの人たちの目には、私なんてただの部外者なのよ」「今頃気づいたの?」翔太は苛立ちを隠さなかった。「前から言ってただろ。あいつの母は自己中心の塊だって。そんな親から育った息子がまともなわけないだろ?あの仏頂面にすっかりやられてたのさ」由依は反論しなかった。その通りだ。ずっと騙されていたのだから。大学時代、雪の中で見たあの背筋の伸びた姿から、彼女はのめり込み、ボロボロにな
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第10話
外はまた雪が降っていて、冷たい風が粉雪を巻き上げて顔に吹き付けてきた。由依が配車アプリで呼んだ車は、到着まであと七、八分かかると表示されている。一台のパトカーが彼女の目の前を通り過ぎたかと思うと、突然バックしてきて、彼女のすぐ横に停まった。窓が下がり、人懐っこい笑顔を浮かべた若い警察官が顔を出した。「由依さん!こんなところで偶然ですね!」由依はそれが雅紀の部下の隼人だと気づき、小さく頷いた。隼人は助手席から顔を出し、いかにも心配そうな顔をして言った。「由依さん、どこへ行くんですか?係長は?」係長?出勤していないのだろうか。今日は土曜日で、本来なら雅紀は当番のはずだ。由依の胸がドクンと鳴ったが、口先では淡々と答えた。「仕事で忙しいの」隼人は頭を掻き、馬鹿正直に言った。「ああ、係長なら朝一番に来て二日間休みを取りました。お家で何かあったのかと」由依はハッとして立ち尽くした。昨夜、理恵の家を出てから今まで、彼からは電話一本すらかかってきていない。わざわざ二日間も休みを取るなんて……考えるまでもないことだ。昨夜、椿があんな風に倒れたから、彼が放っておけるはずがない。きっと今頃は病院で、甲斐甲斐しく世話を焼いて、絵に描いたような献身的な良き兄を気取っているに違いない。昔、由依が高熱を出した時、一人きりの家で意識が朦朧とする中、ふらふらになりながら彼に電話をかけると、彼は任務中だから手が離せないと言った。彼女は自分で近所のクリニックへ行き、自分で受付を済ませ、自分でベッドに横たわった。熱を測ると四十度近くまで上がっていて、看護師に慌てて処置室のベッドへ運ばれた。部屋の中では、みんな誰かに付き添われているのに、彼女だけがぽつんと一人だった。それでも当時の彼女は、自分を強くて自立した人間なのだと誇りにすら思っていた。この顔が惜しくなければ、由依はあの頃の自分にも、もう一度平手打ちしてやりたい。「由依さん?」隼人は彼女がずっと黙り込んでいるのを不思議に思い、声をかけた。「どこへ行くんですか?よければ送りますよ。外はすごく寒いですし」由依はふと微笑んだ。「大丈夫よ、タクシーがもうすぐ来るから。邪魔しちゃ悪いし」隼人がさらに食い下がろうとすると、隣の同僚が彼を小突いて小
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