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第3話

Author: 浮島
蒼空はすぐに反応した。

「言ったでしょ、行かないって」

文香は彼女を睨みつける。

「もう意地張るのをやめなさい!こんなチャンス滅多にないのよ!」

蒼空は拳を握りしめ、引く様子もなく言い返す。

「なんのチャンス?」

文香の声は大きくなった。

「もちろん瑛司を誘惑するチャンスよ。あなた、彼のことが好きなんでしょ?」

前世での記憶のせいか、「瑛司」という名前を聞いた瞬間、蒼空は本能的に胸が締めつけられた。

目に涙が浮かぶ。

「私は彼なんか――」

コンコンコン。

突然、ノックの音が響いた。

悲しみに染まった目を隠す暇もなく、蒼空は扉の外に立つ淡々とした瑛司と目が合った。

その瞬間、前世で彼がゴミを見るような、命のないものを見るような目で自分を見ていたことを思い出す。

反射的に後ずさりして、目を逸らしても、彼の視線が顔に突き刺さっているのを感じた。

彼は、自分と文香の会話を聞いていた。

彼はもともと打算的な人間を嫌う。

ましてや文香のあからさまな下心は、彼の前では隠しようもなかった。

瑛司が聞こえないふりをするはずがない。

文香も凍りついたように固まった。

焦りが顔に浮かぶ。

「松木社長、私はそういうつもりじゃ――」

「もういい、気持ちの悪い話は聞きたくない」

瑛司は眉をひそめ、不快げに視線を逸らした。

彼はもう見たくもないと言わんばかりに背を向け、言葉を残して立ち去った。

「祖父が夕飯を呼んでいる」

彼が出て行ったあと、部屋は静まり返った。

蒼空は気持ちを落ち着かせ、静かに言った。

「これが......お母さんの望んだことなの?」

文香は扉を閉め、歯を食いしばった。

「ここまで来たら、引き下がれるわけないでしょ」

「どう思おうと勝手だけど、荷造りはもうやめて」

蒼空は、もう何を言っても通じない母に諦めて、階段を下りた。

文香も渋々その後を追う。

食卓には、敬一郎と瑛司が向かい合って座り、テーブルの両脇にいくつかの空席があった。

蒼空は瑛司の背後で立ち止まった。

かつては、いつも彼の隣に座り、料理を取ってあげようとした。

彼はそのたび、彼女が取った料理を冷たく捨てたのに。

今思えば、本当に愚かだった。

彼女は冷静な顔で歩み寄り、敬一郎の隣の椅子を引いて腰掛けた。

その動作は自然だったが、敬一郎と周囲の使用人たちは驚いたように目を向けた。

いつも彼女を空気のように扱っていた瑛司さえ、箸を止めて冷たい目で彼女を一瞥した。

以前の蒼空なら、どんな来客がいようと必ず彼の隣に座り、しゃべり続けては彼を苛立たせていた。

しかし今日は様子が違う。

初めてのことだった。

文香は慌てて近寄り、彼女の手首を引っ張る。

「ちょっとどこ座ってるのよ。松木社長の隣でしょ、早く移りなさい!」

蒼空は彼女の手をするりと振りほどき、敬一郎に目を向けた。

「おじいさま、ここに座ってもいいですか?」

敬一郎の濁った瞳が興味を示すように光る。

「いいとも。でも、お前はいつも瑛司の隣じゃなかったか?喧嘩でもした?」

「いえ......」

蒼空はうつむき、小さな声で答えた。

そのとき、瑛司が小さく鼻で笑った。

蒼空の声が止まる。

敬一郎は彼女と瑛司を順に見比べ、目を細めて笑った。

「まあまあ、もう座ったんだし、いいじゃないか」

文香も仕方なく彼女の隣に座った。

瑛司は目を伏せ、冷ややかな顔で、緑色の葉物野菜を一口箸で取った。

蒼空は彼に一瞥を送る。

食事の席で無理に話しかけたりしないことで、さっきの部屋での件を彼に忘れてもらいたいと思った。

現状、彼女も文香も、しばらくは松木家に身を寄せるしかない。

今や松木家の実権は瑛司が握っており、彼を怒らせれば自分たちの居場所はないに等しい。

まだほとんど口もつけていないうちに、敬一郎がふと尋ねた。

「瑛司、今回出張の件、自信あるのか?」

瑛司は簡潔に答える。

「はい。必ずいい結果をお見せします」

敬一郎は孫のことを大いに信頼しており、満足そうにうなずいた。

「会社のことに関しては、お前なら間違いないだろう。

ただ......」

敬一郎の語調が変わる。

「お前、数井市に行く本当の目的は別にあるんじゃないか?」

今度は瑛司がすぐに返事をしなかった。数秒黙ってから、落ち着いた声で言った。

「はい。瑠々のことで、少し頼まれ事がありまして」

瑠々――

その名前が彼の口から出た瞬間、蒼空は自分の心に何の波風も立たないことに気づいた。

むしろ静かに、他人事のように眺めている。

敬一郎は少し思案して口を開いた。

「お前と彼女は――」

「じいさん」

瑛司はすぐに言葉を遮った。

「これは俺たちの問題です。じいさんの手を煩わすつもりはありません」

蒼空は認めざるを得なかった。

瑠々の立場からすれば、瑛司は間違いなく「良い男」だ。

彼女は学業とキャリアのために海外へ行き、数年離れていたのに、瑛司は浮いた話一つ出さず、常に彼女一筋だった。

たとえ蒼空と無理に関係を持ち、咲紀を生んだとしても、彼の心の中にはずっと瑠々だけ。

今こうして、育ての祖父でさえ彼と瑠々のことを口にするのを許さないのだ。

隣の文香が蒼空の太ももをつねり、彼女に何かアピールしろと合図する。

だが蒼空は無視して黙々と食事を続けた。

敬一郎はもう一度、彼女に目を向けた。

以前なら、瑠々の話題が出ただけで彼女は不機嫌になり、瑛司にもう話すなと抗議していた。

だが今は、まるで興味がないような態度。

普段、彼女に無関心な瑛司でさえ、蒼空の変化に気づいた。

彼の口元に浮かんだのは、皮肉めいた笑みだった。

さっきは誘惑どうこう言ってたのに、今はこの態度か?

蒼空がまだ箸を置いていないうちに、瑛司は立ち上がった。

「会社に用事があるので、先に失礼します」

夜の十一時、蒼空はベッドで休んでいた。

ふと、外から車の入ってくる音がした。

おそらく、瑛司が残業から戻ったのだろう。

まどろみに入ろうとしていたところ、突然ノックの音が。

彼女は電気を点けて起き上がった。

「はい」

ドア口には使用人が立っており、どこか傲慢な調子で言った。

「関水さん、松木社長が酔って帰られたようですが、酔い覚めのスープをお作りになりますか?」

蒼空は静かに目を伏せた。

前世では、彼の機嫌を取るため、毎回自分の手でスープを作っていた。

使用人には一切任せず、自分で用意して、飲むところまで見届けていた。

だが、今はもう違う。

彼女は横になり、目を閉じる。

「あなたたちに任せるわ。疲れたので」

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辛子明太子
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