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戻れない場所への懇願

last update publish date: 2026-08-31 10:53:27

 一条本社ビル、地下の保護施設。面談室。

 資産凍結手続きの最終確認——そのためだけに俺はここへ足を運んだ。用件はそれだけのはずだった。

 扉が開いた瞬間、椅子に座らされていた絵里香が弾かれたように顔を上げる。かつて人前で見せていた完璧な化粧や隙のない身なりは、今の彼女には見る影もない。頬はこけ、髪は乱れ、数日前までビジネスクイーンと持てはやされていた面影は、どこにも残っていなかった。

「隼人さん……!」

 絵里香は椅子から崩れ落ちるように床に膝をつき、そのまま俺の足元へ縋りついてきた。

「お願い、聞いて。私、間違ってた。全部あなたの言う通りだった。……もう一度、やり直させて。家族に戻して」

 床に額を擦りつけんばかりの姿勢で絵里香は涙声を張り上げた。俺は表情を変えないまま、書類の束を机に置く。

 同席していた凜が、冷ややかな一瞥を絵里香に向けた。

「兄さん、彼女は反省や後悔はしていません。頼れる資産をすべて失った今、残された最後の担保として、兄さんに乗り換えようとしているだけです」

 凜の指摘に絵里香の肩がびくりと震える。図星を突かれた反応だ。

「そんな……違う、私は本当に……」

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  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   戻れない場所への懇願

     一条本社ビル、地下の保護施設。面談室。 資産凍結手続きの最終確認——そのためだけに俺はここへ足を運んだ。用件はそれだけのはずだった。 扉が開いた瞬間、椅子に座らされていた絵里香が弾かれたように顔を上げる。かつて人前で見せていた完璧な化粧や隙のない身なりは、今の彼女には見る影もない。頬はこけ、髪は乱れ、数日前までビジネスクイーンと持てはやされていた面影は、どこにも残っていなかった。「隼人さん……!」 絵里香は椅子から崩れ落ちるように床に膝をつき、そのまま俺の足元へ縋りついてきた。「お願い、聞いて。私、間違ってた。全部あなたの言う通りだった。……もう一度、やり直させて。家族に戻して」 床に額を擦りつけんばかりの姿勢で絵里香は涙声を張り上げた。俺は表情を変えないまま、書類の束を机に置く。 同席していた凜が、冷ややかな一瞥を絵里香に向けた。「兄さん、彼女は反省や後悔はしていません。頼れる資産をすべて失った今、残された最後の担保として、兄さんに乗り換えようとしているだけです」 凜の指摘に絵里香の肩がびくりと震える。図星を突かれた反応だ。「そんな……違う、私は本当に……」「違わない」 俺は言葉を挟んだ。「お前が今すがっているのは俺じゃない。俺の肩書きと俺の財産だ。今までと、何一つ変わっていない」 絵里香は俺の手を両手で掴もうと腕を伸ばしてきたが、俺はその手が触れる前に一歩下がり、机の陰へ引いた。彼女の指先が虚しく宙を掻く。「違う……信じて。私、あなたの隣にいた頃が一番幸せだったの。あの時に戻りたいだけなのよ」 白々しい言葉が俺の耳を素通りしていく。 数年前、俺が無職の主夫だった時分、彼女はその俺を蔑み、罵り続けていた。生活費すら渡さず、結衣の前でさえ「甲斐性なし」と嘲笑っていた口が、今さら、どの面下げて幸せだったと語るのか。 俺が黙って見返すだけで答えないでいると、絵里香は表情を変え、別の切り口を試みてきた。「……聞いて。結衣のためよ。あの子にはやっぱり、ちゃんとした両親が必要でしょう? 結衣のためを思うなら、私たち、もう一度家族としてやり直すべきじゃない?」 絵里香は縋る腕に力を込め、必死に論点をすり替えようとする。これまで散々踏みにじってきた娘の名前を、今になって己の延命の道具に使う——その浅ましさに、俺の中で何かが冷たく凝固して

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   利用されただけの寵愛

     一条本社ビル、地下の保護施設。 黒幕の名を口にしかけて凍りついた樹は、あの一言以来、貝のように口を閉ざし続けていた。恐怖に支配された男から無理に言葉を引き出そうとすれば、かえって沈黙を固くするだけだ。俺はひとまず矛先を変えることにした。「絵里香のいる部屋へ行って、樹の取り調べ音声を聞かせてやれ。俺はモニター室から繋ぐ」 俺の指示を聞き、凜が険しい表情のまま頷いた。「兄さん、本当にあの女に聞かせるんですか。あれを聞いて壊れない人間はいないと思いますが」「壊れてもらわなければ困る。樹に守られる価値など、あの女には最初からない——それを自分の耳で理解させてやる」 結衣の誕生日を平気で踏みにじったあの女に、これ以上の温情をかける理由はどこにもない。俺はモニター室へ足を向けた。 隔離房のモニター越しに絵里香の姿が映し出される。壁にもたれ、焦点の合わない目で虚空を見つめていた。かつて祝賀パーティーのステージで人々の視線を独占していた女の面影は、もうどこにもない。「絵里香、お前に聞かせたいものがある」 俺の声に絵里香がのろのろと顔を上げた。「……何よ。今さら私を笑いに来たの」「笑いに来たわけじゃない。お前が今も信じているものを壊しに来ただけだ」 凜がタブレットを操作し、取り調べの録音を再生する。感情の抜け落ちた樹の声が、狭い房に響き渡った。『絵里香? ああ、五人目の駒だよ。金づるが太かったから、少し長く飼っただけだ』「……嘘よ」 絵里香の唇が震えた。「こんなの切り貼りした音声に決まってる。樹くんは私だけを本当に愛してくれてた……!」「それなら、これも切り貼りだと言うのか」 凜がタブレットの画面を切り替える。四人の女性の顔写真が並んだ。アパレル、美容クリニック、飲食チェーン、輸入雑貨——いずれも野心的な女性経営者だ。積み上げてきた経歴、そして成り上がろうとした野心の形が絵里香自身と恐ろしいほど重なり合っている。「過去七年間、樹はまったく同じ手口で、まったく同じ立場の女を渡り歩いてきた。お前はその五人目に過ぎない。特別でもなんでもない、ただの獲物だ」 絵里香の顔から表情が抜け落ちていく。震える指先が写真の一枚——自分と瓜二つの経歴を持つ女の顔に触れた。「私は……特別だって……頂点に立てる女だって、そう言ってくれた……」「あいつが興味を持

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   折れた白手袋

     一条本社ビル、地下三階の尋問室。 窓一つない灰色の壁に、蛍光灯の白い光が容赦なく降り注ぐ。パイプ椅子に座らされた宝生樹は、両手首を拘束された姿でうつむいていた。かつて絵里香の隣で振りまいていた完璧な営業スマイルも、寸分の乱れも許さなかった身だしなみも、今はどこにも見当たらない。皺だらけのシャツの袖口から覗く指先だけが、不自然なほど白く乾いていた。数日前まで、この男は自らを頂点に立った勝者だと信じ切っていたというのに…… 換気扇の低い唸りだけが響く部屋で、俺は資料の束を机に置いた。母を奪った黒幕へ至る糸口が、この男の口の中にある。そう思うだけで、腹の底に押し殺してきた怒りが再び頭をもたげた。結衣にこれ以上、汚れた大人の事情を背負わせるつもりはない。この男から先の名前を引き出せば、この長い戦いにも終止符が打てる。「宝生樹。あなたの経歴書を、一枚残らず読ませてもらいました」 凜がタブレットを操作し、四人の女性経営者の顔写真を次々と映し出す。「アパレル、美容クリニック、飲食チェーン、輸入雑貨——あなたが食い潰してきた会社の数だけ、被害者がいます。戸籍の偽装、資格の捏造、資金洗浄のルート。四人分の被害届と裏帳簿、一枚残らず揃っています」 樹の口元に、まだ薄笑いが張り付いている。「……証言なんて、いくらでもでっち上げられる。俺は、ただ女に好かれただけの男だ。運が良かっただけだ」「それなら、これも偶然というのか」 俺は録音データを再生した。震える女性の声が狭い室内に響く。『あの人に近づかれてから、半年で会社の資産は空っぽになりました。私はもう、二度と人を信じられなくなりました』 その一言が終わるより早く、樹の喉仏が大きく上下した。取り繕っていた余裕の色が、頬から音もなく引いていく。それでも樹は肩をすくめ、乾いた笑いを絞り出そうとした。「……女の恨み言一つで、俺を裁けるとでも? そんなもの証拠と呼べる代物じゃない」「お前を拾って育てた清掃屋は、もう洗いざらい吐いている。詐欺の手口、戸籍の偽装の技術、絵里香を落とすための台本まですべてな」 俺は身を乗り出し、樹の目を正面から射抜いた。「お前は黒川商会に預けられ、詐欺の手口を徹底的に叩き込まれた。それは誰の指示なんだ。答えろ」「……知らない。俺は、何も知らない」「それなら、お前が姿を消す前に持ち出そう

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   白手袋の履歴書

     一条本社ビル、執務室。 凜がタブレットの資料を広げながら、俺の前に座った。その表情には、これまでの調査で見せてきたどの顔とも違う、確信めいた鋭さが浮かんでいる。「兄さん、樹の過去の経歴を、もう一段階深く掘り下げました。……結果、想像以上に根の深い話が出てきました」「聞かせてくれ」 窓の外には、Xデーの喧騒が嘘のように静まり返った京都の街並みが広がっていた。黒川、白鷺銀行——大きな駒を次々と仕留めてきたが、樹という男の底が、まだ完全には見えていない。その予感が俺の中でずっと、くすぶり続けていた。「樹が絵里香に近づいたのは、決して偶然ではありません。過去七年間で、少なくとも四人の女性経営者に、まったく同じ手口で接近している痕跡が見つかりました」 タブレットに映し出されたのは、四人の女性の顔写真と、それぞれが経営していた企業の概要だった。アパレルブランド、美容クリニック、飲食チェーン、そして輸入雑貨の卸業——いずれも、創業者が野心的な女性経営者であるという共通点がある。いずれの企業も、樹が去った後、数ヶ月と経たずに経営破綻に追い込まれていた。「手口はすべて同じです。経営基盤が固まりきっていない会社に恋愛感情で入り込み、資金繰りの相談役として経営の中枢に食い込む。そこから融資詐欺や資金洗浄の器として会社を利用し尽くし、最後には食い潰して姿を消す——樹は黒川グループが飼っていた『使い捨ての実行役』だったんです」 いずれの被害者も、事業拡大の野心はあっても経営や資金繰りの経験が浅い。そこに付け入る隙を見出し、恋愛感情という最も防ぎようのない手段で懐に入り込む——樹の手口は、まるで精密に磨き上げられた狩猟の技術だった。 俺は資料を捲る手を止めた。絵里香もまた、その使い捨ての駒の一つに過ぎなかったという事実に奇妙な感慨すら覚える。同時に、これほど精巧な手口を一朝一夕で身につけられるはずがないという確信も俺の中で強くなっていった。誰かが、この男を一から仕込み、送り出してきたのだから、当然だ。「被害者への接触は」「一人、応じてくれました。三年前、樹に会社を乗っ取られかけたアパレルブランドの元経営者です。長年、証言することへの恐怖から沈黙を続けてきたようですが、今回、一条が本気で樹を追い詰めていると知り、ようやく重い口を開いてくれました」 凜が音声データを再生

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   崩れる白鷺銀行

    白鷺銀行本店、緊急記者会見場。フラッシュの嵐が焚かれる中、頭取が壇上で深々と頭を下げていた。集まった記者たちの視線には、長年地域経済を支えてきたはずの名門銀行への失望が色濃く滲んでいる。会場の後方に設置された大型モニターには、この会見の様子がリアルタイムで全国へと配信されていた。「この度、当行副頭取による不正融資および横領行為が発覚したことを受け、深くお詫び申し上げます」会見場のモニターには、金融庁の立入検査の様子と、凍結された不正融資関連口座の一覧が映し出されている。俺が送り込んだ証拠は、既に金融庁を通じて銀行内部の隅々にまで浸透していた。エリカ・パートナーズへの過剰融資、黒川商会への裏融資——どれも言い逃れの余地なく、数字として突きつけられている。長年にわたって積み重ねられてきた不正の全容が、たった一枚の報告書として白日の下に晒された瞬間だった。「副頭取は本日をもって解任、当行との一切の関係を断ちます。……私自身も監督責任を取り、本日をもって辞任いたします」頭取の声には、保身に走る人間特有の焦りが滲んでいた。長年共に銀行を支えてきたはずの部下を、迷いなく切り捨てる——その光景は、皮肉にも黒川が繰り返してきた「トカゲの尻尾切り」と、そっくりそのまま重なって見えた。この国の金融の中枢を担ってきたはずの人間たちですら、追い詰められれば、結局は同じ生存本能に従うしかない。金と保身に群がる人間は、追い詰められれば結局、誰もが同じ末路を辿る。俺はモニター越しにその会見を眺めながら、そう確信した。***同時刻、関西国際空港。変装用の帽子とサングラスで顔を隠した副頭取は、保安検査場の列に並んでいた。行き先は、資産隠しに使ってきた海外の口座がある国。この検査さえ抜ければ、すべてから解放される——そう自分に言い聞かせながら、パスポートを差し出す。周囲に並ぶ乗客たちの誰もが、自分の正体に気づいていないことだけが、今の彼にとって唯一の救いだった。長年、銀行という信頼を看板に人々の金を右から左へ動かし続けてきた男の逃避行は、皮肉にも空港という最も監視の厳しい場所で、あっけなく終わりを迎えようとしていた。「お客様、少々お待ちください」係員の声に、副頭取の顔から血の気が引いた。端末の画面には、既に手配書の写真と一致するアラートが点滅している。「な、何かの間違い

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   王の前の懺悔

     一条本社ビル、地下三階。 拘束された黒川龍臣は別人のように痩せ細った顔で、パイプ椅子に力なく項垂れていた。逮捕から三日、資産のすべてを凍結され、長年築いてきた組織、そして取引先が雪崩を打つように離反していった。かつて裏社会の頂点に君臨していた男の面影は、もはやどこにも見当たらない。 窓のない尋問室に響くのは換気扇の低い唸りだけだった。俺は椅子に深く腰掛け、資料を捲る手を止めないまま、正面の男を観察し続けていた。「黒川、お前が地元商工会長として気取っていた慈善家の仮面も、これで完全に剥がれ落ちたな」 俺はタブレットの画面を黒川に突きつけた。凍結された口座残高、離反した取引先のリスト、そして裏帳簿から掘り起こされた不正融資の全記録——どれも、既に検察へ提出済みの証拠ばかりだ。もはやこの男に言い逃れの余地は一片たりとも残されていない。「……俺は上の人間に言われるがまま動いていただけだ。所詮、駒の一つに過ぎない」 黒川は同じ言葉を繰り返した。取り調べが始まってから、何十回目になるかも分からない。まるでそれだけが自分を保つための唯一の呪文であるかのように…… 目の前の男は、既にすべてを失った現実を受け止めきれず、この一言だけを盾に辛うじて正気を保っているように見えた。「駒、か。ならば、その駒を操っていた人間の名前を言え。それだけで、お前への追及の仕方も変わってくる」「……言えるわけがねえだろ」 黒川の声には、これまでとは違う質の怯えが滲んでいた。証拠を突きつけられても、資産を奪われても崩れなかった何かが、今の一言で確かに揺らいでいる。「凜、資産凍結の範囲を広げろ。黒川の親族名義の口座、隠し資産、すべてだ」 俺の指示に、黒川の肩がびくりと震える。「黒川、お前が守ろうとしているものは、遠からず一つ残らず消えることになる」 経済的な締め付けが、じわじわと黒川の心を蝕んでいくのが分かった。裏社会の頂点に君臨してきた男でも、金という最後の拠り所を失えば、ただの臆病な老人に過ぎない。 法で裁けない相手には欲望と恐怖を利用する—— これまで貫いてきたやり方が、この男に対しても寸分違わず機能していた。証拠だけで人は落ちない。本当に人を追い詰めるのは、失うことへの恐怖そのものだ。「……待て、待ってくれ」「待つ理由がどこにある。お前はもう、俺にとって使い道

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   決別 〜崩れ落ちる最後の糸〜

     俺の言葉に絵里香は鼻で笑い、周囲の経営者たちへ聞こえるほど大きな溜息をついた。「何を見間違えたのか知らないけれど、大袈裟に騒がないで。誤解よ、誤解。海外のビジネスシーンでは、これくらい当たり前の親愛の情だわ。本当に器の小さい男ね、あなたって人は」 絵里香は血相を変えるどころか、軽蔑を隠そうともせずに言い放った。「自分の無知を棚に上げて、大事な祝賀会の席で醜態を晒すなんて。恥ずかしいから、もう口を開かないで」 そこへ、横に立っていた樹が一歩前に出た。顔に張り付いた完璧な営業スマイルは、その奥の嘲笑を隠そうともしていない。「旦那様、あまり絵里香さんを困らせないでください。彼女は今、我

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   一般人ごっこの終焉 〜すれ違う思いと裏切りのステージ〜

     夜八時。リビングのテーブルには、結衣の名前が書かれたバースデーケーキと、不格好なリボンが結ばれた小さな箱が置かれていた。「パパ……ママ、まだお仕事終わらないの?」 五歳になる娘の結衣が、画用紙に描いた『ママへの似顔絵』を胸に抱きしめたまま、泣き出しそうな顔で俺を見上げている。 今日は結衣がずっと楽しみにしていた大切な誕生日だ。俺は娘の頭を優しく撫でると、スマートフォンを取り出して、妻である絵里香に電話をかけた。 数回のコールの後、苛立ちを含んだ声が耳に届く。『何? 今、ホテルで重要な祝賀パーティーをしているの。用がないなら電話してこないで』「今日は結衣の誕生日だ。ケーキを買って

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   百回目の宣告と反撃の狼煙

    「結衣、いい子にしてなかったから……ママ、結衣のこと嫌いになっちゃったの?」 その涙に、さすがの絵里香も言葉を失う。気まずげに視線を逸らし、小さく舌打ちをした後、「……そんなこと、言ってないでしょ」と呟いて寝室へ逃げるように消えていった。 胸の奥が激しく痛む。俺は結衣の小さな体を強く抱きしめた。「違うよ。結衣は世界一のいい子だ。パパがずっと一緒にいるから、安心して眠りなさい」 俺は結衣の小さな背中を優しくさすり続けた。 しゃくりあげる声はやがて規則正しい寝息へと変わり、泣き疲れた娘の身体からすっと力が抜ける。 その小さな身体を抱き上げてベッドへ運び、毛布を掛けた。 明日、あの女

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   乾ききったケーキと娘の涙

     冷たい雨がアスファルトを叩く音を背に、俺は自宅マンションの重い扉を開けた。 玄関は薄暗く、静まり返っている。濡れたコートを脱ぎ捨て、リビングの照明をつけると、そこには目を背けたくなるような現実が待っていた。 テーブルの中央に置かれたバースデーケーキ。六本のロウソクは火を灯されることもなく、生クリームは完全に乾ききって、ひび割れている。傍らには、結衣が一生懸命に描いた『ママの似顔絵』が、主役の帰りを待ちわびたまま、ぽつんと残されていた。 表面上は平静を保っていたつもりだったが、内面はすでに決定的に壊れかけている。 俺はソファに深く沈み込み、両手で顔を覆った。 過去の記憶が薄暗いリビ

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