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虚栄の城

last update Data de publicação: 2026-06-28 12:01:59

「素晴らしいわ! これこそ業界のトップに立つ私たちに相応しい城ね!」

 絵里香の甲高い笑い声が、真新しい広大な社長室に響き渡る。

 白鷺銀行から巨額の融資を引き出してから、わずか数日。エリカ・パートナーズは京都市の中心部にそびえ立つ最新鋭のインテリジェントビル最上階へと、逃げるような早さでオフィスを移転させていた。

 白鷺銀行から引き出した巨額の融資を手にした彼女は、それを事業への堅実な投資ではなく、自らの虚栄心を満たすためだけに異常なペースで燃やし始めていた。

 身の丈に合わない超高級オフィスへの強引な移転。さらに企業のブランド力向上という名目で、実務経験が皆無のインフルエンサーやモデルたちを高給で大量採用し、連日のように豪華なケータリングを呼んで歓迎パーティーを開いているのだ。

「見てよ、樹くん! SNSのフォロワーが何十万人もいる子たちが、私の下で働きたいって集まってくるの! あいつが狭い家でセコセコと主夫ごっこをしていた間に、私はここまで来たのよ!」

 絵里香はシャンパングラスを片手に、完全に我を忘れて有頂天になっていた。周囲では、ビジネスの基礎すら知らない若者たちが、仕事も
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  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   ジュネーブの帳簿 2

     別棟に戻されたのは、昼過ぎだった。 私は寝台の端に座り、手帳に今日のことを書きつけた。記録が消えた時間。消せた者の条件。十三の椅子の、もう一つ。書けば書くほど、分かっていることより分からないことの方が増えていく。 日が落ちて、夕食の盆が下げられた頃だった。 部屋の隅の床板の下から、こつ、こつ、と二度、何かを叩く音がした。 心臓が跳ねた。廊下の突き当たりの物置の奥、地下へ降りる階段のあたりだ。あの通路を知っているのは、私の他には一人しかいない。 物置の扉を開けると階段の下の暗がりに、細いフレームの眼鏡が光っていた。「梶谷さん」「声を落としてください」 梶谷さんの靴も、私の時と同じように泥水で黒く濡れていた。「今朝の聴聞ですが、私は嘘をつきませんでした。書記室の通信記録は確かに空白になっていた。ですが……」 梶谷さんは上着の内側から、何枚かの写真を取り出した。古い型の印刷された写真だった。「午前三時十分に、私は書記室の画面を自分の古いカメラで撮っておきました。この館の端末を使わずに。記録が消されたのは、その四十分後です」 写真には、通信記録の画面が写っていた。エドモンドの端末から日本の番号へ。発信時刻は午前二時五十八分。通話時間は七分。 兄さんの部屋で、エドモンドが征之に繋いだ、あの通話だ。「どうして、撮っておいたのですか」「エドモンドが昨夜、書記室の前を通ったのを見ました。立ち入りは禁じられているのに、扉の前で誰かと話していた。それで、何かが消されると思ったんです」 梶谷さんは少しだけ口の端を上げた。「確かめる人間の方が長く生き残る。あなたにそう言ったのは私です」 それから、梶谷さんは鞄の中から、紐で綴じた分厚い紙の束を取り出した。「本題はこちらです」 表紙には、手書きの文字でこう記されていた。『ハルトマン信託 口座監査記録 ジュネーブ』 息が止まった。「先月十四日、私がジュネーブにいたのは、この監査のためでした。評議会の分析官として、十三家に関わる信託の口座を定期的に調べるのが、私の仕事の一つです。あの日、私はハルトマン信託が口座を持つ銀行で、三十年分の入出金の記録を確かめていました」 梶谷さんは紙の束をめくった。細かい数字が几帳面な手書きでびっしりと並んでいる。「原本はジュネーブの銀行の金庫にあります。評議会の

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   ジュネーブの帳簿

     結衣ちゃんが助け出されたと知ったのは、明け方の四時だった。 別棟の鍵のかかった部屋で、私は一睡もせずに兄さんからの連絡を待っていた。 兄さんからの電話は短かった。「無事だ。怪我もない。楢崎と元掃除屋の真柴が連れ戻した」 それだけ聞くと、私は寝台に座ったまま、手帳を胸に押し当てて声を殺して泣いた。『凜、よく持ちこたえたな。あと、もう少しだ』 兄さんの最後の一言に、表紙の裏の苺のシールが涙で少し湿った。 結衣ちゃんは自分で道に印を残したのだという。携帯電話を取り上げられて、何かがおかしいと気づいて、怖さをこらえてシールを一枚ずつ貼っていったのだと。 あの子は、私が思っていたよりずっと強い。だったら私も、ここで泣いているわけにはいかない。                 * 午前九時の聴聞の間は、昨日までと空気が違っていた。 十二家の顔ぶれは同じだった。けれど、誰もが互いの顔色をうかがっている。夜のうちに何かが起きたことを、全員が知っているのだ。 半円の端の一条家の席には、今朝も重蔵の名札が置かれたままだった。 傍聴席から見ると、兄さんの背中はいつもと変わらずまっすぐだった。昨夜、エドモンドが部屋で口にした言葉は、議長の命令で取り付けられた記録装置にすべて残っている。兄さんはそれを、今日この場で示すつもりだ。 議長が杖で床を打った。「審問に入る前に、報告がある」 かすれた声が、いつもより低かった。「昨日、聴聞対象者の部屋に設置した記録装置について、今朝、係員が確認を行った。その結果、昨夜零時から午前四時までの記録が残っていなかった」 半円がざわめいた。 兄さんの肩が、わずかに動いたのが見えた。「装置そのものに壊れた形跡はない。何者かが、その時間の記録だけを消したものと見ている」 エドモンドが、ゆっくりと立ち上がった。昨夜、兄さんの部屋から出ていったときの青ざめた顔は、もうどこにもない。「それは不運でしたな、議長。何が記録されていたのか、私には見当もつきませんが」「この館の通信記録はどうだ」 兄さんの声だった。議長が書記席に目を向ける。「書記。審問官の端末が昨夜どこへ繋いだか、記録を出せるか」 梶谷さんが立ち上がった。眼鏡の奥の目は、伏せられていた。「……書記室の通信記録も、同じ時間帯が空白になっております」 半円

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   記録される夜 その2

     エドモンドの顔から、血の気が引いていった。「……何をした?」「何もしていない。あんたが征之に端末を構えさせ、征之が画面に気を取られた。その隙に俺の部下が裏から入った。それだけのことだ」 俺は金属の小箱の蓋を開け、自分の端末を取り出した。画面には楢崎からの短いメッセージが届いていた。『お嬢様を保護いたしました。お怪我はございません。征之を押さえました』 膝から力が抜けそうになるのを、俺は卓に手をついてこらえた。 エドモンドが立ち上がった。「だが、それがどうした。子供を取り返したところで、私が関わったという証拠はどこにもない。征之が勝手にやったことだ。私はただ、ここで君と話をしていただけだ」「そうだな。あんたがここで話していたことは、全部残っている」 俺は天井の隅を指差した。 エドモンドがその視線を追い、石壁の継ぎ目に取り付けられた黒い箱を見つけた。箱の脇で赤い小さな光が点滅している。「議長の命令だ。昨日の休会のあと、この部屋への侵入を調べるために取り付けられた。この部屋で起きたことは、評議会の名において、すべて記録されている」 エドモンドの口が、わずかに開いた。「あんたは娘が保護されたと言った。誰が預かっているかは言えないが、署名すれば今日中に帰れるよう口添えすると、子供一人取り込めば当主の理性など崩れる、とも言った」 俺は一拍おいて、続けた。「そして、娘の顔を見せろと言ったら、あんたは自分の端末で日本の征之に繋いだ。誘拐の実行犯にな。この館の端末は誰がどこへ繋いだか、すべて記録に残る。そう教えてくれた人間がいるんだ」 エドモンドは石壁の黒い箱を見上げたまま、動かなかった。 三百年、子供を取り込んで家々を従わせてきたという評議会の手口。それを評議会自身の記録装置が評議会の審問官の口から記録した。「明日の聴聞で、議長にこの記録を見てもらう。辞退届はそのとき、あんたが自分で読み上げるといい」 エドモンドはしばらく黙っていた。やがて、肩の力を抜くように、ふっと息を吐いた。「子供を取り返して、記録を握って、勝ったつもりかね」 エドモンドはニヤリと笑った。そして、扉の方へ歩きながら、肩越しに振り返った。「一つ、教えてあげよう。あの別荘の場所や鍵のことは、私は何一つとして知らなかった。日本の山奥の古い家のことなど、私にどうして分かると

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   記録される夜 その1

     楢崎からの連絡は、こちらの深夜二時を回った頃に届いた。『お嬢様の居場所が分かりました。凜様が監禁されていた、あの山の別荘です。中に征之がおります』 征之……。 半年前、凜に横領の濡れ衣を着せ、あの別荘で凜を鎖で繋いだ男だ。一族から切り捨てられ、二度と表には出てこないはずだった。 端末を握る手に知らず力がこもった。だが、ここで声を荒らげれば、中庭で係員に詰め寄った夜と同じことになる。俺は一度だけ深く息を吐き、楢崎に告げた。「まだ踏み込むな。征之は一人で事を運ぶ男じゃない。必ずエドモンドに報告を入れ、指示を仰ぐ。エドモンドは俺の顔が歪むところを自分の目で見たがる男だ。だから今夜、あいつは必ず俺のところへ来る」『隼人様のところへ、ですか』「来たら、征之に繋がせて、結衣を見せびらかすだろう。征之が端末を構えて、画面に気を取られた瞬間が合図だ。その時、元掃除屋の真柴に裏から回らせろ」 地下の監視棟にいる男の名を俺は初めて口にした。かつて黒川の下で清掃屋を率い、凜に刃を向けた男。今は償いの機会を待ち続けている。『……承知いたしました。真柴にも、そう伝えます』 通話を切ったあと、俺は部屋の天井の隅に目をやった。 石壁の継ぎ目に小さな黒い箱が取り付けられている。昨日の休会のあと、議長の命令で係員が設置していったものだ。聴聞対象者の部屋への侵入を調べるため、評議会の名において、この部屋で起きることはすべて記録される。 エドモンドは、そのことを知らない。議長の命令で、昨日から書記室に立ち入りを禁じられているからだ。               *** 扉が叩かれたのは、それから二十分後だった。 開けると、エドモンドが一人で立っていた。昼間、議長に一喝されて表情を失っていた男とは別人のように、口元に余裕の笑みを浮かべている。「夜分に失礼。少し、話がしたくてね」 俺が身を引くと、エドモンドは断りもなく部屋に入り、窓際の椅子に腰を下ろした。「端末を、そこの箱に入れてもらおう。お互いのためだ」 俺は黙って端末を金属の小箱に落とし、蓋を閉めた。エドモンドはそれを見届けてから、満足げに頷いた。「日本は今、朝の十時半か」 エドモンドは窓の外の闇に目をやった。「先ほど、日本から知らせがあってね。お嬢さんは今朝、ある方に保護されたそうだ。当主の資格が揺らいで

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   影たちの朝 その2

     七条の立体駐車場は、古いコンクリートの壁に囲まれた薄暗い建物だった。 三階の奥に白いワゴン車が停まっていた。後ろの扉は開け放たれ、中には誰もいない。座席の下に、小さな端末が一つ転がっている。結衣の持ち物の子ども用の携帯電話だ。画面は割られ、電池が抜かれている。 楢崎はそれを拾い上げ、掌の中で強く握った。「楢崎さん」 傷の男が、柱の陰を指差していた。 コンクリートの柱の、ちょうど子どもの目の高さに赤いものが貼られていた。 苺のシールだ。 楢崎は膝をついて、そのシールを見つめた。結衣はいつも、苺のシールの台紙をポケットに入れて持ち歩いている。凜に渡したお守りも、その台紙から一枚剥がしたものだった。「お嬢様は、気づいておられたんだ」 楢崎は呟いた。 家政婦の手を握って、エレベーターに乗るまでは信じていたのだろう。だが、車の中で携帯電話を取り上げられたとき、何かがおかしいと思ったのだ。 だから、自分が通った道に印を残した。まだ七つの子どもが怖さをこらえて、後から追って来る大人たちが追いかけてこられるように…… 楢崎は奥歯を噛みしめた。目の奥が熱くなるのを、どうにか押し戻す。泣くのは、あの子をこの腕に抱いてからだ。 シールは、それから二枚見つかった。一枚は出口の精算機の脇。もう一枚は出口の前の歩道のガードレールの裏側—— 三枚目のシールが貼られていた場所から、隼人の追跡の連中が付近の防犯カメラを洗い直した。 十分後、灰色のセダンが一台、浮かび上がった。後部座席に小さな頭が一つ映っているのを確認することができたのだ。 セダンは京都の市街を抜け、北の山あいへ向かう県道に入っていった。 地図を覗き込んだ元清掃屋の男の顔が見る見るこわばる。「……この道の先は」 男は地図の上の一点を指で押さえた。「凜さんが閉じ込められていた別荘です」 楢崎の背筋に冷たいものが走る。 一条本家の保養所として、ごく一部の人間にしか存在を知らされていない場所。重蔵の配下が凜を鎖に繋いだ場所だ。あの事件のあと閉鎖されたはずの建物を、なぜエドモンドの協力者が知っているのか。 答えは一つしかない。 協力者は本家の内側にいる人間だ。               *** 山あいの別荘は、半年前と変わらない姿で木立の奥に建っていた。 正門の前に灰色のセダンが停ま

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   影たちの朝 その1

     暗転した画面の前で、楢崎はエレベーターの呼び出しボタンから指を離した。 待っている暇はない。非常階段の扉を蹴るように開け、地下へ駆け下りる。六十を過ぎた膝が悲鳴を上げたが、それで構わなかった。 監視画面を一斉に落とせるのは、警備室の中から操作した者か、建物の配電盤に細工を仕込んだ者だけだ。どちらにせよ、今朝の手はずは一夜で組まれたものではない。家政婦が入ってきた先週から、いや、それよりずっと前から、このペントハウスは内側から少しずつ食い荒らされていたのだ。 地下二階の扉を押し開けると、排気の匂いがまだ残っていた。 白いワゴン車の姿は、もうどこにもない。マンションの出口の遮断機が跳ね上がったまま止まっていた。 楢崎は端末を取り出し、海の向こうの番号を押した。指が言うことを聞かず、一度押し損ねた。『楢崎か』 隼人の声だった。向こうはまだ夜のはずだ。「隼人様。お嬢様が連れ去られました」 言葉にした途端、喉の奥が焼けた。 重蔵の影として三十年、楢崎は数えきれない人間を闇へ沈める手伝いをしてきた。その報いが巡ってくるのなら、自分の身に来ればいい。なぜ、よりにもよってあの子なのか。 受話口の向こうで、ほんの一瞬だけ息を呑む気配がした。だが、返ってきた声は乱れていなかった。『経緯を三十秒で話せ』 楢崎は話した。大垣の訪問、家政婦、業務用エレベーター、警備室の場面の暗転、白いワゴン車のことを……『分かった。警察と弁護団には、今から俺が直接連絡を入れる。お前は、あの男を使え。地下の監視棟にいる男だ。この手口は、あいつが一番よく知っている』 元清掃屋。かつて黒川の下で裏社会の掃除を担い、凜に刃を向けた男だ。『それから、俺が別に抱えている追跡の連中を、お前の指揮下に回す。十分以内に、そっちへ連絡が行く』「……隼人様」『楢崎。お前のせいじゃない』 一拍おいて、低い声が続いた。『必ず連れ戻せ』               *** ペントハウスの地下会議室に傷だらけの顔をした男が連れてこられたのは、それから十二分後のことだった。 その元掃除屋の男は楢崎の差し出した二つの端末を受け取った。一つは大垣が持っていた、犯人たちから指示を受けるための使い捨て端末。もう一つは、ワゴン車が出ていく直前までの駐車場の記録映像だ。 男は映像を三度見返し、それか

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   乾ききったケーキと娘の涙

     冷たい雨がアスファルトを叩く音を背に、俺は自宅マンションの重い扉を開けた。 玄関は薄暗く、静まり返っている。濡れたコートを脱ぎ捨て、リビングの照明をつけると、そこには目を背けたくなるような現実が待っていた。 テーブルの中央に置かれたバースデーケーキ。六本のロウソクは火を灯されることもなく、生クリームは完全に乾ききって、ひび割れている。傍らには、結衣が一生懸命に描いた『ママの似顔絵』が、主役の帰りを待ちわびたまま、ぽつんと残されていた。 表面上は平静を保っていたつもりだったが、内面はすでに決定的に壊れかけている。 俺はソファに深く沈み込み、両手で顔を覆った。 過去の記憶が薄暗いリビ

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   決別 〜崩れ落ちる最後の糸〜

     俺の言葉に絵里香は鼻で笑い、周囲の経営者たちへ聞こえるほど大きな溜息をついた。「何を見間違えたのか知らないけれど、大袈裟に騒がないで。誤解よ、誤解。海外のビジネスシーンでは、これくらい当たり前の親愛の情だわ。本当に器の小さい男ね、あなたって人は」 絵里香は血相を変えるどころか、軽蔑を隠そうともせずに言い放った。「自分の無知を棚に上げて、大事な祝賀会の席で醜態を晒すなんて。恥ずかしいから、もう口を開かないで」 そこへ、横に立っていた樹が一歩前に出た。顔に張り付いた完璧な営業スマイルは、その奥の嘲笑を隠そうともしていない。「旦那様、あまり絵里香さんを困らせないでください。彼女は今、我

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   一般人ごっこの終焉 〜すれ違う思いと裏切りのステージ〜

     夜八時。リビングのテーブルには、結衣の名前が書かれたバースデーケーキと、不格好なリボンが結ばれた小さな箱が置かれていた。「パパ……ママ、まだお仕事終わらないの?」 五歳になる娘の結衣が、画用紙に描いた『ママへの似顔絵』を胸に抱きしめたまま、泣き出しそうな顔で俺を見上げている。 今日は結衣がずっと楽しみにしていた大切な誕生日だ。俺は娘の頭を優しく撫でると、スマートフォンを取り出して、妻である絵里香に電話をかけた。 数回のコールの後、苛立ちを含んだ声が耳に届く。『何? 今、ホテルで重要な祝賀パーティーをしているの。用がないなら電話してこないで』「今日は結衣の誕生日だ。ケーキを買って

  • 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い   百回目の宣告と反撃の狼煙

    「結衣、いい子にしてなかったから……ママ、結衣のこと嫌いになっちゃったの?」 その涙に、さすがの絵里香も言葉を失う。気まずげに視線を逸らし、小さく舌打ちをした後、「……そんなこと、言ってないでしょ」と呟いて寝室へ逃げるように消えていった。 胸の奥が激しく痛む。俺は結衣の小さな体を強く抱きしめた。「違うよ。結衣は世界一のいい子だ。パパがずっと一緒にいるから、安心して眠りなさい」 俺は結衣の小さな背中を優しくさすり続けた。 しゃくりあげる声はやがて規則正しい寝息へと変わり、泣き疲れた娘の身体からすっと力が抜ける。 その小さな身体を抱き上げてベッドへ運び、毛布を掛けた。 明日、あの女

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