LOGIN僕が近づいたことに気付いた男の人は、ふとこちらを見たけど特に紙のことについて話すこともない。……一応この企画に興味があって来てくれたんだよね?
まあ、いいか。僕も黙って眺めさせてもらう。 周りにたくさんあるような見慣れた紙とは違う。機械的じゃなくて、厚くて、紙に繊維みたいなものが混ざっていて。 どこか、温かさを感じる。 「触っても、いいですか」 思わず声をかけてしまえば、男性は少しこちらを見て「はい」と言った。失礼します、と声をかけてからそっと、指で摘んでなぞってみる。 「わぁあ……ごわごわしてる……」 僕が今まで触れて来たことがない紙だ。古いようにも感じる。 「これは……?」 「和紙です」 これが、和紙。 市販にあるものでもない、手作りの和紙。 「これはあなたが?」 「……まあ」 「へええ……すごいですね……!」 「……っす」 正直に言葉にしているのに相手の反応は薄い。むしろオーバーに僕がリアクションして引いてる、かもしれない。 でもそんなことは気にならない。触り心地が良い。丈夫。温かい。どうしてみんな興味持たないんだろう。特別な紙なのに。 「この和紙でΩの首輪を作れたらなあ……」 「え。それ本気で言ってるの?」 男性からやっと単語以外の言葉が聞けた。改めて男性を見る。茶髪でゆるふわな頭。見た目だけならニートそうな人。 「そうだよ。Ωの首輪って値段が高いじゃん? でも頸を勝手に噛まれないようにするのは未成年も同じことで。お手軽な値段で買えるようになったらいいなあって思ってたんだ」 「……はっ、現実味が無いな」 鼻で笑って僕を見る。なんか、腹が立つ。 「何がおかしい?」 「紙は所詮紙だよ。興奮したαを目の前にした時、何の意味も成さない」 「……でも、無いよりは良い。首輪を外すことに手間取ればいい。その間に、助けが入るかもしれない。……紙だから壊れない首輪は作れないと思う。でも、無いよりはあった方が〝買う〟って選択肢は増えるよね」 「……」 男性はじ、とこちらを見たあとふいっと目を逸らす。 力説した僕が変みたいじゃないか。 なんだか猫みたいだ。 この男性は掴みどころがない。 離れても良いのだけれど……あの人混みの中に入るのはもう嫌だ。 仕方なく、男性の隣にある椅子に座る。 「……」 「……。うちの企画の募集を見て、来てくれたんですよね……?」 「……まあ」 「じゃあ。どうしてアピールをしない? この紙はすごいんだぞって、言わない?」 「俺は興味無かったんですけど、親父が行けって、無理やり」 「……」 「それに、俺のとこは企業じゃなくて工房なので」 「……?」 「他の紙の会社みたいに社員が多い訳でもないし機械で作ってる訳でもない。全部職人の手漉《す》き和紙だ。それも10人未満。……この大手メーカーと手を組むなんて、現実味がないよね」 「……だとしたら、なんでお父さんはここに……?」 「さあ……」 2人で首を傾げて。 無言の時間。話すこともない。ただ和紙を触り続ける。 なんか。好きだな、これ。 男性は微妙だけど。 気難しい人が作ったんだろうに、和紙は丁寧な作りだった。 「芦屋」 溝口から声をかけられる。 「主役がいなくなってどうする。早くこっちに来い。どの紙にするか決めるぞ」 「あ……」 会社的にどの紙を使うかは既に絞られているらしい。僕が良いなと思った和紙は見られてすらいない。 これが、よかったんだけどな。 ふと思い立って溝口に声をかける。「ママ〜、ゆうとくん家行く〜」「またぁ⁉︎ 奏、昨日も遊びに行ったじゃない。ご迷惑になるわよ」「ゆうとくん家に行く〜!」 3歳になった奏は暇さえあれはいつも山橋家に向かうと駄々こねる。生まれたばかりの悠人を1人で世話するのは大変なので私たちもよく家を尋ねてはいるのだが……昨日の今日では悠輔もゆっくり出来ないだろう。「奏、パパと手漉き和紙作ってみないか?」「ゆうとくん家行くもん〜!」 私の提案はあっさり無視され少し打ちのめされる。全然和紙に興味無さそうだ。3歳児の駄々をどうしたものか……と夫婦で困っていれば、インターホンが鳴りなんと悠人を抱えた悠輔が玄関の前にいた。「海都さん、楓さん、ごめんなさい……俺をちょっと1人にさせてくれませんか」 * 芦屋家に悠人が来たことで奏は大喜びだった。山橋家に向かうことではなく悠人に会うことが目的だったのだろう。「ゆうとくん、かわいーねえー」 ベッドの上で静かに眠っている悠人の手をそっと握りながら奏は隣にいる。兄にでもなった気分なのだろうか。 悠輔は悠人を預けたきり外出してしまいどこに向かったのかわからなかった。「あなた……もう一度一緒に暮らさない? 生まれたばかりの子供を育てながら働くのは大変よ。わたしが奏を産んだ時だって……結人さんがよく面倒を見てくれていたもの」 楓がぼそっと私に言う。 芦屋家的には反対することなど何もない。あとは悠輔の気持ち次第なのだが……彼はいつも「大丈夫ですから!」と明るく言って断っていた。 しかしそろそろ限界なのではないだろうか。「結人くんはもういないからな……」 昼間から夕方、そして日が暮れても悠輔が戻ってくる気配は無い。心配に
温かな日差し。 手を握られている感覚。 赤子の泣き声。 そっと目を開けると、悠輔が顔を覗き込んでいる。僕は……?「お疲れ様、結人。赤ちゃん無事に産まれたよ。元気な男の子だ」 隣の泣き声は僕の赤ちゃん――息子だったか。体は動かず、何とか首だけを動かす。おぎゃあおぎゃあと大きな声で泣いては小さな手を彷徨わせている。「悠輔……赤ちゃん、僕の腕に抱かせてくれる……?」「ああ」 悠輔が一度抱えたことでこれまた大きく泣き出し「わ、わー。嫌なのかな⁉︎ ほ、ほら! ママだよ〜」とおどおどしながら手渡される。そうか。僕がママか。 腕の中に感じるずっしりした重み。とても温かい。あんなに泣いていたのに僕が抱くとうとうとと目を閉じて眠っていく。「ママの方が落ち着くのかな」「これからパパが抱いていくんだから」「……そんなこと言わずにさ? もっと俺たちと過ごしていこうよ」 これからも家族3人で。 とても魅力的だった。 答えようとしたけれど、なんだか僕も猛烈に眠くなってしまい瞼を閉じる。「……結人?」「……うん」「結人。……ゆいと、まだ寝るなって」「んー……」 どうしても瞼を開けることが出来ない。腕の中にいる赤ちゃんの温もりを感じながら。意識が遠くなっていく。でも、これは伝えなきゃ。「この子の、名前は……〝悠人〟でお願いね……」 悠輔と結人から。悠人。 素敵な名前でしょ? 妊娠している時に、2人で考えていたんだ。男の子が生まれたら悠人にしようって。「うん、うん、わかった……ちゃんと申請しておく、から…&hel
母親は九条たちに何も告げ口しなかったのは本当のようで、しばらく経っても誰かが家に訪ねてくることはなかった。 母親はただ本当に僕の様子を見に来ただけだった。……そういうものなのだろうか、母というものは。 しかし万が一のためにも「妊娠した」という報告は芦屋家以外には誰にも言わなかった。この期に及んで押しかけられたりでもしたら、尚更逃げるなんて困難だ。 僕たちは幸運に恵まれたのかあの日の一度の出来事で子供を体内に宿した。日が経つにつれて大きくなるお腹。様子を見に来てくれた楓に連れられた奏が不思議そうに膨らんだお腹を見ている。「お腹の中に赤ちゃんがいるんだよ」 伝わるかわからないけど。奏の手を僕のお腹に触れさせると、目をキラキラさせて僕のお腹を撫でていく。奏は2歳半。この中に命が宿っていること。何となくわかるかな。「あ、動いた。……奏くんに反応してるのかも」 絶対元気に、健康に産んでみせるから。今はまだ僕のお腹の中で待っていて。 * 臨月になり、家から病院へ移動し入院することになった。陣痛にかなり苦しみ気が遠くなるも、絶対にこの子を無事に産むという気持ちだけで痛みに耐える。 ……この時、とうとう九条が家を突き止めたらしい。しかし家には悠輔しかおらず、僕は入院中だったためシラを切ることが出来たようだった。悠輔が九条を知っていても、九条は悠輔が僕を連れ出してくれた人だと知らないから出来たことだった。それでも「結人はどこだ」と詰め寄る九条の姿は海都も見つけて追い払ってくれたらしい。 本当に、僕たちは芦屋家に助けられている。いつか恩返し出来たらいいな。「ぐ……、そろそろ、産まれる、のかな?」 痛みと、体の弱さと。けほけほ咳き込んでしまえば骨が折れそうだった。子供だけは守らないと。 両手をお腹に添え、撫でていく。 元気に産ま
「――ぃと……結人!」 日は暮れて部屋の中はすっかり暗くなっていた。体を揺すられる感覚にそっと目を開くと、悠輔がいた。悠輔の服で作った巣。「……遅くなってごめん。発情期治らない感じ?」「うん……抑制剤も飲んだけど……効果ないみたい」「そう……」 服の山を掻き分け上半身を起こす。悠輔は、僕と服の山をまじまじと見ながら「これが、巣作り……」と呟いてポッと顔を赤く染める。「え、どうしたの」「いや……結人が。俺を待ってくれていたんだって思うと。嬉しくなっちゃって」「……ふふ」 両手を広げたら悠輔の大きな体の中にすっぽり埋められる。温かくて力強くて良い匂い。 この町に住んでからも、しばらくは芦屋家にいたから。2人だけの時間というのはお預けだった。やっと、出来る。愛し合う時間。「結人」と呟く悠輔の優しい低音ボイスが耳元で囁かれるだけで、僕の体温は一気に急上昇した。 このまま欲に流されてもいい。 でも。同時に悠輔に頼みたいことがあった。「悠輔……お願いがあるんだ」「なに?」「……僕。子供が欲しいんだ」 目を見て伝えれば、熱を帯びていた彼の瞳は一気に覚醒したように見開く。「何を言って――」と反対されそうになった口を人差し指で塞ぐ。僕の話、聞いてくれる?「……今日、昼間に僕の母さんがこの家を尋ねて来たんだ」「え……住んでる場所がバレたってこと⁉︎」「それはいいんだ。母さん1人で様子を見に来ただけだったし、誰にも言わないって約束してくれたし。ただ……父さんや九条は、まだ僕を探しているみたいで」「……」「捕まっ
心臓がドクドクと脈立っている。呼吸も荒くなる。どうしてここに母親が。 サッと周りを見渡すも他の人がいる気配はない。母親だけ。「……少しだけ、話してもいいかしら」 静かに。目を伏せて。申し訳なさそうに母親は言う。「……。……どうぞ」 玄関を通す。鍵を閉めて、居間に通す。 テーブルを挟んで向かい合って座る。「九条は?」「いないわ。わたし1人だけで来たの」「……何の目的で」「息子の様子を見に来ただけよ」 何を今更。母親面しているんだ。「αとはもう関わらないって決めてるから。帰ってよ」「結人。母さんは――」「今更ッ! 心配されたところで遅いんだよ! 気にかけてくれるならどうして家にいる時Ωになった僕を庇ってくれなかったのッ!」 思わず怒りに任せて叫んでしまう。突然に肺が驚いたように痙攣して咳き込む。「ひゅっ、かはっ」と過呼吸のように苦しむ僕に対して母親は「東雲家の質を落とすわけにはいかなかったのよ」と言う。「じゃあ、やっぱり僕は出来損ないだったんだ。僕が家出して清々した?」「逆よ。東雲家はもうめちゃくちゃよ」「……どうして? 出来損ないはもういないのに?」「……東雲家や九条家とか関係なく、Ωの奪い合いになったのよ」「……え? は? ……どういうこと?」「……まだ結人が家出したと気づいてなかった父や兄は土壇場でΩの結人を手放すのは惜しいとごねて、でも婚約していた九条は結人が欲しいと争いになって……酷いものだったわ」「……父さんや兄さんまで、僕を自分のものにしようとしてたって言うの……?」
「結人、俺工房行ってくるけど……体調はどう?」「けほっ……大丈夫、横になっていれば平気だよ」「……そう?」「うん。行ってらっしゃい」 僕の体調は悪くなる一方だった。 一度病院に向かい原因を調べたけれど医者には「原因不明」と言われてしまった。入院する選択もあったけれど……お金が当然かかってしまうし、悠輔と会う時間が減ってしまうなら……と断った。通院して、気休め程度にお薬を貰う日々。 悠輔には全てを任せてしまっている。僕はやっぱり何も出来なくて謝ってしまえば「謝るのは禁止!」と言われてしまう。「俺は家で結人が待っているだけで働く原動力になるのに」「本当に?」「そりゃそう! 前に工場で働いていた時はしんどかったけど、今は工房で海都さんも優しく指導してくれるし、楽しい毎日なんだ。だから、結人は安心してこの家にいて」 そう言われてしまったら何も言えなくなる……というのを2ヶ月に1回は繰り返している。悠輔は何も心配することはないと言ってくれるけど。僕はやっぱり気掛かりだった。何も出来ていないって。「結人は……今の生活が不満?」「不満じゃないよ。ただ……僕は悠輔に何も返せていないって思う……」 体が弱いから。出来ないのは仕方がない。わかってはいるけれど。割り切るしかないというのも頭ではわかっているけれど。 いつか捨てられてしまうんじゃないかって。 優しい悠輔がそんなことするはずないと知っているはずなのに。そんな不安がチラついてしまう時がある。「うーん」 悠輔は何と言えば僕が安心出来るかを考えてくれている。……そろそろ出勤する時間だよ。「遅刻するよ」「ヤバい! 行かないと! 行ってきます! 何かあったら連絡してね!」