LOGIN「あの。この和紙も候補にいいですか」
何も言わなければ別の紙を採用されてしまいそうだった。コストのことを考えると現実的ではないのかもしれないけれど。これは僕の企画なので多少の融通は効くだろう。 和紙の製作者である男性の手を掴んで溝口の元へ向かう。「ちょ、ちょっと」と男性が少し慌てたような声を出したけど、無視して溝口に和紙を見せる。 「なんだ?」 「この和紙。すごいんです。手作りだし、繊維が見えるし、光に照らせば血潮のように生きてるようにも見える……僕はこの和紙を推したいのですが……!」 溝口が僕の隣の男性を見る。上から下までじ……と言葉もなく見続けていると男性は居心地悪そうに目を伏せ、僕の後ろに隠れてしまった。 「……溝口さん、あまり圧は出さない方が……」 僕たちが務める会社は基本αが多いが、一般はそうでもないだろう。溝口も当然αで、男性を見定めている仕草は何もしなくても睨んでいるように感じる……だから小声で和らげて、と言ったのだけれど。 「芦屋、人を見る目がなってないな」 「え?」 「良い物を作るには良い会社の物を選ぶんだよ」 言われたことがよくわからずに首を傾げる。僕は選んだ。良い和紙を。 溝口は焦ったそうにした後、僕の後ろにいる男性を睨んで「お前、芦屋を何て誑かした」と凄む。 男性も驚いたように目を見開くも、淡々と返していく。 「俺は何も……」 「嘘をつくな。仕事一筋で経験の少ない芦屋をひっかけようとしたのか? Ωがやることは姑息だよなー」 何となく雰囲気で察しても。 性別を公に言って良いはずがない。 あれだけ賑やかだった展示会が一瞬静まり返り、また少しずつ賑わいを戻していく。 溝口はいつも僕に手取り足取り教えてくれる上司だ。なのに、今日はどうしたのだろう。どうして男性を睨みつけているのだろう。 男性も、俯いたまま何も言わない。 「何も言わないってことはΩなんだな? はは、よく今日来れたな。一流のα企業が展示する中Ωの作品を展示するだと? 馬鹿馬鹿しいにも程がある──」 「あの。いいですか」 いくら上司とはいえ聞き捨てならない言葉を聞き割り込む。 「僕が、選びました」 「芦屋? 何を言って──」 「この和紙、僕が一目惚れして、彼に声をかけたんです。Ωの首輪に使いたいって」 溝口が目を見開く。「馬鹿な」と呟き「芦屋はΩと話すことはない」と言う。 「騙されているんだ。Ωは所詮Ω。αどころかβにすら劣る──」 「そんなことない。この技術は本物ですよ。彼が丹精込めて作った手漉き和紙です」 溝口と見合う。 また男性を睨んで詰め寄ろうとするから、手を広げて阻止する。Ωならαの睨みなど相当恐ろしいだろう。やめてよ。怖がらせないでよ。 「今日は許す。だけどな芦屋。一流の社員になりたいのだったらΩと話すな。純潔が汚れる」 「純潔って……今時そんな古い考えないし、それじゃあ僕に番を見つけるなと言ってるようなものでしょ──」 「却下だ! とにかく却下! 質の良い紙の展示なのに何でΩがいるんだよ……」 ぶつぶつ言いながら溝口は人混みに紛れていく。 「……すいません。頭の固い上司で」 嫌な気持ちにさせてしまったと頭を下げれば「言われ慣れてるんで、いいですよ」と目を逸らして男性は言う。 「言われ慣れてるって……」 「そんなつもりないのに、誑かしたって言われたりするんで。あ、いいんです。気にしてないので」 気にしてないと言いながら男性は早々に帰る準備をしている。やはり居心地悪くなってしまったか。 「……本当にごめんね。……僕は、好きだったんだけど」 「……技術は本物だって庇ってくれてありがとう」 男性に「これあげる」と言われる。 綺麗な和紙。採用にはならなかった。 見送る背中に。 なんだかもう一度出会いたい、なんて思ってしまう。「芦屋さん」 「ん?」 駅までの道。 工房で別れたはずの悠人が追いかけてきた。珍しいなと思いながら「どうしたの」と声をかければ。 悠人は一度深呼吸をしてから「来週、遊びに行きませんか」と言われる。 え。 悠人と。遊びに行く。 本当に? 「あの……俺、芦屋さんがいいなって思っていたのは本当で。番相手として憧れていました。結局俺はβになってしまいましたけど……俺の思い出になってくれませんか」 なんだか色々複雑だけれど。 Ωだった悠人は僕のことを好きだと思ってくれていたということだよね。 βになったら気持ちは変わってしまうのだろうか。 それとも、番えないから。僕の番相手のために身を引こうとしている? ……僕は未だに気持ちの整理がつかずに悠人が好きなままだよ。Ωでもβでも関係ないよ。 僕でも性別が変わったことを不思議に思うのだから、悠人は尚更受け入れ難かったかもしれない。 「……思い出じゃなくても、何回も遊びに行こうよ」 「いいんですか」 「うん。僕も悠人くんともっと仲良くなりたかったから嬉しいな。Ωとかβとか関係なくね」 「……ありがとうございます。あ、じゃあ連絡先……」 出会って二ヶ月で漸くお互いの連絡先を交換する。『山橋 悠人』が登録される。気持ちがほくほくする。悠人もそうだったらいいな。 「どこ行くかはまだ決めてなくて……」 「わかった。帰ったら連絡するね。また来週ね!」 コクリと頷く悠人が本当に嬉しそうだったから。どうにかして期待に応えたいと思ってしまう。今日はいい日だ。早く帰って明日に備えよう。 早く来週にならないかなあ……と思いながら一人暮らしのアパートに辿り着き、鍵を出そうとしたところで……背後から口を塞がれる。 「ん⁉︎ ん──!」 まずい、と思いながらも薬品を吸い込んでしまえば。 段々と瞼は閉じてしまい。 気付いた時には見知らぬ部屋でベッドに大の字に拘束されていた。
「芦屋さん。結局、紙でΩの鍵を作る企画はどうなったんですか?」 工房に戻って。 アクセサリーを作っている姿を見つめていれば、ふと悠人がこちらをみて尋ねてくる。 「あー、あれはナシになった。やっぱり現実味がないって」 「そうですか」 「あと、Ωが勝手につけていいものではない、とか。αの許可がないと鍵はつけられない、とか。……上のものに色々言われたんだけど、よくわからなかったんだよ」 「……要は、αにとってΩは都合のいい道具としか思ってないんです。発情期になったΩがいたら頸を噛むのは本能。αにとって、頸を噛めなくなるようなストレスがかかることはするなってこと」 悠人がアクセサリーを作りながら淡々と言う。 「でも。Ωは頸を噛まれたらそのαと番になっちゃうんだよね? 嫌いな相手と番になることもあるってこと?」 「はい。Ωに拒否権はありません」 「……そんなの、勝手すぎるし酷いよ」 声を振り絞れば、悠人が手を止めてこちらを見る。 「芦屋さんはαなのに、Ωを支配したいと思ったことはないのですか」 「……ないよ。……一応αだけど……とてもフェロモンが薄いんだと思う……」 「さっき霧島を追い払ってくれた時は強い威圧を感じましたけど」 「それはそれ。これはこれ」 悠人がふふっと笑う。その横顔に釘付けになる。綺麗な顔だ。 和紙を作っているときや、アクセサリーを作るこの時間。悠人はとても生き生きとしている。 「今日は本当に助かりました。極力1人で出かけないようにします。でも芦屋さんも、気をつけて」 「僕が気をつけることなんて……」 「喧嘩に弱そう」 「ねえ〜」 「あははっ」 無邪気に笑っている。 今までは警戒されていたのか言葉もぶっきらぼうだったけれど。距離が近くなってから敬語になることってあるんだ。 「……1つ聞いてもいい?」 「はい」 「……男に注射打たれそうになったとき。やめてって必死に言ってたよね。もし……打たれたとして、その後警察に行ったとしても〝合意だった〟ということになるの?」 「……はい。Ωはαに逆らえません」 「……あんなに、やめてって抵抗していたのに? その言葉が無かったことにされるんだ」 「悔しいですけど。襲われたΩのほとんどが最終的には〝合意だ
翌週。 今日も工房へ向かう。この時間になるといつも原料を抱えた悠人がいるのだけれど今日は姿が見えない。あれ? と周りをキョロキョロしていれば遠くから声が聞こえる。 「頼むから、帰ってくれないか」 「散々俺を振り回してくれたな。だから少し付き合えよ」 早足に取り巻く男と距離を取ろうとしている悠人がいる。……付き纏わられているのだろうか。 迷惑そうな顔をしている悠人に構わず男は手を掴み別の場所へ連れて行こうとしている。慌てて悠人は踏ん張っているが、男が恐怖対象なのかあまり抵抗が出来ていない。 「やめ……俺はもうっ」 「番を白紙にさせやがって。だけどな……手に入れたんだ。発情期を引き出す薬だよ! これでお前の性を思い出せ!」 「……! 合意のないものは犯罪だ、俺はもうΩじゃない! やめろ!」 「変わったお前を元に戻してやるって言ってんだ! 大人しくしろ!」 男が注射器を出す。 僕の前では基本気怠げな態度の悠人は、僕が見たことない恐怖の顔でやめてやめてと抵抗している。……只事じゃない。 「……何をしているんだ!」 ビリビリと空気が震える。 僕から放たれたαの威圧。 あまり実用なんてしたことがなかったけれど。今は、使う時だろう。 悪いことをしている自覚はあったのだろう。男は僕の声に一目散に逃げ出して行った。 「悠人くん!」 体を抱えて蹲る悠人のそばに駆け寄り背中を摩る。顔色が悪い。 「大丈夫だよ、変な人はいない。深呼吸しよう。吸って……吐いて……上手」 呼吸が整って。揺れる瞳と目が合う。 「……ありがとう」 素直な言葉に、少し胸が苦しくなる。 「今の人は?」 「……霧島っていう男です。俺を番にしようとしていました」 思考が止まる。番。α。 じゃあ、悠人は。 顔を見れば、苦笑して「でも、出来損なっちゃいました」と力なく言う。 「出来損なう……番には、ならなかったということ?」 「はい」 「……それは、どうしてなのかな」 「噛まれる直前に性転換して、βに」 αとβとΩ。 判別されたら、基本は一生変わらないが、まぐれで変わる人がいると聞く。 悠人がその1人だった。 「中学からの同級生で。何回もしつこく番になれと言われていて。断ったら、勝手に頸噛まれて」 「……そんな」
それからは週に1回、毎回その工房へ向かうことになった。 商品が気になるのだったら通販や直売店に行けばいいと教えてくれたけど、僕はまた、手漉き職人の姿を見に来てしまっていた。 悠人が嫌だというまでは、見続けていたい。 毎週、朝早く来たら重い原料を抱えた悠人が工房から出て来て「また来たんだ」なんて呆れられる。もう一ヶ月も続くとそれが挨拶みたいになっていた。 * 「芦屋くん、来てくれたのにごめんねえ。父さんは通常通りなんだけど、悠人が体調良くなくて……」 今日も工房へ遊びに行けば、悠人の姿はおらずお父さんが謝る。 「確かに最近特に冷え込みますもんね……大丈夫ですか? 僕、何か買って来ましょうか」 「いやいや! 芦屋くんの手を煩わせるわけにはいかないよ。月に一回なるものだからね……」 「え?」 「……Ωの発情期なんだ」 ……そうだった。 手漉き和紙職人の姿に見惚れてしまっていたけれど、彼はΩだった。 そうか。大変な時に来てしまった。 「山下《くだ》ったところに町もあるし、遊びに行ってもいいと思うな」 「はい……」 僕たちはαとΩだから。 会うわけにはいかなかった。 駅の方に戻っていく。 駅前にある小さな店にふらりと立ち寄ると、悠人の工房の和紙が売られてあった。 (……やっぱり、綺麗だよな) 見たことある洋紙もあるけれど。大量生産の紙と、手作りの紙。紙としての用途は同じかもしれないけれど。どうして僕にとっては特別に感じてしまうのだろう。 (そういえば手漉き和紙が出来る工程を眺めるだけ眺めて購入したことないかも) 展示会でもらった紙を一枚。 (改めて購入して……手紙でも書く? ……いや重くない? 週に1回会ってるだけの人に手紙って……悠人くんは嫌々かもしれないし……) 良かれと思っての行動が裏目に出ることを考えてしまう。 (でもこのまま……帰るのもな……いつも貴重なものを見せてもらってるわけだし……ここは感謝を) 何もしないよりはやった方が良い! との結論になりレジに和紙とボールペンを持っていく。 * (なんか……なんか、色々書きたいことあって数枚になっちゃった。重いかな……重いって何? 僕たちそもそも付き合ってるわけじゃないし……てか付き合うって発想何⁉︎) 勝手に一人で悶々と
「悠人くん! あの手漉きの技すごいね! 習得するのにどれくらいの時間かかったの⁉︎ 僕、見惚れちゃった……!」 「圧すご……」 「初めて会った時は掴みどころがなくてニートみたいだと思っててごめんね!」 「うーわ直球」 工房を後にする悠人の後ろをついて回って感想を述べる。僕の感想を軽く聞き流しながらも「ついてくるな」と言われることはなかったから僕は素直に「すごいね、すごいね!」という気持ちをたくさん悠人に言う。 「悠人くん、この後はどこにいくの?」 「また別の作業」 「み、見に行ってもいい?」 「……。どうぞ」 少しジト、とした目で見られたけれど。 工房の隣にある小さな部屋に通される。 静かな空間。机の上にあるのは……色とりどりの小さな紙。いや、和紙? 悠人は座ると、ピンセットを持って小さな紙を折りたたんでいく。 ……折り紙だ。 これはまた緻密な作業だ。僕なら発狂してしまいそうなものなのに、悠人はじっと、静かに着実に作り上げていく。 「はい」 そう言って僕の手のひらに乗せられたのは、小さな鶴。 紐を通されていて、何処かに身に付けることが出来そうだ。 「本来はピアスにしたりするんだけど、OUTEメーカーサマはピアスは着けなさそうだったので」 「……すごい……可愛い……作り手はこんなにぶっきらぼうなのに、その手からはこんな繊細なものが生まれるなんて……」 「おい」 「あ! これいくらするの⁉︎ 出来上がったものをその場で貰えるなんてありがたすぎる! もちろんお金払います!」 「……いや、いいよ。あげる」 「え。……でも」 「和紙に興味を持ってくれてありがとうっていう、俺からの気持ち」 また新しい和紙を折っていきながら話す悠人。 ……案外、優しい。 少しは心を開いてくれた、ということだろうか。 工房を見学していたら1日はあっという間だった。 まだもう少しいたいな。その背中を見ていたいな。 「……もうすぐ日が暮れる。早く帰りな」 しかしずっといるのもストレスだろう。うん、と頷いて。 外まで見送りに来てくれた悠人に改めて「ありがとうございました」と頭を下げる。 「うん」 「ねえ。また……来ても良い?」 「……え。また?」 「うん」 悠人は心底不思議そうに目を瞬いたあと「
24年前、この街全体が火事になった。 多くの人が非難したが、中には逃げきれずに亡くなった人もいるらしい。 今はそんな面影すらないが。 この和紙は亡くなった人の祈りを込めて、作られている。 父さんからそんな話を聞く。 「そんな過去があったんですね……」 「何か思い出したりしたかい?」 「え?」 「あ、いやいや。何もないなら良いんだ」 何のことだろう。 首を傾げていればドアがまたドン! と大きく開く音がして体が跳ねる。 「こら悠人、芦屋くんがいるんだぞ」 「あ? あー……そうでした」 僕のことなど全く視界に入れずに中に入っていく。 「悠人、やるんか」 「うん」 「じゃあ、芦屋くんに見てもらえ」 「は?」 目が合い……「嫌だ!」即答! 「わざわざ興味持って来てくれたんだぞ」 「集中出来ないだろ」 「そこを何とか。小遣いやるぞ」 「俺を幾つだと思ってるんだよ親父」 「あ、あの!」 親子喧嘩になりそうなところに、割り込む。 「絶対邪魔しません。話しかけません。見るだけです。……職人さんのお仕事、見てみたいです……」 お父さんが何度も口にしている。この人の名前は悠人。 悠人がもう一度こちらを見る。 ……数秒後、悠人は黙って奥にある漉槽《すきぶね》に和紙の原料になる繊維とネリ(繊維と水を均一に分散させる粘液)をかき混ぜていく。 「ここから見ていなさい」 父さんに静かに言われ、もう少しだけ近づいてから、足を止める。 ふぅ、と息を吐いた悠人は誰もが一度は見たことある簀桁《すけた》を取り出し天井から吊るされた紐と連動させる。 両手で持って。目を閉じて深呼吸。 簀桁を浸す。上げて、横に振り、縦に振る。 文字にするとそんな感じ。簀桁全体に均等に渡るように。 水音が心地よい。 数回繰り返して、ほんの数秒で一枚目を剥がした。 そのまま次も同じ動作を行なっていく。 ひたすら簀桁を動かしている背中を見ていると。 展示会で出会った時のような生意気な若者の気配などは全くなく。 1人の手漉き職人だった。 浸す。上げて、横、縦に振る。 浸す。上げて、横、縦に振る。 一枚一枚、丁寧に時間をかけて仕上げていく。 作業を終えた悠人に「まだいたんだ」と呆れられるまで、僕