LOGIN教室に戻ると、レオくんはまた机に突っ伏していた。その机の周りに、何人かの女子が集まっている。ヒソヒソと話し、顔を赤らめていた。「あの……レオくん」さっき、レオくんの足を蹴ってしまった事もあって、また彼を不機嫌にさせないようにと、遠慮がちに名前を呼んだ。だけど、反応なし。反応があったのは、周りの女子の視線だけ。痛いよなあ……。「レオくん、これ、図書室で落としてたみたいだから。ここに、置いとくね」素早くレオくんの机の上に生徒手帳を置き、女子の痛い視線から逃げるようにそそくさとその場を去る。自分の席に戻ってレオくんの様子を横目で見たけど、まだ机に突っ伏したまま。よくあんなに寝ていられるよな。というか、あの女子の視線、気にならないのかな。まあ、これくらいもう慣れてるんだろうけど。私には、たぶん一生この感覚はわからないんだろうな……。「ねぇねぇ、如月さん」肩を叩かれ振り向く。そこには、同じクラスの下川さんと女子数人が立っていた。今は、一週間後に控えているクラスマッチの出場種目を決めている。私の前の席に向き合う形で座っている日和と、どの種目に出場するかちょうど話し合っていた時だった。「何? どうしたの?」私が聞くと、彼女達は恥ずかしそうに、モジモジと体をひねらせていた。私の視界の隅で、日和が眉をひそめる。「如月さん、仲良いの?」下川さんから遠慮がちに聞かれ、私は首を傾げた。「あの、その、佐藤くんと」彼女が指差す先には、相変わらず机に突っ伏しているレオくんがいた。「昨日、佐藤くんに話しかけてたからさ。それに、図書室がどうのって……」ああ……。昨日の、あれか。あんな一瞬の事を、しっかり見てたんだ。「あれは、仲が良いっていうか、たまたま私がレオくんの生徒手帳を拾っただけで...」特別何も……。そう言おうとしたところで、私の横から日和が言葉をはさんできた。「悪いけど、私達、協力は出来ないよ」
「レオ。 おまえまた寝てたのか」レオくんが、本を元の位置に戻した、その時。柊先輩とコウ先輩が、同時に本棚の間から出てきた。その後ろには、日和がいる。レオくんは、柊先輩に返事をすることなく、ズボンのポケットに片手を突っ込んで大きな欠伸をした。「ったく… おまえなあ。少しは体を動かそうとは思わないのかよ」「………」「もうすぐクラスマッチがあるだろ?おまえ、少しは周りとコミュニケーション取れよ」柊先輩の言葉に全く耳を傾けようとしないレオくん。また大きく口を開いて、欠伸をした。「おまえな……」首の後ろをかいて呆れる柊先輩。それを見て苦笑するのは、コウ先輩。レオくんが図書室から出て行くのを、先輩2人が溜息をつきながら追った。「私達も行こう、美羽」私は、日和とその後に続いた。と、その時。ムニュっと、足元に柔らかい感触があった。………?絨毯の上に落ちていたのは、生徒手帳だった。紺色の生徒手帳を拾い上げて、踏んでしまった部分を叩く。誰のだろう。と、開けてみると、“佐藤 礼央奈”と、名前が記入されていた。……礼央奈。「どうしたの?」眉をひそめて生徒手帳を見ていると、日和がそれを覗き込んできた。「ああ、レオくんのね。 さっき落したんだね、きっと」礼央奈……。「だから、“レオくん”なんだぁ!!!」突然大声を上げた私に向かい、日和が眉をひそめた。「そんなに驚くこと?」「だって、今初めて名前知ったし」私が言うと、日和はおかしそうにクスっと笑った。礼央奈……。綺麗な名前だなあ。レオくんにピッタリだ。
授業中の図書室には、誰もいない。グラウンドから体育の声が聞こえてくるだけで、この部屋の中は物音ひとつしなかった。しかも、窓から差し込む日差しで、舞い上がる埃がキラキラと光っている。とても幻想的だ。こんなところに、本当にレオくんがいるのだろうか。柊先輩達と一緒に、本棚の間を探す。高校の図書室には、たくさんの本がぎっちり詰め込まれていた。絶対に読まないであろう分厚い本まである。ついでに、表紙の漢字が難しくて、何て書いてあるのかさえもわからない。ゆっくりと足を進めながら、本棚の間を覗く。すると。視界の下に、誰かのつま先が映った。首だけ本棚から出して、さらに覗き込む。そこには、絨毯に座り、本棚に寄り掛かって寝ているレオくんがいた。太ももの上には、一冊の本が広げられている。レオくんの寝顔は、今までに見た事もない程、キレイな顔だった。思わず、吸い込まれるように足が進む。茶色のサラサラの前髪が、目元にかかっている。目を閉じていても、目が大きいんだろうなと思わせる、二重のライン。鼻筋がすらりと通っていて、男の子とは思えない美しさ。レオくんの美しすぎる寝顔に見とれて足を進めていると、コツンと、レオくんの足に私の足が当たってしまった。それに反応して、レオくんが薄っすらと瞼を開ける。眩しそうに目を細めて、私を睨むように見上げた。「ご、ごめん」慌てて謝る。すると、レオくんは大きなため息をついて、太ももに広げていた本をパタンと閉じた。のっそりと立ち上がる。レオくんが手にしていた本の表紙には、『花図鑑』と書かれていた。花が好き……なのかな?
「見学とかいいからさ、あいつんとこ行こうぜ」今にも逃げ出したい空気の中、柊先輩は私と日和に向かいさらっと言ってのけた。嫉妬の渦。今すぐにでも飲み込まれそうなんだけど。「そだな」それに同意したコウ先輩が、先生の制止を無視して教室から出てきた。先生は教科書片手に、またか。と、完全に呆れかえっている。「美羽ちゃん、行こう。あ、おまえはついて来んな」コウ先輩は私の腕を引っ張ると、日和に冷たく言い放った。「バカ兄貴。その手を離して。マジで美羽に触れないで」今度は日和に腕をとられる。よろけながら苦笑すると、「おまえ、人気者だな」と、柊先輩が笑った。笑うとこじゃないでしょうが……。「ところで、あいつって?」腕を引っ張る日和に耳打ちすると、『あー、レオくんよ』と素っ気なく言った。そう言えば、さっきからレオくんの姿が見当たらない。「レオくんは、団体行動をとらない人なの」「え?」「自分の興味を持った時にしか行動しない人」興味を持った時にしか、って。随分、マイペースな人だな……。私達の前を歩く先輩2人は、レオくんの居場所がどこなのか分かりきっているように、ずんずん進んでいく。高校生になってまだ、2日目。どこに何があるのか全くわからないこの校舎の、一体どこにいるというのだろうか。迷いもなく歩みを進める先輩と。それに何も言わずについて行く日和。理解不能。「おーい、レーオ」ガラガラっと部屋のドアを開けたのは、柊先輩。先輩達の後ろからその部屋を覗き込んでみると、そこは、とても静かな図書室だった。つかつかと中へ入って行く先輩達。その後へ続くと、古い本の匂いや、埃の匂いが混ざった、図書室独特の匂いに包まれた。
今日も制服を着崩している。ネクタイを締めていない白いシャツの隙間から、真っ赤なTシャツが顔を覗かせていた。「よお」昨日出会ったばかりなのに、当たり前のように私の目を見て挨拶してくる。周りの視線を感じながら、軽く会釈。だけど、あまりにもその視線が痛すぎて、私は先輩と目が合わせられなかった。だって、1年生だけじゃなくて、教室の中からの視線まで感じたから。怖くて。出来れば、先輩だらけのこの校舎では、話しかけないでほしかった。いや……。ちょっとは話しかけてほしいんだけど、あまり、話しかけてほしくない……。乙女心は微妙なんだ。「どうした? 腹でも痛いのか」「はっ?」俯く頭上からかかった言葉に、私は意味がわからず、顔を上げて眉をひそめた。「なんか、暗くね?」そう言って、私の顔を覗き込んでくる。その瞬間に、廊下と教室から『はっ』と息を呑む音が聞こえてきた。嫉妬の矢が、私の体に突き刺さる。その矢をかわそうと先輩から視線をそらしたのに、それは逆効果だったみたいだ。俯く私の顔を、ずっと追ってくる。「つまんねーんだろ」またしても、意味のわからない事を。「学校の見学なんてしなくてもよくね?場所なんて、嫌でもそのうち覚えんだし。 な、コウ」コウ先輩に同意を求めて投げかけている。けれど、私はそんな事で俯いてんじゃないんだよ。この視線だよ。さっきからチクチク刺さってる鋭い視線。普通はさ、いち早く異変に気付いて身を引くでしょうが。あー、見てるよ。教室の中から、美味そうな獲物を見つけたハイエナのごとく、目をギラギラせてこっちを見てるよ。私、確実に取って喰われる……。
加速していく鼓動。熱を帯び始める頬。手の平が汗ばんできて、スカートで少しだけ拭った。久しぶりの感情に、ちょっとだけ戸惑う。私は、3年生の廊下を歩きながら、窓から空を見上げた。高鳴る鼓動を抑える為に、隣の日和にバレないように小さく深呼吸する。程良く差しこんでくる日差しがとても心地よくて、清々しい気分になった。澄んだ青空。太陽の光。木々の濃い緑。目の前のキャンバスに彩られた風景に、私は静かにほほ笑んだ。その時。「美羽ちゃん、見っけ」突然かかった声。空から視線を下げる。声の方へ顔を向けると、ちょうど日和の横にある教室の窓からひょっこり顔を出している人物がいた。日和も、突然の声に驚いている。だけど声の主を見た瞬間、顔をしかめて、一発頭を殴った。「いっで!!」大袈裟に頭を押さえるコウ先輩は、窓から上半身を乗り出し、うずくまっている。授業中だというのに、コウ先輩と日和のコントのせいで、教室は一気に笑いの渦に巻き込まれてしまった。その中には、またこの兄妹のコントが見られると盛り上がっている人達がいる。静かだった教室から、口笛や、はやしたてる声が響き渡った。「あ、おい。 こらっ!!」先生の叱り声と同時に、後ろのドアから現れたのは柊先輩。その瞬間。1年生で溢れる廊下が、ざわついた。男子も女子も、憧れの眼差しで彼を見ている。私の心臓も、自然と鼓動が速くなった。1年生の列をかき分け、柊先輩が近付いてくる。