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馬上の春香は、肺腑を握り締められているような声を出しながら、父の現状を理解した。
「もしかして、致命の病というあの病気ですか?」
春香の腕の中で、リズが問う。答えはすぐに、彼から発せられた。
「狩人は、
話しながらも侍と狩人は視線を交わして、馬を東へ走らせる。
「力を行使していけば、いずれ狩人自身が妖魔と成る。それが幽世竈食の病。父も、ここ数年は剣術以外の稽古をつけてくれなかったが、まさかここまでとは思わなんだ……!」
ドドッ、ドドッと蹄が激しく地面を打つ。空には俄かに雲が出てきた。そこに、赤い狼煙が上がる。
「赤……妖魔が来たってのか⁉」
侍の一人が叫んだ。そして、答え合わせが行われる。黒雲垂れこめる空に、翼を持った異形の者たちが列を成して現れたのだ。
「わ、若様! 港町が!」
振り返れば、黒い煙が幾条も立ち上っている。燃えているのだ。
「どうします、港町を救いに行くには、間に合いませんぜ」
「……まさに帰らんとしている故郷の名を口にして、春香は奥歯を噛み締める。
「今から向かって、救える可能性が高いのは雷天だ。更に言えば、このままでは父上の亡骸を妖魔に利用されてしまう。急ぐぞ!」
「応!」たった四騎で何ができるか、ということを春香は考えないようにした。これ以上何も失いたくない。その一心で、馬を走らせた。
雷天を見渡せる丘の上にやってきた。方々で火の手が上がっている。瓦が散乱している。死体、血溜まり、はらわた。
「若様、屋敷を!」
街の東端、日の出ずる所に、雷業家の屋敷はある。それが、焼け落ちていた。スウッ、と春香の顔から血の気が引く。
「……嘘だ」
視界が左右に揺れるのを感じた彼は、衝動的に馬の腹を蹴った。襲歩で駆け降り、目抜き通りを突き抜ける。猿や鳥のような妖魔が襲い掛かるが、雷を纏った刃は紙でも裂くにも似た容易さで、敵を斬り捨てる。
刀だけは研ぎ澄まされていた。彼の頭はぼうっと熱を持って、沸いているのかと疑うほどに思考を奪われている。
「──ん」
血潮が噴き出て、白かった刀が真っ赤に濡れる。また喪うことになる。それだけは、それだけは──!
「春香さん!」
リズの叫びで、春香はハッとした。炭化した梁が、目の前に落ちている。
「……リズ、ついて来てくれ。一人では、妖魔に襲われる」
そう告げて、彼は下馬する。刀は確かに握っている。倒れた鉄扉を乗り越えて、ごくりと唾を呑んだ。
屋敷の敷地は、驚くほどに静かだった。時折聞こえる、炎が木を割る、パキンという音が響くばかり。こうもなれば騒がしいはずの馬も、沈黙。凡そ生きてはいないだろう、と彼は結論付けた。
「誰も、いないんでしょうか」
そうリズが言った時、玄関から上がった。途端、襖が派手な音で倒れる。
「何奴!」
現れた侍が、春香に刀を向けていた。
「ああ、若様……」
散切り頭の侍は、脇腹を左手で押さえていた。ポタリ、ポタリと血が滴る。その彼の肩を支え、春香はまず座らせる。
「皆はどうなった」
「……妖魔の一団を、人間が率いておりました。それが、ご当主、奥方、そして夏目様を連れ、家宝を盗んでどこかへ……」咳き込んだ侍の手が冷たくなっていくのを、春香は感じてしまう。
「若様、逃げてくださいませ。もう、この街は……」
「わかった、もう話すな」 「こ、これを……」侍は、懐から血に塗れた袋を取り出す。
「幾らかの現金と……伊英の銀行から引き出すための手形が……入っています。どうか、生き延びて……」
遂に、侍は意識を失った。傷を癒す術は、若き狩人にはない。だが、弔う術もない。合掌を送り、春香は立ち上がった。革袋の中を見れば、父が南の街に預けていた、全財産を引き出せる為替手形があった。
火葬でもしてやりたい。できないことは、わかっていたが。
「……リズ」
名前を呼ぶ。
「
前庭を歩きながら、語る。
「そこから、大陸に帰るといい」
「お金の方は……」 「これから出せる。兎に角、まずはこの街を──」そう言った刹那、春香は背後から殺気が迫るのを感じ取った。慌てて振り向いた時、既に遅かった。白刃が、リズの心臓を貫く。
散切り頭の、侍。その顔は貼り付いたように引き攣っている。
「乗っ取られたか……!」
死体を乗っ取ることで受肉するのが、妖魔。それは知っていた。だが、こうも早く動くとは思いもしなかった。
「ワカ、サマ」
妖魔と化した侍は、譫言のような声を出す。
「……そうか」
刀に稲妻を走らせ、春香は呟く。
「俺が、弔う」
互いに打ち刀を顔の横で立てる。八相の構えだ。一歩、また一歩と、見合いながら彼は動く。距離は一定を保つ。即ち円。
(仕掛けてこない……人を乗っ取って、思考まで奪ったか)
熱を孕んだ空気を吸い込み、吐く。春香の刀は、両刃。通常なら峰となる部分にまで刃がついている。その意味する所は、一つ。
妖魔が、一挙に踏み込んだ。グゥンと打ち下ろされた刀を、春香は半身で躱す。鼻先まであと三寸という所を刃が過ぎても、彼は冷静に喉を狙っていた。
刀を寝かせ、頸動脈を見つめる。
(すまない、こうすることしか、俺には!)
春香の得物を覆う雷が、輝きを増す。そこから雷鳴の如き踏み込みが鳴る。そして、刃が喉を穿った。両刃とすることで、刺突に向いた特性を得た、雷業家相伝の刀。その威力は、妖魔の脊椎を簡単に貫くのだ。
ずるり、と引き抜かれた刃には真っ赤な血がへばりつく。ばたり、と倒れた体はもう魂が宿ることのない、真の亡骸だ。
「俺は、また……ッ!」
刀を納めることも忘れ、地面を掴む。だが、この一撃で成すべきことを理解した彼は、視界が歪むような感覚に襲われながらも体を持ち上げた。
龍絶で、リズを刺す。そうすれば彼女が妖魔になることは避けられる。
「すまない、本当に、すまない……」
仰向けに倒れた体。瑠璃色の瞳は、虚ろなまま曇天を見上げている。春香が刀を逆手に持ち替えた時、ぽつり、水滴が赤い着物に落ちた。
雨の勢いは急激に増し、あっという間に火を飲みこんでいった。
春香は、動けなかった。思い入れがある訳でも、惚れた訳でもない。ただ、出会って言葉を交わしただけ。だが、重なるのだ。かつて喪った、あの少女の面影が浮かぶ。
リズの瞼に、雨粒が当たる。煩わしそうに腕が拭う。その様を、彼は最初信じられなかった。あの少女の幻影を見るがあまり、存在しないものを見てしまったのでは、と。
しかし、リズの体は動いた。のっそりと、地面から背中を離す。
「何故、生きている……?」
歓喜か、恐懼か。今の彼を支配したのは、後者だった。
「私なんで生きて……?」
どちらも、何もわからない。生きているという、たった一つの現実を受け入れるしかない。
「……今は、置いておこう」
春香は刀を納め、先程超えた鉄扉を再び通る。次いで、馬にリズを乗せた。
「兄上なら、何か知っているかもしれない。近く、大陸から帰ってくるんだ……手掛かりくらいには、なるといいが」
跨り、馬の腹を蹴る。トトッ、と栗毛のそれは動き出す。
「若様アーッ!」
遠くから侍が走り寄ってくる。二人は騎馬、一人は徒だった。
「生存者はいたか!」
「いえ、鏖殺されております」春香は暫し迷って、リズと共に馬を降りた。
「若様?」
「この馬を使え」 「しかし、では若様はどうなさるのです」 「伊英に行く」侍たちは顔を見合わせる。
「知りたいことができた。兄上とリズを会わせ、情報を集める」
春香の眉間には、ギュッと皺が寄っている。
「我々にできることはありませぬか」
「お前たちは、北の港から大陸に渡ってくれ。家宝も奪われたようだからな、どうにか探し出してほしい」侍三人は頷き合って、馬を走らせた。
「必ず! お会いしましょう!」
侍を見送り、春香はリズと共に南へと歩き出す。これが、雷業春香の運命を大きく変えた、選択だった。
「幽世竈食の病……!」 馬上の春香は、肺腑を握り締められているような声を出しながら、父の現状を理解した。「もしかして、致命の病というあの病気ですか?」 春香の腕の中で、リズが問う。答えはすぐに、彼から発せられた。「狩人は、幽世の存在たる妖魔の肉を喰らい、力を得る。だが……」 話しながらも侍と狩人は視線を交わして、馬を東へ走らせる。「力を行使していけば、いずれ狩人自身が妖魔と成る。それが幽世竈食の病。父も、ここ数年は剣術以外の稽古をつけてくれなかったが、まさかここまでとは思わなんだ……!」 ドドッ、ドドッと蹄が激しく地面を打つ。空には俄かに雲が出てきた。そこに、赤い狼煙が上がる。「赤……妖魔が来たってのか⁉」 侍の一人が叫んだ。そして、答え合わせが行われる。黒雲垂れこめる空に、翼を持った異形の者たちが列を成して現れたのだ。「わ、若様! 港町が!」 振り返れば、黒い煙が幾条も立ち上っている。燃えているのだ。「どうします、港町を救いに行くには、間に合いませんぜ」 「……雷天に戻るぞ」 まさに帰らんとしている故郷の名を口にして、春香は奥歯を噛み締める。「今から向かって、救える可能性が高いのは雷天だ。更に言えば、このままでは父上の亡骸を妖魔に利用されてしまう。急ぐぞ!」 「応!」 たった四騎で何ができるか、ということを春香は考えないようにした。これ以上何も失いたくない。その一心で、馬を走らせた。 雷天を見渡せる丘の上にやってきた。方々で火の手が上がっている。瓦が散乱している。死体、血溜まり、はらわた。「若様、屋敷を!」 街の東端、日の出ずる所に、雷業家の屋敷はある。それが、焼け落ちていた。スウッ、と春香の顔から血の気が引く。「……嘘だ」 視界が左右に揺れるのを感じた彼は、衝動的に馬の腹を蹴った。襲歩で駆け降り、目抜き通りを突き抜ける。猿や鳥のような妖魔が襲い掛かるが、雷を纏った刃は紙でも裂くにも似た容易さで、敵を斬り捨てる。 刀だけは研ぎ澄まされていた。彼の頭はぼうっと熱を持って、沸いているのかと疑うほどに思考を奪われている。「──ん」 血潮が噴き出て、白かった刀が真っ赤に濡れる。また喪うことになる。それだけは、それだけは──!「春香さん!」 リズの叫びで、春香はハッとした
「俺とお前なら、最強になれる」 春の風が木々を揺らす中、弟は兄の言葉を聞いていた。紅玉のような瞳で、兄の銀朱の瞳が向かう先を見る。どこまでも青い空が、葉の隙間から覗いている。 「師匠だって超えられる。妖魔だって龍だって狩れる、最強の狩人に、だ。だろ、春香」 春香と呼ばれた弟は、まだそう大きな肉体をしていない。まだ数えで十一なのだ。 「だが、兄上。大陸に行くんだろう? 武者修行だとか……」 岩の家に並んで腰かける二人。兄の銀髪と、弟の黒髪。 「四年もすれば帰ってくるって。そんときゃ手紙を送る。港で出迎えてくれよ」 兄の名は、鷹眼。その名に違わぬ鋭い瞳が、再び弟と見える時。二人の夢は、終わる。 ◆ 鶏の朝鳴きが屋敷に響いた。薄明の空の下で、男たちが動き出す。庭の井戸の周りに集えば、褌姿の彼らは、 「若様、おはようございます!」 と頭を下げて叫んだ。 「ああ、おはよう」 若様。その名を雷業春香という。彼もまた、褌だけだ。男たちにも負けず劣らず、筋肉質な五尺八寸の体を明るくなり始めた空の下に晒している。肉体から滴り落ちる水はそのままに、縁側へと向かう。 「しかし、若様は早起きでいらっしゃいますな。流石、雷業家の跡取りというだけのことはある」 「お世辞はいい。水浴びを済ませろよ」 総髪の春香は縁側に置かれた手拭いを取り、体を拭き始めた。桃の花が散って、板の上に落ちる。 すっかり水滴を拭った彼は、足の裏を拭いてから縁側に上がる。座敷に入ると、老婆が待っていた。 「朝餉の用意が出来ておりますよ」 「ありがとう。腰の様子はどうだ?」 「ご当主の手配してくださった薬がよく効いております。ご心配なさらず」 腰の曲がった老婆に連れられ、春香は奥座敷へ。既に配膳も終わり、コの字に膳が並んでいた。春香は、上座の斜め前に着く。 「父上、おはようございます」 「うむ」 父、春成。息子と同じ、紅玉のような瞳と夜の色をした黒髪だ。が、両頬には鱗めいたものが浮かんでいる。そこから首を這い、胸元にまで伸びる。ただの紋様ではなく、死期の近いことを告げる、狩人にとっての砂時計だ。 「兄様、森の様子はいかがでしたか?」 父の鱗が、また増えていることに顔を背けるしかなかった春香は、向