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#2 故郷に背を向け

last update 公開日: 2026-08-19 10:01:09

幽世竈食かくりよへぐいの病……!」

 馬上の春香は、肺腑を握り締められているような声を出しながら、父の現状を理解した。

「もしかして、致命の病というあの病気ですか?」

 春香の腕の中で、リズが問う。答えはすぐに、彼から発せられた。

「狩人は、幽世かくりよの存在たる妖魔の肉を喰らい、力を得る。だが……」

 話しながらも侍と狩人は視線を交わして、馬を東へ走らせる。

「力を行使していけば、いずれ狩人自身が妖魔と成る。それが幽世竈食の病。父も、ここ数年は剣術以外の稽古をつけてくれなかったが、まさかここまでとは思わなんだ……!」

 ドドッ、ドドッと蹄が激しく地面を打つ。空には俄かに雲が出てきた。そこに、赤い狼煙が上がる。

「赤……妖魔が来たってのか⁉」

 侍の一人が叫んだ。そして、答え合わせが行われる。黒雲垂れこめる空に、翼を持った異形の者たちが列を成して現れたのだ。

「わ、若様! 港町が!」

 振り返れば、黒い煙が幾条も立ち上っている。燃えているのだ。

「どうします、港町を救いに行くには、間に合いませんぜ」

「……雷天らいてんに戻るぞ」

 まさに帰らんとしている故郷の名を口にして、春香は奥歯を噛み締める。

「今から向かって、救える可能性が高いのは雷天だ。更に言えば、このままでは父上の亡骸を妖魔に利用されてしまう。急ぐぞ!」

「応!」

 たった四騎で何ができるか、ということを春香は考えないようにした。これ以上何も失いたくない。その一心で、馬を走らせた。

 雷天を見渡せる丘の上にやってきた。方々で火の手が上がっている。瓦が散乱している。死体、血溜まり、はらわた。

「若様、屋敷を!」

 街の東端、日の出ずる所に、雷業家の屋敷はある。それが、焼け落ちていた。スウッ、と春香の顔から血の気が引く。

「……嘘だ」

 視界が左右に揺れるのを感じた彼は、衝動的に馬の腹を蹴った。襲歩で駆け降り、目抜き通りを突き抜ける。猿や鳥のような妖魔が襲い掛かるが、雷を纏った刃は紙でも裂くにも似た容易さで、敵を斬り捨てる。

 刀だけは研ぎ澄まされていた。彼の頭はぼうっと熱を持って、沸いているのかと疑うほどに思考を奪われている。

「──ん」

 血潮が噴き出て、白かった刀が真っ赤に濡れる。また喪うことになる。それだけは、それだけは──!

「春香さん!」

 リズの叫びで、春香はハッとした。炭化した梁が、目の前に落ちている。

「……リズ、ついて来てくれ。一人では、妖魔に襲われる」

 そう告げて、彼は下馬する。刀は確かに握っている。倒れた鉄扉を乗り越えて、ごくりと唾を呑んだ。

 屋敷の敷地は、驚くほどに静かだった。時折聞こえる、炎が木を割る、パキンという音が響くばかり。こうもなれば騒がしいはずの馬も、沈黙。凡そ生きてはいないだろう、と彼は結論付けた。

「誰も、いないんでしょうか」

 そうリズが言った時、玄関から上がった。途端、襖が派手な音で倒れる。

「何奴!」

 現れた侍が、春香に刀を向けていた。

「ああ、若様……」

 散切り頭の侍は、脇腹を左手で押さえていた。ポタリ、ポタリと血が滴る。その彼の肩を支え、春香はまず座らせる。

「皆はどうなった」

「……妖魔の一団を、人間が率いておりました。それが、ご当主、奥方、そして夏目様を連れ、家宝を盗んでどこかへ……」

 咳き込んだ侍の手が冷たくなっていくのを、春香は感じてしまう。

「若様、逃げてくださいませ。もう、この街は……」

「わかった、もう話すな」

「こ、これを……」

 侍は、懐から血に塗れた袋を取り出す。

「幾らかの現金と……伊英の銀行から引き出すための手形が……入っています。どうか、生き延びて……」

 遂に、侍は意識を失った。傷を癒す術は、若き狩人にはない。だが、弔う術もない。合掌を送り、春香は立ち上がった。革袋の中を見れば、父が南の街に預けていた、全財産を引き出せる為替手形があった。

 火葬でもしてやりたい。できないことは、わかっていたが。

「……リズ」

 名前を呼ぶ。

伊英いえい、という街がある」

 前庭を歩きながら、語る。

「そこから、大陸に帰るといい」

「お金の方は……」

「これから出せる。兎に角、まずはこの街を──」

 そう言った刹那、春香は背後から殺気が迫るのを感じ取った。慌てて振り向いた時、既に遅かった。白刃が、リズの心臓を貫く。

 散切り頭の、侍。その顔は貼り付いたように引き攣っている。

「乗っ取られたか……!」

 死体を乗っ取ることで受肉するのが、妖魔。それは知っていた。だが、こうも早く動くとは思いもしなかった。

「ワカ、サマ」

 妖魔と化した侍は、譫言のような声を出す。

「……そうか」

 刀に稲妻を走らせ、春香は呟く。

「俺が、弔う」

 互いに打ち刀を顔の横で立てる。八相の構えだ。一歩、また一歩と、見合いながら彼は動く。距離は一定を保つ。即ち円。

(仕掛けてこない……人を乗っ取って、思考まで奪ったか)

 熱を孕んだ空気を吸い込み、吐く。春香の刀は、両刃。通常なら峰となる部分にまで刃がついている。その意味する所は、一つ。

 妖魔が、一挙に踏み込んだ。グゥンと打ち下ろされた刀を、春香は半身で躱す。鼻先まであと三寸という所を刃が過ぎても、彼は冷静に喉を狙っていた。

 刀を寝かせ、頸動脈を見つめる。

(すまない、こうすることしか、俺には!)

 春香の得物を覆う雷が、輝きを増す。そこから雷鳴の如き踏み込みが鳴る。そして、刃が喉を穿った。両刃とすることで、刺突に向いた特性を得た、雷業家相伝の刀。その威力は、妖魔の脊椎を簡単に貫くのだ。

 ずるり、と引き抜かれた刃には真っ赤な血がへばりつく。ばたり、と倒れた体はもう魂が宿ることのない、真の亡骸だ。

 龍絶りゅうぜつ。人が妖魔を確実に狩るために得た、妖魔の力。それが魂を繋ぎ止める鎹のようなものを破壊したのを見届け、春香はがくりと膝から崩れる。

「俺は、また……ッ!」

 刀を納めることも忘れ、地面を掴む。だが、この一撃で成すべきことを理解した彼は、視界が歪むような感覚に襲われながらも体を持ち上げた。

 龍絶で、リズを刺す。そうすれば彼女が妖魔になることは避けられる。

「すまない、本当に、すまない……」

 仰向けに倒れた体。瑠璃色の瞳は、虚ろなまま曇天を見上げている。春香が刀を逆手に持ち替えた時、ぽつり、水滴が赤い着物に落ちた。

 雨の勢いは急激に増し、あっという間に火を飲みこんでいった。

 春香は、動けなかった。思い入れがある訳でも、惚れた訳でもない。ただ、出会って言葉を交わしただけ。だが、重なるのだ。かつて喪った、あの少女の面影が浮かぶ。

 リズの瞼に、雨粒が当たる。煩わしそうに腕が拭う。その様を、彼は最初信じられなかった。あの少女の幻影を見るがあまり、存在しないものを見てしまったのでは、と。

 しかし、リズの体は動いた。のっそりと、地面から背中を離す。

「何故、生きている……?」

 歓喜か、恐懼か。今の彼を支配したのは、後者だった。

「私なんで生きて……?」

 どちらも、何もわからない。生きているという、たった一つの現実を受け入れるしかない。

「……今は、置いておこう」

 春香は刀を納め、先程超えた鉄扉を再び通る。次いで、馬にリズを乗せた。

「兄上なら、何か知っているかもしれない。近く、大陸から帰ってくるんだ……手掛かりくらいには、なるといいが」

 跨り、馬の腹を蹴る。トトッ、と栗毛のそれは動き出す。

「若様アーッ!」

 遠くから侍が走り寄ってくる。二人は騎馬、一人は徒だった。

「生存者はいたか!」

「いえ、鏖殺されております」

 春香は暫し迷って、リズと共に馬を降りた。

「若様?」

「この馬を使え」

「しかし、では若様はどうなさるのです」

「伊英に行く」

 侍たちは顔を見合わせる。

「知りたいことができた。兄上とリズを会わせ、情報を集める」

 春香の眉間には、ギュッと皺が寄っている。

「我々にできることはありませぬか」

「お前たちは、北の港から大陸に渡ってくれ。家宝も奪われたようだからな、どうにか探し出してほしい」

 侍三人は頷き合って、馬を走らせた。

「必ず! お会いしましょう!」

 侍を見送り、春香はリズと共に南へと歩き出す。これが、雷業春香の運命を大きく変えた、選択だった。

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