All Chapters of 幽世の狩人~不死の少女と妖魔狩りの少年~: Chapter 1 - Chapter 10

47 Chapters

#1 瑠璃色の瞳

「俺とお前なら、最強になれる」 春の風が木々を揺らす中、弟は兄の言葉を聞いていた。紅玉のような瞳で、兄の銀朱の瞳が向かう先を見る。どこまでも青い空が、葉の隙間から覗いている。 「師匠だって超えられる。妖魔だって龍だって狩れる、最強の狩人に、だ。だろ、春香」 春香と呼ばれた弟は、まだそう大きな肉体をしていない。まだ数えで十一なのだ。 「だが、兄上。大陸に行くんだろう? 武者修行だとか……」 岩の家に並んで腰かける二人。兄の銀髪と、弟の黒髪。 「四年もすれば帰ってくるって。そんときゃ手紙を送る。港で出迎えてくれよ」 兄の名は、鷹眼。その名に違わぬ鋭い瞳が、再び弟と見える時。二人の夢は、終わる。 ◆ 鶏の朝鳴きが屋敷に響いた。薄明の空の下で、男たちが動き出す。庭の井戸の周りに集えば、褌姿の彼らは、 「若様、おはようございます!」 と頭を下げて叫んだ。 「ああ、おはよう」 若様。その名を雷業春香という。彼もまた、褌だけだ。男たちにも負けず劣らず、筋肉質な五尺八寸の体を明るくなり始めた空の下に晒している。肉体から滴り落ちる水はそのままに、縁側へと向かう。 「しかし、若様は早起きでいらっしゃいますな。流石、雷業家の跡取りというだけのことはある」 「お世辞はいい。水浴びを済ませろよ」 総髪の春香は縁側に置かれた手拭いを取り、体を拭き始めた。桃の花が散って、板の上に落ちる。 すっかり水滴を拭った彼は、足の裏を拭いてから縁側に上がる。座敷に入ると、老婆が待っていた。 「朝餉の用意が出来ておりますよ」 「ありがとう。腰の様子はどうだ?」 「ご当主の手配してくださった薬がよく効いております。ご心配なさらず」 腰の曲がった老婆に連れられ、春香は奥座敷へ。既に配膳も終わり、コの字に膳が並んでいた。春香は、上座の斜め前に着く。 「父上、おはようございます」 「うむ」 父、春成。息子と同じ、紅玉のような瞳と夜の色をした黒髪だ。が、両頬には鱗めいたものが浮かんでいる。そこから首を這い、胸元にまで伸びる。ただの紋様ではなく、死期の近いことを告げる、狩人にとっての砂時計だ。 「兄様、森の様子はいかがでしたか?」 父の鱗が、また増えていることに顔を背けるしかなかった春香は、向
last updateLast Updated : 2026-08-18
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#2 故郷に背を向け

「幽世竈食の病……!」 馬上の春香は、肺腑を握り締められているような声を出しながら、父の現状を理解した。「もしかして、致命の病というあの病気ですか?」 春香の腕の中で、リズが問う。答えはすぐに、彼から発せられた。「狩人は、幽世の存在たる妖魔の肉を喰らい、力を得る。だが……」 話しながらも侍と狩人は視線を交わして、馬を東へ走らせる。「力を行使していけば、いずれ狩人自身が妖魔と成る。それが幽世竈食の病。父も、ここ数年は剣術以外の稽古をつけてくれなかったが、まさかここまでとは思わなんだ……!」 ドドッ、ドドッと蹄が激しく地面を打つ。空には俄かに雲が出てきた。そこに、赤い狼煙が上がる。「赤……妖魔が来たってのか⁉」 侍の一人が叫んだ。そして、答え合わせが行われる。黒雲垂れこめる空に、翼を持った異形の者たちが列を成して現れたのだ。「わ、若様! 港町が!」 振り返れば、黒い煙が幾条も立ち上っている。燃えているのだ。「どうします、港町を救いに行くには、間に合いませんぜ」 「……雷天に戻るぞ」 まさに帰らんとしている故郷の名を口にして、春香は奥歯を噛み締める。「今から向かって、救える可能性が高いのは雷天だ。更に言えば、このままでは父上の亡骸を妖魔に利用されてしまう。急ぐぞ!」 「応!」 たった四騎で何ができるか、ということを春香は考えないようにした。これ以上何も失いたくない。その一心で、馬を走らせた。 雷天を見渡せる丘の上にやってきた。方々で火の手が上がっている。瓦が散乱している。死体、血溜まり、はらわた。「若様、屋敷を!」 街の東端、日の出ずる所に、雷業家の屋敷はある。それが、焼け落ちていた。スウッ、と春香の顔から血の気が引く。「……嘘だ」 視界が左右に揺れるのを感じた彼は、衝動的に馬の腹を蹴った。襲歩で駆け降り、目抜き通りを突き抜ける。猿や鳥のような妖魔が襲い掛かるが、雷を纏った刃は紙でも裂くにも似た容易さで、敵を斬り捨てる。 刀だけは研ぎ澄まされていた。彼の頭はぼうっと熱を持って、沸いているのかと疑うほどに思考を奪われている。「──ん」 血潮が噴き出て、白かった刀が真っ赤に濡れる。また喪うことになる。それだけは、それだけは──!「春香さん!」 リズの叫びで、春香はハッとした
last updateLast Updated : 2026-08-19
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#3 雨中の出会い

 その日も、雨が降っていた。水入れを待つ田の間を、二人の来訪者が歩く。濡れそぼった、黒い羽織と赤い着物。「春香さん、私……」 赤い着物のリズが、がくりと膝をついた。「ああ、休まなければ、ならないな……」 応える春香の声も、途切れ途切れだ。別に、飯がなかった訳ではない。魚も獣も、そこら中にいる。だが、燃える故郷を見ると、何も喉を通らなくなるのだ。 春香はリズを背負い、一歩、また一歩と進む。バシャン、と水溜まりを踏み抜く。そこで、彼も崩れた。「駄目だ、俺は、進まなくては──」 少しずつ、意識が手の届かない所へ行こうとしている。転げ落ちたリズは、もう俯いたまま固まっている。「私たち、これじゃ……」 終わりか、と二人はどうしようもない諦めを抱き、動かなくなった。それから、暫く。「なんだ、行き倒れか?」 そんな声が、降ってきた。二人が顔を上げると、深草色の羽織に傘を差す、茶髪の男が立っていた。「もう少し頑張れよ、飯くらいなら食わせてやる」 そう言って、男はリズに手を差し伸べた。背中には長巻。体格は春香と変わらない。目の色は、錆びた銅の色、緑青だ。 リズを担ぎ上げた男は、今度は春香を引き起こす。「兄ちゃんには歩いてもらうが、いいか?」「……ああ、俺は狩人だ。自分の足で歩く義務がある」「硬い奴だぜ」 そう言って、男は二人を先導する。春香は今にも折れてしまいそうな脚でそれを追い、やがて簡素な屋敷に辿り着いた。「おかえりなさいませ、頸創様」 頸創と呼ばれた男は、リズを使用人に預ける。「飯、二人分だ。ありものでいいから、何か食わせてやってくれ。風呂は──」「先程夜番の者が入ったため、沸いております」「ならそれでいい。座敷に布団を二組頼む」「かしこまりました」 使用人の女は駆け出した。「風呂入れよ、風邪をひいちまうからな」 そう促され、二人は体を温めた。 春香は頸創の、リズは奉公人の着物を借りて、一階の座敷の一つで膳を前にした。「で、なんで雷業様がこんな所にいるんだよ」 麦飯、干物。豆腐の味噌汁、漬物。久しぶりのまともな食事だ。春香はがっつきそうになる己の心を抑え、受け答えをしようとする。「あ、いい。食ってからでいい」「……すまない。それでは、いただく」 そっと、彼は合掌する。「いただきます」 麦飯は冷
last updateLast Updated : 2026-08-20
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#4 灰鋸龍

 春香は、一人になった。頸創が茂みに隠れながら、灰鋸龍の反対側に移動したのだ。翼のある前脚には、鋸のような形状をした、細長い爪が生えている。 それが、灰鋸龍と呼ばれる所以だ。爪から滴り落ちた毒液が、足元の草花を瞬時に枯らす。春香は静かに唾を呑み込んだ。喰らえば、生きられぬ。 何丈あるか、という尾は一歩進むごとに木の幹を打ち、メシリ、と細やかな苦しみの声を上げさせる。 向こうの茂みで、頸創が手を挙げた。俺に合わせろ──別れる直前、彼はそう春香に言っていた。 ガサッ、と二人は同時に茂みを出た。途端、龍の野太い咆哮が響く。ビリビリと、木の幹でさえ震える。 まず、爪は頸創を狙った。彼は鞘を捨てながら素早く跳躍。風の龍絶を纏った刃を、背中へと突き立てる。暴れた灰鋸龍に振りほどかれ、彼の体は宙に踊る。「春香!」「あいわかった!」 春香の肉体が、雷を帯びる。刹那、彼は龍を挟んで反対側に移動していた。次いで、龍の首からどっと血が溢れた。その刃は、赤い血を滴らせている。(俺でさえ視認できない高速移動! これが雷業家の天津震電流ってわけか!) 風の力で落下を緩やかにしつつ、頸創は彼の速度に驚嘆した。 そして、春香の体はまだ止まらない。切り抜けたと同時に、右足を軸として反転。左足で踏み込み、またも斬撃を浴びせた。一瞬のうちに、真向切り、一文字切り、逆袈裟切りの三連撃だ。 水風船を割ったような勢いで、灰鋸龍の首から血が飛び散る。内臓まで突き刺さるような悲鳴を上げながら、龍は爪を振り上げる。 機敏にも後ろに跳んだ春香は、眼前で地面がひっくり返されるのを目撃した。その抉ることの深さ、長さは彼の身長にも等しい。 それが、ズドンズドンと叩きつけられた。春香の体は徐々に後退し、茂みの中へと追いやられる。背中が木にぶつかる。しまった、と思うのも束の間。真っ直ぐ、爪が突き出された。 龍絶の力を身に纏わせ、縮地にも似た速度で龍の下を駆け抜ける。今しがた離れた木の幹は、一撃を以て圧し折られていた。 頸創が戻ってくる。鞘を捨てつつ長巻を横に構え、体を地面と
last updateLast Updated : 2026-08-21
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#5 到着、伊英の街

 伊英の北には、山地が広がっている。その中程から、色々と混ざり合った街が見渡せた。 「これが、坐天島最大の港街……」  春香は呟く。瓦葺も、赤煉瓦も、色とりどりの人々も。全てが新鮮に見えて、呼吸も忘れそうだった。 「んじゃ、行きますか」  頸創が先を行く。 「春香さん、置いて行かれますよ!」  春香に負ぶられているリズが、港街に向けて指を差す。左手は自分よりずっと大きな肩を何度か叩く。 「背中に乗るなら大人しくしてくれ……」  呆れつつも、春香はどこかそれが心地よかった。妹の夏目も、幼い頃はこうして負ぶってやっていた。 「しかし、良かったのか? あの村には、他の狩人もいないのだろう?」  斜面をゆっくりと下りながら、春香は頸創に問う。 「元々狩人のいなかった村だし、俺は根無し草だ。それに、出る前に言ったろ? 俺には、伊英に『帰る』んだ」  春香は、村を去る前、弁当を渡してくれた女中との会話を思い起こす。そこでも、確かに頸創は伊英に『帰る』と言っていたのだ。 「結局、それはどういうことなんだ。伊英の狩人ということか?」「あー……ま、そうなるか。詳しいことは、落ち着いたら話してやるよ」  山の麓には、関所が置かれていた。黒塗りの鋼でできた門には、誰も並んでいなかった。二本差しの侍も、鉄砲を肩に下げた足軽も、退屈そうに欠伸をするばかり。門の先にある腕木は、下がったまま、黙っている。  そこへ、春香ら一行が差し掛かる。 
last updateLast Updated : 2026-08-22
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#6 狩人として

 鎌風屋敷、母屋の二階。春香とリズは、老婆に案内されて寝室へとやってきた。 「お布団は、ご自由にお使いくださいませ」  押し入れがある。開けば布団もある。とりあえず、春香は窓際で腰を下ろした。 「それでは、ごゆるりと」  それだけ言って、老婆は一階へと降りた。 「東の家って、こんな感じなんですねぇ」  リズは畳の目を頻りに撫でていた。 「畳が気になるか?」「はい。言葉しか知らなくて……こういうものなんですね」  その様がどこか滑稽で、春香はほんの僅かに顔を綻ばせる。が、結跏趺坐の姿勢──両足を腿に乗せる胡坐に姿勢を変え、息を整えた。 「どうしたんですか?」「座禅だ。心を落ち着けたい。少し、胸がざわつくんだ」「……教えてもらっていいですか?」  リズは彼の前に座りながら、問う。 「足を腿に乗せるんだ。辛いなら、片方だけでもいい」  ググッ、とリズは手で足を持ち上げ、どうにか片側を腿に置く、半跏趺坐の姿勢をとる。 「で、できました……」「目は少し開いて、斜め下を見る」  彼女はその指示に従って、畳を見つめた。 「そのまま、全身の力を抜くんだ。そうすれば、いい……」  春香の意識は、心の奥底へと沈んでいく。血煙に濡れそぼったような心も、こうすれば綺麗になると思っていた。だが、沈めば沈むほど、血の臭いが濃くなる。&nbs
last updateLast Updated : 2026-08-23
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#7 弑逆の朝

 明くる日。風呂桶をひっくり返したような雨が降っていた。その中、二人の狩人は弔慕丘を上る。どちらも黒い羽織に黒い草履だ。 「御魂絶はないのか」  春香は、墓の間を通りながら頸創に尋ねた。 「ミタマダチ……ああ、誰でも不死を殺せるってあれか。ねえよ。あれは、金じゃ買えねえんだ」  円匙片手に丘の頂上に来た二人は、鎌風家の墓を回り、後ろに立つ。そこだけは、まだ新しい土で覆われている。  その中に、円匙を突き立てる。ザクッ、と土を掘り返し、横に積み上げていく。風が木々を揺らすのにも似た雨音の中で、二人は粗末な棺桶を目にした。無数の呪符が貼りつけられ、特に蓋との接合部には重点的に配置されていた。 「……顔を見ていいか」  頸創が呟く。 「殺せなくなるぞ。墓の上から終わらせよう」  春香の言葉に応え、彼は背中の長巻をすらりと抜く。両手で握られた長い柄の先、白刃が雨粒を斬り裂く。  だが、動くことはなかった。 「無理だ」  だらん、と長巻の切っ先が下がる。 「俺には……できない」  その彼を、春香は責められなかった。父親だ。血を分けた肉親だ。それを刺し殺せ、と言われてできるはずもない。事実、己は恋人の一人も殺せなかったのだから。  そこで、ガタッと棺桶が揺れる。 「そうか、まだ生きていたか」  春香もそのまま刀を抜いた。次いで、棺桶の蓋が上へと吹き飛ばされる。現れたのは、鱗の生えた男。その
last updateLast Updated : 2026-08-24
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#8 妖刀事変 序

 数日過ぎた、夜。春香は風呂に入っていた。 (雷天の一件は、奉行所に伝えた)  妖魔の群れが襲い掛かったこと、守護する狩人も侍もいないこと。故に、行商であっても立ち入るべきでないこと。頸創の幼馴染の奉行が、手早く文書にして公表してくれた、と彼は聞いていた。  それを、新聞という形で知る。辻斬りの記事の隣に、載っていた。 (瓦版とは違うのか?)  この風呂を沸かしているという、瓦斯というものもよくわからない。燃える気体だというが、そんなものを流通させるのは危険ではないのか、と彼は頸創に問うたことがある。 「俺に聞くなよ、生き字引じゃねえんだ」  リズにも訊いた。 「石炭という鉱石を熱で分解して取り出した、燃える気体なんです。大陸では、もうすぐ一般家庭にも供給されるらしいですよ」  と言っていた。 (進んでいるのだな、大陸は……)  高窓から夜空を見上げる。よく晴れて、星々が煌めいていた。 「春香さーん!」  脱衣所からリズの可憐な声が聞こえてくる。 「着替え、置きましたよー!」「ああ、助かる!」  ジーッ、という甲高い虫の音が聞こえてくる。網戸から入ってくるのだ。 (俺は、生きている)  雷天を駆けた時の、妖魔の数々。亡骸の数々。邪気が満ちれば、それも妖魔となるのだろう。何の罪もなかった、無辜の民が。  ザバリ、と風呂釜から出る。筋肉質な体は、湯の雫を滴らせながら脱衣
last updateLast Updated : 2026-08-25
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#9 妖刀握るは、無辜の民

 東に昇った太陽。風を切る音。白刃が、池の横で振るわれていた。傍には縁側。書斎がある。 「おはようございます、春香さん」  縁側に出たリズが、柔らかに挨拶した。手を止めた春香が、長く息を吐く。 「あまり寝ていないようだが」「わかります?」  リズの目は、少し充血していた。 「勉強も大事だが……体を壊しては元も子もないぞ」「そういう春香さんだって、夜明け前には起きてる、っておばあさんが言ってましたよ」「俺はいいんだ。慣れているからな」  くすり、彼女が笑う。 「頸創さんは、今日も奉行所ですか?」「ああ。妖刀の解析が中々進まないらしい」  話しつつ、上裸の春香は納刀する。チン、と鯉口が鳴った。縁側に置いておいた手拭いを拾い上げ、母屋の裏へと向かう。  特に用もないリズが、その後ろを歩く。 「狩人の武器は、龍の骨でできていると読んだことがあります」「ああ。鋼では気を伝えられないからな。龍の骨を切り出し、刃をつけている」「それに、かなり重いんですよね。五十キロはある、って」「きろ……西方の単位だったな。こちらでは十五貫、と表現している。常人の子供くらいはあるな」  歩いている筈の春香を、リズは速足で追いかける。 「そんなに重い武器、持っていて疲れないんですか?」  手押しポンプの下に桶を配置し、彼は水を入れ始める。 「そうだな……リズ、こっちへ」  手招きさ
last updateLast Updated : 2026-08-26
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#10 命と明日を天秤に

「春香!」  リズの前から、扉の外へ頸創が鋭く言う。 「刀を手放せば呪いの影響は受けねえ! 関節をやればどうにでもなる!」「柔術も合気も、得意でないんだがな……ッ!」  春香は抜いたばかりの刀を納め、じりじりと看板娘に近づく。短い黒髪も、黒い瞳も、愛嬌のある顔も、全て呪いに飲み込まれている。目は血走って、これでもかと開かれていた。  まず、真向切りが来る。気を巡らせ、龍絶の力を纏った春香は、その手首を素早く掴んだ。グイと外側に返して、投げる。地面に落ちた看板娘だったが、刀に引っ張られるような動きで受け身を取り、再び斬りかかってきた。  技巧ではなく、暴力。その太刀筋は、一撃ごとに速度を増す。狩人の敵ではない、とどこか嘗めていた春香であったが、遂にその切っ先が左肩を掠める。 (顔に傷を、つけぬようッ!)  刺突を待った。そして来る。心臓を狙った平突き。彼は体を横にして、峰スレスレを通り、看板娘に近づいた。  手首のツボを手刀で打ち、手を開かせようとする。だがうまくいかない。故に、次は肩口に肘を叩きつけた。ゴキリ、という鈍い感触の後、看板娘の右腕はだらんと垂れ下がった。  それでも、左手だけで妖刀を握り締めていた。 「リ ズ フ シ……」  熱に魘された子供のような声音だ。 「ら、雷業様、一体何が起こって……」「あの刀には、呪いが込められている」  一気に頭から血の引いた店主が、膝を笑わせている。 「それに乗っ取られた」「こ、殺すのですか。どうかそれだけは&
last updateLast Updated : 2026-08-27
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