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#34 追憶の終わり

last update publish date: 2026-09-21 20:07:09

「では、正式に婚姻を了承するということで、よろしいですね?」

 襖越しに、春香は父と来客との会話を聞いていた。警備の任を受け、数人の侍と共に襖の前に正座し始めて、既に数十分。チチチッ、と雀が昼空へと飛び立っていく。

「ああ。これで、レヴェダギと雷天の友好の証としよう。ヴォウ・ニーウ」

 ヴォウ。クィオウの父親だ。屋敷に来た時に見た顔は、クィオウにはあまり似ておらず、むしろ無骨な印象を与える男性だったな、と彼は思い起こす。鱗は頬にまで達していたことが、印象的だった。

「二年の歳月を経て、クィオウから何度も手紙をもらい、家臣からも報告を受けておりますが……春香くんは、随分と実直で素朴な少年のようですな」

「未熟だが、腕もそれなりに立つ。いずれ、雷業の家臣団を率いるに足る人物となるだろう」

 あの父が、自分を認めてくれている。春香は、それが嬉しかった。滅多にないこと。侍たちも、ニコニコと笑っていた。

「坊ちゃん、やりましたね」

「やめてくれ、こそばゆい」

 囁き合って、会話の進展を待つ。

「春成殿は、お酒は嗜まれますか?」

「飲まんようにしている。いつ何時敵が来るかわからないものでな」

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  • 幽世の狩人~不死の少女と妖魔狩りの少年~   #35 二年後

    「春香さん」 縁側で雪を眺めていた春香に、リズの細い声が投げかけられる。「ご飯、できたみたいですよ」 「そうか」 のっそりと立ち上がった彼は、短い左袖を揺らすリズと並び、奥座敷へと向かう。喪服のような黒い羽織も、夜の色をした黒髪も、紅玉のような瞳も、変わってはいない。ただ一つ、幼さを捨てた顔に刻まれた悔恨を除いては。 本日の夕餉は、鯖の味噌煮だった。狩人二人には一尾丸ごと。只人であるリズ、佳代子、老婆には半身が提供された。春香と頸創が上座に座り、その斜向かいにリズがいた。「いただきます」 合掌した春香の声に、皆倣った。「頸創、逆梟の話をここしばらく聞かないが、活動は落ち着いているのか?」 麦飯を片手に、彼は問う。向かいにいる褞袍の頸創は、茶髪と緑青の目で答える。「二年前、俺らが潰してからはかなり大人しいぜ。フザンが送り込んでくる刺客も、月に二人いるかってくらいだし……ま、平和ならそれでいいだろ」 「だが、あにう──フザンがまた何かを企んでいるかもしれない」 兄上と言いかけて、彼は慌てて言い直したのだ。「かもしれない、だけだろ? 根拠がないなら安心しろよ」 安心。鷹眼──いや、フザンと彼は呼ぶようにしていた。あれは、憧れた兄ではないのだから。 閑話休題。そのフザンとの戦いから二年。安心というものは遠く、時折姿を見せるフザンの幻影と言えるような刺客もいる。何も考えず大の字になって眠れる日はもう来ない。春香は、刀を手放せない日々に心を蝕まれつつあった。「春香さん」 少し隈のあるリズが呼びかけた。「今度、本屋さんに行きたいんです。明日か、明後日か……」 「そうか。付き合おう。だが、読みたい本でもあるのか?」 「新聞に出てたんです。その辺りで、歴史書の続刊が発売されるって」 「なら、買いに行かねばならないな」 春香は微かに表情を緩めて、応じた。火鉢の熱。炭が割れる。それでも、彼はずっと張りつめた緊張の中にある。「ごちそうさまでした」 皆、ほぼ同時に食べ終わる。合掌し、頭を下げ、彼らは立ち上がった。それぞれのやるべきことをやる。「風呂は沸いているか」 春香が佳代子に問うた。「ええ。奉公人が炊いているはずです」 「あいわかった。詰所にも暖かい飯を届けてやれ」 ペコリ、佳代子は頭を下げて台所へ走った。頬に

  • 幽世の狩人~不死の少女と妖魔狩りの少年~   #34 追憶の終わり

    「では、正式に婚姻を了承するということで、よろしいですね?」 襖越しに、春香は父と来客との会話を聞いていた。警備の任を受け、数人の侍と共に襖の前に正座し始めて、既に数十分。チチチッ、と雀が昼空へと飛び立っていく。「ああ。これで、レヴェダギと雷天の友好の証としよう。ヴォウ・ニーウ」 ヴォウ。クィオウの父親だ。屋敷に来た時に見た顔は、クィオウにはあまり似ておらず、むしろ無骨な印象を与える男性だったな、と彼は思い起こす。鱗は頬にまで達していたことが、印象的だった。「二年の歳月を経て、クィオウから何度も手紙をもらい、家臣からも報告を受けておりますが……春香くんは、随分と実直で素朴な少年のようですな」「未熟だが、腕もそれなりに立つ。いずれ、雷業の家臣団を率いるに足る人物となるだろう」 あの父が、自分を認めてくれている。春香は、それが嬉しかった。滅多にないこと。侍たちも、ニコニコと笑っていた。「坊ちゃん、やりましたね」「やめてくれ、こそばゆい」 囁き合って、会話の進展を待つ。「春成殿は、お酒は嗜まれますか?」「飲まんようにしている。いつ何時敵が来るかわからないものでな」「では、このウォッカは持ち帰るといたしましょう」 ヴォウの渋い笑いが聞こえてきた。同時に、衣擦れの音も。「だが、クィオウを嫁にやって、家のことはどうするつもりだ? 一人娘なのだろう?」「イェルラという年の離れた弟がおります故、然して問題にはなりませぬ。向こう十五年は、やってもらわねば」「随分と期待しているのだな」 父の声が知っているものよりずっと穏やかで、春香はもっと聞いていたくなる。「……そうだな。今日ばかりは酒宴としよう」 警護の侍たちは、ニヤリと笑みを交わし合った。「今晩、我が雷天の酒を以て、ヴォウ殿をもてなそう。よろしいか」「ええ、異存ありません」 その晩、盛大な歓待が行われた。雷業屋敷の滅多に使われない大広間。そこに、雷天の誇る美酒美食、総計八十八の器や徳利、瓶が並んだ。 上座に座るのはヴォウではなく、春香とクィオウだった。当然酒は飲めず、行商人の持ってきたサイダーなるものを供される。「レヴェダギ国と雷天の末永き友好を祈って、乾杯」 下座の春成が音頭を取ると、出席した旗本や、ヴォウ直属の騎士という身分の者たちが酒の入った器を掲げる。「乾杯!」 白い

  • 幽世の狩人~不死の少女と妖魔狩りの少年~   #33 大きすぎる背中

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     伊英の街に、雪が降っていた。縁側の遥か頭上。真っ黒な空を仰いで、春香は目を閉ざした。あの出会いも、冬の日だったのだから……。◆ 雷業春香が十になった年、冬の終わり。坐天島、雷天の街に来訪者の姿があると聞き、彼はまだ幼い体に刀を差して、玄関に向かった。 一目で、彼はその来客に惚れた。墨色の瞳。長い銀髪。赤茶色の服を着ている。腰にサーベルを佩いた一団を背後に控えさせた、少女の姿だ。「はじめまして」 流暢な東方語で挨拶するその声は甘く、聞く者の心を蕩けさせる。「雷業春香だ」「ヘヴノヴールより参りました、クィオウ・ニーウ。これから、よろしくお願いします」 微かに振る雪の中、二人は握手を交わした。そこで向けられた、布団のように安心感のある微笑みのせいで、春香は相手を直視できなくなった。「こちら、ご挨拶にと思いまして」 パパン、とクィオウが手を鳴らすと、家臣の一人が紙袋を持って前に出た。「中を見てもいいか?」「ええ、もちろん」 茶色い紙袋だ。それを覗いた春香の鼻腔を、甘い香りが擽る。茶色い、小麦粉の塊だ。立ち昇る、中に酸いものもある芳香で、彼はそれが菓子であることを理解する。「ヘヴノヴールでよく食べられる、ケーキというものです。乾燥させた果物をふんだんに使ったものですのよ」「そうか、皆で分ける。ありがとう」 礼を言った時、彼の耳に足音が届く。無遠慮で重く、それでいて隙の無い足音だ。「お前の妻となる女だ」「父上&helli

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