LOGIN「雷業鷹眼……!」 「よう、春香」 後悔を銀朱の瞳に湛えた、かつての兄。殺したはずの存在。魂の鎹も砕いたはず。斬り落とした左腕も揃っている。様々な言葉が、春香の脳裏を駆け抜けた。「……知り合い?」 「義兄だ。俺が殺した」 「殺したって、じゃあここにいるわけないじゃん」 「だからおかしいんだ。こんな所に現れる筈がない」 刀を構えつつも、その切っ先が震えている。春香は、己を嗤った。結局兄は兄だ、と。言葉を弄し、もう殺した、終わった、死んで当然だったと言い聞かせても、兄が兄であることを否定しきれないでいる。「鷹眼、貴様は、何故現世に舞い戻った。何を求めている」 「春香、俺は、謝りたいんだ」 透明の刀身には、その言葉に見合わぬ灼雷が走っている。「リズの左腕を奪って、クィオウまで奪った。あれは、俺の意志じゃない。雷業家を守るために、イェルラにやらされていたことなんだ」 「そうか。下らん言葉を紡ぐために生き返ったのなら、また冥土に叩きこんでやろう」 「おいおい、やめてくれよ。本心だ。俺は、お前の隣で戦いたい」 「貴様……ッ!」 わかっている。どうせ妖魔の魂を載せ替えて、適当な言葉を喋らせているだけ。そう現実を直視しても、春香の中では、その言葉を信じたくなる自分が顔を出していた。「よくわかんないけどさ、仲直りに付き合わされるつもりはないよ。くっちゃべってるだけなら、そのお兄さんぶち抜いていい?」 「待ってくれ」 自分でも思っていなかった言葉が口から出てきて、彼はハッとする。「今は、少し話がしたい」 自然と、彼の白刃は下がっていた。「鷹眼、俺は、お前を龍絶で殺した。妖魔が入り込む余地などないはずだ。何が起こって、ここに戻ってきた」 「俺は不死さ」 一歩、また一歩と鷹眼は彼へと近づく。「リズと同等の存在。そもそも、あれが何で不死かもわかっちゃいないだろ?」 「知っているのか、リズの力の由来を」 「第一に、魂の鎹は再生され得る」 ついに、二人はすれ違う。鷹眼に背を向けるということ。春香は、喉の辺りに緊張が貼り付くのを感じた。「だから俺は魂を手に入れた。リズの腕を喰らったことで、俺の鎹は生き返ったんだ」 「ならば、ここで殺しても変わらないのか」 「さて、どうだかな。次に、第二だ」 戦いの手を止める二人に、真弓は不安げな視線を
解き放たれた矢が、狼めいた妖魔の脚を二本、薙ぎ払って森の中に消える。倒れ込んだ所に春香が飛び掛かり、龍絶を纏った剣で首を刎ねた。ゴロン、と転がる腐臭を漂わす生首。体液らしい体液も流れず、ただそこで朽ちるだけの宿命だ。「雷業さん、熊!」 その彼の背後で、熊型妖魔が諸手を振り上げていた。全体重をかけるような大ぶりの攻撃だ。春香にすれば、静止に等しい。一閃を以て両腕を切断し、回し蹴りで体勢を崩す。更には左手に気を集め、放つ。「空穿!」 龍の顎を模した雷霆は、熊を飲み込み、消滅させた。樹木も何本か薙ぎ倒し、道のようなものまでできる。「ちょっと、森を壊しすぎ!」 真弓の一声を受けて、彼は言い返そうとする。が、鷹めいた妖魔が数羽、一斉にその鋭い爪を輝かせて迫っていた。反射で刀を振るも、避けられる。速い。鷹たちの眼は、真っ赤に輝いている。(雷系統の龍絶を纏っているか……!) 元より質量の小さな動物だ。単に鳴崩を使っているだけの春香で先手を取れないほどの速さを、鷹の群れは手にしている。何かの作為がそこにあるという確信。爪を弾き、木の裏に隠れる。しかし、痛みを知らぬ突撃は、樹木の幹を一撃で穿ち抜いた。 飛散する木端。肉体が千切れるのも構わない体当たりだった。尋常の生命ならば恐れる、自らの崩壊を厭わない、乱暴な攻撃と言える。ならば、春香もまた、焼き切れる覚悟で応じることにした。 灼雷。熱を持った雷が体を巡ったことで、彼の体は神速の領域に達する。そこから踏み込んで、跳躍。瞬間、鷹に残っていた魂の鎹は破壊され、はらはらと霊魂を喪った肉塊が森の中に墜ちた。 木々を飛び越した彼は、周囲の状況を把握しようと努める。が、森全体から邪気が立ち昇っている。南から、津波にも似て迫っている。上昇から落下に転じるまでの数秒で、それだけは掴めた。 森の中より、鳥型妖魔の群れが急襲を掛ける。空中での再加速と斬撃を繰り返し、地面スレスレへと春香は降りる。脚が地面に触れる直前、また加速。木の枝を一本掴んで、体を回転させ、また空へと体を飛ばした。「雷業さん! 何かいる⁉」 真弓の問いかけにはすぐ答えず、彼は目を閉ざした。落下するほんの僅かな時間。気を網のように巡らせ、何かを感じ取ろうとする。洪水のように襲い来る妖魔の中、人の発する気はないか。龍仕人の持つ、ピリリとした殺
「なんか、意外だった」 廃線路を辿る道のり。夜もとっくに明けたというのに薄暗い針葉樹林で、真弓が隣にいる春香へと呼びかけた。「殺した奴の葬式まで面倒見るなんて。結構甘ちゃん?」 「死体が腐敗すれば、そこから感染症が広がる。火葬しなければ、妖魔に体を乗っ取られる可能性も否定できない。山中であればともかく、村の真ん中に妖魔を生み出すわけにもいかないだろう」 理路整然と、春香は説明を続ける。さわさわと風に枝が揺れる中、冷たい風がマントの裾もまた揺らす。向かうは南。馬で一日かかるかもしれない、という距離の道だ。「死体が妖魔になるのは、魂の鎹が残っている場合が殆どだ」 巌号と栗毛の馬、グルウ号は、異なった歩幅で同じ速度を生み出す。巌号がグルウ号に合わせる形だ。今日もまた、黒くがっしりとした体を持つ彼は大きな欠伸を見せる。「魂と肉体を結びつける鎹。妖魔の魂は、その繋がりを利用して死体を乗っ取る。龍絶であればその鎹を砕けるが……残滓があるかもしれない。だから火葬させた」 「なーんだ、考えてるんだね。狩人ってもっと能無しだと思ってた」 「聞き捨てならんな」 春香は、チラリと真弓の顔を見た。ヘラヘラと笑っている。本心ではないか、と判断して軽い溜息を吐いた。息は白いまま、森の中に消えていく。「雷業さんは立派だね。アタシなら嫌になっちゃう」 ゲエッ、と嘔吐するような仕草を見せた真弓。「あまりそういう顔をするものではないぞ」 「いーの。どうせ誰も見ちゃいないんだから」 春香は呆れに呆れて空を仰いだ。歩き出して既に四時間程度か、と見当をつける。太陽は南中し、多少気温も上がっているが、それでも空気は針のように刺してくる。「そろそろご飯にする?」 「そうだな、馬も休ませなければ」 真弓の手が後ろに伸びて、地図を取り出す。あの伊英から来た夫妻の手で、線路図も書きこまれているものだ。馬を止め、目を閉ざす。 その様を、春香はじっと見つめていた。何をしているのか、と問うこともなく、彼女のやろうとしていることに委ねる。何かできるから何かをしているのだ。「感じ取れた」 そう言うと、真弓は馬の首を左に向けた。トトッ、トトッと駆け出したグルウ号を追って、巌号も速歩に移行する。なだらかな上り坂を進み、少し開けた場所へ。そこには、清らかな水が湧き出す泉が存在していた。「
「バレト、と言ったな」 刀を構え、切っ先を一寸たりとも揺らさないで春香が問う。「どこまでが貴様の領分だ」「何が訊きたいの? 私が吹雪を一から生成したかどうか? それとも吹雪を黒く変えたこと?」「全て聞かせろ」 ハンッ、と蒼髪のバレトは笑い飛ばす。六尺より長い槍は、腰だめに構えられたままだ。「今際の際で教えてあげるよ、雷業春香!」 吹雪を纏った突きが、唸りを伴って春香へと襲い掛かった。分厚いコートに覆われたバレトの体だが、掌だけは露出している。手の内を活かすための方策か、と彼は判断する。槍を掌で滑らせようと思えば、繊細な感覚が必要になる。手袋があればそれも叶わないことを、彼もまた刀を通して理解していた。 故に、踏み込む。間合いを取って戦われれば、打刀を幾ら振るった所で児戯に等しいだろう。雷の龍絶を全身に纏った突撃が、放たれた。ふわり、地面から凍て付く風が起こる。 なにゆえか、その刃はバレトの頭上で空を切る。何があった、と彼が解する前に、バレトが槍の後端三分の一を切り離し、棒術を持って彼の鳩尾を打った。「グッ……!」 呻きを漏らしつつ、着地。呼吸を整える時間は、真弓の矢が作ってくれた。矢と右手首を蔦で繋ぎ、バレトの腕を引いたのだ。その蔦も、すぐに枯れてしまうが。「ごめんねぇ、私は雷業殺しを真面目に考えてきてるからさ。そう簡単には斬れないと思うよ、七光り」「七光り? 久しぶりに聞いた侮辱だ。残念だが、俺は正統後継者としての技術を叩きこまれた。そう容易く殺せると思うなよ」 バレトの槍を、彼は改めて具に観察する。三分割が可能であることが、ほんの僅かな隙間から窺える。左手にある分割された部分と、右手にある残った部分は、特に鎖や綱等で繋がってはいない。三節棍ではなく、飽くまで至近距離での戦闘力を補う分離機構と見るべきか、と判断した。 ならば、単に突っ込んで斬るだけでは対処される。軌道を逸らす術も、種を見破らなければならない。正眼に構え、相手を真っ直ぐ睨む。槍を突き出すほんの一瞬を突いて、確実に戦闘能力を奪い取ることが、最も
ガタガタと、猛吹雪に叩かれた窓が鳴る。空どころか一寸先さえ雪に覆い隠され、ガラス窓から外を見上げる春香の心までも押し殺しそうだった。「止まないねえ」 ミルクティーを傾ける真弓が、そんな彼を眺めながら、脚を組んでそう言った。ストーブはパチパチと音を立て、二階建ての家を温めるばかり。「こうも足止めされるのでは、予定が狂ってしまうな」 窓から視線を外し、溜息交じりで春香は言う。「すみませんね、こうも長い吹雪というのは珍しいのですが」 銀髪の夫が、苦い顔で応じる。夕食も終わり、夫婦揃って後片付けをしている所だった。「もう四日になるな。食料や水の備蓄は大丈夫なのか?」 「一応、この時期になると二日閉じ込められることはよくあるので、念のため一週間程度は籠れるようにはしてあるんですよ。四日というのは、三年ぶりですかね」 食器洗いを終えた夫妻は、淹れておいたミルクティーをカップに注ぐ。まだ熱い。湯気が立つ。「雷業様も、どうぞ」 勧められた春香に断る理由などなく、短い感謝と共に席に着いた。「奥様がご無事であればいいのですが」 妻は、下半身をブランケットに覆った状態で言う。「無事ではあるだろう。彼奴は、元よりリズが自分の妻であるかのように語っていたからな」 「それは……どういうことなのですか?」 力なく首を横に振る春香。「わからない。ただ、彼奴にとってリズが特別な存在であることは確かだ。詳しく聞く前に逃げられてしまった」 「その、『彼奴』とは、何者なのですか?」 ティーカップを置いて、夫も会話に参加した。「言えば、君たちを巻き込んでしまう。だから、すまない、訊かないでくれ」 「龍仕人ですか?」 訊かないでくれと言ったろう、と言ってしまいたい春香だが、ぐっと抑える。まずは社交だ。「まあ、そんな所だな。とても強い、犯罪王を相手にしている」 「なるほど、雷業様がそう評されるなら、確かに田舎の衛兵など何の役にも立ちませんな……」 その会話の横、真弓は追加の角砂糖を紅茶に溶かす。「そこで、一つ聞きたいのだが」 ガラス製の砂糖壺を彼女から離しつつも、春香は夫妻に言葉を投げかけた。「吹雪の中を突破する進み方、というのはないか?」 「いえ、ないですね。誰も試みていませんし、試みた者がいたとしても帰ってきていません」 「隔靴掻痒、といった所
巌号の欠伸が、スグフ東門で陽光に輝いた。敬礼を送る騎馬隊を背後に、春香と真弓はそれぞれの馬に跨っているが、頭の高さはまるで違う。大人と子供だ。相棒でもなく兄妹でもなく、親と子にしか見えない。「まずは、国境で出入国の審査を受けなければな」 力強く雪を巻き上げる黒い足は、そんな話をする彼に心地よい振動を齎す。「でも、狩人さんが思いの外すぐに解放してくれてよかったね。最悪、あそこに釘付けだったかもしれないし」 真弓は、春香の隣で栗毛を操る。鞄も鞍に括りつけ、持つのは弓だけ。「半日で捜査を切り上げた、ヅッダの強権のお陰だがな。仮に戻ってきた時、多少俺は嫌われているかもしれない」 ドッ、ドッと黒馬は春香の重い武具や荷物も何のその、安定した足取りで坂を上っていく。よく晴れた空に、白い雲。それでも雪は解けず、黒いマントを羽織った上でも冷気が体に届く。春香は、ハアッと白い息を吐き出した。 馬は速歩。彼の思考は、その速さと地図とを重ね合わせて所要時間を算出する。「この調子なら、日が沈む前に森の入り口の村に着くだろうな」 「夜の森を抜ける?」 「いや、危険すぎる。俺は君が逸れても構わないが、君はそうではないだろう?」 「舐めちゃってさ」 隣で、フフンと真弓は笑う。「アタシの実力は見たでしょ? そこらの龍仕人なら弓だけで殺せるから安心していいよ。むしろ、あんたが厄介なのを呼び込んでくるかもね」 「そうだな、そうとも言える」 純朴を通り過ぎて天然だよ、と言いかけた所、彼女は喉で言葉を止める。おそらく天然は通じない種類の天然だ、と推測したからだ。 一方の春香は、坂を上り切った所で、馬を止めた。ずっと向こう、黒く尖った森が見える。スグフとヘヴノヴールの間、本来なら鉄道で通り抜けるはずの森だ。レヴェダギ政府軍の鎮圧を遅らせるために、叛乱軍が線路を爆破。そこから行われた幾度とない破壊工作から鉄道が復旧するまでの目途は、まるで立っていないと春香は聞いていた。「どうしたの?」 真弓に呼びかけられ、彼は首を横に振る。「進もう。村で一泊してから、一日かけて森を抜けるぞ」 進むに連れ、空に黒雲が現れる。風も勢いを増す。バタバタと、マントの端がはためいて仕方がない。妙だな、と違和感を覚える春香の頭には、二択がある。手頃な場所に隠れ、吹雪をやり過ごすか。それとも、馬を