LOGIN「そ、そんな……」
涼にとって、これではなんの意味もない。 全て──消えて無くなりたかったからだ。 特定の宗教を否定も肯定もしない。 スピリチュアルに茶々を入れることもなく。 目の前に神社仏閣があれば、勿論いたずらな事はしない。 だが、それはモラルであり、信じているかどうかなど別なのだ。 この世に神など存在しないと確信している。 「うおぉっ !! 」 「翡翠様を呼んでこい !! 」 とてつもない怒号が飛び交うが、房にいる囚人たちではない。 遥か下。 涼はそっと鉄格子に近づくと、そこにある背丈の牢の一部が開くことに気付く。 キィ……。 恐る恐る下位層を見下ろす。 この牢の集まりは漏斗状になっている。そしてその下位層は学校のトラック一周程の広さしかない。そこでは他の人形たちが争い事をしていた。拳を突き上げ、戦う二人にエキサイトしている人形たちに涼は『怒り』の感情が強いのを見て不思議に思う。 「何を……してるんだ…… ? 」 戦っていた大柄な人形はガラクタのようになった人形を周囲の人形に抑えさせ、大きなナイフでドールアイを抉り出し始める。 「 !!? ……っ酷っどぃ……」 そこへ当然背後から声をかけられた。 背後は自分のいた房のはず。 「よう、新入り」 「 !! なんの用だよ。そこ、俺の部屋なんだけど ? 」 「いやいや。あはは、俺は最初からいたんだけど…… ? 全然スルーするじゃん、びっくりした」 そう言ってクスクスと笑う。 この男は涼と同じくらいの年齢だ。黒髪に黒のレザージャケット。自分と同じ人形姿だが、衣服やグローブで綺麗に球体関節を隠している。まるで普通の人間と変わらないように見えた。 そして、この男の強い感情を涼は視る。 『楽』の感情だ。 人が持つ喜怒哀楽のうち、『楽』が強い。 瞬時に理解する。この男は状況を楽しんでいる。この状況下で。 異常だ。 「最初から…… ? 」 「ここはどこも二人部屋。俺たちは同居人ってこと」 「あれ……。あの喧嘩は何してるんだ ? なんで目を……」 「ただの小競り合いさ。要らぬことを言って、袋叩きにされた。 ま、説明は順番が大事。ここの話をしてやるから来いよ。一時間後に翡翠さんが来る前に、俺に聞いた方がいい事が沢山あるぜ ? 」 「……」 言われるまま房に戻る。 黒髪の少年と並んでベッドに腰を下ろす。 「自己紹介な。俺は紅 京(くれない きょう)。年齢は高一だから……十六 ! 」 差し出された手を握り合う。 「俺は、一ノ瀬 涼。年は高二の十六歳」 「へぇ。近いじゃん。ま、ここじゃ時間や年齢は関係ないけど。俺はもう十年以上ここにいるし、隣の道具屋は八十年ここにいるけど、外見は四十代の人形だ」 「出る方法は無いのか ? 」 京は妖しい笑みを浮かべ、首を振る。 「そんな簡単な事じゃない。 ここは『城』と呼ばれてる」 「城 ? 」 「実際にはあの世……つまり霊界に建てられた罪人監獄。それがこの『城』さ。 お前の死因、何 ? 」 涼は唇をキュッと閉めると、京のブラウンの瞳を見つめた。 しかし京の方は飄々としていて悪意がある質問ではなかった。 「『城』に来るやつは決まってんだ。 『殺人犯』『強盗犯、詐欺師』、『強姦犯』とか。色々来るけど、犯罪者が全員来るんじゃない。生きてる人生の中で精算してない奴が来るんだ。つまり罪に問われなかった奴さ。 あとは『自殺者』も」 「そこが分からない。『自殺』は自分の判断だろ…… ! 」 「殺人だよ。殺す相手が違うだけさ」 「じゃあ、自殺を辞めろって奴は、俺の生活を保証してくれんのかよ !! 」 「落ち着けよ。個人的には、十六歳だろ ? 生きてりゃ次期にあったかもな。そんな生活から逃れるチャンスが。 でも死んだじゃん。もう無理だろ」 「てめぇっ ! 」 ここで涼が恨めしい眼差しを向けるが確かに事実、京は正しい。少なくとも、人間の生きる世界ではそう教えられる。 「犯罪者を集めてどうしようってんだ ? 」 「さあね。でも刑罰にしては軽いとも言える」 「ここにいるのが…… ! 軽いっ !? 」 京は立ち上がると涼に房から出るよう誘う。 「階層にカーストは無い。空いたら次の奴が来る。それだけ。 さっき城の底で喧嘩してた奴がいたろ ? ああいうのが頻繁な日常だ。だから身体が壊れるやつもいる」 涼は後ろから京のそばに付いて歩くが、周囲の空気を敏感に感じ取っていた。 京は恐らく、何らかの形で地位がある。京が歩けば、全員が無言で道を譲っていた。そして京の後に続く涼の顔を覚えるように、じっと見てくるのだ。『海久、出鱈目な事を言うものではないよ』 海久(かいきゅう)は澄子の僧名である。澄子は師である本尊の住職に己が見た白昼夢を告げた。 だが住職から返ってきた言葉は澄子の望んだものではなかった。「はい……取り乱しまして……申し訳ございませんでした」『……。そりゃあ、こんな仕事だ。何か不思議な体験をする事もあるだろうけれどね。でも多くの日本の寺院はオカルト事の面倒を受け入れたがらない。一部には需要があっても、檀家さんなんかは安住の地としてお墓を買うだろう ? そんな場所で悪い憑き物を祓っているなんて聞いたら、その悪い気が留まるんじゃないかと疑ってしまう。 貴女を信用した者程、僧侶としての信用を失う』 寺でどうこうという問題ではない。「翠…… ! 」 死後の運命を変える。捻じ曲げるその手法の手掛かり一つでも掴めればと思っていたが、何も得られず頭を抱える。 そこへ仕事を終えた翠が戻って来た。「ただいま。 あのさ、少し話があるんだけど」 澄子はぐったりしたまま翠へ向かって振り返る。「店長の知り合いの工場の寮で、空きがあるんだって。人が住まないと傷んじゃうし、しばらく一人暮らししないかって話が出てて」「駄目よ」 澄子がキッパリと答えた事に翠は多少気が立ったが耐える。「保護司の田村さんにも同席してもらったし、大丈夫だって言われて……」「田村さん !? あんた、そんな大事な話。先に自分だけで決めてきたの !? 」「……普通なら皆、大学卒業の年だし。合わせて自立してもいいんじゃないかって」「駄目だよ ! あんたね、そんなお気楽にやっていけると思ったら大間違いだよ。徳を積むんだ今以上に ! 」「別にここを出たいとかそういうんではなくて、一度外に……」「いいかい ? 一度し
平成元年──天音 翠は澄子に連れられ、海久寺へやって来た。 師である住職から告げられた条件があった。 この海久寺の管理である。 澄子は髪を纏め、御本尊から離れ、翠と共に移り住むことになった。 朝早く起き、経を上げ、子供たちの様子を見ながら作業を割り振り話を聞いては説法を続ける。 下は十歳、上は成人もいた。この時、翠も成人を迎えていた。「翠、玄関のサッシに砂が沢山残っているよ。箒ではいておいで」「やったはずなんだけどなぁ……」 翠の肌はすっかり綺麗になり、身長も驚く程伸びた。染髪した金色の髪が揺れるのを後ろから見た澄子は、翠が年相応の生活をしている事に安堵していた。 寺の清掃が終わり次第、翠は提携先の就職先へと働きに行く。 子供たちもその姿を見ながら更生出来るのだと信じて生活を送るようになる。 成人のように刑を受けることも必要な場合もあるが、刑罰を与えたからと言って全員が反省後悔をする訳では無い。 翠も今は不便もあるだろうが、それは過去の罪は消せはしないのだから……。 澄子はいつも、その当時の事ばかりを思い出していた。 本堂に入ると、何気なく経を上げ始めた。(どうか……何事もなく、天寿を真っ当出来れば……) そう思い思わず木魚を叩く手に力が入る。 その時だった。 澄子の脳裏に見知らぬ土地の風景が突然押し込まれるように視えた。 轟々と燃え盛る炎に細い道。その地面に散らばる剣と釘の山。 息を吸えば喉が焼ける。至る所から人の叫びが聞こえるが姿は見えない。後にも先にもこの足の踏み場もない道の上を先に行かなければならない。 その先に何者かの背が見えた。 澄子は手で火の粉を払いながら先へ進もうとするが、とてもじゃないが横からも容赦なく噴き出す炎に目を細める。 前を行くその者も恐る恐る歩いて、皮膚を焦がしながらフラフラと立っていた。
「……彼女か」「うん。初代管理人……」「おい、これ」 京が頭蓋を見るよう二人を呼ぶ。 彼女の頭には外傷を受けたと思われる大きな凹みがあり、頭骨が割れていた。「酷い……」「……」「京 ? 」 京はその骸をもう一度見た時、絶句してしまった。「白骨化してるし臭いもねぇ。けど、火葬されてねぇよな ? 」 涼も目を丸くして柩の中を覗く。「う、うん。髪が残ってるもんね」「しかし、魔法の棺桶って訳じゃないだろう ? 直後からここは腐敗臭に侵されたはずだねぇ」「普通の神経じゃねぇ。一度壁に埋めて隠し通す奴はいるが、この蝋燭を見る限りじゃ丁寧に取り扱ってるようだしな」「……。翡翠なら……やるかもね」 ミイラ化したその頭のそばに、小さなメモ帳が置いてあった。「これ、何か書いてあるんじゃないのかい ? 」「見せて」 涼がそっと手を伸ばし中を開いた。「日記だ……。「十一月二十二日、今日は久々に実家へ帰る。甥と姪も正月休みを前倒ししてくれて、二年ぶりに会えることに期待を……」。甥って……」「翡翠だよな ? 」「続けるね」 涼は再び初代管理人の日記へ視線を落とした。 □□□ 十一月二十二日。 澄子はその日、都会の喧騒の中に再び向かっていた。久々に実家へ帰るのだ。 天音 澄子──翡翠の伯母でこの時五十代後半だった。自身の育児を終え、夫と死別した事を境に、仏門へと歩みだした。 師となった寺の住職は厳しい人ではあったが、中年女性である澄子の意思が強いことを見ると、ある条件を提示し澄子
プライドが翡翠を連れ出した頃── 看守ドールの消えたドアの前で、涼と京、フェンランはおかしな現象を目の当たりにしていた。「……鍵が……」 囚人塔から執務室のある塔へ向かう渡り廊下の扉。厳重に鍵のかかった三枚の扉全ての鍵が開いていた。「これは……。 あの看守達には不手際という物がない。 つまり、『城』が望んで開けたのか……」「正確に言うと、涼に来て欲しいってところだな。 お前、なんともないのか ? 」 京がそばにいる涼を見ると、手にいていた布を下ろしドールアイをペタペタと触っていた。「紫の……止まった……」 ドールアイから染みていた藤紫のドロリとした液体。今は出ていなかった。 しかし涼の眼は恐ろしいほど深い紫に変色していた。「……大丈夫。行こう。 プライドの奴、思ったよりまずい時間稼ぎしてる」「まずい ? 」「囚人達に初代管理人の事も全部バラす気でいる」「……プライドに言ったのは間違いだったか……」 フェンランが眉間を抑えるが、涼はなんでもない顔で首を振る。「大丈夫。もう止まらない。『城』が動き始めてる」『城』が動く──それが何を意味するのか、恐ろしくて京もフェンランも聞き返すことが出来なかった。 涼は執務室の前まで来ると、ドアノブに手をかける。 キィ…… 執務室も同じく。 鍵はかかっていなかった。「翡翠がこっちの塔にいるうちは鍵かけて出るのにな」「『核』が開けてくれたんだろうね。そこまでして俺に何か見せたいみたい」「見たら余計呪いが進みんじゃねぇの ? 」「見ずに進むなら、見ておきたいもん」 スンっと返事を返す涼に京は少し呆れた顔で一緒に執務室へ入った。 紙の匂いと古い木材の匂い。決して新しくない部屋の持つ独特なカビ臭さ。「懐かしい……わたしはここへは『城』に来た時以来、来てないんだ」
「さぁ、始めようか」 プライドは夜間、涼たちが房から抜け出したのを最上階から見下ろしながら手摺から離れる。 房に戻りソファへ沈むと、使いに行かせた部下を待つ。 プライドのそばには涼の服を着たルストが壁を向くように疼くまっていた。頭を隠すようにプライドの足元に、ロープで縛られて。 そのうち、あの革靴の音が響き出す。 妙に取り乱したように早足で歩くその男は、プライドの房の前で止まった。「プライド……何をしている」「何って……見た通りさ。 管理人。君は涼を特別視してるらしいね。この通り、涼は俺の手中に落ちた」「監禁が、か ? 」 今、足元にいるのはルストだ。涼ではない。 だが翡翠にその後ろ姿の判別は出来なかった。「……その割に焦ってる」「なんだ ? どういうことだ。涼を解放してもらおうか」「……いいよ」 プライドは足元にいるルストをトントンと叩く。翡翠は起き上がったルストの姿にすぐプライドが自分を騙したと気づいたが、それほど事の重大さを感じていなかった。 バンッ !!「 ! 」 他の手下がプライドの房に翡翠を閉じ込めた。 警棒を掴みかかる手をプライドが捻りあげた。「ああ、本当だこの感触。管理人、貴方もやはり人形だ」 ルストが巻かれていたロープを解き、翡翠を縛り上げていく。「少し話したいなって思ったんだけどさ。都合の悪い話になったら貴方は恐らく逃げる。 だからこんな方法をとったんだけど……やっぱり、涼は特別なんだね」「特定の囚人を特定視はしない」「貴方はしてたでしょう ? 京の話じゃ、逆に彼の方が貴方に警告していたと聞いたけど」「なるほど。さてはサタンの火事はお前が首謀者か ? その地位を手に入れるために」「まさか
涼とプライドが向かい合う。 改めて見るとプライドは恐ろしいほど整った顔立ちの男だ。人形のような……という例えがあるが、まさにこういう男を言うのだろうと涼はプライドを見据える。 どんなに綺麗な外見でもプライドは、過去に裏社会のショービジネスで常人では考えつかないほど人命を奪っている。「不思議……。貴方みたいな人をサイコパスって言うのかな。外見や所作が完璧すぎて、余計に邪悪さを感じる。 しかも、全く過去のことなんて微塵も気にしてないんだね」「ん〜。最初からそんな場所で育てられたからね」「……俺に何か視て欲しいの ? 」「はは。そんな正面から来られると俺が可哀想な奴みたいじゃない。まぁ、でもそうだね……」「前に言ってた恋人の話 ? 」 プライドは視線を逸らしたまま少し言い淀む。「根本はそうなんだけどさ。俺みたいな人間は会いたいとか後悔とか、そんな事じゃないんだよ。 そうだな……人ってさ、運命って決まってると思う ? 」「思わない。悲惨な過去や生まれつきお金持ちかどうか、最初から決まってたらおかしいよ」「でも、事実……人間に優劣はあるよね。 涼、君は俺とは話なんかしてくれないと思ってたけど、違ったね」 涼は紫色の眼を細めるとプライドを鼻で笑ってしまった。「ブレードの事 ? 俺が逆恨みするかって話なら、してるよ。 それに、俺の『癒し』にも最初からサタンも茶々を入れてきたよね」「それについては、今どう思ってるのか聞きたいな。 俺の恋人もね、間違った道を全力で走り抜いて行く人だってけど、その最後の犠牲者が俺ってわけ。これってさ、俺が悪だとしたら、彼は英雄になったじゃんって思ったりしてね」「微塵も思ってないこと話すの楽しい ? 言っておくけど、俺はそういうバイトはしてたけど、自分の意思じゃないしあんたと違うから」
食事は朝晩二回。 体感時間で皆、なんとなく食堂へ向かうだけだ。 涼と京は二人向かい合って座る。 食べるものは選べない。 食堂にいるシェフ姿の人形が勝手に囚人のトレイに皿を置く。乱雑で、無言。目も合わない。 実に作業的な流れだ。 しかし、その皿に乗った食事に涼は言葉を失っていた。「食べねぇの ? 」 京が固まったままの涼を不思議そうに見た。「いや……監獄的なイメージがあったから……もっと自由度の少ない飯が出てく
朝。 涼が目を覚ますと、京は隣のベッドにいなかった。 体を起こしてベッドの端に座り、涼は記憶を遡る。 人形の自分の細い膝の上で組んだ手の指先に、傷が付いていた。 昨晩、京の口の中のドールアイに触れようと……その瞬間に牙を向けられた。 一度翡翠に相談してしまいたい。 全て話してしまいたいと願う。 しかしそれは自分の終わりを意味するような気がして出来なかった。何より、囚人二日目にして管理人に泣きつくことは許されないだろう。 一度立ち上がるが、何をしていいか
「食事が終わったら自由時間。と言っても昼のような作業は禁止。一階のパーツ屋も閉まってるし、畑も駄目。各自なるべく自分の部屋にいるかシャワー浴びるかだな」 房に戻った涼は京から流れを聞いていた。「その後、翡翠が就寝の合図に来る。看守役の人形が房の鍵を締めて就寝だ」「看守役の人形って ? 囚人じゃないのか ? 」「ああ。初代管理人が死んだ時、同じく看守達も姿を消したんだ。だから今は『核』が看守役の人形を創ったってわけ人形ってよりロボットに近いな」「確かにこの房の鍵を翡翠さんだけでしめるなんて無茶だもんな……」
執務室へ来るまでの囚人たちの視線に堪えた。涼はドアが閉まると大きく息をはいた。「大丈夫か ? 」「……はい。まだ、自分の……なんて言うか、無害さを分かって貰えないんだと思います。それに一日に癒せる人数もままならなくて」「成程。しかし貴重なものほど供給は薄いものだ。期待を持たせる程度で、人々は感謝し、抑制が効くと思うが ? 」「そんなものですかね ? あと、俺の眼。癒しの力を使うごとに濃くなってるんです」「力を使うごとに ? ……見せてご覧」 白い手袋がスっと涼の前髪を