LOGIN十三歳の京は母親が旅先で買ってきたうさぎの家族ぬいぐるみを足で壁際に押し付けていた。
ぎゅむぎゅむと耳を揺らしながら、お父さんうさぎはくの字に曲がる。「クロ ! 」
今度はそれを飼い犬に放り投げる。床にバウンドしたお父さんうさぎは、プラスチックの眼鏡をカツンと音を立てて犬の前に転がる。
「京、散歩の時間でしょ ? 」
「分かってるよ」
「あたしこれからエステ行ってくるから。パパがすぐ帰ってくるからね」
呆れるほど派手な外見の母。この頃は親族からの不評に対し、反発するように日に日に家を空けるようになっていた。
「うん。すぐ行く」
外はどんよりとした曇り空。
仕方なくハーネスを持った京はクロと共に家を出た。「あーあ。やっぱり降ってきちゃった」
クロの勢いに負けそうになりながらの散歩。傘を持とうとしたのを早々に諦めたせいで、結局ずぶ濡れになってしまった。それでも嬉しそうに走るクロの姿で、全てを許せた。
フェンランは騒ぎが一段落した時点で、冥花畑へ立ち寄っていた。 馨しい甘い香りに、現世では見たこともない優美な花。 いつの日か、ここはフェンランにとって心洗われる自給自足の田舎暮しのような気分になれる場所だった。山々が見渡せる訳でもなく、ひょっこり現れる野うさぎもいない。それでも囚人塔に寿司詰めになるよりリラックス出来る空間。「やれやれ……」 火種を絶やさない煙管の煙を一口吸う。 それを吐き出そうとした時、思わずむせてしまいそうになった。「涼……っ ! 」 花園の端にボンヤリと立っている涼を見付けた。「あんた、あれから大丈夫だったのかい ? 修理は済んだんだね ? あぁ……安心したよ……」「心配ありがとうフェンラン」 もう、涼は笑わなかった。 いつもなら弱々しく、自分に対して人懐こい笑みを向けるというのに、今は素振りどころか表情が深く暗く、どこか見えない場所へ行ってしまったように鋭い瞳をしていた。「ねぇ、お願いがあるんだ」「……なんだい ? 」「パーツを交換したいんだけどさ、少し痛みがあるじゃん。麻酔が欲しいんだよね」「……。あいにく、冥花はタダじゃない。金はルストの奴にばら撒かれちまっただろ ? 金がないなら他の価値のある物と交換になる。 それと。あんた……見た所交換するパーツが見当たらないけれどねぇ ? 」 涼は無言で藤紫色に変色したドールアイをポケットから取り出した。「大きいパーツとは限らないじゃん。 ねぇ、これはもう使わない不用品なんだ。誰のドールアイか教えてあげようか ? その情報と冥花の取引じゃダメ ? 」「断ったら ? 」「ダメならいいや。持ってる奴から奪った方が俺に損がないし」 引き返そうとする涼を結局、フ
翡翠の執務室の前──廊下で待たされていた涼は誰もいないことを確認するとようやく口の中からブレードのドールアイを吐き出した。『俺の眼で……視るんだ……』 ブレードの言うことが頭から離れない。 自分と同じ変色の仕方。この紫に変わってしまうにはやはり理由があるのだと確信する。 そっと右眼に触れたドールアイは特に個人的な特質が無ければ両眼同じサイズで生成される。涼は感情が視れる左眼だけは失う訳にはいかない。嵌めるには右眼を使うべきかと考えるが、問題は痛覚だ。体の修理は二度目だ。人間の体とほぼ同等の痛覚。 だが、『核』に修理された時も、一階のパーツショップで腕や足を購入している者を見た時に知った。 新しいパーツを着用してしまえば、痛みは消える。人間なら傷口が塞がるまで痛みが継続するが、人形に体の痛覚は故障時だけだ。 ──この右眼を外して、ブレードの瞳を入れる── そんな事を考えていると、螺旋階段からあの革靴の音が向かってくる。 口に入れて京のように器用に話出来る自信はない。今度こそ涼はブレードのドールアイをポケットへ入れた。「涼、待たせたね」「いえ……」『核』の部屋から上がって来た翡翠は紅潮した顔色で、蜂蜜色の髪は乱れ、いつもより肩を落とすように歩いてきた。手には何かボールのような丸い荷物を布に巻いて提げていた。「どうぞ」 翡翠が執務室のドアを開ける。「失礼します。 騒ぎを起こしてしまって……すみませんでした……」 涼の謝罪に翡翠は荷物を足元へ下ろすと、考え込んだように椅子へ沈んだ。「君からの謝罪は見当違いだ。騒ぎを嗾けた者たちがいたとは聞いている」「……。翡翠さんは俺の『癒し』の能力を喜んでくれていましたよね ? でも、皆は違うみたい。少なくとも今日騒いだ人達と……京も
「ブ、ブレード !! 」涼は最後の力を振り絞りどうにか芋虫のように倒れ込み、燃え上がるブレードに近付いた。「燃えちゃう ! 燃えちゃうよ ! 」「……手は……残ってるか ? 」「 ??? 」半泣きの状態で残っている左腕を差し出す。「これを……」ブレードは眼帯を取ると、そこに隠していた物を涼に握らせた。「これは…… !! 」それはブレードの失ったはずの左眼だった。京からは「ブレードは自らその眼を抉り出したという噂がある」とは聞いていた。しかし、その理由は不明で、噂が本当かも怪しいものだった。涼はそのドールアイを見つめる。ブレードが自ら抉り出した眼は、涼の左眼と同じ、大時計の藤紫色に変色していた。「どういうこと…… ? 色が…… ? なんで色が変わるの…… !? 」パニックになった涼に、ブレードが弱々しく答える。「涼……お前はこの監獄で砲台に火を付けた……が、監獄に砲台があるのはおかしい事だ……」「だから何なの ? ……俺は……間違ってるの…… !? ブレード ! 教えてよ ! 」「……翡翠も『核』も…………罪深い……。俺の眼で、…………視るんだ……」「分からない ! 分からないよ ! 」ブレードにもう意識は無かった。真っ黒焦げになっていく二体の人形。その時ようやく最上階から冷たい足音が響く。
「『核』に脱獄を願った…… ? 」 信じられないという京の空気にプライドは小さく笑った。「ここがもし、何ヶ所もあるとしたら移送は可能か、NO。ここから出所したドールはいるのか、NO。 つまり、『城』はここにしかないし、一度入ったら出れない。だから「脱獄したい」って言ったんだ」「『核』の答えは ? 」 プライドは木箱を房から引き出すと、それに座る。「それが不思議だったんだよねぇ。脱獄の道具とか看守を買収とか色々探ったけど、最終的に返ってきた答えがね。『城の解放をする事』って言われた。 どう思う ? 」 フェンランは煙管を唇から離すとプライドに向かって首を振った。「情報共有する気は無い。それを聴けただけで十分だ」「そう ? そっちも何か聞かせてよ。サタンの最後とか…… ? 色々聞いてから殺したんじゃないのか ? せっかく『核』と話せる男だったんだ。何か聞いたろ ? 」 情報交換をしたいプライドと情報を出したくないフェンランとで別れる。 京はと言うと、下の様子が気になって仕方がなかった。 フェンランはその後ろ姿に煙を吐きながら、プライドに向き直る。「それが本当だとしても、わたしらには心当たりもないね。情報ってのはお互いを信用して初めて体をなす。お前をわたしはまだ心配してない」 プライドは小さく肩を竦めてクスクスと笑った。「そりゃあそうか。 まぁ、何か聞きたくなればおいでよ」「……ふん。 京、戻るぞ。下の混乱を収めなければ」「……」 □□□ ブレードが受け止めるラスの肘。重く伸し掛り、汗で滑るのに耐え力任せに振り切る。 ラスも膠着は避ける。義足のスタンガンの改造を見る限り、もしかしたら義手にもあるかもしれない。不用意にブレードの内に入り込むのは危険だ。 骨を振り上げ、再びブレードに打ち付ける。体で
「見たか !? ここにいる者たち全員 ! 武器だ ! 俺達には持ち込みを許されていない、武器がある ! 涼と同じだ ! あいつも『城』の癌細胞 !! 『核』の判断間違いか、騙してここへ持ち込んだやつだ ! 許されるか、そんな事 ! 」『た、確かに銃やミサイルなんて、頼んでも持ち込めないもんな』 『でもペコラのナイフは ? 今は涼が持ってるけど、あれも武器だろ ? 』 『そんな事したら、陳さんの包丁もカウントされんだろうが』 『よく分からんが、ありゃ駄目だろ』「お前も悪だな。何が軍人だ。戦争で手足を失って尚、そこにまた武器を仕込んでいる。 悪魔より恐ろしい者だ」 ブレードは吐き捨てるように言うラスに顔色一つ変えずにいた。「そうだ。戦争は人を変える。人が人ではなくなる。 だが自衛の為の機能だけだ。この義手から銃が出たり義足がミサイルになる事はない」「同じことだ。自衛の為の『武器』なのだから」 群衆から同意の声援が上がる。 涼は攻撃を受けても全く自分の側から離れようとしないブレードを見守ることしか出来なかった。 □□「フェンラン。その簪を外すな」「何だ急に」 京は階段を上りながら背後を着ついてくるフェンランが着物を脱ぐのを止めるのだった。「プライドは……涼を危険分子として見てやがった。 だが、お前もそうだったよな ? 」 フェンランは釈然としないまま、肯定した。「『癒し』といいもの以外も、カウンセリングや霊視、祈祷師、そういうものはここで上手くいった試しがないからな」「ああ。プライドはそれを見て、破壊を選んだ。 お前は ? どうして涼を傍観に回った ? 」「ふん。傍観……か。 わたしの役割は女達が安全に『城』のシステムで生活する基盤が欲しい。その為には争いや宗教などは必要ないのだ。 それに……涼には悪意がない。あまりにも純粋で、言うに言えん。いつかは辛い思いをするだろうと思っては
「涼の解放 ? 」 ラスは苦笑いを浮かべると、ブレードの前まで出向いてきた。「では、わたしが勝者になったら ? 」「涼を好きにしろ。『癒し』を今後、させない、それでいいだろう」「ふむ……。本当に『癒し』とやらをしないならそれでいいが、隠れてやったりしたらやっぱり私刑だな」「約束は約束。ここにいる者たちが証言者となる」 ブレードが有刺鉄線の柵を越える。『マジか ! ラスとブレードがファイトすんのか ? 』『ブレードって軍人だろ ? ラスに勝ち目はあんのか ? 』『でも涼は壊さねぇと ! 『城』がやべぇんだろ ? 』「涼……」 ブレードはフィールドに伸びている涼の顔を覗き込んだ。「砲台に火をつけたな。……その結果がこれだ」「分からない……分からないよ……」 両足、片腕を捥がれた姿のまま、そこへ最後の紙幣が降り注ぎ頬に張り付いた。「俺はどうすれば良かったの ? 『核』に許可はとったのに、なんで責められるか分からない……俺の何がダメだったの ? 」「……」 ブレードは答えなかった。 軍服の上着を脱ぎ捨てるとその筋肉質な体で、ドールの大腿骨を持つラスの前へ立ちはだかった。 □□ フェンランは京を見つけると、人混みから引っ張りあげる。「京 ! 来い ! 」「涼が ! ブレードが隙を作った。最上階にいる新プライドが扇動してやがる ! 」「いつかこうなるとは思っていたが……相手が悪そうだな。共に行こう。 あんた達、翡翠の旦那を呼んできな。これは普通のファイトじゃない。『城』全体の内戦だ。一刻を争うよ」「分かりました」 数人の女囚が纏まって執務室のある階へかけて
執務室へ来るまでの囚人たちの視線に堪えた。涼はドアが閉まると大きく息をはいた。「大丈夫か ? 」「……はい。まだ、自分の……なんて言うか、無害さを分かって貰えないんだと思います。それに一日に癒せる人数もままならなくて」「成程。しかし貴重なものほど供給は薄いものだ。期待を持たせる程度で、人々は感謝し、抑制が効くと思うが ? 」「そんなものですかね ? あと、俺の眼。癒しの力を使うごとに濃くなってるんです」「力を使うごとに ? ……見せてご覧」 白い手袋がスっと涼の前髪を
朝。 涼が目を覚ますと、京は隣のベッドにいなかった。 体を起こしてベッドの端に座り、涼は記憶を遡る。 人形の自分の細い膝の上で組んだ手の指先に、傷が付いていた。 昨晩、京の口の中のドールアイに触れようと……その瞬間に牙を向けられた。 一度翡翠に相談してしまいたい。 全て話してしまいたいと願う。 しかしそれは自分の終わりを意味するような気がして出来なかった。何より、囚人二日目にして管理人に泣きつくことは許されないだろう。 一度立ち上がるが、何をしていいか
「食事が終わったら自由時間。と言っても昼のような作業は禁止。一階のパーツ屋も閉まってるし、畑も駄目。各自なるべく自分の部屋にいるかシャワー浴びるかだな」 房に戻った涼は京から流れを聞いていた。「その後、翡翠が就寝の合図に来る。看守役の人形が房の鍵を締めて就寝だ」「看守役の人形って ? 囚人じゃないのか ? 」「ああ。初代管理人が死んだ時、同じく看守達も姿を消したんだ。だから今は『核』が看守役の人形を創ったってわけ人形ってよりロボットに近いな」「確かにこの房の鍵を翡翠さんだけでしめるなんて無茶だもんな……」
食事は朝晩二回。 体感時間で皆、なんとなく食堂へ向かうだけだ。 涼と京は二人向かい合って座る。 食べるものは選べない。 食堂にいるシェフ姿の人形が勝手に囚人のトレイに皿を置く。乱雑で、無言。目も合わない。 実に作業的な流れだ。 しかし、その皿に乗った食事に涼は言葉を失っていた。「食べねぇの ? 」 京が固まったままの涼を不思議そうに見た。「いや……監獄的なイメージがあったから……もっと自由度の少ない飯が出てく