LOGINその日の放課後。
吹奏楽部が終わっても、私は教室へ向かわなかった。 楽器を片付けながら、窓の外を見る。 夕焼けが校舎を赤く染めている。 ――今頃、いるのかな。 いつもの窓際で。 一人。 そう思った瞬間、自分でその考えを振り払うようにケースの蓋を閉じた。 もう気にしない。 そう決めたはずなのに。 帰り道。 無意識に校舎の窓を探している自分がいた。 それから数日。 放課後、教室へ行くことはなくなった。 彼と話すことも、ほとんどない。 きっと。 あの時間は湊くんにとって、一人になれる大切な時間だったんだ。 私は。 それを邪魔していたんだ。 そう思うと、申し訳なかった。 数日後。 また忘れ物をしたことに気づく。 「……今日はついてないな」 小さく呟いて、重たい足取りで教室へ向かった。 扉の前で立ち止まる。 深呼吸を一つ。 ゆっくり扉を開ける。 そこには。 やっぱり湊くんがいた。 一瞬だけ驚いたように目を見開く。 でも、それもほんの一瞬。 すぐにいつもの表情へ戻り、静かに窓の外へ視線を向けた。 私も何事もなかったように自分の席へ向かう。 教室は静かだった。 黒板に残ったチョークの文字。 半分だけ閉まったカーテン。 夕日に長く伸びる机の影。 何も変わっていない。 変わったのは。 二人の間の空気だけだった。 鞄を開いてプリントを探す。 その間も。 背中の向こうに、彼の気配を感じていた。 ……気まずい。 前なら。 どうでもいい話を一つくらいしていたのに。 何を話せばいいのか分からない。 沈黙に耐えきれなくなって、自分から口を開く。 「……まだ帰ってなかったんだ」 言った瞬間。 変なこと聞いたかもしれない、と思う。 湊くんは少しだけ間を空けて。 「まぁ」 とだけ返した。 それで終わり。 やっぱり。 もう前みたいには戻れない。 そう思ってプリントを鞄へしまった、その時だった。 「……最近、来なかったじゃん」 ぽつり。 独り言みたいな声が落ちる。 おもわず手が止まった。 ゆっくり振り返る。 湊くんは窓の外を見たままだった。 「……迷惑って言ってたから」 思っていたより小さな声だった。 湊くんの肩が、わずかに揺れる。 数秒の沈黙。 そして。 「……あれ、別に柚に言ったわけじゃない」 「……え?」 初めて彼がこちらを見る。 少し困ったような。 少し焦ったような表情だった。誰もいなくなった教室。 俺は窓際の席に座ったまま動かなかった。 夕日はもう落ちている。 薄暗い教室で。 机に額を押しつけ、小さく息を吐く。 「……最悪」 ぽつり、と漏れる。 分かってた。 こうなるのが嫌だった。 人と近づけば。 勝手に期待して。 勝手に大事になって。 最後には離れる。 だから。 最初から距離を取っていた。 ……なのに。 放課後。 教室の扉が開く音を待つようになった。 吹奏楽部終わりの、 「つかれた〜」 その声を聞くと安心して。 どうでもいい話をする時間が。 一日の中で、一番落ち着く時間になっていた。 ――私は、今の湊くん結構好きだけどな。 その言葉が。 頭から離れない。 たぶん。 柚は深い意味で言ったわけじゃない。 でも。 少しだけ期待した。 期待してしまった。 それが。 怖かった。 静かに目を閉じる。 もし。 このまま本当に好きになったら。 きっとまた。 失うのが怖くなって。 自分から壊してしまう。 ___ 次の日。 私と大智くんたちは、結局学校で湊くんに声をかけることができなかった。 誰も近づくな。 そう言っているみたいな空気をまとっていて、いつものグループでさえ、どう接すればいいのか分からなかった。 放課後。 部室を出ても、足はすぐに教室へ向かなかった。 昨日のことが頭から離れない。 「もう帰ってくんないかな」 そう言った湊くんの苦しそうな顔。 もし今日も拒絶されたら。 そんなことばかり考えているうちに、気づけば教室の前まで来ていた。 一度深呼吸をして、ゆっくりと扉を開ける。 ガラッ。 静かな教室。 夕日が差し込む窓際を見ても、そこにいるはずの姿はなかった。 「……いない」 思わず小さく呟く。 私は自分の席に座り、湊くんがいつも眺めている窓の外へ目を向けた。 毎日ここから何を見ていたんだろう。 そんなことを考えていると。 「……来たんだ」 後ろから聞き慣れた声がした。 振り返ると、教室の後ろ扉の前に湊くんが立っていた。 片手には缶コーヒー。 もう片方の手は制服のポケットに入っている。 そ
部活終わり。 忘れ物を思い出して、教室へ戻った。 夕方の校舎は静かだった。 吹奏楽部の音だけが遠くから聞こえてきて、廊下に差し込む西日が床を長く照らしている。 教室の扉を開ける。 そこには、湊くんがいた。 窓際の席。 頬杖をつきながら、ぼんやり外を眺めている。 扉の音に気づくと、湊くんはゆっくり振り向いた。 「おつかれ」 それだけ言って、また窓の外へ視線を戻す。 「……まだ帰らないの?」 と聞くと、 「うん」 短い返事。 それ以上は続かなかった。 「そっか」 それだけ返して、自分の忘れ物を手に取る。 用事は終わった。 そのまま教室を出て、静かに扉を閉める。 カチャン。 小さな音が廊下に響いた。 話すのも、こうやって忘れ物を取りに来たときだけ。 湊くんは誰にでもあんな感じだ。 静かで。 必要以上に近づかなくて。 でも、冷たいわけでもない。 だからこそ。 何を考えているのか分からなかった。 私はトートバッグを肩に掛け直し、部室へ急ぐ。 別の日、窓の外は少しずつ薄暗くなっていた。 吹奏楽部の音も止んで、校舎は昼間よりずっと広く感じる。 教室前の廊下で、足が止まる。 「……まだいるのかな」 自分でも意味の分からない独り言。 気になったって。 覗く理由なんてないのに。 小さく息を吐いて、もう一度だけ振り返った。 教室の後ろ扉。 その小窓から、湊くんの姿が見える。 さっきと何も変わらない。 頬杖をついて。 ただ窓の外を眺めている。 ……なんか。 一人なんだな。 その背中を見た瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。 でも同時に思う。 ――これ以上踏み込んじゃだめな気がする。 誰かの寂しさって。 勝手に触れていいものじゃないから。 私は踵を返す。 そのまま帰ろうとして―― 「あ」 バッグの中を探っていた手が止まった。 「……最悪」 ノートがない。 教室に置いたままだった。 小さく肩を落として、もう一度扉を開ける。 ガラッ。 その音に、湊くんが振り向いた。 「……どしたの」 「ノート忘れた」 「あー」 また静かな空気が流れる。 自分の席へ向かいながら、なんとなく口を開いた。 「湊くんってさ」 「ん?」 「いつも何見てるの?」 湊くんは少しだけ目を細める。
次の日。 朝から教室はいつもより騒がしかった。 私が席へ向かう途中、大智が手を振る。 「なぁ、昨日さ!」 その声に振り向くと、大智の周りには湊くん含むいつもの男子四人も集まっていた。 「昨日二人で教室おったやろ?」 「最近仲良いよな!」 「何話してたん?」 一気に質問が飛んでくる。 「え、いや……」 どう答えようか迷っていると。 後ろから静かな声がした。 「……そういうの、ほんと迷惑だから」 湊くんの声で、教室の空気が一瞬で止まる。 「……え?」 大智も。 周りにいた男子たちも。 私も。 誰もすぐには言葉を返せなかった。 迷惑。 その一言だけが、妙に耳に残る。 湊くんは誰とも目を合わせないまま、机の上のペンを手に取る。 「別にそんなんじゃないし」 いつもと変わらない声。 静かな声。 だからこそ、余計に胸へ刺さった。 「いや、俺ら茶化すつもりじゃなくてさ……」 大智が気まずそうに笑う。 湊くんは小さく息を吐いた。 「……そういう風に言われるの嫌なんだよ」 それだけ言うと、また視線を落とす。 誰も何も言えなかった。 私は思わず目を伏せる。 別に。 付き合ってるとか。 そんな風に言われたかったわけじゃない。 でも。 “迷惑” その言葉だけが、何度も頭の中で繰り返される。 昨日。 「じゃあまた明日ね」 そう言った時。 少しだけ嬉しそうに笑った気がした。 あれは。 気のせいだったのかな。 「……ごめん、私戻るね」 なんとかそれだけ言って、その場を離れる。 誰も引き止めなかった。 廊下へ出る。 扉が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。 泣くほどじゃない。 傷ついたわけでもない。 ……たぶん。 ただ。 “自分だけが、あの放課後を特別だと思ってたのかな” そう考えたら。 急に恥ずかしくなった。
その日の放課後。 吹奏楽部が終わっても、私は教室へ向かわなかった。 楽器を片付けながら、窓の外を見る。 夕焼けが校舎を赤く染めている。 ――今頃、いるのかな。 いつもの窓際で。 一人。 そう思った瞬間、自分でその考えを振り払うようにケースの蓋を閉じた。 もう気にしない。 そう決めたはずなのに。 帰り道。 無意識に校舎の窓を探している自分がいた。 それから数日。 放課後、教室へ行くことはなくなった。 彼と話すことも、ほとんどない。 きっと。 あの時間は湊くんにとって、一人になれる大切な時間だったんだ。 私は。 それを邪魔していたんだ。 そう思うと、申し訳なかった。 数日後。 また忘れ物をしたことに気づく。 「……今日はついてないな」 小さく呟いて、重たい足取りで教室へ向かった。 扉の前で立ち止まる。 深呼吸を一つ。 ゆっくり扉を開ける。 そこには。 やっぱり湊くんがいた。 一瞬だけ驚いたように目を見開く。 でも、それもほんの一瞬。 すぐにいつもの表情へ戻り、静かに窓の外へ視線を向けた。 私も何事もなかったように自分の席へ向かう。 教室は静かだった。 黒板に残ったチョークの文字。 半分だけ閉まったカーテン。 夕日に長く伸びる机の影。 何も変わっていない。 変わったのは。 二人の間の空気だけだった。 鞄を開いてプリントを探す。 その間も。 背中の向こうに、彼の気配を感じていた。 ……気まずい。 前なら。 どうでもいい話を一つくらいしていたのに。 何を話せばいいのか分からない。 沈黙に耐えきれなくなって、自分から口を開く。 「……まだ帰ってなかったんだ」 言った瞬間。 変なこと聞いたかもしれない、と思う。 湊くんは少しだけ間を空けて。 「まぁ」 とだけ返した。 それで終わり。 やっぱり。 もう前みたいには戻れない。 そう思ってプリントを鞄へしまった、その時だった。 「……最近、来なかったじゃん」 ぽつり。 独り言みたいな声が落ちる。 おもわず手が止まった。 ゆっくり振り返る。 湊くんは窓の外を見たままだった。 「……迷惑
「大智たちに言っただけ」 「でも……私といるの嫌だったんじゃ」 「違う」 思ったより早い返事だった。 湊くんは少しだけ視線を逸らす。 「……ああいう風に言われると」 ぽつり。 ぽつり。 言葉を探すように続ける。 「また変に距離できそうで嫌だっただけ」 夕日に染まる教室。 その言葉だけが、静かに残った。 私は何も言えなかった。 その言い方がまるで。 “今の関係を壊したくなかった” そう聞こえてしまったから。「……じゃあ」 少しだけ笑って、湊くんを見る。 「また...放課後、ここ来てもいい?」 湊くんは一瞬だけ目を丸くした。 それから視線を逸らして、小さく肩をすくめる。 「……来たければどうぞ」 相変わらず、ぶっきらぼうだ。 でも。 その声はどこか少しだけ柔らかかった。 「じゃあ来るね」 「好きにすれば」 素っ気ない返事。 なのに、不思議と嬉しかった。それから。 放課後になると、自然と教室へ向かうようになった。 「今日さ、顧問めっちゃ機嫌悪くてさ〜」 楽器ケースを机の横へ置きながら、ぐったりと机に突っ伏す。 湊くんは頬杖をついたまま、 「へぇ」 と、気のない返事をした。 「“へぇ”じゃないって。低音パート全員巻き添えで怒られたんだから」 「どんまい」 「絶対思ってない」 「思ってる思ってる」 そんな適当なやり取りが。 いつの間にか、当たり前になっていた。 放課後。 夕方。 誰もいない教室。 吹奏楽部終わりの私と。 何故か帰らない湊くん。 最初は気まずかった沈黙も。 今では、その静けさごと落ち着く時間になっていた。 私は窓際の前の席。 湊くんはその後ろ。 会話が途切れても気にならない。 スマホを触るわけでもなく。 何かをするわけでもなく。 ただ、同じ空間にいる。 それだけで、不思議と心が落ち着いた。 ある日。 「……ねぇ」 机に突っ伏したまま、声をかける。 「んー」 気のない返事。 でもちゃんと返事は返ってくる。 「湊くんってさ」 「ん?」 「なんでそんな人と距離あるの?」 シャーペンを動かしていた手が止まる。 聞きすぎたかな。 そう思った頃。 「……嫌われんの、めんどいから」 ぽつ
「……え?」 思ってもみなかった言葉だった。 私が固まっていると。 湊くんが吹き出す。 「なに」 「いや」 肩を揺らしながら笑う。 「なんか、小動物みたいだなぁって」 「えぇ?」 思わず頬を膨らませる。 その反応を見て、湊くんはまた笑った。 教室に笑い声が響く。 こんな風に笑う人だったんだ。 最初に見た時は。 誰も近づけない人だと思っていたのに。 窓の外は、もう薄暗くなっていた。 グラウンドのライトだけがぼんやり光っている。 教室の中には、夕方と夜の境目みたいな静けさが落ちていた。 湊くんは椅子を後ろ向きにして座り、頬杖をつく。 「小動物って褒めてる?」 「一応」 「雑だなぁ」 「でも」 湊くんは少しだけ笑う。 「警戒してるくせに近寄ってくる感じ」 「……それ私?」 「うん」 また笑う。 湊くんがこんな風に笑うようになったの。 いつからだろう。 最初は。 会話を続けるだけでも難しかったのに。 今では。 「今日寒くない?」 とか。 「そのジュースまた飲んでんの」 とか。 そんな、どうでもいい話ばかりしている。 私は机に頬を乗せたまま、湊くんを見つめる。 たぶんこの人。 ちゃんと笑うんだ。 ちゃんと冗談も言うし。 ちゃんと優しい。 ただ。 それをずっと隠していただけで。 「……なに」 視線に気づいた湊くんが言う。 「いや」 私は少し笑う。 「湊くんって、思ったより普通の高校生なんだなって」 「失礼すぎるだろ」 「もっと壁って感じだった」 「なにそれ」 呆れたように笑って。 また窓の外を見る。 その横顔を見ながら。 ふと思った。 ——この時間、好きだな。 誰にも急かされない。 恋愛みたいな駆け引きもない。 無理に距離を縮めなくても。 隣にいられる。 それが心地よかった。 だからこそ。 少しだけ怖い。 もし。 これが”好き”に変わったら。 この静かな放課後は。 終わってしまう気がした。