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第四話 月下の猛禽、夏に舞う

作者: 影山御影
last update 公開日: 2026-06-26 08:56:07

龍蘭帝国の容赦ない夏の陽射しを遮るように、夜空へ無数の火が放たれる。

 後宮の夏を彩る壮大な大祭『千涼祭(せんりょうさい)』。涼を競う名目のもと、きらびやかに飾り立てられた池の上の特設舞台では、今夜も各宮の妃たちが競うように華美な衣装をまとい、優美な大陸の舞を披露していた。

​ その宴の最中、いよいよ前座として、延明宮の代表たる朱璃の名が呼ばれる。

​ 春の『桃源節』では、地味で退屈な落第姫だと嘲笑された。主である麗華(レイファ)徳妃からも、あからさまな二度目の公開処刑としてこの舞台に立たされた。誰もが「あの倭国の不器用な姫が、また無様な姿を晒すのだろう」と、冷ややかな、あるいは娯楽を期待するような視線を向けている。

​ だが、舞台に上がった朱璃の姿に、まず広間が小さくどよめいた。

​ まとい慣れた、くすんだ藍色の衣装ではない。動きやすさを重視して仕立て直させた、薄衣の装束。髪は高く結い上げられ、その手には――月光を冷たく反射する、一振りの真剣が握られていた。

 後宮の宴において、刃物の持ち込みは本来許されない。しかし、倭国の武家が「神に捧げる儀礼」として用いる、刃を潰した儀式用の神剣という名目で、朱璃はこの場に剣を持ち込む許可を強引に勝ち取っていた。

​ ――トォン、と太鼓の音が響く。

​ その瞬間、朱璃の身体が爆発的な速度で動いた。

 それは、春に踊った静かな神楽舞とは完全に一線を画すものだった。倭国の神事のステップをベースにしながらも、その身のこなしに融合されているのは、父から骨の髄まで叩き込まれた『神凪(かんなぎ)流剣舞』。

​ 抜き放たれた白刃が、夜空に冷烈な弧を描く。

 しなやかに跳躍したかと思えば、鋭い踏み込みと共に剣が風を「烈(れつ)」と引き裂き、飛び散る火花を両断するかのように激しく煌めいた。音もなく着地する足捌き、目にも留まらぬ速さで繰り出される突きと斬撃。流れるような一連の動作の裏には、一撃で人の首を刈り取れるような、圧倒的な体幹の強さと鋭い殺気が孕まれていた。

​ 美しくも、あまりに恐ろしい、命を削り合う戦場さながらの剣舞。

 刃が空気を切り裂く風切音だけが響く広間は、水を打ったように静まり返った。

​ 演舞が終わり、朱璃が剣を美しく鞘へと収め、深く一礼して舞台を降りても、しばらくの間、誰も声を出すことができなかった。

 やがて、会場の評価は真っ二つに割れる。

​「な、何ですか今の野蛮なものは……! 剣を振り回すなど、あんなものは舞ではありませんわ、まるで兵卒の演習のようではないですか!」

 頭の硬い年配の貴族や高位の妃たちは、己の理解を超えた異質で鋭利な美に、不快そうに眉をひそめて扇を握りしめた。

​ しかし、その一方で。

「……素晴らしい。なんという無駄のない剣筋だ。刃の重さに全く振り回されていない」

 列席していた前線の武官たちや、目の肥えた一部の者たちは、その圧倒的な技量に息を呑み、感嘆の声を漏らしていた。 影を歩く兵たちの目も釘付けにしている。そして玉座の近くに座る第三皇子リウ・タイランもまた、きつく結んだ唇の端をわずかに上げ、その鋭い瞳で、朱璃の剣を収める手元を焼き付けるように見つめていた。

​ 何より、最も激しく心を揺さぶられたのは、後宮の最下層で日頃から抑圧されて生きている、他のお妃付きの若い侍女たちや、身分の低い下位の妃たちだった。

(かっこいい……)

 男たちの顔色を窺い、媚びを売るためだけの舞が溢れる後宮の中で、剣を握り、凛として自立し、圧倒的な強さを見せつけた朱璃の姿。それは彼女たちの目に、暗闇に差す一筋の光のように映ったのだった。この夜を境に、後宮のあちこちで「倭国の朱璃様」を密かに慕うファン(草の根の味方)の土台が、確実に出来上がりつつあった。

​    ◇

​ 千涼祭が幕を閉じ、翌日。新入りの妃たちが皇后の前に呼び集められた。

 それぞれが祭りの働きに応じた言葉を賜る中、朱璃は

 「また皇后陛下に睨まれるか、あるいは無視されるか」

 と内心で身構えていた。

​ 皇后は、鳳凰の冠を戴く最高権力者は、老獪な微笑を浮かべて朱璃を見つめた。

「倭国の神凪の娘よ。昨夜の剣舞、実に見事でした。他の貴妃たちの華やかさとはまた違う、我が後宮に新たな風を吹き込み、背筋が伸びるような素晴らしい実力。感銘を受けましたよ」

​ 麗華徳妃らの顔を立てて彼女たちを一番に褒めつつも、朱璃の突出した実力を無視せず、正当に評価してみせたのだ。

 拝領の手続きを終え、あてがわれた離れに戻った朱璃が、渡された冊封を開くと、そこには現在の『貴人(きじん)』から一階級上の、**『嬪(ひん)』**の位へ昇格させると記されていた。

​「朱璃様、昇格おめでとうございます!」

「昨夜の剣舞、本当にかっこよくて、私、鳥肌が止まりませんでした! 剣がこう、キラーンって!」

​ 部屋に入ってくるなり、小鈴(シャオリン)と春蘭(シュンラン)が大興奮で飛びついてくる。我がことのように涙ぐんで喜ぶ二人の姿に、朱璃は調子を狂わされ、頬をわずかに赤く染めて視線を彷徨わせた。

​「……あ、ありがとう。大袈裟よ。ただ、生家の型を少し見せただけだから」

「大袈裟じゃありません! ねぇ春蘭、私たちも朱璃様みたいに凛とした強い女性になりたいですよね!」

「本当ですね。朱璃様、もしよろしければ、私たちにその……武芸というか、護身の術を教えていただけませんか?」

​ 二人のきらきらとした真っ直ぐな瞳に見つめられ、朱璃は照れくさそうに頭を掻いた。

「……わかったわよ。貴方たちがそこまで言うなら、今度、基本の足捌きだけでも教えてあげるわ」

​「やったー!」「ありがとうございます!」

 と二人が歓声をあげた、その時。

 延明宮の主殿から、麗華徳妃の使者がやってきた。

 「徳妃様がお呼びです。すぐに本宮へお越しなさい」

 と、冷たい声で告げられる。

​(……やはり、面白いわけがないわね)

 前座の分際で注目を集め、位まで上げてしまったのだ。また理不尽な嫌がらせや、きついお叱りを受けるのだろう。朱璃は内心でそう覚悟を決め、背筋を伸ばして麗華徳妃の部屋へと向かった。

​「失礼いたします」

 豪奢な部屋に入り、朱璃はいつも通り、麗華の前へと静かに跪いた。

 上座に座る麗華は、高慢な態度で長い爪を弄んでいたが、朱璃が平伏すると、わざとらしく大きな溜息を一つ吐いた。

​「……今回のそなたの振る舞い、まぁ、少しは我が延明宮の役に立ったと言ってあげてもよろしくてよ」

​「え……?」

 罵声を予想していた朱璃は、思わず小さく毒気を抜かれた声をあげた。

​「勘違いしないでちょうだい! 皇后陛下がお褒めになったから、私も合わせてあげているだけよ。……ただ、お前が我が宮の雑用係であることに変わりはないのだから、そのことをしっかり心に留めておくことね!」

​ 相変わらず突き放すようなツンとした物言い。だが、朱璃が

「失礼いたしました」

 と少しだけ頭を上げると、麗華の顔はそっぽを向いていたが、その綺麗な耳の裏が、隠しきれずに真っ赤に染まっているのが見えた。

​ 朱璃はハッとして、すぐに得心のいったような笑みを浮かべ、深く感謝の礼を伝えた。

「寛大なお言葉、恐れ入ります、徳妃様」

​ 延明宮の本宮を離れ、自分の薄暗い離れへと戻る夜の道すがら。朱璃は心の中で小さく微笑んでいた。

(あの麗華徳妃様は……我儘でお嬢様だけれど、根っからの悪い方では無いのかもしれないな)

​    ◇

​ 大きな祭りも終わり、後宮には再び、いつもの静けさが戻ってきた。

 朱璃は『嬪』に昇格してからも、驕ることなくそれまで通りに過酷な雑用を黙々とこなした。周囲からは相変わらず「侍女同然の憐れな姫」に見えているだろうが、朱璃にとっては絶好の鍛錬であり、宮の偵察だ。

​ それに加え、夜には離れの庭で、約束通り小鈴と春蘭への「教育」を施すようになった。

「違う、腰が浮いているわ。もっと重心を下に落として」

「ひゃい! 難しいです、朱璃様!」

​ 不器用ながらも必死についてくる二人の侍女。彼女たちとの絆は日ごとに深まり、朱璃は後宮の侍女たちの間で、今や絶大な信頼と憧れを集める存在になっていた。

​ そんな、ある深夜のこと。

 侍女たちが寝静まり、静まり返った離れの裏庭。朱璃は一人、動きやすい白い単衣(ひとえ)姿になり、手にした木剣を夜風の中に振るっていた。

 一太刀、二太刀。千涼祭を経て、さらに鋭さを増した神凪流の剣筋が、月光を綺麗に切り裂く。

​ ――その刹那。

​ 朱璃の首筋の毛が、総立ちになった。

 人の気配。それも、訓練された極めて密やかな、かすかな草の擦れる音。

 武人としての本能が跳ね上がる。朱璃は躊躇うことなく踏み込み、音のした闇の方向へと、猛烈な速度で木剣を突き出した。

​ ヒュン、と風を切る音が響き、木剣の先端が、闇から現れた影の喉元、皮膚が一枚触れるかという極限の距離でピタリと止まる。

​「おっと。……凄まじいな。寸止めでなければ、今ので俺の喉笛は砕けていた」

​ 闇から姿を現したのは、一人の男だった。

 仕立ての良い、上級の護衛武官のような衣服をまとった、体躯の優れた若い男。だが、後宮の近衛兵とは明らかに違う、底知れない、どこか裏の世界を歩く者のような独特の覇気を身に纏っている。

​ 男は喉元に木剣を突きつけられたままでありながら、全く怯む様子もなく、不敵な笑みを浮かべてパチ、パチ、と静かに拍手を送ってきた。

​「いやはや、驚いた。千涼祭での見事な剣舞、この目で見届けてはいたが……まさか、これほどの手練れとはな」

​ 朱璃は木剣を引かず、刃のような鋭い視線で男を睨みつけたまま、低く冷たい声で問いかける。

「何者だ。ここは妃の領域。男が夜間に立ち入れば、いかなる理由があろうと死罪のはずだが」

​ 男は朱璃の脅しを柳のように受け流し、さらに声を潜めて、月光の中で怪しく瞳を輝かせた。

​「お前さん。それほどの本物の武才を、ただの『観賞用の舞』として、この狭い鳥籠の中で腐らせておくのは、いささか勿体ないとは思わないか?」

​「……何が言いたい」

​「我が主はね、表の近衛兵には任せられぬような、後宮の『裏の汚仕事』をこなせる、腕の立つ者を探していてな。……どうだ? 昼は『嬪』として静かにこの離れで爪を研ぎ、夜は『男装の護衛』として、俺たちの主の元でその力を振るってみる気はないか?」

「なっ……」

 想定外の言葉に、朱璃は思わず息を呑み、突き出していた木剣の先をわずかに震わせた。

​ 男の口から飛び出した、思いもよらない不穏な提案に、朱璃は眉をひそめて木剣を強く握り直した。

​「馬鹿げたことを。お断りします。私はこれでも皇帝陛下にお仕えする妃の端くれ。護衛など……そんな真似、できるはずがありません」

​ 真っ直ぐに拒絶する朱璃。しかし、男は緊迫した空気を楽しむように、うーん、と大袈裟に首を傾げてみせた。

​「もったいないと思うんだけどなぁ。その腕、ここに隠しておくには本当に惜しい」

​ 男はそこで一度言葉を区切ると、喉元に突きつけられた木剣から一歩、すっと後ろに下がって両手を軽くあげた。

​「まぁ、今すぐ決めてほしいってわけじゃないからさ。急な話だったろ?」

​ 不敵な笑みを深くした男は、そのまま一瞬で気配を消すように一歩後退する。

​「また、近いうちに来るよ」

​ それだけ言い残すと、男はまるで初めからそこにいなかったかのように、音もなく夜の茂みの中へと消え去っていった。

​ 朱璃はしばらくの間、男が消えた暗闇を木剣を構えたままじっと睨みつけていたが、やがて完全に気配が遠のいたことを確認し、ようやく深く、張り詰めていた息を吐き出した。

 木剣を収め、静まり返った離れの部屋へと戻る。

​ 月明かりだけが差し込む薄暗い部屋の中で、朱璃は己の手のひらを見つめた。

 千涼祭の成功、そして『嬪』への昇格。後宮で生き残るための足がかりを得たと思った矢先に、投げかけられたあの言葉。

​「……僕が、護衛?」

​ ぽつりと、誰もいない部屋で朱璃の口から漏れたのは、国にいた頃の、そして本来の自分のままである「僕」という一人称だった。

 その言葉は、静かな夜の空気に溶けるように消えていく。

​ 後宮の闇から突然現れた、謎の男。その奇妙な誘いが、朱璃をさらなる激動の運命――『男装の二重生活』へと引きずり込もうとしていた。

影山御影

ここまで読んでくださりありがとうございます! 夏の祭りといい、朱里の周りで起こる出来事が慌ただしいですね笑 男装護衛を果たして彼女はするのでしょうか? 次回以降をお楽しみに!

| のように
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