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第五話 深まる秋、迫る影

Author: 影山御影
last update publish date: 2026-07-02 17:38:13

 夏の『千涼祭』での見事な神凪(かんなぎ)流剣舞を経て、朱璃(しゅり)は『貴人(きじん)』から一階級上の、**『嬪(ひん)』**の位へと昇格した。

 しかし、嬪に上がったからといって、独立した「自分の宮」が与えられるわけではない。龍蘭(りゅうらん)帝国の後宮制度において、嬪には九つの階級が存在するが、朱璃があてがわれたのはその一番下――いわば「九等嬪」という最も低い席だった。

​ だが、朱璃の身の回りには確かな変化が起きていた。

 主である麗華(レイファ)徳妃から、

 「そんな物置同然の最果ての離れに嬪の者を住まわせておくなど、我が延明宮(えんめいきゅう)の恥ですわ!」

 とツンとした態度で命じられ、徳妃の本宮のすぐ近くにある、手入れの行き届いた清潔な離宮へと引っ越しをすることになったのだ。

​「呼んだらすぐに来られるようにね」

という麗華の言葉通り、朱璃は変わらず雑用係として主のそば近くで仕えることになった。

​ 実際のところ、麗華徳妃が普段、朱璃にキツい態度を取りながらも、本当は彼女を大切に扱い、深く信頼していることを知っているのは、延明宮の古参の側近たちだけだった。

(本当は、皇帝陛下がお渡りになる時よりも、朱璃と話している時の方が嬉しそうなのよね……)

 側近たちは麗華のそんな可愛い秘密をそっと胸にしまいながら、朱璃の裏表のない誠実さと有能さを認め、家族のような強固な信頼関係を築いていた。

​ ――しかし、それを面白く思わない者が、同じ延明宮の中にいた。

​ 季節は移り変わり、暦でいう九月頃。都では、豊かな実りを祝う「秋の大祭」の準備が着々と始まっていた。

 後宮全体が再びバタバタと慌ただしさに包まれる中、朱璃が徳妃のそば近くに配置されたことに激しい嫉妬を燃やす者が現れた。

​ 同じ延明宮に所属する上位の妃、**金 宝蓮(ジン・ホウレン)修媛(しゅうえん)**である。

 王宮直属の巨大な商団の一人娘であり、潤沢な実家の財力を背景に、後宮の最高権力者である皇后にも目をかけられている女人だった。皇后の後ろ盾があるからこそ、格上の徳妃の宮に所属していながらも、普段から傲慢で偉そうな態度を崩さないのだ。

​「あら、これはこれは……」

 廊下ですれ違いざま、宝蓮修媛はわざとらしく扇で口元を隠し、取り巻きの侍女たちと共に憐れむような笑い声を漏らした。

​「あら、朱璃九等嬪様じゃありませんこと? せっかくお位が上がりましたのに、相変わらず徳妃様のパシリとして、泥にまみれて雑用をしていらっしゃるのね。お可哀想に。金商団の娘であるこの私なら、そんな惨めな扱い、一日だって耐えられませんわ」

​ 宝蓮修媛はねっとりとした視線で朱璃を見下すと、嫌がらせを兼ねた無理難題を押し付けてきた。

「秋の祭りの準備で人手を奪われて困っていますの。お前は元がしがない雑用係なのだから、この大量の絹織物の検品と、重い祭礼の飾り付けの力仕事を、今日中に一人ですべて終わらせておきなさい。他のお妃様の侍女を頼るなんて、甘えた真似は許しませんよ」

​ 他のお妃の侍女たちをわざわざ遠ざけた上で、一人に押し付けられた過酷な重労働。宝蓮修媛が勝ち誇った顔で去っていくのを見送りながら、朱璃は内心でふっと微笑んだ。

(好都合だ。一人きりで集中して身体を動かせるなら、これほど良い筋力トレーニングはない)

​ 朱璃がさっそく涼しい顔をして袖をまくろうとした、その時だった。

​「朱璃様っ! 一人でなさるなんていけません!」

「そうです! 私たちも手伝います!」

​ 物陰から、小鈴(シャオリン)と春蘭(シュンラン)が憤慨した様子でバタバタと駆け寄ってきたのだ。

「他のお妃様の侍女は頼るなと言われましたが、私たちは朱璃様の侍女ですもの、関係ありませんわ!」

「あんな底意地の悪い方の言うことなんて、気にする必要はありません。さあ、早く終わらせてしまいましょう!」

​ 息を巻いて重い飾り付けに手を伸ばす二人を見て、朱璃は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

「……ふふ、ありがとう。心強いわ。でも、重いものは私が持つから、二人は絹の検品をお願いね」

​ 三人の息の合った連携、そして朱璃の超人的な身体能力のおかげで、夕暮れ前にはすべての作業が完璧に片付いた。様子を見にきた宝蓮修媛が「な、何ですって……!?」

と悔しげに顔を歪めたのは言うまでもない。

​ その後、朱璃は本宮の麗華徳妃の部屋へとこっそり呼び出された。

 部屋に入ると、上座に座る麗華はフンと横を向いていたが、その口元は心なしか綻んでいるように見えた。

​「……朱璃。聞いたわよ。あの宝蓮修媛の小細工を、見事に跳ね返して出し抜いたんですって?」

​ 部屋の隅に控える徳妃の古参の侍女たちが、我がことのようにニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべて朱璃を見つめている。朱璃が

「いえ、これも麗華徳妃様の手助けのおかげでございます」

と深く頭を下げると、侍女たちの視線に気づいた麗華は、ハッとしたように頬を赤く染めて扇をバチンと広げた。

​「な、何を見てるのよお前たち! ……言っておきますけれど朱璃、私の元にいるのなら、これくらいやって当然ですからね! 我が延明宮の人間が、あんな商人の娘ごときに舐められるなど、絶対に許しませんもの!」

​ 相変わらずのツンツンとした物言い。だが、その耳の裏まで真っ赤になっているのを見て、朱璃は内心で温かい微笑みを浮かべた。

(本当に……実はとても真っ直ぐで、可愛らしいお方だ)

​ そんな、秋の風が心地よく吹き抜ける、ある日の昼下がりのことだった。

​ 引っ越したばかりの新しい離宮の部屋で、朱璃がホッと一息ついていると、廊下から激しい足音が響いてきた。

​「朱璃様――っ!! しゅ、朱璃様っ!!」

​ 部屋の扉が勢いよく開き、小鈴が息を完全に切らせ、パニック状態で飛び込んできた。

「どうしたの小鈴、そんなに慌てて」

 朱璃がなだめるように声をかけるが、小鈴の顔は真っ青だった。

​「お、お客様です……! 外に、とても立派な身なりの御方がいらして……! その、朱璃様の嬪へのご昇格のお祝いの品をお持ちした、と仰っているのですが……!」

「お祝い? 一番下の嬪である私に?」

 朱璃が眉をひそめると、小鈴はさらに声を震わせて言葉を続けた。

​「それだけじゃありません……っ。その、お相手の『主(あるじ)』様が『今すぐ来るように』と仰せだそうで、朱璃様を今からご案内するために、外でお待ちされています……!」

​ 名も名乗らない不躾な相手からの、突然の呼び出し。

 普通の妃であれば、無礼だと怒るか、あるいは罠かと怯える場面だ。しかし、朱璃の脳裏には、あの夏の深夜、離れの裏庭に音もなく現れた『謎の男』の不敵な笑みが鮮明に蘇っていた。

​(ついに、来たか……)

​ 主が今すぐ来るように仰せである、という不穏な伝言。その「主」が一体何者であるのか、朱璃は直感的に察していた。あの「夜の男」を動かしている、後宮の、いや、この帝国の裏側を支配する何者かだ。

​ 朱璃の瞳の奥に、大人しいお妃様の仮面を引き剥がした、鋭い武人の光が宿る。

 しかし、取り乱す侍女たちの前では、すぐに普段通りの凛とした「私(わたくし)」の声音を作り直した。

​「春蘭、すぐに支度を。お客様を待たせるものではありません」

「は、はい……!」

​ 春蘭が慌てて朱璃の身形(みなり)を整える。衣服の乱れを直し、髪をきっちりと結い直すと、朱璃は深く息を吸い込み、離宮の重い扉を押し開けて外へと歩み出た。

​ 離宮の前に佇んでいたのは、仕立ての良い衣服をまとった、表情を一切崩さない一人の使いの者だった。周囲の警備兵すらも立ち入らぬ、張り詰めた空気を纏っている。

​ 朱璃はその使者の前に進み出ると、背筋を真っ直ぐに伸ばし、凛とした声で告げた。

​「お待たせいたしました」

​ 朱璃の言葉を受け、使者の男は表情を変えないまま、深々と一礼を返した。そして、目の前の静かな、しかし底知れない闇を孕んだ王宮の奥へと手を差し伸べる。

​「――では、ご案内いたします。我が主のもとへ」

​ 秋の乾いた風が、朱璃の長い黒髪を揺らす。

 昼の『嬪』としての穏やかな居場所から、ついに引き返せない裏の世界へ。朱璃はためらうことなく、謎の目的地へとその第一歩を踏み出した。

影山御影

新しい人物が登場しましたがこれからも増えていきますので皆さんのお気に入りのキャラやペアを作れるように尽力いたしますので引き続き応援よろしくお願い致します!

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