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第3話

Author: 温井虚秋
「もちろん。俺たちの結婚十周年の記念日だろう」

言い終わるや否や、蓮司は懐から精巧を極めたジュエリーボックスを取り出し、遥香の目の前で開いてみせた。

中に入っていたのは、遥香が以前から目を付けていたサファイアのネックレスだった。

オークションの開始価格だけでも、六千万円は下らない代物だ。

今の遥香はもう彼の出費を惜しむことはなく、遠慮もせずにその箱を受け取った。

彼女が受け取って当然の報酬だ。

かつて彼を気遣って節約したところで、何の意味があっただろうか。

この三年間、彼があの愛人に一体どれほどの金を注ぎ込んできたか知れたものではない。

「お前のお気に入りだと知っていたからね。だから競り落としたんだ」

そう甘く囁きながら、蓮司は身をかがめて遥香の唇を塞ごうとした。

遥香が体を引いてかわそうとすると、蓮司は強引に彼女を抱き寄せた。無理やり唇を奪い、その手は執拗に彼女の体を撫で回し、情欲を煽り立てようとする。

以前の遥香なら、この愛を失うことを恐れるあまり、込み上げる嫌悪感や惨めさを必死に堪え、自分を納得させて妥協していただろう。

肌を重ねる際も、せいぜい彼に避妊具を着けさせるのが精一杯の妥協だった。

しかし今日、遥香は彼が汚らわしいと感じた。自分の体に指一本触れさせたくない。

遥香はすかさず彼の腕から抜け出し、冷たく拒絶した。「今日は具合が悪いの。またにして」

その後、遥香はそそくさと寝室へ戻り、ベッドに横になった。

蓮司もすぐに後を追い、彼女を背後から抱きしめるようにして目を閉じた。

微睡みの中、ふと、微かな物音が遥香の耳に届いた。

彼女はそっと目を開ける。

ぼんやりとした視界の先で、蓮司がヘッドボードに背を預けていた。彼は片手でスマホを持ち、過去に撮った遥香との生々しい情事の動画を流しながら、独りで欲を処理している。

彼は性欲が強い。遥香が身体を許さない夜は、決まってこうして自らを慰める。

だが、外で別の女といる時は……

遥香はこれ以上心を乱されたくなくて、思考を無理やり打ち切った。

しばらくして、蓮司が低く短い吐息を漏らし、絶頂を迎えた。

彼は身を起こして手早く後始末を済ませると、再び遥香を抱き寄せて深い眠りに落ちた。

翌日、遥香が目を覚ますと、すでに昼を回っていた。

転移した癌細胞が食道や胃を圧迫しており、食欲はまったく湧かない。

インターホンが鳴った。

モニター越しに見えたのは、蓮司の愛人である詩織の姿だった。

詩織は若く、人形のように整った顔立ちをしていた。まるで十年前の遥香そのものだった。

服装やメイクの趣味まで、当時の遥香に瓜二つだ。

詩織は中から反応がないことに苛立ったのか、モニターに向かって声を張り上げた。「遥香!いるんでしょ!さっさと開けてよ!あなたに話があるの!」

これまでの詩織の挑発といえば、蓮司との生々しい情事の写真を送りつけてくる程度だった。

こうして自宅にまで乗り込んできたのは初めてだ。

一体、何が目的なのか。

遥香は少し考えた末、玄関へ向かいドアを開けた。

詩織は踏み込むなり、手に持っていた妊娠検査の報告書を遥香の目の前に突きつけた。「教えに来てあげたの。私、蓮司の子供を授かったわ」

遥香は軽蔑を含んだ笑みを浮かべた。「それで?」

「蓮司はずっと子供を欲しがっていたのよ!子供の一人も産めないあなたは、身の程をわきまえてさっさと彼と離婚しなさい!」

詩織の言葉は、遥香の心の傷を深く抉った。

事実、三年前のあの拉致事件で、遥香はお腹にいた二つの命を失っている。

双子の女の子だった。

それは、彼女にとって一生癒えることのない深い傷だ。

「なら、本人をここに呼べばいいじゃない」遥香は意に介さない様子で言い放った。

詩織は憎々しげに彼女を睨みつける。「あなたって人は……!」

二人が火花を散らしているその時、不意に、玄関の方から蓮司の声が響いた。「どうしたんだ?」

遥香が反応するより早く、詩織は遥香の体をドンッと突き飛ばすと、その反動を利用して自ら床に尻もちをついた。

「蓮司……痛いっ!」

詩織は途端にか弱く哀れな表情を作り、涙をこぼしてみせた。

蓮司は慌てて駆け寄り、詩織を抱き起こしながら、どこか痛むところはないかと必死に気遣っている。

遥香はその茶番を、ただ冷ややかな目で見つめていた。

詩織は遥香を凝視して、その瞳の奥に狡猾な光を閃かせながら、涙ながらに訴えた。「遥香……私はただ、蓮司の子を授かったって伝えただけなのに。そんな風に突き飛ばすなんて、あんまりだよ……」

その一言で、遥香は完全に加害者に仕立て上げられた。

遥香は反論する気すら起きなかった。

この三年間、詩織が仕掛けてくるこんな見え透いた罠は、一度や二度ではない。

以前の遥香なら、死に物狂いで食い下がり、蓮司に離婚を突きつけては詩織を屈服させ、謝罪を絞り出していた。

だが、今回は違った。

蓮司は遥香の前に歩み寄ると、腕を振り上げた。乾いた音を立てて、彼女の頬を二度、力任せに張り飛ばした。

「遥香!いい加減にしろ!」

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