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淳平は反省の色など微塵も見せない。そんな息子を見つめながら、義孝はふと智宏の言葉を思い返した。この数年、淳平は海外で数え切れないほどの敵を作ってきた。騒ぎを起こすたびに恨みを買い、自ら首を絞めているようなものだった。もし智宏の素性を知らなければ、義孝も今回の一件を、よくある揉め事程度にしか考えなかっただろう。だが、万が一のことがあったら……「この前、お前が仲間を連れて押しかけた家の住人だが……今日、その本人に会ってきた」その言葉を聞いた途端、淳平は勢いよく立ち上がる。「本当ですか?あいつ、今どこにいるんです?まさか、そのまま帰したんじゃないでしょうね。あいつ――」「黙れ!」義孝の怒声が部屋に響き渡った。「相手はあの栄東市の名家、中道家の御曹司だ。お前が好き勝手できるような人間じゃない」「栄東市……中道家?」淳平は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに鼻で笑った。「それがどうしたんです?ここは栄東市じゃないんですよ。俺がそんな肩書でビビるとでも?」「……もういい」義孝は深く息をつき、こめかみを押さえながら目を閉じる。「お前は、自分がどれほど危うい立場にいるのか、まるで分かっていない。いいか、しばらくは家から一歩も出るな。これ以上問題を起こしたら、そのまま国へ送り返す」しかし、義孝の嫌な予感は的中してしまった。淳平が路上で女性を殴打し、病院送りにした事件は、瞬く間に広まった。もともと淳平と確執のあった者たちはここぞとばかりに騒ぎ立て、その話題はネット上へ拡散され、瞬く間にトレンド入りする。すると何者かがこの事件をきっかけに世論を煽り始め、淳平がこれまで起こしてきた数々の不祥事まで次々と掘り返された。その余波は義孝にも及んだ。ようやく取り付けた現地企業との大型提携も、世論の悪化を理由に保留となる。義孝は自ら相手企業のCEOとの面会を申し込んだが、返ってきた答えは冷淡だった。「いじめや暴力を容認する相手とは、お付き合いできません」炎上が広がるにつれ、これまで淳平の周囲に群がっていた取り巻きたちも、蜘蛛の子を散らすように離れていった。そんなある日。淳平が一人で車を走らせていると、不意に後方から追突される。「何するんだ!」怒鳴りながら車を降りると、相手の車から降りてきたのは、全身に刺
「え?松本さんが……?」由奈は目を見開いた。心愛は力なく笑い、自嘲するように口元を歪める。「私がついていなかっただけです。まさか、あの人が本当に手を出してくるなんて思いませんでした」「そんな……警察に通報しないと!」由奈が思わず声を上げる。だが心愛は静かに首を振った。「通報したところで、せいぜい数日拘束されるだけですし、すぐ家族が保釈するでしょう。あの人、こういうことは初めてじゃないんです。今までだって、彼に逆らった人は何人も怪我をさせられてきたけど、最後は少し慰謝料をもらって終わり。それで全部なかったことになるんです」由奈は言葉を失った。かつて自分も似たような理不尽を味わったからこそ、心愛の置かれた状況が痛いほど理解できる。――だからこそ、助けたい。「いいえ、このまま終わらせるわけにはいきません」由奈は心愛をまっすぐ見つめ、静かに言った。「今日は殴られただけで済みました。でも、次は命を狙われるかもしれない。あんな危険な人を放っておいたら、また誰かが被害に遭います」そう言ってから、何かを思いついたように首をかしげる。「松本さんって、こっちでもかなり恨みを買ってるんですよね?」心愛はうなずいた。「ええ。敵はたくさんいます。でも、それがどうかしましたか?」「だったら、私たちには好都合です」由奈の瞳に、いたずらっぽい光が宿る。「お金持ちだからって好き勝手できるのは、国内にいた頃の話でしょう?ここは海外です。本気で現地の人たちまで敵に回したら、その立場だって簡単には守れません」そう言って、智宏へ視線を向けた。「お兄さんはどう思います?」智宏が答える前に、心愛は小さく首を横に振る。「でも……あの人も、現地の人には手を出しません。横暴なのは留学生相手だけです。現地の人とは、むやみに揉めようとはしないみたいで……」「だったら、その暴行事件を、彼を一番恨んでいる人たちに知らせればいいんです」由奈は身を乗り出した。「要は、火に油を注ぐんですよ。できれば海外のSNSでも話題になるくらいに。2、3人じゃ太刀打ちできなくても、20人、30人と集まれば話は別です。誰かが最初の声を上げれば、流れは一気に変わります」智宏は腕を組み、口元に薄く笑みを浮かべた。「世論を味方につけて、彼を社会全体の標的にする……悪くないね」「
淳平の姿を見た通行人たちから悲鳴が上がる。その声に心愛が振り返った。すると次の瞬間、視界に飛び込んできたのは、ゴルフクラブを手に持ち、自分へ向かって振り下ろす淳平だった。避ける間もなかった。ゴルフクラブが頭部を直撃し、激しい痛みが一気に広がる。目の前がぐらりと揺れ、心愛はそのまま地面へ崩れ落ちた。耳に届くのは、人々の悲鳴と騒然としたざわめき。薄れゆく意識の中、最後に見えたのは、逃げ去っていく淳平の背中だけだった。……義孝の秘書に案内され、智宏はレストランの個室へ足を踏み入れた。落ち着いた足取りで義孝の向かいに腰を下ろすと、背もたれに身を預け、静かに口を開く。「ここまで早く僕のことを調べ上げるとは……さすが松本さんですね」義孝は秘書へ退室を促すように視線を送り、人当たりのいい笑みを浮かべた。「中道さんのお噂は以前から伺っていました。こちらへ来られていると分かっていれば、もっと早くご挨拶に伺ったのですが」そう言って一拍置き、穏やかな口調のまま続ける。「先日は、うちの次男が大変失礼をいたしました。あの子は甘やかされて育ったものですから、少々向こう見ずなところがありまして……決して中道さんに敵意があったわけではありません。親である私から、お詫び申し上げます」義孝は軽く頭を下げた。「どうか、この件は私の顔に免じて、水に流していただけませんか」智宏は口元だけで笑う。「つまり、穏便に済ませたい、と」義孝も笑みを崩さない。「ええ。できれば、そのように」「僕も争いたいわけではありません」智宏は穏やかに応じた。「ただ……ご子息にも、その気はあるのでしょうか」義孝はコーヒーを一口飲み、静かにカップを置く。「息子には私からきちんと言い聞かせます。同じことは二度とさせません」智宏は小さく肩をすくめた。「もしあなたの言葉で止まる相手なら、今回の騒ぎは最初から起きていなかったのでは?」その一言で、義孝の笑みがわずかに薄れた。指先でカップの縁をなぞりながら、ゆっくりと口を開く。「中道さん。我々のような家は、互いに支え合ってこそ成り立つものです。どんなことにも、少しくらいは引く余地を残しておいた方が、後々のためになる」穏やかな声音のまま、その視線だけが鋭くなる。「あなたもお若い。ここで松本家と事を構えても、得るものは少ないの
心愛と智宏は展示室をひと回りして外へ出た。そのとき、智宏のスマホに一通のメッセージが届く。「お友達は?」心愛が辺りを見回しながら尋ねる。「用事ができて先に帰りました」智宏はスマホをしまい、彼女へ視線を向けた。「このあとはどちらへ?」「寮に戻ります」「送りましょう」心愛は思わず目を瞬かせた。断ろうと口を開くより早く、智宏は車へ歩み寄り、助手席のドアを開けた。「……じゃあ、お言葉に甘えます」心愛は微笑みながら頷き、助手席へ乗り込んだ。智宏が運転席に座ると、心愛は驚いたように尋ねる。「国際免許を持ってるんですか?」智宏と由奈は海外へ来たばかりだと聞いていた。免許は、そんな短期間で取れるものだろうか。智宏は穏やかに答えた。「以前、海外で暮らしていたことがあるので」「そうだったんですね」心愛は納得したように笑う。「私はてっきり、今回が初めての海外生活なのかと思っていました。池上さんから、お二人は栄東市の出身だって聞きましたけど、栄東市って楽しい街なんですか?」「悪くはありません」智宏は短く答える。もっとも、彼が思い浮かべていたのは街の経済発展ぶりだった。心愛は目を伏せ、流れる景色へ視線を移した。「私の実家は江川市なんです。両親も今もそこで暮らしています。池上さんが以前、江川市にしばらく住んでいたって聞いて驚きました。私はもう何年も帰っていないので、街がどう変わったのかも分からなくて」「帰りたいと思ったことは?」心愛は窓の外から視線を戻し、静かに頷く。「あります。でも、まだ夢を叶えられていません。両親は私に好きな芸術を学ばせるため、持てるものをすべて注ぎ込んで海外へ送り出してくれました。それなのに私は、望んでいたものを何一つ手にできていない。そんな状態で帰ったら、期待を裏切ってしまう気がして……」智宏は前方から目を離さず、最後まで黙って話を聞いていた。そして、穏やかに口を開く。「今やっている配信も、一つの道じゃありませんか」心愛は目を丸くする。「……見てくださったんですか?」「はい」思いがけない返事に、心愛は何と言えばいいのか分からず、照れ笑いを浮かべた。「でも、ライブ配信なんて……世間から見れば、ちゃんとした仕事とは思われていないでしょう」「あなた自身も、そう思っているんで
由奈は言葉に詰まり、慌てて智宏の腕をつかんだ。「違います!別に不満があるわけじゃなくて……」「じゃあ、なんだ?」「顔見知りで腕も立つ人に守ってもらえるのなら、そのほうが安心できるってこと。東山さんも言ってたでしょ?あの警備会社には、お金さえ積めば何でもするような危ない人もいるって。もし松本家が私たちより高い報酬を出したら、お金につられて寝返らないとも限らないし……」智宏は一瞬考え込んだが、何も言わない。由奈はさらに続けた。「知らない人を雇う以上、不安はどうしても残ります。私たちは身の安全を確保したいだけですし、相手の命まで狙ってるわけではありません。だから、そんな人たちに頼る必要はないと思うんです」智宏はしばらく彼女を見つめると、やがて諦めたように立ち上がった。「分かった。由奈の言うことに一理あるし、その通りにしよう」由奈は去っていく智宏の背中を見送り、嬉しそうに笑う。「ありがとう、お兄さん!お兄さんは世界一優しいです!」そう言ってソファ脇のタブレットを手に取り、今日は心愛が配信しているかどうか確認しようと画面を開く。しかしロックを解除すると、表示されたのは配信終了後のライブ画面だった。よく見ると、それは心愛の配信ルームだった。ログイン中のアカウントを確認しようとしたその瞬間、ひょい、とタブレットが手元から取り上げられた。智宏はどこか落ち着かない表情で言う。「悪い、株価のチェックはまだ途中だったんだ」そう言い終えるや否や、足早に二階へ上がっていった。その後ろ姿を見送りながら、由奈はくすっと笑う。――絶対心愛の配信を見てたのに、わざわざ隠すなんて。自分がこっそり心愛をフォローしていると知られるのが、少し照れくさいのだろう。……二日後。心愛はいつものように、自分の作品が展示されている美術展を訪れた。展示室の奥へ進むと、ガラスケースの中に飾られた自作――『光る森』が目に入る。「ママ、この絵ってどうして『光る森』っていうの?森って光るの?」幼い子どもに尋ねられた母親は、絵を見つめながら、その意味を考え込んでいた。心愛は微笑み、説明しようと口を開きかける。だが、その前に背後から穏やかな声が響いた。「森を照らす光は、蛍なんです。一匹の蛍が放つ光では森全体を照らすことはできませ
淳平は帰宅すると、その日の夕食の席で父親に盛大に泣きついた。殴られて腫れ上がった頬まで見せつけながら、ぜひとも仇を取ってくれと騒ぎ立てる。「この顔を見てくださいよ!俺、あいつにボコボコにされたんです!運が良かったから助かったようなもので、もう少しで殺されるところでした!父さん、今回は絶対俺の味方をしてくれますよね?」淳平の父、松本義孝(まつもと よしたか)はワイングラスを乱暴にテーブルへ置いた。「お前、また何かやらかしたのか?俺と勲がどれだけ心配してると思ってる?ここは国内じゃなくてM国だ。いつか頭を撃ち抜かれても知らんぞ」淳平の性格など、義孝はよく知っている。どうせまた何かやらかして痛い目を見ただけなのだ。父が自分の気持ちに寄り添うどころか叱りつけたことで、淳平は露骨に不機嫌な顔になる。ナイフとフォークを放り出し、食事をする気も失せた。「別に何もやらかしてませんよ?俺、ケガしてるのに、開口一番が説教ですか?相手は俺のことを知っていて手を出したんですよ。それって父さんの顔に泥を塗ったも同然でしょう!」「わかったから、もういい」義孝は口元をナプキンで拭いながら、落ち着いた口調で言った。「相手の素性は俺が調べておく。それまでは余計な騒ぎを起こすな」そう言い残して席を立つ。執事が近づき、食器を片づけ始めた。淳平はまだ腫れの引かない頬を押さえ、目の奥にどす黒い憎悪を宿した。……翌日。律は改めて智宏と由奈の家を訪れた。庭の扉はすでに新しいものへ交換されており、それを見るなり苦笑する。「外の扉、結構な値段したんじゃない?借り主がお金を出して家の扉を直すなんて、初めて見たよ」智宏はちらりと視線を上げただけで、手元のタブレットを操作し続け、相手にしなかった。そのとき由奈がキッチンからフルーツを乗せたお皿を運んできた。律は遠慮なく桃を一切れつまみ、「ありがとう」と口へ放り込む。由奈が反応するより早く、智宏が淡々と言った。「食べたいなら僕が用意してあげる。妊婦のおやつまで横取りするな」律は思わず言葉を失う。改めて由奈を見ると、ゆったりしたスウェット姿で、お腹はほとんど目立たなかった。何か言おうとしたが、その前に由奈がソファへ腰を下ろし、笑って言う。「大丈夫ですよ。東山さんはお客様ですし」「や







