Masuk俊太は、よくゲームの通話越しに仕事の愚痴をこぼしていた。片想いしているみやびが、自分ではなく親友のほうを好きらしいこと。酒を飲むたび電話をかけてきて、みやびのことをどれだけ好きか、延々と語ること。最初はただの恋愛相談だった。けれど次第に、俊太は何でも話すようになっていった。そしてある日、突然その親友の悪口を言い始めた。「いい顔してるだけの偽善者だ」と。「みやびに好かれる資格なんてない」と。さらには、ゲーム開発のプロジェクトでも、自分のほうが努力しているのに、上司に評価されるのはいつも相手ばかりだと、不満を滲ませていた。葉子は静かに俯く。「たぶん……初めてだったの。男の人が、自分の前であんなふうに弱音を吐くの」恋も上手くいかず、仕事でも報われない。そんな俊太を見ているうちに、同情は少しずつ別の感情へ変わっていった。「だから、あの日……急に会おうって言われた時も、断れなかった」由奈は眉を寄せる。「その日が、初対面だったんですか?」葉子は小さく頷いた。それから、言いづらそうに声を落とす。「……私、高校中退してるの。社会に出て働いてたし、男女のそういう話も周りでたくさん見てきたから……ホテルで会おうって言われた時も、どういう意味かは分かってた……そのつもりで行ったの」卓巳が額を押さえ、呆れ半分にため息をつく。「南川さん、それは完全に遊び目的の誘いでしょう……初対面でホテル指定してくる男が、本気なわけないじゃないですか」「それは分かってた」葉子は目を伏せたまま答えた。「自分が騙されてることくらい。でも、なんか……流されるまま行っちゃって」彼女は、あの夜も自分が想像していたような展開になるのだと思っていた。けれど実際は、違った。由奈は静かに核心へ踏み込む。「ホテルへ行った時、そこに私の弟もいたんですよね。しかも意識がない状態で」葉子はこくりと頷く。「前田さんがずっと愚痴ってた親友っていうのが、私の弟でした……あの日、あなたもそう聞かされたんでしょう?」葉子は視線を落としたまま、否定しなかった。そこから先を、由奈はあえて深く聞かなかった。少なくとも、浩輔が最初から最後まで被害者だった――それが分かっただけで十分だった。由奈はしばらく葉子を見つめ、それから淡々と口を開く。「ひとつ、はっきり言っておきます。前
翌朝、由奈は卓巳を伴い、葉子の住むアパートを訪れていた。インターホンを押す直前、卓巳が一歩前に出る。「池上さん、ここは僕が。あの子の母親、かなり気が強かったので」「大丈夫よ、状況は状況だったし、あの時、彼女はただ娘を守ろうとしてただけだから」由奈はそう言って、静かにインターホンを押した。しばらくして扉を開けたのは、白髪の小柄な老婦人だった。見慣れない二人を前に、少し驚いたように目を瞬かせる。「どちら様で……?」「南川葉子さんのお宅でしょうか?私たちは彼女の友達で、少しお話があって伺いました」「ああ、そうかそうか。中へどうぞ」老婦人はにこやかに二人を招き入れると、そのまま奥の部屋へ向かい、扉を軽く叩いた。「葉子、お客さんだよ」そう声をかけてから、今度はリビングへ戻り、慌ただしく湯気の立つカップを運んでくる。「遠慮しないで座ってねぇ。ちょうどお茶を入れたところなの」「ありがとうございます。お気遣いなく」由奈が慌てて立ち上がろうとすると、老婦人は笑いながら手を振った。「いいのいいの。お客さんなんだから」それでも葉子はなかなか部屋から出てこない。老人はまた奥へ向かって声を張る。「葉子、早く出ておいで!」数分後、葉子は眠そうな顔のまま、だるそうに足を引きずってリビングへ現れた。だが、由奈の姿を見た瞬間、その表情が凍りつく。一気に目が覚めたようだった。由奈は穏やかに微笑む。「こんにちは。会うのは二度目ですね」葉子は視線を逸らし、唇を噛んだまま黙り込む。「葉子、せっかくお友達が来てくれたのに、寝坊してどうするの?」老婦人はそう言いながら腰を下ろし、苦笑混じりに続けた。「この子ねぇ、小さい頃からほんと手がかかって。高校も途中でやめちゃったし、働き始めても長続きしないの。昼夜逆転で、毎晩毎晩ゲームしてて、昼間は寝てばっかりなのよ」その口調に責める色はなく、ただ心配ばかりが滲んでいた。由奈は静かに尋ねる。「ご両親は……?」「母親は毎日麻雀ばっかり。父親も地方勤務で、年に何回帰るかって感じよ。家計は父親が支えてくれてるから、あの人も大変でねぇ」老婦人はため息をつき、どこか寂しそうに笑った。「私ももう歳だから。自分がいなくなったあと、この子を誰が見てくれるのか、それだけが心配なの」その時、葉子が急に口を挟んだ。「おばあちゃ
祐一も彼女に続いてリビングに入り、ソファに腰を下ろした。何気なくテーブルへ視線を向けかけたが、その動きを遮るように、由奈は咄嗟に彼の膝へ腰を下ろした。あまりにも突然のことに、祐一の目がわずかに見開かれる。「……?」訝しげな視線を向けられ、由奈は引きつった笑みを浮かべた。「足、滑ったの……って言ったら信じる?」祐一は目を細め、しばらく黙ったあと、淡々と答える。「信じる」「……え?」「足を滑らせたどころか、君が空から降ってきてそのまま俺の腕の中に落ちてきたって言われても、俺は信じる」真顔のままそんなことを言われ、由奈は思わず言葉に詰まった。からかわれたと気づき、むっとして立ち上がろうとした瞬間――祐一が腕を回し、彼女を再び引き戻す。軽く抱き込まれた拍子に、彼の手が由奈の腹部へ触れた。由奈の身体がぴたりと固まった。すると耳元で、祐一が不思議そうに呟く。「……君、なんか腹回り少し丸くなった?」由奈は一瞬で息を吸い込み、慌ててお腹を引っ込めた。「誰が丸くなったって?」「ただの感想だ。そんな怒るな」祐一は面白そうに目尻を緩める。「女性はね、丸くなったって言われるの嫌いなの。滝沢社長ともあろう人が、そんなことも知らないの?」由奈はわざと棘のある言い方をしながら彼の腕から抜け出した。その隙に、さりげなくテーブルの上を片づけ、置きっぱなしだった妊娠検査の用紙を丸めてゴミ箱へ押し込む。最後にそっとゴミ箱をテーブルの下へ蹴り込んでから、ちらりと祐一を盗み見た。――気づいていない。由奈は胸の奥で小さく安堵する。「……昨日はありがとう」記者たちに囲まれた時のことを言っているのだ。祐一はゆっくり立ち上がった。「礼をしたいなら、明日のチャリティーパーティーに付き合ってくれ」「チャリティーパーティー?」「真由美さんも来る」……一方その頃、卓巳は俊太を警察へ連れて行った。「彼は絶対に証言を覆す」と踏み、事前に取っておいた録音データを警察へ提出する。俊太は青ざめた。「お、お前たち……録音してたんですか?」「あなたが信用できなさそうでしたからね」卓巳は肩をすくめる。次の瞬間、俊太は勢いよく警察へ向き直った。「こいつらを訴えます!脅されて無理やり言わされたんです!口封じされそうにもなったんですよ!」警察官が卓巳
「本当です!間違いありません!」俊太は必死に頷いた。由奈は意味深に微笑むだけで、何も言わない。その沈黙が、かえって俊太を追い詰めていく。そこへ卓巳がロープを持って戻ってきた。それを見た瞬間、俊太の足から力が抜けた。「い、一時半!一時半です!浩輔と別れたのは一時半です!」卓巳はロープを地面へ叩きつける。鈍い音とともに、川辺の土埃が舞った。「前田さん、あなた、僕たちをからかってます?」卓巳はしゃがみ込み、にやりと笑う。「さっきは一時、今度は一時半?次また変わったら、本当に縛って川に投げ込みますよ」俊太は全身を震わせながら地面に這いつくばり、何度も頭を下げた。額には泥と汗が張りついている。「ほ、本当です!さっきは勘違いしただけで、本当に一時半なんです!」由奈はふっと笑った。「そうですか。あなたが自宅近くに戻ったのが二時。確かに、帰るまで多少時間はかかりますよね」「……はい」俊太は縮こまりながら答える。由奈はゆっくりと彼の背後へ回った。「でも、被害者の南川葉子という少女がホテルにチェックインしたのは夜の十二時。そして、浩輔とあなたが店を出たのは十一時半」由奈は立ち止まり、淡々と続ける。「飲み会の店はあなたたちの会社の近く。郊外でも何でもないですし、あのホテルまでなら、タクシーで十分間程度で着きます。あなたたちが別れたのは一時半となると、この間の約二時間、二人はどこへ行ってたんですか?」俊太の顔から血の気が引いた。手のひらには嫌な汗が滲んでいる。嘘を一つつくと、それを貫き通すためにさらに嘘を重ねなければならない。時間をごまかせば逃げ切れると思ったのだろう。だが、嘘は所詮嘘だ。自分で作った綻びに、自分自身が気づけなくなっていたのだろう。「お、俺は……」「前田さん」由奈は再び彼の前に立つ。「あなたがどうして浩輔を陥れたのかはわかりません。でも、今ここで本当のことを話すなら、私はあなたを困らせるつもりはありません。でも、これ以上隠すつもりなら――」由奈の声がわずかに冷える。「この件があなた自身の意思なのか、それとも誰かの指示なのかは関係ありません。少なくとも、全部片付くまで、あなたが穏やかな日常に戻ることはないでしょう」その言葉が終わるや否や、卓巳が運転手に合図を送った。二人がかりで俊太を押さえ込み、ロープを身体へ巻き
俊太が会社を出たところで、突然、行く手を塞がれた。警戒して身構えた次の瞬間、卓巳が馴れ馴れしく肩に腕を回してくる。「おっ、久しぶりじゃん。僕のこと忘れた?今日は男同士、ゆっくり昔話でもしようぜ」「はあ?誰だよおま――」俊太が振り払おうとした瞬間、後ろ首をぐっと押さえ込まれた。次の瞬間には、そのまま車内へ押し込まれていた。「ちょっ……!」慌ててドアを開けようとするが、すでにロックされて、逃げ場はなかった。「あなたが前田俊太さん?」不意に聞こえた女性の声に、俊太はびくりと肩を震わせた。振り向いた先、後部座席に座っていたのは、息を呑むほど整った顔立ちの女性だった。由奈は柔らかく微笑む。「緊張しないでください。少し場所を変えて、ゆっくりお話ししましょう?」「な、なんなんですか、いきなり……」俊太は唾を飲み込みながら訊ねたが、声は明らかに上擦っていた。「私たちがあなたをお誘いした理由、もう察しはついてるんじゃないですか?」由奈は手元の雑誌をぱらりとめくりながら、淡々と言う。その一言で、俊太は完全に黙り込んだ。しばらくしてから、震える声で絞り出す。「……どこへ連れて行く気ですか」由奈は答えない。代わりに、隣に座る卓巳がぽんと彼の肩を叩いた。「肩の力、抜いてくださいよ。僕たち、別に人を食ったりしませんから」軽い口調だったが、俊太の身体は小刻みに震えていた。由奈はそんな彼を静かに見つめる。後ろ暗いことのある人間ほど、冷静を保てないのだろう。車は何度も道を曲がり、やがて川沿いの橋の下で停まった。周囲には人影もない。人気のない景色を見た瞬間、俊太の顔色が一気に変わる。「お、降りません!俺、降りませんから!」卓巳は容赦なく後ろ首を掴んだ。「はいはい、駄々こねないでくださいね」まるで子猫でも持ち上げるように、そのまま車外へ引きずり出す。運転手は卓巳の知り合いらしく、自然な動作で俊太のスマホを取り上げた。「な、何する気なんですか……?お、俺、本当に何も知らないんです……!」半泣きの声で訴える俊太は、足まで震えていた。卓巳は面白がるように彼の周りをぐるりと歩く。「まだ何も聞いてないのに、『知らない』って決めつけるんですね?」からかうようで、わざと脅すような口調だった。俊太の顔は真っ青になる。由奈は彼の前まで
由奈は車内で落ち着かないまま座っていた。祐一が今どう対応しているのか、どんな質問攻めに遭っているのか分からない。考えようとするほど胸の奥がざわついた。運転席の卓巳がバックミラー越しに彼女を見る。「池上さん、そんな心配しなくても大丈夫ですよ。社長はああいう連中に潰されるような人じゃありませんし、怖いもの知らずですから」由奈は視線を落としたまま、何も答えなかった。――タイミングが良すぎる。あの記者たちも、配信者も。まるで最初から何が起こるか知っていたみたいだった。偶然にしては、出来すぎている。それはもう「仕組まれていた」と考えたほうが自然だった。しばらく沈黙したあと、由奈は静かに口を開く。「加藤さん、前田俊太って人を調べてくれませんか?浩輔の同僚なんです」その声は驚くほど冷静だった。卓巳はすぐに頷く。「任せてください。明日には結果を出します!」その頃、浩輔の件はすでに会社中に広まっていた。喫煙スペースでは、他部署の社員まで混ざって噂話に花を咲かせている。「池上、未成年と寝たってマジ?」「今朝、警察に連れてかれたらしいぞ。ガチだろ」「動画見たわ。つーかあいつの姉ちゃん、めちゃくちゃ美人じゃね?」下卑た笑い声が飛び交う。その時、誰かがふと思い出したように口を開いた。「そういえば前田、お前昨日、池上と一緒だったんじゃなかった?」その場の視線が一斉に俊太へ向く。俊太は煙草を咥えたまま、わずかに顔を逸らした。「……俺は何も知らない」その返答に、阿部みやび(あべ みやび)が勢いよく歩み寄る。「前田さん、昨日、池上さんを送ってったのあなただったなのに、『何も知らない』はないでしょ?」周囲は面白がるように見守っている。だが俊太だけは苛立ちを隠せなかった。煙草を乱暴に揉み消し、低い声で言う。「送ったのは事実ですよ。でも途中であいつが勝手にいなくなったんです。ホテルに行ったなんて俺が知るわけないでしょう」「嘘です!池上さんがあんな状態で一人で歩けるわけがありません!」みやびは納得していなかった。俊太の拳がじわりと握られる。その空気を察した別の社員が割って入るように笑った。「いやいや、阿部さん。池上って酒強いじゃん。俺ら何回も飲んでるけど、昨日の量であんなベロベロにならないって」「確かに。俺ら全然







