LOGIN心不全と診断され、私・篠宮栞(しのみや しおり)と養妹・小林陽菜(こばやし ひな)は同時に入院した。 けれど、私たち二人に適合する心臓は、たった一つしかなかった。 その移植の機会をめぐって、私と陽菜は3か月もの間、争い続けた。 病院の廊下で、両親の不公平な扱いを問い詰める私の姿を映した動画も、いつの間にかネットで拡散されていた。 誰もが私を、自分が生き延びるためなら家族の情さえ顧みない、身勝手で非情な女だと罵った。 手術の日程が決まった前日、兄の篠宮湊(しのみや みなと)が珍しく私の病室を訪ねてきた。 病室の入口に立つ兄の顔には、隠そうともしない苛立ちが浮かんでいた。 「陽菜はまだ20歳だ。これから人生が始まるんだぞ。 お前は昔から体が弱かっただろ。たとえ手術を受けても、あと何年生きられると思ってる?」 私が口を開くより先に、兄のスマホが鳴った。 電話の相手は陽菜だった。彼女は泣きながら、私がまだ移植の機会を譲ろうとしないのかと兄に尋ねていた。 兄は途端に声を和らげ、優しく陽菜をなだめた。 「大丈夫だよ。兄ちゃんがいるから。 陽菜のものは、誰にも奪わせない」 子供の頃、私が初めて心臓の発作を起こしたとき、兄は私を背負って3キロも走り、病院まで連れて行ってくれた。 あのとき、兄は私の手を握りながら、たとえ自分の命と引き換えにしてでも、絶対に生かしてみせると誓ってくれた。 それなのに今、見慣れているはずの彼どこか他人のように見えた。 そんな兄を見つめながら、私はふと、もう争うのはやめようと思った。 「いいよ、兄ちゃん。 その心臓、もういらないよ」
View More葬儀の後、父は陽菜に家と十分なお金を与え、篠宮家を出ていくよう手配した。母は、私の部屋を改めて片づけ直した。物置の奥から、子供の頃の賞状や薬の箱、そして兄がくれたあのウサギのぬいぐるみを見つけ出した。ぬいぐるみの片方の耳は糸がほつれていた。兄は床に座り込み、不器用な手つきでその耳を縫い直した。そのとき、彼はふと思い出した。子供の頃、病院へ行くたび、私はそのぬいぐるみを抱いていなければ、検査室に入ろうとしなかった。それなのに、いつの間にかみんな忙しくなり、私が入院するとき、大好きだったぬいぐるみさえ持っていけなかったことに、誰も気づかなかった。父は、家にあった古いアルバムを片っ端からめくっていた。写真の中の私は、幼い頃からずっと真ん中にいた。しかし、陽菜が篠宮家に来てから、私の居場所は少しずつ端へと追いやられていった。最初は、母が陽菜を偏愛するようになった。その次は、父が陽菜の肩を持つようになった。そして最後には、兄の視線まで、陽菜にばかり向けられるようになった。父は一晩中、アルバムを見続けた。夜が明ける頃、彼はようやく認めた。——私を失ったのは、突然のことではなくて、長い年月をかけて、彼ら自身が少しずつ私をこの家から追いやっていたのだ。兄は私の写真を持って、海へ行った。そこは、子供の頃、兄がいつか連れて行ってくれると約束してくれた場所だった。「もう少し体が良くなったら、一緒に海を見に行こう」兄はそう言っていた。しかし、その後、陽菜が海へ行きたいと言ったら、兄は先に陽菜を連れて行った。さらにその後、私がその話をしなくなると、彼は私がもう行きたくないのだと思った。海から吹いてきた風が、兄の服の裾を揺らした。兄は縫い直したばかりのウサギのぬいぐるみを抱え、砂浜に長いこと座っていた。「栞。兄ちゃんが、連れてきたぞ」私はその隣に座り、夕陽に金色に染まった海を見つめた。これが、私が初めて海を見たのだ。想像していたよりも、ずっと広かった。兄はうつむき、写真の上に涙を落とした。「もし生まれ変わるなら……もう、俺の妹にはなるな。今度は、本当にお前を大切にしてくれる家族のもとに生まれろ」私は彼を見つめながら、不思議なほど悲しみは湧かなかった。死んでから、私はずっと彼ら
母はふと、私が3歳で初めて手術を受けたときのことを思い出した。あの時、医者から手術のリスクが高いと告げられ、母は私を抱きしめたまま、病院の廊下で一晩中泣いていた。私が手術室へ運ばれていくときも、母はベッドを追いかけて、何度も「お母さんは外で待ってるから」と繰り返した。父もかつては、仕事をすべて後回しにして、毎日私を学校まで送り迎えしてくれた。あの日、授業中に私が倒れると、彼はあまりにも慌てて駆けつけたせいで、靴を左右逆に履いていた。兄にいたっては、小さい頃から私を徹底的に守ってくれた。同級生に「病弱だ」とからかわれれば、兄はすぐに飛びかかって殴り合いになった。私が夜中に発作を起こせば、兄は私を背負って3キロも走った。膝を擦りむいても、決して立ち止まろうとはしなかった。あれほど、みんな私が死ぬことを怖がっていた。それなのに、いつから、怖くなくなったのだろう。母は霊安室のそばにうつ伏せになり、息もできないほど泣いていた。「昔は、私たちが一番、栞を大切にしていたのに。どうして、こんなことになったの?」誰も答えられなかった。たぶん、私が何度も、危険な状態から生き延びてきたからだろう。最初の救急処置のとき、彼らは一晩中、外で見守った。2度目も、まだ震えるほど怖がっていた。けれど、病状が危険になるたび、それを繰り返すうちに、彼らは少しずつ慣れていった。痛みは私の日常なのだと思うようになった。私は普通の人よりも我慢強い人間なのだと思うようになった。いつしか、私が何度も死の淵から戻ってくることさえ、次もまた私を後回しにしていい理由になっていた。そして、陽菜も病気になった。彼女が初めて発作を起こしたとき、ひどく泣いた。母は、陽菜はこれまでこんな苦しみを味わったことがないのだから、きっと私以上に怖いのだと思った。父は、ずっと健康だった陽菜には、突然病気になったという現実を受け止めきれないはずだと思った。兄は、私はもう病院に慣れているが、陽菜は注射の針を見ることすら怖がるのだと思った。だから、私と陽菜のどちらかを選ばなければならないたび、彼らはいつも私にこう言った。「もう少しだけ頑張って。栞は、これまでだってずっと乗り越えてきただろ。陽菜は、栞とは違うんだよ」彼らは
ケーキのナイフが母の手から滑り落ち、床に落ちた。彼女はぼんやりと兄を見つめている。兄の唇が、何度か動いた。「病院から……栞の遺体が、ずっと引き取られないままだって」母は一瞬固まったあと、笑い声を漏らした。「そんなはずないでしょ?栞は転院しただけよ。18歳のときはあれよりずっと病状がひどかったのに、ちゃんと生きて帰ってきたじゃない?」父の顔が青ざめた。「詐欺に決まってる。本当に何かあったなら、どうして半月も経ってから連絡してくるんだ?」兄は何かを思い出したように、慌てて何度か着たあのコートを引き寄せた。ポケットの中には、あの危篤の紙がまだ入っていた。紙は何度も握りしめたせいで、しゃくしゃになっていた。父がそこに印刷された赤い警告文を一目見るなり、声を荒らげた。「お前、危篤のお知らせを受け取ってたのに、どうして先生のところへ行かなかったんだ?」兄はその場に立ち尽くした。「……栞なら、今までみたいに乗り越えると思ってた」その一言が落ちた瞬間、リビングは完全な静寂に包まれた。彼らは着替える暇さえ惜しみ、急いで病院へ向かった。霊安室の扉が開いても、母は何度も繰り返していた。「きっと同じ名前の別の人だよ」けれど、霊安室の冷凍庫が開けられ、その白い布の下から現れたのは、青白く静かな私の顔だった。手首には、はっきりと私の名前と年齢が記された身分確認バンドが巻かれている。母の体がふらりと揺れ、そのまま床に膝をついた。「……栞?」震える手を伸ばしたけど、私の顔に触れる寸前で、その手は止まった。おそらく私の肌があまりにも冷たかったから、その冷たさに触れて、ようやく母は、自分を騙し続けることができなくなった。私は、ただ眠っているわけではないのだと。父は壁に手をつき、手の甲に青筋を浮かんでいた。長い間、私を見つめたあと、ようやく苦しそうに尋ねた。「……どうして、今まで連絡してこなかったんだ?」病院の係員が記録を開いた。「患者さんの救急処置の前後を合わせて、病院からは20回以上、お電話しています。ご家族の皆様の電話は、いずれもつながりませんでした。死亡確認後も、お知らせのSMSを送信いたましたが、どなたもいらっしゃいませんでした」父は慌ててスマホを取り出した。
陽菜が入院していた半月の間、誰も本気で私を探そうとはしなかった。父はアシスタントに私の行方を調べさせたけど、アシスタントが私がもはや元の病棟にいないことだけを報告すると、父は私が勝手に他の病院へ転院したのだと思い込んだ。「わざと俺たちを避けてるんだ」父は陽菜のリハビリ計画書に目を通しながら、冷たい顔で言った。「こうすれば、俺たちがあいつを見捨てたことを後悔すると思ってるんだろう」しかし、母はどこか落ち着かなかった。「でも、栞が出ていったとき、まだ処置を受けていたんでしょう?本当に一人で転院の手続きなんてできるの?」父は答えなかった。兄は窓辺に立ち、黙ったまま私とのメッセージ画面を見つめていた。最後に届いていたのは、なぜブレスレットを陽菜に譲らないのかと、兄が私を責めたメッセージだった。陽菜はすぐに母の手を握り、目を赤くしながら尋ねた。「お姉ちゃん、まだ私のこと怒ってるのかな?私がいなかったら、お姉ちゃんも出ていかなくて済んだのに」母はすぐに不安そうな顔を引っ込め、優しく陽菜を慰めた。「陽菜のせいじゃないよ。移植の機会は栞が自分から譲ったの。誰も無理強いなんてしてないわ」私はベッドの向こう側に立ちながら、その言葉が馬鹿げていると思った。確かに、彼らは私の首にナイフを当てて脅したわけじゃなかった。ただ、何度も言った。陽菜はまだ20歳なんだから、と。何度も思い出させた。私の治療のために、家族はもう十分すぎるほど犠牲を払ってきたのだと。そして何度も、失望したような目で私を見た。まるで、生きたいと願うことそのものが、罪であるかのようだった。最後に、私が諦めた。だから彼らは、本当にそれが私自身の選択だったのだと信じた。陽菜が退院する日、篠宮家はいつになく賑やかだった。リビングには風船や花が飾られていた。父は大勢の親戚や友人を招いて、陽菜の生還を祝っていた。兄は3段重ねのケーキを用意し、母は陽菜にバースデーハットをかぶせた。親戚の一人があたりを見回し、何気なく尋ねた。「栞は?帰ってきてないの?」リビングの笑い声が、一瞬だけ途切れた。父の顔が曇った。「まだ拗ねてるんだ。もう大人なのに、移植の機会のことで何か月も家族と揉めてどういうことだ?今ようやく陽菜が退
reviews