 Masuk
Masuk奏は呆然としたまま、スマホが手から滑り落ちた。
(死んだ……?遥乃が……?) 何度も混乱する頭で理解しようとするが、理解も納得も出来ない。 「おい、奏!?大丈夫か!?おい!もしもーし!」 その場には、スピーカーから流れる心配する声だけが響き渡っていた。 *** 同じ頃、柚もまた電話を取っていた。 相手は、柚の親友である新井瑞希。遥乃(柚)と奏、二人の過去を知る唯一の人物。 「藤原が同窓会に出るって聞いたけど、一緒に行かない?」 「行かない」 考えるまでもなく、即答で答えた。 「遥乃…じゃない、今は柚だったわね。いつまでも過去に囚われてちゃ前に進めないわよ?大丈夫よ、絶対に気付かれないから」 そんな事は言われなくても分かってる。 「余計なお世話よ。なんて言われようと私は行かない。今病院だから切るわよ」 「あ、ちょっと待って!もし、気が変わったら連絡してよ!絶対よ!」 電話口で何やら言っていたが、気付かぬフリをして電話を切ってやった。 柚は待合室の椅子に腰掛けながら、ふぅと深く息を吐くと、遠い昔を思い出すように天を仰いだ。 7年前のあの日、奏の為に数ヶ月小遣いを貯めてあの万年筆を買った。 奏の喜ぶ顔を思い浮かべながら、卒業パーティーの会場まで走って行った。息を整え、扉を開けようとした時に聞こえた絶望とも言える言葉。 「遊びだよ。どうせすぐ別れるんだから」 笑い声や嘲り、「あの子太ってるし」などの言葉が胸を冷たくさせる。 豪門の御曹司かつ、学校の人気者との未来を夢見たことはなかった。そこまで夢を見たら罰が当たると思っていた。 短期間の恋愛でも奇跡だったのに、彼にとってその真心は取るに足らず、他人と共に簡単に踏みにじられた。 手から万年筆の入った箱が滑り落ちるように足元に転がったが、拾うことはしなかった。そんな事よりも、その場にいるのが耐えられず、逃げるようにして走り去ったのを覚えている。一度も振り返らず、立ち止まらず一心不乱に走った。そして、そのまま姿を眩ませた。 突然の失踪と音信不通の状態に、翌年『朝倉遥乃は既に亡くなっている』という噂がクラスに広まっていった。 ちょうどその頃に、初めて瑞希に連絡を入れた。 瑞希自身も遥乃は死んだものだと思っていたので、突然の連絡に驚きながらも、生きていたという事実に泣いて喜んでくれた。 「一年も連絡しないなんて!私がどれだけ心配した思ってんの!?」 喜んでいた矢先に怒鳴り散らされたが、甘んじて受け入れた。 瑞希が落ち着いてきた所で、姿を消すことになった経緯や、奏との子供である娘を出産した事など簡単に説明して聞かせた。 時折「はあ!?」や「えっ!?」なんて声が上がったが、最後まで聞いてくれた。 「あんた……」 呆れるような声と共に、一人でよく頑張ったよと労いの言葉をかけられた。 その言葉に目頭が熱くなる。 「でもさ、みんなあんたが死んだものだと思ってるわよ?」 そこで、その噂話を聞いた。 「訂正するならしておくけど、どうする?」 「うんん、そのままでいいわ。朝倉遥乃は死んだの。今いるのは高瀬柚よ」 瑞希は柚の気持ちを尊重して、みんなには黙っている事にしたのだった。 こっちの都合ばかり押し付けているのに、瑞希は私の味方だと言ってくれた。それが、どれだけ心強かったか…… 「……マ……ママ!!」 その声にハッと我に返ると、隣で結花が呼びかけていた。 「どうしたの?」 「ねぇ、ママ。さっきのお医者さんが私のパパ?」 全身の血の気が引く音がした。
「俺がお前の旦那になる」 床に押し倒され、真剣な眼差しで見下ろしてくる煌に、ドキドキと鼓動が早まる。「……え?」 心臓の音を誤魔化すように、笑顔を引き攣らせ冗談ぽく見せるが、煌の瞳は変わらない。(本気……なの?) キュッと喉が鳴る。 煌と一緒になれば、今悩んでいること全て解消される。結花も煌には慣れているし、一時は煌が父親だと思っていた程。自分の子ではないのに、幼い頃から変わらず愛してくれる。(……だけど、本当にいいの?) 脳裏に思い浮かぶのは奏の顔。(なんでこんな時まで……) 私も大概、根に持つ人間なんだなと思い知る。 今の私じゃ煌とは釣り合わない。こんな中途半端な気持ちのままではこう言うにも失礼だ。 そう結論付けて「あの」と口を開いた。「──なぁんてな。冗談だ」 「は?」 クスッと笑う煌を見て、思わず間の抜けた声が漏れた。「本気にしたのか?」 「――ッ!!」 悪戯に笑う姿を見て、ようやく揶揄われたということに気が付いた。「もう!なんなのよ!」 「あははは!揶揄ったのはそっちが先だろ?お返しだ」 そう言いながら、軽く頭を指で弾かれた。「さて、俺は風呂にはいってくるよ」 逃げるように浴室へと向かう煌に「もぅ」と頬を膨らませて怒って見せるが、本音はホッとしている。だって、あんな煌の表情始めて見た。 いつもの優しい雰囲気が蠱惑的で妖艶なものに変って、初めて煌を『兄』ではなく『男』なんだと気付かされた気がして、身体の熱が未だに冷めてない。「勘弁して……」 柚は膝を抱えながら呟いた。 *** ザー…… 煌は、熱の籠った身体を冷やすように冷水のシャ
奏は、あれからも柚の帰りを待ち続けた。 「一度警察に相談した方がいいんじゃないか?」 事情を知った煌から掛けられた言葉。 「何かあってからじゃ遅いだろ?」 心配してくれるのは有難いが、警察沙汰は不本意というか、そこまでは望んでいない。 奏に限って乱暴なことはしないと思ってはいるが、今の煌に話したところで聞く耳持たないだろう。 心配してくれるのは嬉しいが、子供じゃないんだから……って思いもあり、面白くなさそうに眉間に皺を寄せた。 「そうだ。お前今日から俺ん家に泊まれ」 「は!?」 「別に驚くことじゃないだろ」 「いや、驚くでしょ!」 当然のように言われたが、これが驚かずにいられるはずが無い。確かに何度か泊まりに行ってはいるが、今回は訳が違う。 「仕事終わったら着替え取りに行くぞ」 「ちょっと勝手に決めないでよ!」 流石に強引過ぎると文句を口にすると、立ち去りかけた煌の足が止まった。 振り返ったその表情は真剣で、思わず怯んでしまった。 「……いい加減気付けよ……」 「え?何?」 ボソッと言われて聞き取れなかった。 「俺が心配なんだよ。黙って言うこと聞とけ」 小さい子を宥めるように、柚の頭にポンッと軽く手を置きながら伝えてきた。 子供扱いされムッと頬を膨らせませたが、煌はクスッと軽くはにかむと、自分の仕事へと戻って行ってしまい文句も答えも言えずじまいになってしまった。 *** 仕事を終えた柚がロビーへ降りると、先に仕事を終わらせていた煌が待ち構えていた。 「もぉ」
「パパが……事故で──」 「え?」 その日、父が亡くなったことを知った。 亡くなったのは一月ほど前で、出産を控えた私には言えることが出来なかったと聞いた。「ごめ……ごめんなさい……本当は、早く報せるべきだった……」 受話器越しからでもその疲労感と消失感が伝わってくる。涙ながらに語る母を宥めるのが精一杯で、とても子供が生まれた事を報告できる様子じゃなかった。 遥乃自身も、悲しくないはずがない。電話を切り、一人になった所で声を殺して泣いた。(うぅ……パパ……ごめん……!ごめんなさい!) 最後の最期まで我儘で自分勝手で……それでも、パパは愛してくれた。なのに私は……! 大好きな父の最期を看取れず、全てが終わってから知った親不孝な娘。そんな娘が幸せになれるはずがない。「ふぇ……ふぇ~……」 鳴き声にハッとした。小さくとも力強く鳴き声を上げ泣く生まれたばかりの愛娘を目にして、母の言葉を思い出した。『もし、私達に何があっても貴女は強く生きるのよ。お腹の子の親は貴女しかいないの。産むと言う覚悟があるのなら、絶対幸せにしてあげなさい』 その通りだ。私には生きる理由がある。幸せにすると約束したのだから。 顔を上げた遥乃の瞳は先ほどとは打って変わって、瞳に強い灯が灯っていた。 ――その後、父が亡くなった実家は、一気に傾きそのまま事業は廃業となり多額の借金を背負う事となった。破産手続きで借金の方は何とかなったが、それでも全部は返しきれず生活の方は一変した。 今までのような豪華な生活は出来るはずもなく、母は大きく広かった屋敷から1Kの小さなボロアパートに引っ越し、近所のスーパーで生まれて初めて仕事を始めたと聞いた。 そんな母を放っておけず、帰国すると伝えた事もあったが、それを母が拒絶。「言ったでしょ?私達に何かあっても強く生きなさいと。今は貴女も大変な時期でしょう?こっちの事は心配いらないから……」 明らかに疲
朝倉遥乃の家は元々裕福で、それこそ奏と釣り合いの取れるほどの豪商だった。 両親も仲が良く、遥乃自身もそんな両親の事が大好きで憧れだった。「私も、パパみたいな人と結婚する!」それが、私の幼い頃の口癖だった。 両親はいつも笑っていたが、パパみたいに優しくて温かくて、家族の事を大事にしてくれる人と結婚するのを夢見ていた。 だが、夢は夢。現実はそう甘くなかった。 私が愛した人は、自分の事を本当に愛してくれていたんじゃなかったと知った時は、この世の全てを恨んだ。 悲しくて、悲しくて……憎かった。 それでも生きてこれたのは、自分の胎に芽生えた小さな命を守る為。その為だけに生きてきて、生まれたばかりの結花を見た時、自然と涙が溢れてきた。これから一生、なにがあってもこの子だけは守ってみせると改めて決意したのを覚えている。 そう思うと、私のママも私を生んだ時、そう思ったのかな……とかいろんな想いが溢れてきた。 壊れそうなほど小さい手を握り、ようやく訪れた穏やかで幸せな時間を噛みしめていた。「あ、そうだ。ママ達に知らせないと」 海外に渡米する時は、驚いてはいたものの、私の意見を尊重して許してくれた両親。胎に子供がいるという事は誰にも伝える気はなかったが、移住して暫く経って落ち着いたころに煌と桜に両親にだけは伝えた方がいいと説得され、連絡をしてみた。内心では怒っていたと思うが極めて冷静に話を聞いてくれた。 父親については少し追及された。「ごめん。それだけは言えない」 「相手はこの事を知っているのかい?」 「……」 「遥乃。子供を育てるって言うのは簡単なことじゃない」 「分かってる」 だけど、奏に何て言えばいいの?貴方の子ができましたって?『は?冗談じゃない』『君とは遊びだったんだから』『子供は諦めてくれ』 そう言われるのがオチ。そんな事になったら、私はもう立ち直れない。この世に生きる意味
遥乃は顔を真っ赤に染めながら、奏の『印』を隠そうと服で覆った。恥ずかしいはずなのに、期待が込められた視線を向けてくる。(堪らないな……) 他の連中は知らない、僕だけが知る遥乃の顔。 奏はそっと頬に手を当てると、ゆっくりと顔を近付けた。遥乃は一瞬、戸惑った顔をしたが、僕を受けいるように黙って目を閉じた。 二人の息が重なる。熱く甘い時間…… 遥乃の口から答えは聞けなかったが、なんとなく何を言いかけたのかは分かっている。『それは結婚も?』 正直、遥乃と出会う前までは結婚なんてどうでもよかった。いつものように親の決定にいい返事をして、決められた相手と添い遂げるつもりだった。 だが、遥乃のいない未来なんて考えられなくて……いざとなれば、両親とぶつかる覚悟は出来ていた。 それなのに――……遥乃は僕の前から消えた。 いくら探しても見つからず、心に大きな穴が開いたようだった。それでも、いつものように変わらぬ日常はやってくる。 もう毎日がどうでも良くなっていた奏は両親の決めた大学に進み、言われるがままに医者になっていた。傀儡のような人生だと失笑するぐらいに…… そうなると、次は結婚だ。家柄と容姿に釣られて絡んでくる女性は多くいたが、どうしても付き合う事が出来なかった。(どうせ付き合った所で、相手は決められている) まあ、それでいいと思っていたある日、患者として目の前に現れた柚の姿を見て、忘れていた感情が少しずつ戻ってきていた。 そして……あの日初めて親に反抗した。 腕に抱いた遥乃を目にした両親は不快感を前面に出していたが、構わずその場をやり過ごした。だが、家に帰ってからが大変だった。「奏!どういうことだ!」「どうって、知っての通りだけど?」 実家に呼び出され、言ってみれば怒りを露わにしながら机を叩きつける父親
藤原家は藤原グループとして知らぬ者はいないと言えるほどの名家だ。 奏の勤めている病院も藤原グールプの一つで、奏の父親も有名な外科医で、母親は会社をいくつも経営する敏腕社長だ。 そんな家庭に生まれた奏は、生まれた瞬間から親が決めたレールを歩き続けてきた。 親が決めた習い事をやり、親の決めた学校へ進学し、親の決めた職業へ就いた。 名家と呼ばれる家に生まれた者の運命だと思って受け入れていた。 遥乃に会うまでは──…… 「えぇ?奏くん家って全部親が決めてるの?進学や仕事も?」 「そうだね。生まれた時から僕の人生は決められてる。まあ、うちはこれが普通なんだと思ってる」 ある日の放課後、家に呼んだ時に進学の話になり、つい自分の生立ちを話してしまった。 遥乃は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに表情を戻し眉を下げた。「……辛くない?」 「え?」『可哀想』だの『金持ちは違う』とは言われてきたが、僕を心配する言葉をかけたのは遥乃が初めてだった。「あ、ごめんね!奏くんの人生を否定してる訳じゃないの!ただ、自分が本当にやりたい事を見つけた時、親の期待と自分の意思……どっちを取っても辛いだろうな……って」 自分のこと様に語りかける遥乃の言葉を黙って聞き入ってしまった。正直、そんなこと考えた事なかった。というより、本当にやりたい事なんてこれから先見つかる事があるのだろうか……「それに……」と言いかけて「なんでもない」と誤魔化した。「なに?」 「ううん。ごめん、気にしないで」 「そう言われると、余計気になるんだけど」 笑って誤魔化そうとした柚に詰め寄り、壁際まで追い詰めると覆い被さるように壁に手を置き柚を見下ろした。「ねぇ、教えてよ」 「ッ!」 困ったように視線を逸らすが、それすらも許さないと顔を固定され、
