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第4話

Auteur: 時の旅人
綾乃はソファに腰かけ、すっかり家の主のようにふるまっていた。近くでは蒼真が「綾乃おばちゃん!」と何度も呼びかけて、すっかりなついている様子だ。

柚葉が部屋に入ると、綾乃はすぐに立ち上がり、明るい笑顔で言った。

「柚葉さん、お帰りなさい。今日は蒼真くんが退院する日だったので、直樹さんに頼まれて、一緒に蒼真くんを送り届けたんです」

柚葉は思わず拳を握りしめ、心の奥底から怒りがこみ上げてきた。

直樹はもうここまで堂々としている。隠れて浮気するだけじゃ飽き足らず、ついには女を家の中にまで連れ込むようになったなんて。

柚葉の表情が険しくなるのを見て、直樹はあわてて説明した。「あ、えっと、蒼真だよ。どうしても綾乃の手を離そうとしなくて。せっかく病気が治ったばかりだし、蒼真の好きにさせてやろうと思って……」

柚葉は目を見開き、直樹を睨みつけた。怒りで体が小刻みに震える。

この二人は、あまりにも人を馬鹿にしている!

「直樹、蒼真には母親がいるはずでしょ?なんで他の女に面倒を見させるの?」声まで震えて、目には怒りの色が浮かんでいた。

直樹は気まずそうに苦笑し、すぐに柚葉の前にやってきて言った。

「柚葉、そんなに怒るなよ。最近ずっと蒼真の看病で大変だったろ?だから、綾乃にちょっと手伝ってもらおうと思っただけなんだ。お前に少しは休んでほしくて。

でも、もし嫌なら、今すぐ帰ってもらうよ」

柚葉は顔を引きつらせ、無表情のまま直樹を見つめた。

本当に、上手いものだ。この男は。

みんなの前では、あくまで「柚葉が一番大切」だと振る舞い、彼女の気持ちを第一に考えるふりをする。

今も、柚葉が不機嫌になると、すぐに綾乃を帰らせようとしてる。

でも、どれだけ芝居が上手くても、もう本当のことを知ってしまった自分だけは騙せない。

柚葉は口を開きかけ、真実を打ち明けようとした。

その瞬間、蒼真が彼女の前に駆け寄ってきて、スカートの裾をぎゅっとつかんだ。「ママ、綾乃おばちゃんを帰らせないで。僕、綾乃おばちゃんが好き。一緒に遊びたいんだ」

蒼真の泣き声が頭の奥に響き、柚葉は思わずこめかみを押さえた。

涙にかすむ目で、四年間育ててきた息子を見つめると、胸の奥がきゅっと痛んだ。

「蒼真、本当に綾乃おばちゃんが好きなの?でも、ママはあの人のことは好きじゃない。蒼真ならどうする?」

「だったらママが出ていけばいい。綾乃おばちゃんにここにいてほしい。ずっと一緒に遊びたいんだ」

柚葉の瞳がさっと揺れ、喉の奥に苦いものが込み上げてきた。息をするのもつらくなる。

本当は、こうなることなんて分かっていたはずなのに。それでも、どこかで奇跡を信じていた自分が、まだいた。

直樹の腕を振りほどき、そのまま階段を上って寝室にこもった。

直樹は焦った様子で何度もドアを叩いた。「柚葉、ごめんって。今すぐ綾乃を帰らせるから。な?

……今は話したくないなら、ゆっくり休んでくれ。落ち着いたら、またちゃんと話そう」

柚葉はドアの内側で身を寄せ、何も返事をしなかった。

階下から蒼真の笑い声が聞こえてくる。そのたびに、胸の奥の傷口がまた痛み出す。

ここから出ていくべきなのは綾乃じゃなくて、自分の方かもしれない。結局、本当の家族はあの三人で、自分は何者でもない。

あまりにも疲れ果てて、もう目を開けている力さえ残っていなかった。

どれほど時間が経ったのか分からない。気がつくと、床の上で眠ってしまっていた。目を覚ますと、目の前には綾乃が座っていた。

「何しに来たの?」柚葉は無理やり体を起こし、睨みつける。「今すぐ部屋から出ていって」

綾乃は口元に薄く笑みを浮かべ、ゆっくりと柚葉の前に歩み寄った。「柚葉さん、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。私はただ、あなたの子どもの居場所を教えてあげようと思って来ただけなのに……」

柚葉は冷たく鼻で笑った。綾乃がそんなに親切な人間じゃないことは、最初から分かっている。「自分の子どもは、自分で探すから。今すぐ出て行って」

「そう?本当に知りたくないの?その子が男の子なのか女の子なのか、今どんな姿をしているのかも?」そう言って綾乃はスマホで動画を見せてきた。

画面には、四、五歳ぐらいの男の子が映っている。体中傷だらけで、顔も腫れている。その子の髪を乱暴に引っ張りながら、何かを無理やり口に押し込んでいる大人の姿があった。

柚葉はその場に立ち尽くし、胸の奥がきしむように痛んだ。

会ったことがなくても分かる。この子は、間違いなく自分の子どもだ。

「どうして、こんなにひどい目に遭ってるの?口に入れられてるのは……何?」柚葉は怒りで拳を強く握りしめ、指先が真っ白になるほどだった。

「さあね。親のいない子はみんな、こんなふうにいじめられるものなんです。あれは牛の糞か、馬の糞か、人の糞か、私にも分かりません。ただ、とにかく毎日、何度も口に入れられているみたいです」

綾乃は得意げでどこか狂気じみた笑みを浮かべ、目には悪意があふれていた。

柚葉はもう我慢できず、勢いよく綾乃に駆け寄って、思いきり平手打ちした。

その直後、直樹が部屋に飛び込んでくる。

綾乃はとっさに直樹の背中に隠れ、泣きじゃくりながら訴えた。「直樹さん、私はただ謝りたくて来たのに、柚葉さんがいきなり殴ってきて」

怒りが収まらない柚葉を前に、直樹の視線は二人の女性の間を行き来していた。

次の瞬間、彼は荒々しく綾乃の腕をつかんで引き寄せた。「柚葉にちゃんと謝れ!殴られて当然だろう。人を怒らせるお前が悪いんだから」

綾乃は顔を押さえ、信じられないという表情で直樹を見つめた。

そんな様子を見て、直樹はさらに怒鳴った。「聞こえなかったのか!」

柚葉はかすかに苦笑いを浮かべ、もうこれ以上二人の芝居に付き合う気はなかった。きっぱりと二人を部屋から追い出した。
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