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恋は水の跡
恋は水の跡
Author: 鴨肉丼

第1話

Author: 鴨肉丼
彼女がこれまでの人生で最も荒唐無稽なことをしたのは、破産した名家の御曹司を連れ帰ったことだった。

彼と彼女は月一万円のアパートに住み、三百円送料無料のTシャツを着て、唯一の娯楽と言えば毎晩の情熱的な逢瀬だった。

七年後、彼が再起を果たした最初の行動は、自分を捨てた初恋のために盛大な歓迎会を開くことだった。

「竜は池の底に留まらず」——彼がいつか去る運命だと、彼女は最初から知っていた。

ただ今回は、彼が去る前に、先に彼を手放すことにした。

……

「先輩、山間部の教育支援に応募することを決めました」

電話の向こうの声は驚きに震えていた。「薫さん、山奥の生活は過酷ですよ。本当に覚悟は?」

五十嵐薫(いがらし かおる)は軽く笑った。「私には家族もいませんし、苦労は慣れっこです。子供たちが外の世界を見られる手助けができれば、それこそ私にとって意味のあることです」

「彼氏さんは?噂では……今や実業界の大物だとか。あんな過酷な場所に行かせないでしょう?何より、離れ離れになるでしょう?」

彼氏?

小池拓也(こいけ たくや)——彼を彼氏と呼べるのだろうか?

また笑みを浮かべた。「彼とは元々別世界の人。ここ数年は盗んだ時間で楽しんだだけ。もう別れるつもりです。彼の意向なんて関係ありません」

彼女の決意が固いと悟り、先輩はため息をついて最後に告げた。

「出発は半月後。準備を整えておいて」

薫が応えると、電話は切れた。

次の瞬間、携帯が震えた。追加の連絡かと思い慌てて開くと、送られてきた動画に薫の指先が凍りついた。

倉橋由紀子(くらはし ゆきこ)からのものだった。帰国祝いの宴の映像——主役は紛れもなく小池拓也。

拓也が由紀子の為に歓迎会を開くことは知っていたが、宴の詳細まではわからなかった。しかし由紀子は待ちきれぬ様子で、自らその一部始終を薫に伝えに来たのだ。

動画の中——

由紀子が彼のスーツの袖を涙ぐんだ目で掴み、声を震わせている。

「拓也……あの時本当は私だって離れたくなかったの。両親が命懸けで止めたから……連絡もできなくて……」

「ごめんなさい、ずっとあなたのことだけを……」

拓也は何も答えず、ダイヤモンドを鏤めたティアラをそっと彼女の髪に載せた。

「毎日、待っていた」

由紀子は嗚咽を漏らし、彼の胸に飛び込む。彼は拒まなかった。

周囲の喝采が鳴り響いた。

動画の後に届いた由紀子のメッセージは、嘲りの香りがした。

【今日は薫さんの誕生日だったわね?残念ながら、拓也は私を選んだみたい】

【寂しいでしょう?誰か呼んであげようか?】

薫は挑発的な文字列を無言で見つめた。更に見知らぬ番号から写真が送られてくる。拓也が由紀子と街を歩く姿、高価な指輪を買い与える姿——全ては「お前が邪魔だ」と囁く由紀子の仲間たちの仕業だ。

【図々しいわね。私ならとっくに身を引いてる】

【幼なじみで初恋同士なのに、孤児の分際で何様よ?】

薫は一枚一枚写真を消しながら、全てを拓也に転送した。

彼が再び輝き出す日が来ることは、最初からわかっていた。ただ、その日がこんなにも早く訪れるとは。

高校時代の記憶が蘇る。

拓也は学年一位、全校女子が憧れた存在だった。薫もその一人。三年間、彼を盗み見続けたが、声をかける勇気などなかった。

卒業直前、小池家が破産。両親は自ら命を絶ち、由紀子も彼を置いて海外へ。

どん底の拓也に、初めて近づけた。

借金返済のため、彼は一日三つのアルバイトを掛け持ちしていた。ある夜、バーでの深夜勤務が気がかりでこっそり後を追った薫は、酔いが勇気を奮い立たせるまま、アパートの自室へ彼を引きずり込んだ。そして、仄暗い部屋で互いの体温を重ね合うことになったのだ。

それから二人は同じ屋根の下で暮らし始めた。

拓也は学業とアルバイトに明け暮れ、三百円のシャツすら気品を隠せなかった。

「恋人」という関係は一度も口にしたことがなく、ただ肌を寄せ合うことで凍えそうな心を温めていた。二人の暮らしは、まるで吹雪の中の焚き火のように、刹那的な温もりに縋るものだった。

ある日、薫が全財産を彼の借金に充てたことに拓也が激怒して以来、彼女は感情を口にできなくなった。

彼が自分を選んだ理由——それは倉橋由紀子に似た横顔だった。深夜、ベッドの端でスマートフォンの光に浮かぶ拓也の背中。由紀子のSNSに投稿された写真を、一枚、また一枚と指でなぞる仕草。三十分も動かぬその姿が、全てを語り尽くしていた。

別れの日が来ると知りながら、今度は自分から告げる番だ。

薫は冷め切った画面を見つめ、深呼吸をした。

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