そんな折俺にとんでもない話が持ち込まれた。
なんと「第一王子の婚約者に」と王家に請われたのである。
元々父は王と親しかった。
宰相である父は、職場である王城で「自慢の息子の話」をたびたびしていたようで、王が俺に興味を持ってしまったのだ。俺が3歳にもならぬうちから「息子の婚約者に」と言い出していたそうなのである。
父は「嫡男ですので」とそれをずっと断っていたようだが、ここにきて俺に弟が生まれてしまい「唯一の息子」ではなくなってしまった。弟というスペアができたことで、王家に請われたにもかかわらず断るほどの理由にはならなくなったのである。
俺はその話を聞いて何の理由もなく「嫌だ」と思った。
根拠などない。第一王子と聞き「嫌だ」と思い、レオンという名前を聞いて「絶対にダメ」だと思ったのである。
「父上、嫌です!俺は筆頭公爵家嫡男。王家の嫁になど言語道断。無理を押し通すような王家などこちらから切ってしまえばいい。王家にこう言ってください。「アスカはゴールドウィン家の後継者です。それを挿げ替えろと?ご無理をおっしゃる。王家に我がゴールドウィン家を敵に回すおつもりがあるのならば、婚約をお受けいたしましょう』と。それでも婚約をと言われたら、王家を討ちましょう。それがいい。父上と私ならできます!」
「落ち付くのだ、アスカ。まず一度レオン殿下に会ってみてはどうだ?殿下は5歳ながら非常に聡明で穏やかな気質だ。私から見て、お前とは合っているように思うぞ?それにお前には同年代の友もおらぬ。誰とも付き合わずに生きることはできぬのだぞ?公爵家は弟に継がせることもできる。それだけを理由に断るのは難しいだろう。そこまで嫌がる理由があるのならば、それをこの父に教えて欲しい」
今なら分かる。レオンがアスナと同じ名前だったからだ。そ彼がゲームでの俺の破滅の元、攻略対象だからだ。当時の俺は無意識にそれを感じていたのだろう。
だが、前世の記憶を取り戻す前の俺には、嫌な理由など言えなかった。俺自身分かっていなかったのだから。
こうして俺はレオンと婚約することとなった。
この時から俺は、訳の分からない苛立ちと焦燥「とにかく逃げなければ」という想いにかられるようになる。
とりあえず俺は目の前の退屈な授業から逃げ出した。いつも通り二階の窓から飛び降りて華麗に着地!
……のはずがあえなく失敗。飛び降りた先が、前日の雨でぬかるんでいたのだ。
泥で滑った俺は、飛び降りた勢いのまま後頭部を強打した。
そして……前世の記憶を取り戻し、そのショックで1週間寝込んだ。
幸いにも俺の負傷の原因である泥が倒れた衝撃をやわらげ、怪我自体は大したことはなかった。それなのになかなか目を覚まさない俺に、父も母もかなり心配したようだ。
目を覚ました俺は二人に号泣され、二度と二階から飛び降りないと誓わされたのだった。
さて、こうして俺は前世を思い出した。
そして全てを理解した。
筆頭公爵家嫡男アスカ・ゴールドウィン。王太子レオン・オルブライト。
どちらの名前にも聞き覚えがある。ありすぎた。
そう、ここは前世の姉がはまっていた、乙女ゲームの世界だったのだ。もう笑うしかない。
俺はハイスペックなラスボス、すなわち死にキャラに生まれ変わっていた。
おいおい、悪役令息かよ!死ぬ前に神を罵った腹いせか?なんて狭量な神だ!
だがこれで俺が生まれつき神童扱いされている理由も、明らかに異常なハイスペックであることにも納得がいった。全ては俺が「ラスボスだから」だ。敵は強大であれば強大であるほどクリアしたときの感動が大きいからな。
しかもこの乙女ゲームは単なる乙女ゲームではない。多様性だとやらで、男と女だけでなく、男同士、女同士、あらゆる恋愛が楽しめるクソみたいなハード仕様なのだ。
そして俺はどのルートでも必ずなにかしらの悪事を働き、どこかに飛ばされたり破産させられたりして野垂れ死ぬ。ハイスペックの設定なんじゃないのか?便利に使われすぎだろう悪役令息!
王太子と婚約の話が出たことで、現在俺の置かれている状況が分かった。
今、俺はBLの王太子ルートにいる。しかも俺の意志など関係なく。
ちなみにBLルートでは男同士でも問題なく結婚できる。剣と魔法の世界なので、魔法で身体を出産可能に作り替えることができるからだ。
ゲームのままだと、俺は王子の婚約者として主人公の前に立ちふさがる。愛され系ピンク頭の主人公令息に嫉妬の炎を燃やし、主人公を貶めるためにあらゆる悪事に手を染め、断罪されることになる。
どおりでレオンという名に嫌悪を覚えるわけだ。王太子との婚約?もってのほかだ!面倒だし嫌に決まっているだろう!どちらも俺にとっては鬼門でしかないではないか!
だが実際のところ「面倒で嫌だ」というだけ。生死を分けるほどの問題ではない。
他の奴なら詰んだだろう。だが転生したのは他でもない、この俺なのだ。
記憶を取り戻した俺は無敵だ。何故なら俺は全ルートの攻略済。鬼畜オタクな姉にての全スチルの回収を命じられていたため相当やりこんだ。つまり、このクソゲームを熟知しているのである。
更には今の俺は悪役といえど最高位貴族。ビジュアル的にも文句なしの美形。おまけに頭よし運動神経よし魔力膨大という高スペック。怖いものなしだ!
そもそもゲームの強制力かなんだかしらんが、ここまで最強の設定の俺が「頑張る健気な主人公」やら「お育ちの良いご立派な王子様」やら「王子の側近軍団」程度になぜ敗北する?普通に考えたらあり得ないだろう。
この俺の新しい人生に敗北という文字はない。こう言い切るだけの根拠もある。
実はBLルートの俺にはある得点があった。このルートでだけ特殊な能力が使えるのだ。
通常、魔法は「火」「水」「風」「土」「木」の5種類。だがそこに例外が加わる。「光」と「闇」だ。これは訓練では身に着けることができない特性で、「能力」と言われる異能になる。
このルートでだけ俺はこの能力が使える。光属性のヒールと浄化、闇属性の呪いと解呪が。
しかし難点がひとつ。この能力が判明するのは、婚約式で教会に行った時だ。婚約の誓いのため神像に手を触れた際、神棚に置かれた光と闇の宝玉が光る。そこで初めて俺の能力が判明するのだ。つまり、婚約式に出ないと判明しないのだ。
この能力は、俺の神童ぶりをいわば神の域にまで高めてくれる能力だ。だから、利用しない手はない。存分に世間に知らしめたい。
従って婚約式には出席するしかなくなったのだが。まあ、そこは仕方がない。諦めよう。婚約してもレオンを避けて避けて避けまくればよいのだから。
レオンだってそこまで拒否してくる相手とは婚約継続したくないだろう。早期に向こうから円満に婚約解消させればいいのだ。文句を言われたら「なら俺は将来他所の国に行く」という伝家の宝刀を抜けばいい。歴代最高の魔力の能力持ちを手放すわけにはいかないから、王家も黙るしかないだろう。
万が一不敬が問われ国外追放コースになっても、今から備えておけば野垂れ死ににはならない。いや、こんなスペックを持ちながら、ゲームの俺が大人しく断罪され野垂れ死にしたことの方がおかしいのだ。
この世にはめったに現れぬというこの異能を利用して俺は生き残る。
ひとりで好き勝手に異世界無双をさせて貰おうではないか。
こうして俺は婚約式でレオンと初めて顔を合わせた。
「う、嘘だろ……!無理だ……!!」
髪の色こそ違うが、アスナの面影がそこにあった。
ふるりと身を震わせた俺にレオンが「大丈夫?」とほほ笑みかけ、手を差し出してくれる。
が、俺はとっさにその手を払いのけてしまった。
パチン!
その音に皆の視線が集中する。
払いのけられたレオンの手は少し赤くなっていた。かなりの強さで叩いてしまったようだ。わざとではない。だが、これはさすがにヤバかったかも。
ところがレオンは、俺に向かって怒るどころかほほ笑んだのである。
「ごめんね?びっくりしたよね?……僕は君と婚約できてうれしい。これから仲良くしてね?」
父の言う通り穏やかな性質ではあるようだ。大人たちも賞賛の目をレオンに送っている。
「…………驚いたのだ。わざとではない。痛い思いをさせてすまなかった」
俺は婚約や仲良くということには一切触れず、手を叩いたことだけを謝罪した。
下手に頷いて言質をとられたくなかったのだ。
認めたくないが、俺はレオンが怖かった。笑顔でありながらレオンが俺に向けるその視線には、どこか子供らしくない熱が籠っていたから。
俺は、なんとしてもレオンを避け続けようと心に誓ったのだった。
皆が魔法実習をしている間にそ知らぬ顔で教室に戻れば、ドヤドヤとクラスメートたちが戻ってきた。もちろんその中にはエリオットの姿も。「あっ!アスカ様、アスナ様!今までどちらにいらしたのですか?授業にいらっしゃらなかったので心配致しました」さも俺たちを気遣うように駆け寄ってくるエリオット。皆に見えないよう「ボクを置いていくなんて酷いじゃないですか」と小さく唇を尖らせた。自分だけに向けてこんな顔をされれば、大抵の男は都合のいい勘違いをするのだろうな。「悪いが、俺は魔法授業は免除されている。別に出る必要がないのだ。アスナは実技禁止を言い渡されている」「ってこと!」「えっ?!免除?禁止?………そんなの無かったのに……やっぱり……」最後の言葉は無意識なのだろう。口から出てしまっているぞ、エリオット。うーん。このエリオット、ゲームとは違いかなり詰めが甘いぞ。隠すつもりあるのか?俺としてはその方がいい。せっかくだ。少し意地悪をして楽しもう。「無かった、とは?どういうことだ?」「……いえ、なんでもありません」「君と俺は先ほどが初対面だと思うが、どこかで会ったことが?」「え?アスカ様は有名ですから!ボク、ずっとファンだったんです!」これは本心なのだろう。ガシっと俺の手を両手で掴み、熱く語りだした。「神童と呼ばれていらしたんですよね?5歳になるころには魔法を使いこなしていたとか!ご自分で学ばれたんですか?ああ、伝説の黒髪と金色の瞳……!この目で拝見できる日が来るなんて夢のようです!頑張った甲斐がありました!!」本心……なのだろう……が……。「なのにアスナ様もどうして黒髪なのですか?!ゴールドウィン直径のみに引き継がれるはずなのに!しかも、レオンハルト殿下と同じお顔ですよね?殿下の遠縁ということですが、おかしくないですか?そもそも……」「ステイ」ひとさし指でそっとエリオットにふれたとたん、エリオットの動きが止まる。別に触れなくてもできるのだが、エリオットにはこの方が分かりやすいだろう。俺の目配せでアスカがサッと動いた。わざとらしく大声を上げて動けなくなったエリオットを支える。「エリオット、どうした?!大丈夫か?きっと初日で緊張していたんだな。少し休んだ方がいいんじゃねーか?」「そうだな。医務室に連れて行こう。アスナ、彼を
向かった先は、カフェテリア。この時間は授業中だから、利用するものはいない。見とがめられたとしても、アスナは「実技禁止」の身だし、俺は俺で魔法の授業で習う程度のことは既に身についている。だから問題ないだろう。「誰もいねえ」「ちょうどいいだろう?アスナ、俺はBセット。あと、アールグレイティーをポットで。食後はレモンタルトだ」「持って来いって?はいはい、ご主人様。このアスナに全てお任せください」ちょうど観葉植物の影になる特別席。アスナはそこの椅子を恭しく引き、そこに俺が座ったのを見届けると、言われたものを注文しにカウンターに向かう。その背を見送りながら、俺はエリオットについて一旦考えを整理してみることにした。ゲームのエリオットは主役なだけあり、天真爛漫な人物という印象だった。おっとりと穏やかで優し気な外見の割に頭の回転は速く、状況判断にも優れている。ここまでは今日出会った彼と同じだ。アスカが断罪されたのは、彼をその外見で「可愛いだけの取るに足らぬ輩」だと判断し、自分の優位を信じて疑わなかったから。そこがゲームと現実との違いになる。この世界とゲームの世界が違うということはもう理解している。しかし、それは「俺」と「アスナ」というイレギュラーが関わった事象に関して、だと思っていた。つまり、俺たちが全く関わることのないキャラクターは、ゲームと同じ行動をとるし、ゲームと変わらぬ人生を送るのだ。彼らが変化するのは、イレギュラーと実際に、もしくは間接的に関わりを持ったとき。しかし、エリオットが俺に向けた感情。あれはゲームの彼ではありえないものだった。彼はイレギュラーと関わることで変化したのではなく、はじめから違っていた。そこから導かれる答えは……「エリオットも……転生者?」「アスカ、持ってきたぞ」とん、と目の前にトレーが置かれる。「Bセットは運んでくれるそうだ。届くまで茶でも飲んでようぜ?」丁寧な手つきでティーカップに紅茶を注ぐ。「ほい。砂糖は2つ、だったよな?」「うむ。それでいい」「礼はいらないぜ?で、難しい顔で何を考えていた?」「アスナ、恐らくエリオットも転生者だ。もしくはお前と同種」「何故そう思う?」「お前というイレギュラーに反応した。そして、お前と同じ匂いを感じる。お前はどう思う?」俺の言葉にアスナはニヤリと
エリオットもそれに気づいたようだ。「お気遣いありがとうございます、アスナ様。では、遠慮なくそちらに座らせて頂きますね?宜しくお願いいたします」にこり、と笑う表情はとても可憐なのだが、チラリと俺に視線を寄越して目を細めた姿に一瞬だけ肉食獣の気配を滲ませる。あえて俺にだけ分かるように。うん。やはり面白い。従順なだけの犬よりよほどいい。そんなところまでアスナにそっくりだ。「いいな。……実にいい」思わず口にした俺に、アスナがしかめっ面をした。「アスカ、あいつに近寄るなよ?頼むから余計なことは考えるな。アイツは鬼門だ。俺だけにしておけ」机の下で俺の足を蹴るアスナ。その足を遠慮なく踏みつけてやる。「いて!」涙目で睨むアスナに、涼しい顔を向ける俺。「どうした、アスナ?おかしな奴だな。“お前ならこれくらい十分対処できるはずだ“ だろう?」挑発するように顎を上げてやれば、アスナは唖然とした後、くしゃくしゃと自らの頭をかき交ぜた。「……ふー……。イエス・マイロード。全てあなたの仰せのままに」「アスカ様、同席できて嬉しいです!よろしくお願いいたしますね!」「よろしく。アスカ様はお忙しい。君の案内は俺に任せてくれ!こうみえて学園には詳しいんだぜ?中途入学どうし“仲良くしようぜ?“」にこにこと子犬のように尻尾を振って見せるエリオットに、俺ではなくアスナが返事をする。「ええ。“仲良く“してくださいね?ボク、アスナ様にもとても興味があるんです」ここで声を潜めて、こう口にした。「貴方は誰ですか?どうしてここにいるの?」ピリッ。アスナからエリオットにだけ分かるように殺気が放たれた。普通ならば向けられた相手には相当な負荷がかかるそれを、エリオットは難なく受け止めて見せる。「ごめんなさい。お気に障りました?じゃあ、言いなおしますね。“貴方はなんですか?”」キラキラしたタンザナイトが今は赤く燃えていた。一触即発の空気。おいおい。ここはどこか忘れたのか?後ろの奴らには瞳の色の変化までは見えていないようだが……仕方ない。俺は魔力を載せてゆっくりと告げた。「ステイ、だ。エリオット」ピタとエリオットが静止する。その目が驚いたように見開かれた。俺はゆっくりと人差し指を唇に当て、目を細めて悠然とほほ笑んだ。「ここはどこだ?そして今は授
ほだされるな、か……。俺は背にジワリと滲む汗を感じながら苦笑した。「……もう遅いようだ」エリオットの視線が明らかに固定されている。あえて視線が合わぬよう微妙にずらしているのだが……目を合わせるまでそうしているつもりか?クラスメートもそれに気づき、ざわつき始めた。「エリオット様、アスカ様とお知り合いなのかしら?」「いや、田舎に居たっていうし接点はないのではないか?」「アスカ様に見惚れる気持ちは分かるがな」なにかを期待するかのような視線が、俺に集中してしまった。いや、どうしろと?ゲームの中で知っているだけで、今世では初対面なのだぞ?それに好印象を持ちはしたが、積極的に関わりたいわけでもない。「遅かったか………」アスナが大げさにため息をついた。「仕方ねえなあ貸し一つな?」すっくと立ちあがるアスナ。俺に向いていた視線は一気に隣のアスナへと向かう。「先生!よろしければ俺が彼に校内を案内しましょうか?同じ中途入学した仲間として」キラキラスマイルを披露して、ダメ押しにウインク!「きゃああああ!アスナ様、お優しいっ」「さすが面倒見がいいよなあ」クラスメートの声を後押しに、エリオットに向かって微笑みかける。「エリオット、どうだ?君さえよければ、だが……」みんなこいつの外面に騙されているようだが、よく見ろ。目の奥が全く笑っていないだろうが!これは明らかにエリオットに対する挑発だ。果たして彼はそれに気づくか……?驚いたように目を丸くしていたエリオットが、クスリと笑みを零した。「あはは。……うん、分かりました。………アスナ様、でしたか?ええ。よろしくお願いいたします。貴方さえよろしければ」浮かべる笑みは無邪気なものだが……一瞬その目がキラリと光ったのを俺は見逃さなかった。どうやら彼は無邪気なだけの人ではないようだ。さすがに公爵家と渡り合うだけのことはある。能力と努力する力、そして状況を素早く判断し行動するだけのしたたかさも持ち合わせていた。ゲームの中のアスカはそれに気づかなかった。悪役で好き勝手していたアスカこそが、恵まれた家族と環境に育ち、「自分は無敵なのだ」と信じて疑わない無邪気な人だったのだから。エリオットを「顔だけのやつ」と見くびったのがゲームのアスカの敗因だ。俺は違う。自分で言うのはなんだが、あの家族の中で
そうこうするうちに、エックスデーはやってきた。そう、あのピンク頭の主人公が学園に登場したのである。俺の記憶よりも若干早いのは誤差といったところだろうか。「身体が弱く療養していたため入学が遅れた」という触れ込みなのはゲームと同じ。彼は「公爵家の息子。これまで田舎で病気療養していたが、ようやくいい薬が見つかり学校に通えるようになった」ということになっている。だが実のところは、健康そのもの。平民として育てられていたため、学園に通うための最低限の貴族のルールが身についておらず、入学に間に合わなかっただけなのだ。そう、彼は昔侯爵が手をつけた使用人がこっそりと産んでいた侯爵家の庶子。生まれてからずっと放置されていたのだが、可憐な令息に成長していたことがたまたま侯爵の耳に入ってしまった。しかも公爵にとって都合のいいことに、王子と同じ年齢。そこで王子と縁を結ばせようと、母親を脅すようにして無理やり公爵が引き取ったのだ。ゲームのレオンは、彼の「飾らない素朴さ」を気に入り側に置くようになる。そして彼と婚約するため、能力は高いが必要以上にレオンに執着する婚約者、アスカ・ゴールドウィンを断罪するのだ。その彼がA-2、つまり俺のクラスに入ってきた。実際の彼はゲームで見るよりも可憐だった。本当に男なのか?線の細い華奢な身体つき。健康だと知っている俺ですら「病弱だったのか」と信じてしまいそうだ。特徴的な珍しいピンク色の髪は、クセ毛なのかふわふわとカールし、彼の顔の周りを柔らかく彩る。けぶるような長いまつげが影を落とす瞳の紫は、まるで希少な宝石タンザナイト。見る角度によって深い青にも見えた。小さな顔というキャンバスの中に絶妙なバランスで配置された鼻はスッキリと小さく、薔薇の花のように可憐な唇がふわりとほどけて柔らかな言葉を紡ぐ。「エリオット・クレインです。田舎で療養していたので、入学が遅れてしまいました。身体が弱く社交をしてこなかったので、失礼なことをしてしまったらごめんなさい。皆さんにご迷惑をおかけせぬよう頑張ります」そう言って遠慮がちに微笑む姿は謙虚で清廉そのもの。野に咲く花を思わせた。てっきり侯爵が金にものを言わせてAクラスに入れたのだと思っていたが……立ち居振る舞いからするとそれもなさそうだ。ゲームの印象では単なる前向き(空気を読まない)で素朴(
なぜ教授からもクラスメートからも感謝されるようになった俺は、いつの間にかこう呼ばれるようになった。曰く「猛獣遣い」そして……「黒の女神」と。猛獣遣いは理解できる。実際に隠してはいるがアスカは俺の従魔なのだから、本質を突いているといえよう。だがしかし!「女神」とは何だ「女神」とは!崇める方向がおかしな方に進んでいないか?100歩譲って、せめて「神」にしてくれ!またそれを面白がったアスナが「我が主君にして至上の女神、アスカ様。今日も素敵です」だの、「私が忠誠を誓うのは黒の女神のみ」だのといって憚らないから、他のクラスの輩まで俺を拝みだしたじゃないか!俺に親しみを持ってもらうんじゃなかったのか?崇めるを超えて神聖視され出したんだが?今日も左右に黒と金を連れ、うんざりしながら廊下を歩く。こうなってくると、いっそピンク頭の登場が待ち遠しくすらある。奴がきたらこの状況も何か変わるだろうから。レオンがピンクに惚れてくれれば御の字。金魚のフンとかした後ろの二人もレオンと共に向こうに消えてくれるだろう。「……あと半月か……」対零した俺の言葉を聞きとがめ、アスナがこっそりと耳元で囁いた。(「きゃあ!」と悲鳴が聞こえるが今さらだ。気にした方の負けである)「アイツが来るまでか?…………まさか、待ち遠しかったりしねえよな?」「今の状況を見ろ。待ち遠しいに決まっているだろうが」「はあ?馬鹿なのか?悪役にされてえのかよ」「俺が奴に?はっ!笑わせるな!奴を俺の手駒にすればいい。利害の一致、ってやつだよ」チラリと後ろを示す。「敵の敵は味方だというだろう?こいつらをヤツが誑かしてくれるのを温かく見守ってやりたいだけだ。それだけで俺から面倒が離れていくんだ。WINWINだろ?」アスナが呆れたように目をくるりと回した。「お前さあ……いくら面倒が嫌だからって、開き直りすぎ」するとレオンが反対側から口を挟んできた。「気のせいかな?今『面倒』と聞こえたんだが……。まさか私のことではないよね?」それににっこりとほほ笑んで断言してやる。「ああ、お前のことではないぞ?」お前と後ろの二人のことだからな。なんだかんだ「ストーリーはゲームと別ルートに進んだが、主要キャラクターは然るべき時に必ず登場する」それが俺とアスナの共通見解だ。俺がアスカに成り代わり、アス