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神津司は嫌味にならない程度の外国車のハンドルを切り、割り当てられた撮影所の駐車場に愛車を停車させる。
今日から自分が入る現場は来期放映予定の新規ドラマの撮影現場だ。いわゆる典型的な学園ドラマ作品で、神津は幽霊が見える主人公を導く教師の役を演じることになっている。
(主演は確か、新人とか言ってたな)
いわゆる演技の素人を相手にしなければならないことに、神津はハンドルに腕を乗せてその上に自分の頭を乗せると、それはそれは深い溜め息を吐いた。
(巻きとは言わないから、押すのは勘弁してほしなぁ)
と、神津は助手席に無造作に置いたスマートフォンを取り上げて画面を開く。立ち上げるアプリは緑のメッセンジャーアプリだ。神津は上から数えて七番目の女の画面を開く。そして、「仕事が上がり次第行く」と淡泊なメッセージを送る。
幼少期から芸能界に身を置いている神津は、世間様とは随分と感覚がずれた生活を送るようになっていた。その最たる例が今のメッセージだ。
神津には今、ベッドを共にする女性が七人いる。それぞれ曜日で分けていて、人肌が恋しい時は相手の予定などお構いなしにマンションに押し掛ける。女たちが文句ひとつも言わず神津を迎え入れているのは、互いが互いを牽制してのことだ。どの女性も皆、自分が頭一つ抜きん出て神津の寵愛を得たいと考えているのはわかっている。神津の持つ人脈の恩恵を受けたいからだ。それを逆手に取っている神津の来訪を、彼女たちは断るなど考えたこともない。
「さて。夜の約束もしたことだし、現場に行くか」
車内で伸びをした神津は助手席に置いた黒のボディバックを肩から掛けると滑るように車を降りて撮影現場へと向かうことにした。
神津はとにかく見目が良い。カラスの濡れ羽色のような黒髪に、漆黒の瞳。肌色は健康的で、適度に鍛えているので威圧感を与えない程度の体格を維持している。
用意された控室に荷物を置くこと暫く。神津専属の女性のスタイリストたちが部屋にやってくる。皆気心の知れたスタッフなので、神津は愉しくもない雑誌をペラペラとめくりながらセットされていくままに身を任せる。すると、ヘアメイクの女性が話を振ってきた。
「神津さん。連ドラするの久々じゃないです?」
「ん? ああ。最近舞台ばかりやってたからな」
「そのままご実家の家業を継ぐんじゃないかって、噂になってたの知ってます?」
神津の実家は江戸時代から続く歌舞伎の名門で、一家揃っての芸能に両足を突っ込んでいた。
神津はつまらない雑誌から視線を上げることなく、
「ああ、そんな話も出てるね。親父が何考えてるなんて、俺にはわからないさ」
なにせ家を出てもう十年になる。幼少期から演技に打ち込んできたが、それは現代劇での話。「自分の代で終わりにする」と父に内々で言い聞かされて育った神津は、歌舞伎の歌の字も触ることなく今まで生きてきた。今更家業を継げと言われる方が難しい。
「髪とメイクはできましたよ。あとはスタイリスト、よろしくね」
後ろで衣装を吟味していたスタイリストが親指を立てて応じる。
神津は席から立ち上がり、劇中服を受け取った。
「おはよーございまーす」
白のワイシャツに黒のスーツと言う劇中服に身を包んだ神津が前室に入る。既にそこにはスタッフが揃っており、中には見知った人間もいる。その最たる例が今回の共演者だ。
「あ、いた。元気してた? 樹」
自分同様に子役上がりの陸奥樹。少し青味がかった髪色に、色素の薄い瞳を持った樹は神津より十歳年下だ。樹が子役だった頃、何度も同じ現場を踏んだこともあって、気心知れた人間の一人でもある。
「今回、久々に共演だな。よろしく」
「よろしくお願いします」
パイプ椅子から腰を上げた樹が神津に頭を下げる。相手は芸歴四半世紀。樹が生まれる前から芸能界で活躍している。先輩に礼を掻く真似はできなかった。
折り目正しく挨拶をする樹に「いつもながら堅いが、それで良い」と笑った神津は、樹に問うた。
「今回の主役はどこかな? まだ現場入りしてないとか?」
「いえ、あそこに――」
と、樹がスタッフに紛れた今回の主役を指差そうとした時、相手の方が大声を上げてこちらを指差した。そして猛ダッシュでこちらに向かって走ってくる。
「本物の神津司だー!」
吐息が掛かるぐらいに顔を寄せてくる男の子の頭に犬耳とフサフサと尻尾が見えたのは幻覚か。樹と同い年ぐらいの男の子は瞳をキラキラと輝かせて神津の両手を自分の両手で覆うように繋ぐと、
「俺! 宮城奏多って言います! 今回共演させてもらいます! よろしくお願いしますっ!」
と挨拶を述べた。その笑顔の眩しいこと眩しいこと。こんなに純粋な目を今まで向けられたことがあっただろうか。
(俺に近付いてくるのは、みんな俺のバックボーン狙いだからな)
神津ほどの芸歴になれば方々に人脈もある。皆、それらを目的に近付いてくる者たちばかり。
「テレビの中の人に会えるなんて、夢みたいだぁ」
ブンブンと音がするぐらい手を振って神津と会えた喜びを表現する少年に、裏は感じ取れない。向けられる気持ちは純粋なもので、今まで体験したことないことに神津の身体がブワッと熱を帯びた。
(なんだ? この感覚は)
ひねくれた神津の感情は、それが『嬉しい』と認識することができない。代わりに心臓だけが早鐘を打ち、熱が顔にまで上る。ようやく言えた台詞は、
「ん、ああ……」
だけ。奏多は神津がシャイな性格だと思ったようで、神津の手を解放するとダメ押しとばかりにニッコリと微笑んだ。
茶色の髪はクセ毛なのか、フワフワしている。瞳は反して漆黒でありながら、キラキラと輝き、精力に満ちている。
(ああ……すごく可愛いかも)
そう頭が認識した途端、全ての感情を理解した。
神津司。齢二十八。初めての恋の始まりだった。
神津が回収した物品を持ってマンションに戻ると、ちょうど奏多も夕飯の食材として買ってきたものを冷蔵庫に収納しているところだった。「お帰りなさい、神津さん。早い帰りですね?」「うん、用事が早く終わったんだよ。……――奏多。ちょっといい?」 そう言って、神津は奏多を手招きする。何の疑いもなく自分の側にやってきた奏多を、神津はリビングのソファに座らせた。「奏多にとってはツラいことだけど、奏多の意見をききたい」 そう言って神津がローテーブルに広げた物は、悪徳事務所から回収してきたマスターデータと契約書の原本だった。それを見た奏多が息を呑んだのがわかる。神津はただただ、奏多の出方を待った。 ――奏多が大きく深呼吸をして、声を発する間が、とても長く、神津は感じた。「――全部、壊して。無かったことに、してください」「うん、わかった」 奏多の言葉に、神津が頷く。奏多は目じりの涙を溜めて、神津を見た。「これ、どうしたんです? 危ないこと……したんじゃ……」 止めきれなくなった涙が奏多の頬を伝う。神津は左手を伸ばし、涙を拭った。「何もないよ。ちゃんと、正攻法で回収してきたものだよ」「なんで……、俺のために……?」 「ここまでしてくれるのか」と、奏多は無言で問う。神津は少し笑って、「そんなの決まってるでしょ。――奏多のことが、好きだから」 神津はそう言って、奏多の顔に自分のそれを寄せて、薄く開いた奏多の口唇に口付ける。「前にも、何度も言ったよね。俺は、奏多のことが、好きなんだ。――負い目は感じなくて良いから……。奏多は俺のこと、どう思ってるかを教えて欲しい」 名残惜しげに口唇を離した神津が、問い返す。奏多は自分の頬に添えられた神津の手に自分の両手を重ね、「――俺も、神津さんのことが好きです」 と、ようやく自分の本音を告げる。それに神津は今度は自分が泣きそうな表情をして、 ――これで、両想いだね。 と、この上なく嬉しそうに笑った。【終】
六戸部から指定された場所に神津が到着すると、そこにはすでに六戸部ひとりが立っていた。「ほんとに来たんですね」「俺、有言実行主義だから。――それで、場所は?」「ここから十分程度の場所にあるビルです」「そう。じゃあ、ちょっと準備させてね」 と、神津は黒の革ジャケットのポケットから、これも黒革の手袋を取り出し、手に着ける。それを見た六戸部は、「奇遇ですね」と言った。「私も、黒手袋を愛用していまして」 そう言った六戸部も、背広の内ポケットから神津のものとよく似た黒手袋を取り出し、手にはめた。「それじゃあ、行きますか」「そうですね」 六戸部が応じると、神津は目的のビルに向かって歩き始めた。 六戸部の先導に従って到着した四階建てのビルは、鉄筋コンクリート製の寒々しいものだった。「らしいっちゃ、らしい建物だねぇ。……アポあり?」「いえ。道理が通るとは思ってませんので」「うん、だろうね。じゃあ、入ろうか」 神津の合図とともに、強化ガラスの自動ドアを潜る。するとすでにそこにはガラの悪い男たちがロビーの待ち合い場所のソファに行儀悪く腰掛け、タバコを吹かしていた。そんな彼らを見下ろした神津が、問う。「ここの社長に会いたいんだけど」「なんだお前。来ていきなり」「答える必要ないよ。社長室、どこ?」 いきなりケンカ腰の神津は、突然興味を削いで、エレベーターへと向かう。「パネルに書いてあるわ。訊いて悪かったね」 上に上がるボタンを押せば、ドアが開く。振り向かないまま、手をヒラヒラとさせてエレベーターに乗り込んだ神津を、男たちは睨んでいたが、二人は素知らぬ顔をした。 ドアが閉まって、最上階にある社長室の階のボタンを押す。どんどんと上がって行くエレベーターが目的階に到着し、ドアが開くと同時に、神津と六戸部は身構えた。「熱烈歓迎だね」「そのようですね」 四階の廊下には、ところ狭しと目つきの悪い男たちが立っていた。「社長に何用だ? 要件しだいじゃ、痛い目をみるぞ」「へぇ? それって、アンタに話す必要、ある?」「野郎ぉ!」 男の逆鱗をあえて触った神津に、男が手に持った鉄パイプが振り下ろされる。――しかし、それを受けたのは、神津の前に出た六戸部だった。腕でガードしたものの、それの先端がかすったこめかみから、血が流れた。「傷害罪適用ですね。正当
そこから一週間もしないうちに、六戸部は一つ目の成果を出した。「なるほど。こう来たか」 と、神津が自宅のマンションのリビングでスマートフォンで見ているのは、日付が今日になったばかりの時間に動画投稿サイトにアップロードされたものだ。物凄い勢いで視聴されているそれは、六戸部が仕組んだものだ。 謝罪会見と銘打たれたソレは、奏多そっくりの別人が巷を騒がせているビデオに出演していたのは自分であることを告白し、とある俳優さんにご迷惑をおかけしました。と、言うものだった。何も知らない奏多本人は、現在キッチンでブランチの用意をしている。 それをひと通り見終えた神津は冴子に連絡を入れ、「六戸部さんに連絡を取りたいんだけど」 と伝えると、「彼から神津に連絡を入れさせるよ。携帯番号を伝えても?」「もちろん、構わないよ」 冴子のコンプライアンスがしっかりしていることに満足しつつ、神津が通話を切る。そのままスマートフォンを手に持ったままでいると、少ししてから見知らぬ携帯番号から着信があった。神津は躊躇うことなく通話ボタンを押した。「ご連絡を、とのことだったので。何か問題でもありましたか?」 六戸部だった。神津は横目で奏多を確認してから、声量を少し抑えた。「いいや? 上手くやってくれたなと思って。――どうやったの?」 電話の向こうで六戸部が小さく笑った音がする。「私がどうしてあの場所に事務所を構えていると思いますか? あの場所は、清濁併せ吞む以上に、黒と白を反転させる場所でもあるんですよ」「なるほどね」 華やかに見える歓楽街の闇は深い。それはまるで蓮の花のように。泥と言う名の闇でもがきあがく人々を、切れそうなほど細い蜘蛛の糸で、生け贄を釣り上げるのは造作もない。「後始末の方は?」「もう一度整形したのを確認した後、東南アジア方面へ出国するのを見届けています。現地には何人も『知り合い』がいます。ご安心を」「上々。――それで、もう一つの方は?」「これから事務所に赴こうかと思っています。元が違法ですからね。マスターテープと契約書の原本の回収をしておかないと、何をするかわかりませんので」「そうだね。その通りだ。……その回収。俺も一緒に行っても良い?」「え? アナタが、ですか?」 六戸部がびっくりするのも無理はない。こうした荒事に率先して介入してくる芸能人は
そこからの神津の動きは早かった。奏多には、セキュリティ設備が整えられていないとの理由で、自分の客室を使うように勧め、必要なものは全てネット通販で注文をした。受け取りは、自動ドアのところで管理をしているコンシェルジュに頼んでおいた。「奏多。今持ってる仕事は?」 主演ドラマ以外にも仕事が入っている可能性がある。さすがに仕事に穴を開けるわけにはいかないので、ずっと家に閉じ込められない。奏多は今撮影中のドラマと深夜のコンビニエンスストアのアルバイトだけだと答えた。「しばらくはコンビニバイトはお休み。ドラマ撮影の時は、うちの事務所の裏方を一人、マネージャー代わりの付けるよ。伊藤って言うんだけどね。信用できるヤツだよ」 そこまで聞いて、奏多の顔色が青ざめる。事務所すら違うのに、ここまでしてもらう謂れがないからだ。「あのー……。神津さん…、。その……、ご迷惑、じゃないですか?」 神津の心を測りかねている奏多は、困惑を隠せない。神津は朗らかに笑って、「大丈夫。さっきも言ったけれど、悪いようにはしないから。だから、奏多は事務所に沈黙を守るようにだけ言ってくれれば良い。もし、それでも心苦しいって言うなら」 と、神津は奏多の耳に囁いた。「この間の告白の本当の返事。全部終わったら聞かせてよ」 と、奏多の顔を朱に染めた。 おそらくあの時、「自分が神津にふさわしくない」と言ったのは、自分を身売りした過去があったからだろう。穢れた自分は、神津の想いに応えられないと思ったのだろう。けれど、神津はそれは自分の告白を断る理由にならないと思っている。(君のまっすぐさは、ほんと眩しいよ) 自分の欲のためではなく、世話を掛けた祖父のために、奏多は汚れた金であっても掴みたかったのだ。それを非難するような輩がいようものなら、神津は鉄拳制裁を食らわせてやろうと思っている。 神津は奏多の肩をポンっと叩くと、「奏多はドラマ撮影以外、この部屋にいれば良いから。後は俺に任せてね」 そう言うと、神津は自分のスマートフォンをローテーブルから取り上げて、部屋を出て行った。「冴子さん。頼んだ調査結果の件だけど。――潰すことにしたから」 エレベーターで地下駐車場にやってきた神津は、愛車に乗り込むと、社長の冴子に電話を掛けて、そう告げた。「恋は人を盲目にさせるねぇ。まぁ、神津がそう言うなら、
ちょっとしたクレジットの後から始まる映像。黒のマスクで口元を隠した奏多が、複数人の男たちに良いように弄ばれる内容は、観ていて気持ちの良いものではない。ただ、このビデオ、局部部分は少し広めのモザイク処理が施されていた。画面の中の奏多が、二人の男に身体を押さえられた上でマスクを剥ぎ取られ、三人目に無理矢理犯されている。それは次々と相手が代わっていき、途中で奏多は抵抗する気も失せてなすがままになっていく――と言うものだった。(胸糞悪い……) 自分以外の見知らぬ男たちに良いようにされていることが、どうにも腹立たしくて仕方がない。(俺だったら、泣かせたりなんかしないのに) 神津は忌々しく思いながら停止ボタンを押すと、天井を仰ぐようにしてソファに身体を預け、そのまま眠ってしまった。神津が次に目を覚ましたのは、外がすっかり闇に落ちた頃。来訪者を告げるインターフォンの音で起きた。応答に出れば、カメラ越しに奏多の姿がある。伊達メガネにキャップを被っている奏多の表情は、やはりどこか昏い。「今、開ける」 と、神津がエントランスの自動ドアを開ける。奏多がマンションに入って、エレベーターに乗り込み、神津の部屋の前に到着するまでおよそ五分程度。気が急いている神津は玄関前でスタンバイし、ドアベルが鳴ると同時に迎え入れたい衝動を抑えて、一呼吸置いてから玄関ドアを開けた。「いらっしゃい、奏多。待ってたよ」 努めて明るい声で迎え入れたつもりだった神津だったが、奏多の曇った表情が明るくなることはなかった。(まぁ、仕方ないよね) 奏多の心情を考えれば、無理からぬこと。神津は奏多に部屋に上がるよう促し、奏多は素直にそれに従った。 神津の住む部屋は、広いリビングにダイニングが併設され、別室に本人の寝室と衣装部屋、客間を一つ持っている。 リビングに入った奏多は帽子とメガネを外し、神津に促されるままに長ソファに座った。神津は少し間隔を空けて、同じ長ソファに座った。「……」 しばしの沈黙の後、神津から話を切り出した。「今、世間を騒がせてる、奏多の疑惑のことなんだけどね」 と、前置きして、神津はローテーブルの隅に置いていたマニラ封筒を引き寄せ、そこから無言で中身を奏多の前に広げた。ヒュッと奏多が息を呑んだのがわかる。神津はわずかに目を細めた。「暴くようなことをして、ごめんね。―
東京都郊外で行われている撮影現場は表面上こそ和やかであったが、ある一角だけ、空気がとても重かった。――奏多の周辺だった。「奏多」「……神津さん?」 奏多の表情は疲れ切っている上に困惑が広がっている。それはそうだろう。今日は神津の撮影は入っていないからだ。「どうしてここに?」「時間があったから、撮影を見に来た」「……そう……なんだ……」 奏多の表情が警戒に変わる。(まるで手負いの獣のようだ) 奏多の態度で、疑惑が限りなく黒に近いと察した神津は、奏多の警戒を解くために、奏多の頭をいつかのようにポンポンと叩いた。「大丈夫だから」 神津は優しい笑みを浮かべてそれだけ言うと、周囲にあいさつをしながら現場を後にした。そして次に向かったのは、所属事務所の本社ビルだった。「やぁ、神津。ちょうど良かった。今、連絡しようと思っていたところだよ」 事務所のマネージメント課にいた冴子が、やってきた神津の姿を見つけて声を掛けてくる。その手には、マチがついたマニラ封筒がある。おそらく、その中身は神津が頼んだ案件の資料だろう。「冴子さん、どうも。――社長室で?」 神津が右手を上げて応答する。冴子は「そうだね。そうしよう」と応えると、動いてくれた社員を労ってから、神津と連れ立って部屋を移動した。 冴子の執務室は業界の人間みならず、様々な経営者などが訪れてくるため、広く絨毯張り上に黒革張りの応接セットも用意されている。神津は自分がドアに近いソファに座り、冴子は奥の自分の定位置に腰を下ろした。「おおよそ見当は付いていると思うけれど、結論から言うと、黒だったよ」 そう言って、冴子は封筒の中から証拠となる書類やDVDパッケージを取り出す。複写された契約書類には奏多のフルネームが直筆でサインされており、DVDのジャケットにはマスクで口元は隠しているが、間違いなく奏多が学生服をはだけさせた状態で写っていた。「発行元は男女関係なく未成年者が出演していることを売りにしたアダルトビデオを作成して販売を繰り返してる。一回の出演料は三十万ぐらいだそうだ」「……たった、三十万で……」「お前にとってはな。彼ら彼女らにとっては大金だよ」 冴子に諭されて、神津は口惜しそうに口を歪める。その視線の先には、契約書に署名した奏多の名前があった。 目を細めた冴子が足を組み直し、神津を視