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振り返る先に、泡沫の誓い
振り返る先に、泡沫の誓い
清水澪

第1話

清水澪
藤原深也(ふじわら しんや)の浮気を初めて知ったのは、私たちの新居でのことだった。

若くて血気盛んだった私は、その場で離婚すると言い出した。

すると深也は「酔ってて、人違いをしたんだ」と泣き出して、私の前にひざまずいて許しを乞うた。

「どうしても離婚するって言うなら、俺今すぐここから飛び降りてやる!」

その一言で、私はつい情にほだされてしまって、それから5年が過ぎた。

この5年間、彼はずっと優しくしてくれていた。あの夜の出来事なんて、まるでなかったかのようだ。

周りの人たちも、「深也は死ぬほど君を愛してるよ」と口を揃えて言っていた。

そんなある日、深也の母親――藤原和子(ふじわら かずこ)の60歳の誕生日パーティーで……

和子が突然、深也にこう聞いた。「深也、私の孫は?どうして来てないの」

私は一瞬きょとんとした。勘違いでもしているのかと思って、慌てて笑顔で答えた。

「お義母さん、忘れちゃったんですか?私の出産予定日、まだ2ヶ月も先ですよ」

すると和子は、冷ややかな目でちらっと私を見て、ボソッと呟いた。

「ああ、あんたはまだ知らなかったのね」

胸がざわつき、思わず深也の方を見た。彼は落ち着いた様子で箸を置いて、まるで何でもないことみたいに言った。

「実はさ、俺、息子がいるんだ。もう5歳になる」

……

手に持っていた箸が、床に落ちる。耳鳴りがして、視界も少しぼやける。

「えっ、息子って?」唇を震わせて、思わず聞き返した。

「5年前、清水琴音(しみず ことね)と過ごしたあの夜……彼女は妊娠したんだ」

深也は何も隠そうとしない。打ち明けたことで少しほっとしているようにも見えた。

「今さらバレても仕方ない。この5年間、隠し通すのは本当にしんどかったから」

私はどうしていいか分からなくて、和子の方を見る。

「お義母さん、深也と一緒に冗談言うのはやめてくださいよ。今日は誕生日なんだから、ドッキリですよね?」

しかし、和子はただ静かにお茶を飲むだけだ。私の問いかけに、何も答えてくれない。気持ちはどんどん沈んでいく。

深也がさらに言葉を続ける。

「冗談なんかじゃない。妊娠が分かったとき、医者に『この子をおろしたら彼女の体に障る』って言われたんだ。

いくらなんでも一つの命だからな。放っておくわけにはいかなかった」

子どもの話になると、深也の表情はすっかり穏やかになった。

私は無意識に、大きくなったお腹を撫でる。妊娠8ヶ月で、もう少しで出産予定日だ。

「希美(のぞみ)、お前は感謝するべきだ。俺はお前の子をおろさせたりしなかったんだから。

じゃなきゃ、俺たちは一生、自分たちの子どもを持てなかったんだぞ」

信じたくないが、深也と和子の態度を見れば分かる。二人は嘘をついていない。

どうりで、あのとき深也は半年も出張に行っていたわけだ。毎日ビデオ通話で報告してきていたが、本当は外にいるあの母子を世話するためだったのだ。

その後の5年間も、毎月1週間は必ず出張に出ていた。それもすべて、琴音と一緒に過ごすためだった。それなのに、私はすっかり騙されていた。

無理に口角を引き上げるが、目頭が熱くなる。

「今までうまく隠し通してたじゃない。どうして話す気になったの?」

深也が口を開く前に、和子がバンッと箸をテーブルに叩きつけて、声を荒らげる。

「私が孫に会いたいと言ったからよ」

和子は大きく深呼吸をしてから、言い聞かせるように続ける。

「あんたにはよくしてきたよね?良い子なのは分かってる。でもね、孫がこの5年間もコソコソ隠れて生きてきたなんて、可哀想でならないのよ」

だらんと下げていた指がビクッと縮こまって、視界が揺れる。つまり、みんなこのことを知っていた。私一人を除いて。

和子は金庫から書類を取り出す。そこに書かれている資産をすべて合わせると、総額二億円にもなる。

「藤原家はあんたにひどい扱いはしないわ。ただ、あの子を受け入れてくれれば、あとは何も気にしなくていいの。

深也も約束してくれたわ。これ以上、琴音とは深く関わらないって……」

和子の言葉が終わらないうちに、深也がそれを遮る。

「もし受け入れられないなら、離婚してもいい」

彼は離婚届を取り出す。そこにはすでに彼の名前が書かれている。私はその紙に穴が空くほど、じっと見つめる。

5年前、私は離婚すると言った。あの時、深也は自殺をほのめかしてまで私を引き留めたのだ。やっと心のしこりをなくしたというのに。今になって、彼は離婚すると言う。

沈黙が広がっていく。時計の針が進む音だけが響く。やがて、玄関のドアが開く。甲高い声が聞こえてくる。

「お義母さん、明(あきら)を連れてお誕生日のお祝いに来ましたよ……」

琴音は5歳の子どもの手を引いて入ってくるが、私を見た瞬間、笑顔がピタッと凍りつく。気まずそうな顔をして、口ごもる。

「神崎さん……」

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  • 振り返る先に、泡沫の誓い   第8話

    再び深也の姿を目にした時、彼は見る影もなく痩せこけていた。もはや話したいことは何もないので、私は背を向けて立ち去ろうとする。しかし、深也は別人のように、私の後ろをぴったりとついてくる。さらには、自ら頭を下げて謝罪までしてきた。「琴音と明には金を渡して追い出した。二度とお前の前に現れることはない。母さんのことも、もう心配しなくていい。……希美、一緒に帰ろう」深也の「一緒に帰ろう」という言葉を聞いて、私は滑稽でならなかった。「帰る?帰る場所なんて、もうどこにもないわ」5年前にも言ったはずだ。もし二度と浮気したら絶対に許さないと。今の私は、彼ともうこれ以上時間を無駄にしたくないだけだ。「俺が悪かった。だが、俺たちはまだ夫婦なんだ。離婚はしない」深也の言葉を聞いて、5年前の彼の誓いを思い出した。でも誓いなんて、常に破られる宿命にあるのだから。私が全く動じないのを見ると、深也は車道の真ん中に立ち塞がる。「俺の命に懸けて誓う。二度とこんなことはしない」私の心は凪いでいた。かつてのように心が揺れ動くことも、彼を引き止めることもない。私はただ彼を冷ややかに見つめるだけだった。猛スピードで車が通り過ぎたとき、深也はようやく顔を真っ青にして歩み寄ってきた。「市役所に離婚届を提出しに行きましょう」私は小さく息を吐き出して、ひどく落ち着いた声で言った。市役所で離婚の手続きを終えて、深也が私に尋ねてきた。「もし、俺があの子をおろせと言わなかったら、許してくれたのか?」彼は続けざまに、言い訳を並べる。「実は、あの子には障害があったんだ。俺はお前たちを守るために……」「許さないわ」私は彼の言葉を遮った。たとえ彼が子どもをおろさせなかったとしても、私たちはもう後戻りできない。彼が別の女を庇ったあの瞬間に、私はとうにこの愛情を捨てていたのだ。(おわり)

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  • 振り返る先に、泡沫の誓い   第4話

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  • 振り返る先に、泡沫の誓い   第3話

    深也と和子は、結局、琴音と明を家に迎え入れた。和子は可愛い孫を庇うように抱き寄せる。「明は私の孫よ。誰にもいじめさせやしないわ」その視線は何度も私のほうに向いて、警戒心がむき出しだ。それを聞いた琴音は、目の奥にうっすら得意げな色を浮かべた。さっきまでの不安そうな様子は消えて、深也の腕にそっと手を絡ませた。「神崎さん、安心してください。居場所を奪うつもりはありませんから。ただ、息子を父親のそばにいさせてほしいんです。隠し子なんて言われるのはかわいそうですから」私は口元を歪めて、思わず皮肉を口にする。「かわいそう?でも事実でしょ。どう繕っても隠し子であることは変わらないよ」琴音の顔から血の気が引いて、泣きそうな顔で深也を見つめる。深也は眉をひそめる。「希美、みっともないぞ」その冷たい言葉に、私の心はかすかに震える。拳を握って、また力が抜ける。乾いた声が喉から絞り出された。「5年前に言ったよね。二度目はないって……」深也は息子の小さな手を握りながら、上の空で答える。「離婚届ならもう渡しただろ。離婚には同意するし、引き止めもしない。でもさ、お前、まだ俺の子どもがお腹にいるんだぞ」彼の視線が私の膨らんだお腹に落ちる。「俺は明と一緒に暮らしたいだけだ。まだ5歳だし、父親がいないなんてダメだろ?本当に心が狭いんだな。それにさ、俺たちの子にお兄ちゃんができるんだ、いいことじゃないか?」自分が悪いことをしているとはちっとも思っていないようだ。その悪びれない言葉で、最後の希望も粉々に砕け散る。私が何かを言う前に、深也はさらに言葉を続ける。「母さんとも話し合ったんだが、来週パーティーを開くつもりだ。そこで明に、お前を『義理の母親』として挨拶させる。そうすれば周りも何も言わないだろう」胸の奥の悲しみを必死に押し殺す。まさか彼がそこまで計算していたとは。「絶対に嫌よ」深也は鼻で笑う。「いいだろう。じゃあ今すぐ病院行って、その子をおろしてこい」一瞬で頭が真っ白になって、声を荒らげる。 「何言ってるの!8ヶ月にもなってるのよ!」深也の顔は落ち着き払っていたが、口から出る言葉はどこまでも残酷だ。「俺は父親だ、決める権利がある。産まれれば子どもだけど、今はただの肉の塊だ。よく考えろ。明を認

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