تسجيل الدخول私の目の前に立っていたのは、私のドレスと完璧にリンクした、同色のスリーピーススーツを隙なく着こなす智哉さんの姿だった。
上質な生地が彼の長身と引き締まった体躯をこの上なく引き立てており、いつも以上に洗練された大人の色気を放っている。あまりの美しさと圧倒的なオーラに、私は先程まで隠れてネクタイピンを選んでいた焦りも忘れ、ただ息を呑んで見惚れてしまった。瞬きすら忘れて呆然と立ち尽くす私を不思議に思ったのか、智哉さんは微かに眉をひそめ、トーンを落とした声で私を現実に引き戻した。「…おい。大丈夫か、ひより」自分が穴が開くほど彼を見つめていたことに気づき、顔が熱くなる。「かっこよすぎて見惚れていた」なんて絶対に言えるはずもなく、私は慌てて視線を泳がせながら、ぎこちない返事を絞り出した。「あ、はい…っ。だ、大丈夫です」誤魔化すように彼の首元へと視線を落とした瞬間、あることに気付く。完璧に見える彼の装いの中で、唯一、胸すべての会計と手続きが終わり、重厚なVIPサロンの扉が開かれる。私たちが退室しようと立ち上がると、先ほど私に寄り添ってくれた新人店員さんが、小走りで私たちの前へと進み出た。彼女は両手を前で丁寧に重ねると、誰よりも深く、そして心のこもったお辞儀をして、真っ直ぐに私たちを見上げる。彼女の誠実な態度は、冷ややかな視線を向けていたベテラン店員とは対照的で、私の強張っていた心を優しく解きほぐしてくれた。「本日は、誠にありがとうございました……!」彼女のその心のこもった挨拶に、智哉さんは立ち止まった。普段なら他人の顔などいちいち覚えない彼だが、今回の彼女の接客をしっかりと評価していたのだろう。篠原グループのトップとして数多くの人間を見てきた彼だからこそ、本物の気遣いができる人間を見逃すことはなかった。「名前はなんという」圧倒的なオーラを放つ智哉さんから突然直接名前を尋ねられ、新人店員さんはヒッと小さく息を呑んだ。まさか自分のような新米が、直接言葉をかけられるなど微塵も思っていなかったのだろう。彼女は緊張で顔を真っ赤に染め、肩をビクッと跳ねさせながらも、必死に背筋を伸ばした。「は、はいっ! む、村瀬瑠奈と申します」極度の緊張でガチガチになっている彼女の姿を見ても、智哉さんが不快感を露わにすることはなかった。「覚えておこう」そのたった一言の短い言葉に込められた圧倒的な肯定に、村瀬さんの大きな瞳からぽろりと大粒の涙が溢れ落ちそうになった。彼女は慌てて目元を拭うと、感動で震える唇を必死に結び、今日一番の深々としたお辞儀をした。「あ、ありがとうございます…っ! 光栄です」私も自分のことのように嬉しくなり、顔を上げた彼女に向かって小さく、心からの微笑みを返した。しかし、そんな温かい空気を、到底空気を読めない甲高い声が容赦なく引き裂いた。「篠原様! 本日は誠にありがとうございました! 次回はぜひ、奥様にもっと相応しいお品をご提案させ
私の目の前に立っていたのは、私のドレスと完璧にリンクした、同色のスリーピーススーツを隙なく着こなす智哉さんの姿だった。上質な生地が彼の長身と引き締まった体躯をこの上なく引き立てており、いつも以上に洗練された大人の色気を放っている。あまりの美しさと圧倒的なオーラに、私は先程まで隠れてネクタイピンを選んでいた焦りも忘れ、ただ息を呑んで見惚れてしまった。瞬きすら忘れて呆然と立ち尽くす私を不思議に思ったのか、智哉さんは微かに眉をひそめ、トーンを落とした声で私を現実に引き戻した。「…おい。大丈夫か、ひより」自分が穴が開くほど彼を見つめていたことに気づき、顔が熱くなる。「かっこよすぎて見惚れていた」なんて絶対に言えるはずもなく、私は慌てて視線を泳がせながら、ぎこちない返事を絞り出した。「あ、はい…っ。だ、大丈夫です」誤魔化すように彼の首元へと視線を落とした瞬間、あることに気付く。完璧に見える彼の装いの中で、唯一、胸元のシルクのネクタイの結び目がほんの少しだけ斜めに歪んでいたのだ。「あの、智哉さん。少しだけ……失礼しますね」私は彼のつま先が触れ合うほどの至近距離まで近づくと、小さく断りを入れてから、そっと両手を彼の胸元へと伸ばした。いつもならこんな大胆なことはできないけれど、彼が私のためにここまでしてくれているのだから、些細なサポートくらいはさせてほしかった。固く結ばれたシルクの感触を指先に感じながら、丁寧に結び目を中央へと直していく。その間、私の顔のすぐ横には彼の広い胸板があり、そこから体温で温められた彼特有の清潔なシトラスの香りがふわりと漂ってきた。見上げた瞬間、至近距離で彼の漆黒の瞳とバッチリ目が合ってしまった。「ネクタイが、少しだけ歪んでいたので……」「あぁ。ありがとう」「……いえ」彼から少しだけ離れようと身を引こうとしたけれど、智哉さんは左手をスッと動かし、私の腰のあたりに軽く添えて引き留めた。
頬に触れる彼の手の熱と、甘く囁かれた言葉に、私の心臓はとうとう限界を迎えそうになっていた。これ以上この至近距離で彼に見つめられていたら、演技だなんだと頭で考える前に、私が完全にショートしてしまう。私は彼の胸元からそっと身をよじり、真っ赤に染まった顔を隠すように俯きながら、小さく抗議の声を絞り出した。「智哉さん。皆さん、見ていますよ……っ」私が周囲の目を気にして震える声で訴えると、智哉さんは悪びれる様子もなく、むしろこの状況すら楽しんでいるかのように微かに口角を上げた。そして、私の頬からゆっくりと手を離すと、わざと甘い余韻を残すように、低く色気のある声で囁いた。「あぁ、そうだな。続きは家に帰ってからにしよう」「……っ」家に帰ってから。その言葉の持つ途方もない破壊力に、私の顔はさらにカッと熱を帯びた。ベテラン店員が、愛想笑いを浮かべて再びすり寄ってきた。「本当に仲が良くて、羨ましい限りでございます」彼女はまだ完全に営業を諦めたわけではないらしく、手揉みをしながら恭しく新たな提案を持ち出してきた。「実は、ご提案なのですが。素晴らしいペアリングがございまして」まだ懲りていないみたいだ。けれど、ペアリングという甘い響きに、私の心は無意識に小さく跳ねてしまった。智哉さんとお揃いのリング。契約関係の私たちには分不相応なものだと分かっていても、純粋に興味を惹かれてしまう。「ペアリング、ですか……?」私が思わず聞き返すと、ベテラン店員は待ってましたとばかりに目を輝かせた。「はい。奥様のドレスと、篠原様に発注していただいたスーツに合うデザインになっているかと存じます」……発注?店員さんのその一言に、私の思考がピタリと止まった。 智哉さんは今日、デパートへ行く理由を「今週末のパーティーに着ていくスーツを買いに行く」と言っていたはず。けれど、発注がすで
ビクッと肩を震わせた私は、思わず弾かれたように顔を上げ、彼の瞳を見つめ返した。「どうして、分かったんですか……?」私の驚いた顔を見て、智哉さんは微かに目を細めた。「ひより。他人の目や値段なんか気にせず、自分が本当に気に入ったものを身につければいい」彼が私に求めているのは、完璧な人形として着飾ることではなく、私自身が自分の意志で選び、心から笑って隣に立つことだった。「私は…すごく綺麗で……これを、身につけたいと思いました」その言葉に智哉さんは満足そうに頷くと、手にしていたネックレスをそっとトレイに戻し、迷うことなく決断を下した。「そうか。ならこれにしよう。あのドレスにも、この淡い色はよく映えるはずだ」しかし、私たちの間に流れるその穏やかな空気を、空気の読めないベテラン店員の焦燥に駆られた声が容赦なく引き裂いた。智哉さんの放つ威圧感に怯えていたはずの彼女は、なんとかこの商談を数千万円単位のものに引き戻そうと、顔面を蒼白にしながらも必死に割って入ってきたのだ。「お、お待ちくださいませ……っ! それでしたら、こちらと似たデザインで、より大粒のダイヤをあしらったきらびやかなお品がございます!」彼は私からゆっくりと視線を外し、ベテラン店員を射殺すような冷徹な眼差しで睨むと、言葉の刃で真っ二つに切り捨てた。「本当に、それが彼女に似合うと思っているのか」その声は、決して声を荒らげているわけではないのに、その場の空気を凍りつかせてしまう。「もちろんでございます。価値のある人間は価値のあるものを身につける──────」「価値がある人間は、身につけるものの値段で自分の価値を証明する必要などない」智哉さんの重く、真理を突いた言葉の前に、ベテラン店員は言葉を失い、ゴクリと大きな唾を飲み込んだ。「ただ高価なものだからという理由だけで身につけようとする人間は、本当は自分自身に何の価値もないという自信のなさを、金で覆い隠しているに過ぎない」
ドレスが無事に決まり、私はようやく解放されるのだと胸を撫で下ろした。けれど、智哉さんの完璧主義はドレス一着を選んだ程度で終わるはずがなかった。外商担当の案内で私たちが次に通されたのは、目が眩むような光を放つ宝石たちがずらりと並べられた、VIP専用のジュエリーサロンだった。ガラスケースの中に鎮座する、見たこともないような大粒のダイヤモンドや豪奢な宝石の数々。ただでさえドレス選びで精神をすり減らしていたのに、現実離れした空間にすっかり気後れしてしまう。ソファに深く腰掛けて次々と運ばれてくるジュエリートレイを鋭い目で吟味し続ける智哉さんに向かって、声をかけてしまった。「智哉さん……これとか、十分素敵じゃないですか……?」私が疲れ切った声でそう問いかけると、智哉さんはトレイに向けられていた視線をゆっくりとこちらへ移した。「まだすべてを見たわけじゃないのに、これで十分だと決めるには早い」確かに彼が選ぼうとしてくれているのはどれも一級品なのだろうけれど、私のような地味な人間に、数千万円もするような煌びやかな宝石の価値の違いなど分かるはずもない。ドレスがシンプルだからこそ装飾品で華を添えるべきだと店員さんたちは熱弁しているが、今の私には、どれを見てもただ高くてキラキラしている石にしか見えなかった。早くこの場から逃げ出したいという焦りもあり、私はつい投げやりな言葉を口にしてしまった。「ネックレスとイヤリングなんて、どれをつけたって同じですよ。どれでも……」私がそう言いかけたその瞬間、智哉さんの纏う空気が一瞬にして氷点下まで凍りついたのが分かった。「……どれでも、だと?」低い声に込められた静かな怒りに、私は弾かれたように背筋を伸ばし、慌てて言葉を濁した。視界の端に入った、店員さんがお勧めだと猛アピールしていた、大粒のダイヤモンドが散りばめられた派手なネックレスを指差し声を上げた。「た、例えば、これとか……っ!」私が震える手でその豪奢なネックレスを手に取ろうとした瞬間、そこに添えられていた小さな値札のゼロの数が目に飛び込んできた。一、十、百、千、万……。私が一生かけても稼げないような桁違いの金額に衝撃を受け、バッと手を引っ込めてしまった。「それは派手すぎる。ドレスの静謐さを完全に殺しているな。……それに、どうせ本当にいいと思って選んだわけじゃない
私たちは専用車に乗り込み、都内でも有数の高級デパートへと向かった。 VIP専用の入り口から通され、外商担当の案内で案内されたのは、一般客の立ち入らない煌びやかな特別サロンだった。 ふかふかのソファに深く腰掛けた智哉さんは、外商の担当者が次々と運び込んでくる目を見張るようなハイブランドのドレスを一瞥するなり、氷のように冷たい声で即座に切り捨てた。 彼が求めているのはパーティーを華やかに彩るための装いではなく、悪意に満ちた敵だらけの戦場で私を守るための完璧な鎧。 けれど、それにしても彼の基準はあまりにも厳しすぎた。 「背中が開きすぎている。却下だ」 美しい刺繍が施されたバックスタイルのドレスを見た彼は、眉間に深い皺を寄せ、一切の容赦なくそのドレスを視界から弾き出した。 次に運ばれてきたのは、淡いシャンパンゴールドのシルクがふんだんに使われた、エレガントな一着だった。 智哉さんはその滑らかな生地の質感を鋭い目つきで値踏みするように見つめると、またしても短く息を吐き捨てた。 「これは生地が薄すぎる。却下」 拒絶が続き、サロンの空気にはヒリヒリとした緊張感が漂い始めていた。 「あの、智哉さん……」 少しだけ咎めるように彼の名前を呼んだというのに、智哉さんは私の声など全く聞こえていないかのような態度を貫き通した。 「次だ」 その短く鋭い一言に、店員たちはビクッと肩を震わせ、慌てて新しいラックを運び込んできた。 プロである担当者も意地を見せたのか、今度は肌の露出を極力抑えた、長袖でハイネックのクラシカルなブラックドレス。 これなら文句はないだろうと私もホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、智哉さんの漆黒の瞳はさらに険しさを増していた。 「こんな身体のラインが出るものを着せる気か」 もう何着目になるか分からない却下の連続に、私はいたたまれなくなって彼と店員さんの間に割って入った。 どれも女性なら一度は憧れるような素晴らしいドレスばかりで、私には到底もったいないほどの品だった。それなのに、片端から不合格にしてしまうせいで、まるで私が過保護な親に監視されている中学生のような気分になってくる。 私は店員さんに申し訳なさそうな視線を送ってから、不機嫌さを隠そうともしない彼の傍に寄り、少しだけ咎めるような声で控え
この日が、とうとう訪れてしまった。私はパーティー会場の端で、ワインを片手に静かに佇んでいた。煌びやかなシャンデリアの光が眩しく、笑い声とグラスの音が絶え間なく響く中、心だけが冷たく孤立している。扉が開いた瞬間、亮介が園田家の令嬢を伴って登場する。その姿はまるで見せつけるための演出のようで、私の胸を鋭く抉った。周囲から「お似合いだわ」という声が漏れ聞こえ、華やかな祝福の空気が広がる。この場にいること自体が罰なのだと、痛感せずにはいられなかった。「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。皆さまに改めてご報告申し上げます。私どもはこのたび、婚約いたしました」その言葉が響い
「勝手に信じたお前が悪い」その言葉は胸を鋭く突き刺す。自分の愛が一方的な思い込みだったのかと考えると、心臓が締め付けられ呼吸が浅くなる。「もういい。私は、ここを出ていきます」決意は苦しくも確かなものだった。裏切られた愛にすがるより、自分を守るために離れるしかない。震える声で別れを告げると、胸の奥にわずかな自由への希望が芽生えた。「出ていくなら、その前に借金を返済して行け」突然突きつけられた借金という言葉に、頭が真っ白になる。「借金…?」私は、彼にお金を借りたことなんて一度もない。「お前の母親は、俺に5000万円の借金をしている」母が…?母が彼に5000万円もの借金を
今日は私の誕生日だった。 手の込んだものではないけれど、彼の好きな料理を作ってテーブルに並べていた。 朝は何も言われなかったけれど、誕生日だから早めに仕事を切り上げて帰ってきてくれるはず。 そのとき、テーブルの上に置いたスマートフォンが小さく震える。 何気なく画面を覗き込むと、差出人不明のメッセージ通知。 開いてみると、一枚の写真が添付されていた。 「…なにこれ」 そこに写っていたのは、私の婚約者だった。そして彼の隣には、別の名家の令嬢。 ヨットの上で、二人はためらうことなく唇を重ねていた。 指先から力が抜け、スマートフォンを落としそうになる。 頭が真っ白になる。 信じ
翌日、彼は私との契約を守るために弁護士と秘書を伴い、亮介に会いに行った。 私は扉の外で待たされることになり、中で何が行われているのかはまったく分からなかった。 廊下に立ち尽くしながら、時計の針の進みを見つめていた。 中からは声も物音も漏れてこない。 「何を話しているの……」 小さく呟いても、答えは返ってこない。私はただ、扉の前で立ち尽くすしかなかった。 そして、ほんの十分後。 扉が開き、彼が姿を現した。その顔には勝利とも安堵ともつかない影が浮かんでいる。 弁護士が短く頷き、秘書が静かに後ろに控える。 「借金は全て片付けた。だからもう、あいつに従う必要なんてな







