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第3話

作者: Hayama
last update publish date: 2026-04-20 14:43:39

この日が、とうとう訪れてしまった。

私はパーティー会場の端で、ワインを片手に静かに佇んでいた。

煌びやかなシャンデリアの光が眩しく、笑い声とグラスの音が絶え間なく響く中、心だけが冷たく孤立している。

扉が開いた瞬間、亮介が園田家の令嬢を伴って登場する。

その姿はまるで見せつけるための演出のようで、私の胸を鋭く抉った。

周囲から「お似合いだわ」という声が漏れ聞こえ、華やかな祝福の空気が広がる。

この場にいること自体が罰なのだと、痛感せずにはいられなかった。

「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。皆さまに改めてご報告申し上げます。私どもはこのたび、婚約いたしました」

その言葉が響いた瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。

彼の声は堂々としていて、会場の人々は笑顔で拍手を送る。

けれど私にとっては、愛した人が自分ではない誰かと未来を誇らしげに語る残酷な宣告にしか聞こえなかった。

ワインの赤がグラスの中で揺れ、涙を押し殺す心の波が重なって見える。私はただ端に立ち尽くし、声を失ったままその場に釘付けにされていた。

「皆さま、本日はこのように温かくお迎えいただき、心より感謝申し上げます。まだ未熟な私ではございますが、彼と共に歩む未来を大切に育んでまいりたいと存じます。どうか今後ともご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」

彼女の言葉は柔らかく、控えめで、場にふさわしい華やかさを帯びていた。

周囲はさらに拍手を重ね、祝福の空気が広がる。

未来への希望を語っているだけなのに、私にはその未来が永遠に閉ざされたことを突きつけるものだった。

「彼女は聡明で気品に満ち、これからの人生を共に歩むにふさわしい方でございます。どうか温かくお見守りいただき、今後とも変わらぬご厚情を賜れれば幸いに存じます」

彼の言葉は誇らしげで、この選択に満足しているようだった。

ワインの赤が揺れるたび、涙が込み上げ、喉が詰まるような苦しみが広がっていった。

「そこの方、ワインをお願いできますか」

その言葉は、場の空気に溶け込むように丁寧で穏やかだった。

「…かしこまりました」

その声が響いた瞬間、私の心臓は強く締め付けられた。

華やかな笑い声と拍手が絶え間なく続く会場の中で、私だけが凍りつく。

「え…」

思わず声が漏れた。

信じられない光景が目の前に広がっている。

どうしてお母さんが、そんな格好をして、彼の命令に従わなければならないのか。

母は誇り高く、私にとって唯一の支えだったはずなのに、今は人前で「使用人」として扱われている。

周囲の人々はそれを当然のように受け止め、誰も疑問を抱かない。

「お母さん…」

その名を呼んだ瞬間、胸の奥から込み上げる衝動に突き動かされ、私は思わず足を踏み出した。

人前で使用人の衣服を着せられ、命令に従う母の姿を見ているだけでは耐えられなかった。

せめて傍に行き、支えたい。その思いが私を突き動かす。

けれど、母は私の視線に気づくと、静かに首を横に振った。わずかな仕草だったが、確かに「来るな」と告げていた。

私は足を止め、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

「なお、本日は昔からの知人もお越しくださっております。彼女にもぜひ祝福していただければと存じます」

確かに、彼には知人として参加するように言われていた。だから私は、ただ端に立ち、二人の婚約を見届ける役割を果たすつもりだった。

もしもこれが彼の目的なのだとしたら。

元婚約者の婚約者を見せつけ、母が使用人として扱われる現実を突きつけ、そして最後に婚約を祝う言葉を私自身に言わせる。

これ以上残酷な仕打ちがあるだろうか。

「いや、まさかそんなわけ…」

心の中で必死に否定する。

こんな屈辱を受け入れるはずがない、受け入れてはいけない。けれど現実は容赦なく迫り、私の名前が呼ばれるのを待っている。

否定の言葉は空しく、ただ自分を慰めるための抵抗に過ぎなかった。

「桜井ひよりさん。前へ」

名前を呼ばれた瞬間、血の気が引いた。人々の視線が一斉に私に注がれる。

「はい…」

足が重く、前へ進むたびに心が削られていく。

このまま消えてしまいたいと思った。

けれども逃げることは許されない。私はただ、一歩ずつ前へ進むしかなかった。

そのとき、重厚な扉がゆっくりと開かれた。

「遅れてすまない」

低く落ち着いた声が響いた瞬間、会場の視線が一斉に彼へと注がれた。

彼は…篠原智哉。

その名は噂でしか知らなかった。

血も涙もない冷徹な人間、情を持たぬ謎めいた存在。けれど、実際に姿を現した彼は、噂以上に人を圧倒する雰囲気を纏っていた。

冷徹と呼ばれる男が、なぜこの場に現れたのか。なぜ今、この瞬間に。

答えのない問いが頭の中で渦を巻き、ただ彼の動きを見守るしかなかった。

「篠原様じゃないですか。お越いただき…」

亮介は彼に話しかけようとするが、その言葉をまるで耳に入れていないかのように、迷いなく歩みを進めた。

彼の足取りは重厚で、周囲のざわめきを切り裂くように響き、誰もが息を呑んでその姿を見守った。

噂通り冷徹な人間なのか、それとも別の顔を隠しているのか。誰もが答えを探そうとするが、彼の表情は謎めいたまま。

そして、そのまっすぐな視線が私に向けられた瞬間、心臓が跳ね上がった。

…え、私?いや、そんなわけ。

周囲の視線が突き刺さる中、彼は迷いなく私の目の前で立ち止まった。

まるで最初から私を目指していたかのように、その足取りには一切のためらいがない。

私は息を呑み、足がすくんで動けなくなる。なぜ私なのか理解できないまま、ただ彼の存在に圧倒された。

場のざわめきが遠のき、世界が静まり返ったように感じられる。

そして、彼はゆっくりと顔を近づけ、耳元に顔を寄せて低く囁いた。

「────ひより、俺にキスしろ」

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