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捨てられた私を拾ったのは、元夫のライバル御曹司でした。
捨てられた私を拾ったのは、元夫のライバル御曹司でした。
Author: 玉置寿ん

第1話・報われない結婚記念日

Author: 玉置寿ん
last update publish date: 2026-09-11 13:12:36

 自然と軽くなる足取りが、百貨店のショーウィンドウに映る。ガラス越しに目が合った自分の顔は久しぶりに晴れやかで、家までの道のりがじれったい。

 3回目の結婚記念日が今までで1番のものになる気が、美琴にはしていた。やっと、待ちわびた日が来た。きっと千尋もお義母さんも喜んでくれるはず、きっと……。

 そう、長かった。大槻千尋と結婚して以来、家業—— 『jewelry otsuki』の跡継ぎはまだかと催促される日々。会社の宝石デザイナーとして活躍しながら不妊治療を続けて、ようやく宿った命。これまで美琴を冷たくあしらってきた義母も、認めてくれるかもしれない。

 やっと報われるのだ、そんな期待を込めて、身長を超える大きな鉄製の門を開ける。

「ただいま帰りました!」

 弾むような足取りでリビングに覗かせた美琴の笑顔は、一瞬のうちに凍りついた。

 夫・千尋の横にいたのは、赤井このは。jewelry otsukiの宣伝部の新人だった。それまで笑い合っていたのであろう二人の表情が固まる。ぎこちなく視線を逸らしながら

「お、おかえり美琴」

千尋はそれだけ口にした。

 美琴はゆっくり二人を見比べた。千尋はjewelry otsukiの若き社長だ。何か理由があって社員を家に招くこともあるのかもしれない。だが、肩が触れ合うほどのこの距離感は——。

 「あら、帰ったのね」

 背後から声がした。ふり向くと、千尋の母・優子が立っていた。

「ずいぶん遅かったじゃないですか」

「す、すみません。少し病院に……」

「そう。なら連絡のひとつでもくださればよかったのにねえ。これだからあなたは」

 美琴を一瞥しただけで、千尋とこのはのほうに歩み寄る。言葉を失う美琴の前で、優子は追い打ちをかけるように、このはに微笑みかけた。

「このはさん、ずっと立っていては疲れない? どうぞ座ってちょうだい」

 美琴には決して向けたことのない穏やかな声。このはも上目遣いに優子を見上げ、片手を握って口もとに当てた。

「大丈夫です。お気遣いいただきありがとうございます」

 彼女のもう片方の手がすっとお腹を撫でたのを、美琴は見逃さなかった。

 手が震える。千尋とこのはの関係は、社内でも噂になっていた。もちろん美琴の耳にも入っていたし、同僚から、二人がホテルに入っていく写真を見せられたこともあった。

 それでも信じていた。千尋が「誤解だ」「他人とオレ、どっちを信じるんだ」と言うから。頭を埋め尽くす言葉の全てをぐっと飲み込み、「信じてるよ」と唇だけで微笑んでみせた。

 呆然と立ち尽くす美琴に、このはが近づいてきた。

「あの、奥様」

美琴の手を取る。

「ごめんなさい。私、とんでもないことを……。千尋さんに相談したら、せっかく授かった命だって言ってくれて、私……」

 このはの、新人らしい柔らかな指が美琴の手の甲の上をなぞった。

「自分のしたことは分かっているんです。でも私っ、奥様に嫌われたくなくて——」

「やめて!」

 思わず手をふり払った。腕に止まった虫を落とすような力ではない。ただとっさに出た行動だった。

 だから、このはが床に倒れ込んだのに美琴は驚いた。同時に頭がぐらぐらと揺れた。これが今現実に起こっていることだとは、信じられなかった。

 このはが床に手をついたまま「赤ちゃんが……」と泣き声を出しているのが、やけに遠く聞こえた。千尋も優子も、まるで繊細な水晶玉でも扱うかのようにこのはに駆け寄って、あれこれと手を差し出す。

 美琴はどこか焦点の合わないまま、その光景を眺めるしかなかった。

「ちょっと、いつまで突っ立っていらっしゃるの?」

 優子の尖った声に、はっと意識が戻る。いつになく厳しい視線が突き刺さる。

「このはさんに謝りなさい。彼女は千尋の子どもを身ごもっているのよ」

 千尋に目を向けた。このはの肩を支えながら、千尋も険しい表情で美琴を見ていた。

「いくら気に入らなかったからって……突き飛ばすことないだろ。見損なった。お前なら分かってくれると思ったのに」

 『分かる』?

 夫が社員と不倫をして、子どもを作ったことを?

 頭がズキズキと痛みだした。

「うっ……」

 こめかみを押さえて下を向く美琴に、千尋のため息がかかった。

「仮病までして、そんなに自分を悲劇のヒロインにしたいのか」

「あのね美琴さん」

 優子が美琴の腕を乱暴に掴んで顔を上げさせた。

「いくら庶民のあなたでも分かっているでしょう。子どもも産めないあなたに、大槻家の嫁は務まらないのよ」

 どんな言葉が続くのか想像できた。耳を塞ぎたい。目を逸らしたい。現実に追いつかない脳に、腹部もギリギリと痛む。

 だが、優子は容赦なく言い切った。

「出て行ってちょうだい。千尋にはこのはさんがいる。あなたは必要ありません」

 屋敷の大きな窓ガラスに雨粒が当たった。ひとつ、ふたつ、次々とぶつかっては歪に形を崩して、真下に流れ落ちていく。

 本来なら守られているはずの雨に美琴は打たれていた。

 追い出される美琴に、千尋はこのはに差し伸べたような温かい手を伸ばさなかった。新しい恋人の背中に触れたまま、まるで3年間の結婚生活は幻だったのだと言うように、美琴を見送ることもしなかった。

 身長を超える大きな鉄製の門を出て、立ち尽くした。これからどうしろというのか。大槻家を出るわけにはいかない理由が美琴にはあった。だがどれだけ懇願して、頭を下げても、あの2人が中に入れてくれないことは明らかだった。

「うぅ……」

 頭痛と腹痛が激しくなった。美琴はお腹に手をやり、守るように抱えてうずくまった。雨に濡れた服は体温を奪い、目も開けていられないほどの痛みに、とうとう倒れ込んだ。

 冷たいアスファルトを頬に感じた。雨が地面に跳ねるのが間近に見えた。

 だんだんと狭まっていく視界の端に、影が見えた。

「ち、千尋……?」

 その影が、屋敷とは反対の方向から近づいて来ることに気がついて、美琴は目を閉じた。

 そのとき、美琴の上だけで雨がやんだ。うっすらと目を開けてみると、黒い傘が、身体を丸めた美琴を覆っている。

 傘の主の顔が見える前に、美琴の意識は途絶えた。

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