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第二十八話「真実を告げる熱い吐息」

Auteur: ひなた翠
last update Date de publication: 2026-06-22 22:30:18

 詩織の弱音を完全に塞ぎ、すべての言い訳を消し去るような、深く、そして貪欲なまでの激しい口づけだった。

 互いの体内の酸素をすっかり奪い尽くし、熱い口内を幾度も味わい尽くしたあと、名残惜しそうに、微かな銀の糸を引きながらゆっくりと二人の唇が離れていく。

 はぁ、はぁ、と、未だに荒く上下を繰り返す互いの胸が、コートやスーツの厚い布地越しに、ぴったりと隙間なく触れ合っていた。衣服の擦れる微かな音が、静まり返った空間にやけに生々しく響く。重なり合った鼓動のリズムが、一つの巨大な地鳴りのようになって詩織の全身の皮膚を揺るがしていた。

 陵は、骨ばった大きな両手で詩織の後頭部を優しく包み込み、引き寄せる。そのまま、詩織の額に自らの額をぴたりと押し当てた。至近距離で見つめ合う漆黒の瞳には、かつての冷徹な仮面など微塵も残されておらず、ただ熱い情動だけがゆらゆらと揺らめいている。

 陵が、微かに震える熱い息を吐き出した。

「……詩織を抱きたい――だが、その前に、どうしても君に聞いてほしいんだ」

 低く、ひどく切実な、どこか祈るような響きを孕んだ声が耳元に落ちる。

 そのあまりの必死さに、詩織は胸を突
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     彼が他の女性と、あの寝室で、私の描いた絵を見上げながら新しい夜を紡いでいる。その残酷な想像が、鋭い爪を立てて心臓の柔らかな部分をぐちゃぐちゃに掻き毟る。息をするたびに肺が軋み、目の前がチカチカと点滅し始めた。「本当に、社長ったら寝室の絵を――」「余計なことを言わなくていい」 背後から、不意に声が落ちた。 ピシャリと、冷や水を浴びせかけるような鋭い響き。 低く、ひどく静かな、けれど有無を言わさぬ絶対的な威圧感を孕んで、鼓膜の奥を直接震わせるような男の声。 聞き覚えのある、いや、細胞の隅々にまで染み込んで決して忘れることのできなかったその声に、詩織の肩がびくりと大きく跳ねた。 呼吸が、完全に止まる。 高いヒールを履いた靴の裏が、大理石の床にべったりと張り付いてしまったかのように、身体がぴくりとも動かない。指先から急速に温度が奪われ、代わりに全身の血液が心臓に向かってドクドクと逆流していくのがわかる。 気のせいではない。幻聴でもない。 恐る恐る、軋む首を動かし、スローモーションのようにゆっくりと振り返る。 そこに、彼が立っていた。 数年ぶりの彼が――。 仕立ての良い、深いネイビーのスリーピーススーツに身を包み、長身を静かにそびえ立たせている。かつての傲慢な若さは削ぎ落とされ、代わりに幾多の修羅場を潜り抜けてきた大人の男としての、研ぎ澄まされた凄みが漂っていた。 感情を一切読ませない、氷のように冷たく端正な無表情。 それは、記憶の中に刻み込まれた彼の姿そのものだった。 時が、完全に止まった。 エントランスの空調の音も、遠くから聞こえていたはずの都市の喧騒も、周囲の空気から一切の音が消え去る。ただ、早鐘のように激しく打つ自分の鼓動だけが、耳の奥でやけに大きく、暴力的に響いている。 彼の漆黒の瞳が、真っ直ぐに詩織を捉えていた。その奥で、何かが微かに揺らめいたように見えたが、由衣が目を丸くして慌てた声を上げたことで、その機微はかき消された。「お兄ちゃん? あれ、会議は?」「お前が気にすることじゃない」「いやいやいや、外せない重要な会議があるって言ってたじゃん!」「いいから。お前は席を外せ」「もうっ、なによそれ……」(……お兄ちゃん?) 張り詰めていた糸が、ぷつん、と音を立てて切れた。 陵の、妹。「羽島」という同じ苗字。少し

  • 政略結婚の妻を捨てたら、世界で一番手に入らない女になっていた   第六話「甘やかなる贖罪」

     財界人パーティを早退した詩織は、タクシーで帰宅し、シャワーも浴びる気力もなく、薄手のネグリジェだけを身に着けて寝室のベッドに横たわっていた。 下腹部がまだ、じくじくと灼けている。少し動いただけで、内側のいちばん深い場所が鈍く脈打って、息が詰まった。 好きな人に抱かれた。籍を入れて半年、形だけの夫婦を続けてきたあの人に。それなのに、胸の奥はむしろ、ますます痛む。 眠りたいのに――身体は鉛のように重く疲労していたが、瞼の裏だけが妙に冴え渡っていて、暗闇の中でじっと天井を見つめ続けていた。 その時、階下で玄関の鍵が回る音がした。 詩織の身体が、跳ねるように強張る。 震える指で携帯電話

  • 政略結婚の妻を捨てたら、世界で一番手に入らない女になっていた   第五話「嫉妬は熱を帯びて」

    「あっ――」 息を呑む間もなく、強引に引っ張られる。 抵抗する暇も与えられないまま、大広間の壁際、アーチの装飾と大ぶりな観葉植物の鉢が作り出す暗がりへと引きずり込まれた。 背中が冷たい壁にぶつかる。直後、ばんと鈍い音が響き、陵の大きな手が壁につかれた。 完全に退路が塞がれた。 見上げた至近距離に、冷徹な氷のような眼差しがある。いつもは感情を一切表に出さない彼の瞳の奥に、今は暗く重い炎が揺らめいているように見えた。「なんで、ここにいる」 地を這うような、低い声。 その声色に背筋がゾクリと震え、詩織は肩を竦めた。「父に、どうしてもと命じられて……」「あの男とは、どういう関係だ

  • 政略結婚の妻を捨てたら、世界で一番手に入らない女になっていた   第四話「仮面夫婦の輪舞」

     婚姻届に判を押した、あの夜から半年が過ぎていた。 季節は二度ほど、ささやかに巡った。家には二人分の家具が増え、二人分の食器が並ぶようになったが、詩織の中に「夫婦」という確かな手応えを、運んできてはくれなかった。 心の中に隙間風が吹くような、寄る辺ない日々。名前ばかりの絆が、ただ重く、詩織の肩にのしかかっていた。    ◇◇◇ 今夜の詩織はいつもと違い、シャンデリアの光に、深く、深く、照らされていた。 都内の老舗ホテル、最上階の大広間。財界人を一堂に集めた、年に一度の祝賀パーティ。天井から吊り下げられた無数のクリスタルが、床に敷き詰められた深紅の絨毯に、万華鏡のような光の粒を落とし

  • 政略結婚の妻を捨てたら、世界で一番手に入らない女になっていた   第三話「無言の契約とかりそめの愛」

     恋の苦さに、いつしか慣れてしまった。 胸の奥底で、かつて踏み消されたはずの、あの小さく頼りない火は――灰の中で、誰にも気付かれることなく、ずっと、ずっと、燻り続けていた。消え去るほどの潔さはなく、かといって、世界を焼き尽くすほど燃え広がる勇気もない。そういう、ぬるくて、けれど肌をじりじりと焦がすような半端な熱のまま、月日だけが、静かに、無機質に過ぎていった。 その電話が鳴ったのは、街路樹の葉がわずかに色づき、秋が深まり始めた頃のことだった。冷ややかな着信音が、詩織の平穏な、しかし空虚な日常を唐突に突き破った。    ◇◇◇ 病院の長い廊下は、消毒液の刺すような匂いに、深く、隅々まで

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