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第五話「嫉妬は熱を帯びて」

Author: ひなた翠
last update Petsa ng paglalathala: 2026-05-19 22:34:29

「あっ――」

 息を呑む間もなく、強引に引っ張られる。

 抵抗する暇も与えられないまま、大広間の壁際、アーチの装飾と大ぶりな観葉植物の鉢が作り出す暗がりへと引きずり込まれた。

 背中が冷たい壁にぶつかる。直後、ばんと鈍い音が響き、陵の大きな手が壁につかれた。

 完全に退路が塞がれた。

 見上げた至近距離に、冷徹な氷のような眼差しがある。いつもは感情を一切表に出さない彼の瞳の奥に、今は暗く重い炎が揺らめいているように見えた。

「なんで、ここにいる」

 地を這うような、低い声。

 その声色に背筋がゾクリと震え、詩織は肩を竦めた。

「父に、どうしてもと命じられて……」

「あの男とは、どういう関係だ」

 詩織の言葉を遮るように、さらに鋭い問いが飛ぶ。あの男、とは、同伴してくれた朔のことだろう。

「朔は、ただの友人です。画家の仲間で……」

 必死に弁明を口にするが、陵の表情は少しも緩まない。それどころか、彼の視線は詩織の身を包む藍色のロングドレスへと落とされた。父が指定して送ってきた、身体の線を強調し、太もも深くまでスリットの入った意匠。

 するりと、陵の冷たい指先がスリットの隙間から侵入してきた。

「ひっ」

 喉の奥で悲鳴が跳ねる。薄い絹を隔てることなく、直接太ももの内側を撫で上げられた。タキシードの袖口から、微かに洗剤の清潔な匂いが漂い、それがかえって異常な状況を際立たせる。

「随分と、男を誘うような格好で出てきたんだな」

 耳元に落ちた囁きは、刃のように冷たかった。

 腕を掴まれ、乱暴に身体を反転させられた。

「きゃっ……」

 壁に両手をつかされる。冷たい壁紙の感触が手のひらに張り付いた。

 背後から陵の硬い身体が密着してくる。ドレスの裾が無造作に捲り上げられ、空調の冷気が素肌を直接舐めた。

 すぐ向こう側には、談笑する人々の気配がある。グラスの触れ合う音、足音、話し声。鉢植えの葉の隙間、アーチの装飾から落ちるシャンデリアの細い光線が、足元の絨毯を微かに照らしているだけの密室。

 下着の端に指が引っ掛けられ、脇へと強引に寄せられた。

(私――初めて……)

 籍を入れて半年。一度も指一本触れられなかった。ただの政略結婚。金目当てだと蔑まれてきた。

 それが、こんな場所で。

(こんなの――嫌だ)

 胃のあたりがひどく不快にせり上がる。震える声で、詩織は背後の男に問いかけた。

「こ、ここで……するんですか……?」

 返事はない。ただ、背中に押し当てられる熱だけが、彼の意志を無言で伝えていた。

「ご、ゴム、は……」

 絞り出すように紡いだ言葉を、陵の冷酷な声が叩き潰す。

「そんなもの、いらないだろ」

 耳元を掠める吐息。

「産めばいいだろ」

(そんな簡単に言わないでください)

 唇を噛み締める。血の味が滲んだ。

(妊娠して困るのは陵さんのほうでしょう?)

 会場の中心で誰もが羨むような美しい恋人を抱いていた彼が、戸籍上の妻でしかない、愛してもいない自分を孕ませるなど、狂気の沙汰だ。

 しかし、陵の腕は容赦なく詩織の細い腰をホールドし、逃げ場を完全に奪う。

「たくさん、注ぐから――孕めよ」

 吐き捨てるような囁き。

 ろくに解されることもなく、鋭く硬い熱が、一気に最奥まで突き破ってきた。

(――こわい)

「んぐっ……!」

 裂けるような痛みに、声が出そうになる。詩織は咄嗟に自分の手の甲を口に押し当て、思い切り噛み付いた。

(痛い……)

 涙がとめどなく溢れ、視界が滲む。歯を立てた手の甲からじんわりと痛みが広がるが、下半身を貫く激痛に比べれば微々たるものだった。

 経験のない柔肉が無理やり押し広げられ、内壁が引き裂かれるような錯覚に息が詰まる。

 無理な体勢のまま打ち据えられ、細いヒールの踵がぐらりと傾いだ。

 よろめきそうになった瞬間、陵の逞しい腕が詩織の腰を強く抱き寄せる。痛くて、恐ろしくてたまらないのに、その腕の確かさに微かな安心を覚えてしまう自分がひどく惨めだった。

「声、出すなよ」

 手の甲を噛む詩織の口元から、無理やり腕が引き剥がされる。代わりに、陵の大きな手が背後から回り込み、詩織の口をきつく塞いだ。

「だ、め……陵、さん……ここ、では」

 指の隙間から、掠れた哀願が漏れる。タキシードの袖口から香る洗剤の匂いと、彼自身の熱を帯びた体臭が混ざり合い、鼻腔を麻痺させていく。

「人が、いるから……っ」

「黙って、いろ」

 無慈悲な命令とともに、突き上げの速度が増していく。

 壁に手をついたまま、前後に激しく揺さぶられる。容赦のない蹂躙。ドレスの衣擦れの音と、肉がぶつかり合う鈍い音、そして粘着質な水音が、狭い暗がりにひどく大きく響いていた。

 すぐそこを通り過ぎる足音や笑い声と、自分たちが立てる卑猥な音が混ざり合う。見つかれば終わるという恐怖が、身体を硬直させる。

 ただ痛いだけだったはずなのに。

 陵の熱い昂りが執拗に同じ場所を擦り上げるうち、硬く結ばれていたはずの最奥から、じわじわと別の熱が湧き上がってきた。

「んんっ……!」

 腹の底から押し上げられるたびに、背筋をゾクリとさせるような甘い痺れが走る。

 頭では拒絶したいのに、身体が正直に反応してしまう。陵の動きに合わせて、内壁が勝手に彼を締め付け、より深くへと迎え入れようとしている。

(――だめ、声が、出ちゃう)

 快感に侵食されていく自分が恐ろしかった。堪えきれない甘い疼きに、詩織は口を塞ぐ陵の手のひらに、自ら唇を強く押し付けた。自分から漏れそうになる淫らな震えと吐息を、彼の手の中に無理やり飲み込ませる。

 熱い吐息が、塞がれた手のひらの内側に充満する。

 その時だった。

「……っ、」

 背後で、陵の口元から一瞬だけ、微かな息の漏れる音が聞こえた。

 いつも機械のように冷たく、感情を一切見せない彼の、生々しい「人の音」。

 耳元に落ちたその不規則な吐息と、微かに乱れたリズムに、詩織の胸の奥が大きく揺さぶられた。ただの暴力的な支配ではない。彼もまた、何か抗いがたい熱に突き動かされ、理性を失いかけているのだろうか。

 そんな考えが頭をよぎった瞬間、下腹部に溜まっていた熱が限界を超えて弾けた。

「んっ、んんんっ!」

 全身が大きく痙攣し、目の前が真っ白になる。陵の手のひらに唇を押し付けたまま、詩織は声なき絶頂を迎えた。

 直後、最も深い場所を激しく突かれ、柔らかな粘膜に、どくどくと熱い液体が注ぎ込まれた。

 火傷しそうなほどの熱量に、詩織の身体がびくっと跳ねる。内側から満たされる感覚。子宮を直撃する重い熱に、頭の芯が痺れていく。

 長い、静寂。

 荒い呼吸だけが交錯する中、やがて、何事もなかったかのように陵は身体を離した。

 膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、壁にすがりつく。振り返ると、陵はポケットからハンカチを取り出し、額に滲んだ汗を一度だけ押さえていた。

 表情は既に、いつもの氷のような冷たさを取り戻している。

「先に、戻る」

 それだけを告げて、陵は詩織を残し、煌びやかなシャンデリアの光の下へと歩み去っていった。

    ◇◇◇

 震える手で下着を整え、ドレスの裾を直す。乱れた髪を手櫛で梳き、涙の跡を指で拭った。

 化粧室でどうにか取り繕った後、重い足取りで大広間へと戻る。

 視界の先には、先ほどと変わらず、アリスの細い腰を抱いて談笑する陵の姿があった。あれほどの熱を叩きつけておきながら、今はもう別の女に触れている。

 胸の奥がツキンと痛んだが、今の詩織にはその痛みに構っている余裕さえなかった。

 一刻も早く、この場所から逃げ出したい。

 人波を掻き分け、窓際で葉巻を燻らせていた父の元へ向かう。

「お父様……申し訳ありません、少し体調が優れないので、これで失礼させていただきます」

 深く頭を下げた詩織を見下ろし、父は薄ら笑いを浮かべた。

「ああ、いいものを、見せてもらったよ」

 その言葉の意味を理解した瞬間、詩織の全身の血が凍りついた。

「政略結婚のわりには、仲良くしているじゃないか。会場で、あんなことをするくらい、なあ」

 息が止まる。

 見られていた。あの屈辱的な行為を、実の父親に。

 硬直する詩織の背後に回った父の手が、藍色のドレス越しに、詩織の臀部を無遠慮に揉みしだいた。

「早く、孫が見たいものだ」

 耳元で囁かれた毒のような言葉に、喉の奥から強烈な吐き気が込み上げてくる。

 愛人の子である自分を駒としてしか見ていない男。その男の思惑通りに、自分は陵に抱かれ、腹に種を注がれたのだ。

「……失礼、いたします」

 震える声でそれだけを絞り出し、詩織は決して振り返ることなく、足早に会場を後にした。

 分厚い絨毯の敷かれたホテルの廊下。

 喧騒から遠ざかり、静寂だけが支配する空間で、詩織はたまらず冷たい壁紙に背中を預けた。

 ずるずると崩れ落ちそうになる身体を、どうにか壁の支えで保つ。

 歩くたびに、太ももの内側を伝い落ちる生暖かい液体の感覚。濡れて張り付いた下着の、耐え難い気持ち悪さ。

 それらすべてが、先ほど起きた出来事が現実であることを冷酷に突きつけてくる。

(朔に、もう帰るからって言わなきゃ)

 空っぽになった頭で、ただそれだけを呟いた。

 シャンデリアの光も届かない薄暗い廊下で、詩織は一人、静かに目を閉じた。

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