Masuk海賊船「モリガン」は連続跳躍を繰り返し、やがてゴチエ宙域の外縁圏へと滑り込んだ。
跳躍余熱が船体の外殻を淡く光らせ、反射板の亀裂を白く際立たせる。そこから通常航行に切り替え、二日の巡航の後、小惑星帯に埋もれるように漂う古い宇宙ステーションが視界に入った。
外壁は錆と隕石痕で汚れ、補修パッチが無数に貼られている。
排気口からは薄く冷却蒸気が漏れ、照明は時折ちらつく。 貨物船の往来も乏しく、まるで宇宙の果てに置き去りにされた小さな港町のような光景だ。「入港の許可をされたし」
「船籍のデータを申告せよ」
「了解」
やり取りのたびに通信波がノイズ混じりに歪み、基地側の旧式回線の貧弱さが露呈する。
「……データ照合完了。第四ゲートへの寄港を許可する」
「感謝する」
数度の確認の後、「モリガン」はガタついた宇宙桟橋に接舫した。
磁気アンカーが噛み合うと同時に、甲板側の警告灯が短く点滅する。タラップを降りると、薄暗い接続通路の向こうで、事前に買収しておいた星間ギルドの技術主任トロストが出迎えていた。
痩せ細った体格に無精髭、眼の下には深い隈。
栄養不足の研究者に特有の匂いがした。ツーシームは握手の瞬間、そっと高額のエーテル券を掌に滑り込ませる。
「……どうぞ、こちらになります」
トロストは足取りの危うい酩酊者のようにふらふらしながら先導した。
歩くたびにステーションの床板が軋み、遠くで古い配管の唸りが聞こえた。「船長、コイツ大丈夫なんですかい?」
レッドベアが低く囁く。
「問題ないよ。ヤツは宇宙阿片のヘビーユーザーなだけさ」
その返答にレッドベアは肩をすくめ、何も言えなくなった。
通路を抜けると小さな展望窓があり、ゴチエ鉱区の古びた設備が見えた。
虹色の空間歪曲の帯を突き抜け、複数のエーテル掘削管が宇宙空間へ伸びている。採掘用クレーンが無重量域でゆっくりと回転し、廃棄された油井管が小惑星に突き刺さったまま放置されていた。
「……ほぉ」
ツーシームは思わず声を漏らす。
錆びついた港町と極秘技術が同居するその光景は、彼女の企みを進める上で、確かに価値のある場所だった。◇◇◇◇◇
「……おお、これは素晴らしい」
ステーションの展望窓に密集した惑星ヴァルカンの技術者たちは、虹色の歪みに向かって伸びる油井管と採掘フレームを見つめ、思わず息を呑んだ。
油井管はまるで宇宙に根を下ろす巨大植物の茎のようで、先端は見えない深層へと消えている。
掘削音は聞こえないが、振動だけが薄いガラス越しに伝わってくる。「……あの管はどう繋がってるんだ? どこへ伸びてる?」
ひとりが問いかけると、トロストは乾いた声を絞った。
「簡潔に言えばですね……油井管の先は宇宙の歪みに溜まるエーテル層です。ありていに言えば異次元、あるいは別位相領域」
技術者たちは驚きに目を見張り、次々に質問を浴びせた。
トロストは得意げに、最新の掘削理論や量子干渉制御、圧送回路の安定化の話まで展開していく。さびれたステーションの老朽照明の下で語られるにしては、随分と最新技術の内容だった。
説明がひと段落したところで、ツーシームは腕を組み、核心を突いた。「……で、肝心の位相鉄鉱の精錬方法はどうなんだい?」
その瞬間、トロストは言葉を止め、視線を伏せた。
そして、痩せた指でこめかみをとんとんと叩く。「ここに入っています。ですが――星間ギルドを裏切ってタダで済むわけがありません」
短い沈黙。
油冷却管のポンプ音だけが低く鳴った。「私をあなた方の惑星へ連れて行くなら、精製炉の設計図を描いて見せましょう。見返りさえ確実なら、この錆びれた命を賭ける理由にはなる」
言われてみれば、理が通っている。
ただの密売でも密輸でもなく、技術そのものの脱走なのだ。 ツーシームは頷いた。「じゃあ、来てもらおうか?」
トロストは少し笑った。
「はいよ。死にたくなければ急ぎましょう」
そのまま彼は頼りない足取りでステーションのタラップを降り、海賊船「モリガン」に乗り込んだ。
扉が閉まる直前、ステーションの照明が一瞬ちらついた。
まるで、老朽化した宇宙港がひとりの技術者の裏切りを目撃したかのように。◇◇◇◇◇
「お前がいなくなったと、バレはしないのか?」
宇宙ステーションが視界の端で小さな星屑のように縮んでいく頃、ビッグベアが艦橋でトロストに問いかけた。
ワープ航法用の計器が淡く点滅し、艦内には跳躍炉の振動が低く響く。「ええ、ある程度の準備期間がありましたからね。複製クローン技術を使って、偽の死体を設置しておきました。あれは、なかなかよく出来てるんですよ。歯形も、内臓密度も」
トロストは歯の抜けた口で笑った。
笑うたびに唇の端から少し血の色をした唾が滲んで、そこに何とも言えない不健康な気配が漂う。レッドベアはその様子を見ただけで眉を寄せ、無言になった。
彼が銃撃戦や殴り合いより苦手とするのは、こういう「倫理が腐ったインテリ」の類である。 対照的にツーシームは肩を揺らしながら笑っている。「いやぁ、クローン死体ねぇ……ギルドも案外甘いじゃないの」
「甘いというより、慢心ですよ。ギルドの上層部は自分たち以上の存在がいないと常に思っている」
トロストは吐き捨てるように言い、座席に深く身を沈めた。
麻薬で痩せた身体が小さな影のように椅子に吸い込まれていく。ツーシームは咥えていた安煙草の火を指先で潰し、立ち上がった。
「……さてと、行きますかね」
艦橋の照明が少し落とされ、航路予測のホログラムが展開する。
「モリガン」は惑星ヴァルカンへ向けて長距離ワープに移行した。直後、船体全体に短い衝撃が走る。
重力制御の再調整でデッキの一部が軋み、通路の方から派手な音が響いた。「うわっ、崩れた!」
レッドベアが振り返ると、会議室の扉が開き、小山のように積み上がっていた資料の束が床に散乱していた。
それは先ほどの錆びたステーションから、惑星ヴァルカンの技術者が掠め取ってきたエーテル掘削に関する図面・工程表・回収率統計・部材書類だった。紙の山の中を見て、トロストは嬉しそうに鼻を鳴らした。
「いやぁ……こういう数字の積み重ねが、宇宙を動かすんですよ。戦争だって経済だって、全部ね」
「その割にはギルドの管理はだらしなかったけどねぇ」
ツーシームはにやりと笑い、船体の跳躍光が窓辺を青く染めた。
裏切り者を乗せた海賊船「モリガン」は、静かに虚空を駆けていったのであった。休戦ラインを越える瞬間まで、星間ギルドの商船「銀の秤」の船内には、張りつめた空気が満ちていた。 パニキア連邦側の警戒宙域では、数度にわたり検問艇が接近し、古びた船腹へ鋭い捜査光を這わせてきた。 だが、「銀の秤」は武装を持たぬ旧式商船であり、しかも星間ギルド所属の古参船である。 積荷目録も航路記録も、それらしく整えられていたため、大事には至らなかった。「船籍確認完了。積荷照会、一致」「……よし、通してやれ。こんな骨董品で戦をしようって奴もおるまい」 管制側の声が同時翻訳機を通して流れると、操舵席のヘッジボックが小さく肩を落とした。「いやはや、寿命が縮みますな」 ユリウスは商人風の外套の襟を整えつつ、静かに答える。「ご配慮ありがとうございます」 それから「銀の秤」は数度の短距離ワープを重ね、ようやくパニキア連邦最前線の辺境惑星「レーベ」へ到達した。 暗褐色の海に覆われた惑星だった。 低い雲が空一面へ垂れこめ、海上には巨大な浮体構造物がいくつも連なっている。 宇宙桟橋のような洗練された設備はなく、旧式の水上宇宙港へ直接降りるしかないらしい。「こちら『銀の秤』、入港を許可されたし……」 ヘッジボックが送信すると、すぐ応答が返る。「了解。三番ゲートへの接岸を許可する」「助かりましたな」「まだ早いですよ」 ユリウスは窓の外を見たまま言った。「降りるまでが航海ですから……」 次の瞬間、船体が大きく震えた。 「銀の秤」は一気に大気圏へ突入し、外殻がみるみる赤熱してゆく。 老朽化した船体が低く軋み、接合部が悲鳴を上げた。 窓外では、剥がれた耐熱タイルが火の尾を引きながら後方へ流れてゆく。「おいおい……まだ持ってくれよ」 操舵士が舌打ちする。「左舷外板、熱負荷上昇!」「分かっている! だが今さらどうしようもない!」 激しい振動の末、「銀の秤」はどうにか海上宇宙港の三番ゲートへ滑り込み、重い音を立てて接岸した。 船内に安堵の息が広がる。 ヘッジボックは額の汗を拭い、苦笑した。「いやぁ、長年のワープで船が悲鳴を上げております。応急修理に二日、いや三日ほど日をいただきたいですな」 ユリウスはうなずく。「はい、安全第一でお願いします」 この間、彼は商人の服へ着替えていた。 付き従うグレゴールも、護衛らしさを隠すため、目
夜明け前の薄青い光が、ヴァルカンの館の回廊へ静かに差し込んでいた。 ユリウスが外交使節として出立する朝――その少し前、ツーシームは館の奥に設けられた一室へ足を向けていた。 荒鷲の金印を持つ少女。 帝国軍特殊部隊が昨夜あれほど執拗に探した以上、もはやこの館も絶対安全とは言い切れない。 どこか別の隠し場所へ移す必要があった。「さて、寝ぼけ眼のまま運ばれてくれると助かるんだがねぇ……」 安煙草をくわえたまま、ツーシームは扉を押し開けた。 だが、そこで彼女の足が止まる。「……ん?」 部屋の中央に、少女が立っていた。 いつもは伏せがちで、どこか夢の中を漂うような目をしていた娘が、いまは背筋を伸ばし、凛とした面持ちでこちらを見返している。 あきらかに空気が違った。 ただ起きているのではない。自分が誰であるかを、ようやく思い出した者の眼だった。 ツーシームは片眉を上げ、煙を細く吐いた。「お加減はどうさね?」 少女は小さな顎を上げる。「悪うない。余は、ようやく記憶を取り戻したぞ……」 その言葉は幼い顔立ちに似合わぬほど重く、古い響きを帯びていた。 ツーシームは一瞬だけ黙り込み、それから肩をすくめて笑う。「あはは、そいつはめでたい。……いや、こっちの都合で言えば、もうちょっと忘れていて欲しかったんだけどね」 少女は「ふん」と鼻で笑うだけだった。 だが、その仕草にさえ、ただの怯えた娘にはない気品がある。 荒鷲の金印。 帝国が血眼になって追う理由が、ようやく輪郭を持ってきた気がした。「余をどこへ連れてゆく気だ?」「安全な場所さ。少なくとも、昨夜みたいに犬ころが窓から雪崩れ込む場所じゃない」「そなた、存外に世話焼きだな」「海賊と商売人はねぇ、預かった品が傷つくのを嫌うのさ」 少女はわずかに目を細めた。 その視線は幼いのに、妙に人を洞察し値踏みする。 ツーシームは心の中で舌を巻いた。 ――こりゃ本物だねぇ。 そのころ館の表では、ユリウスの出立準備が整っていた。 正門前に待つ陸上ホバークラフトの周囲には、護衛のSPたちが忙しく動いている。外交使節の旅とはいえ、向かう先は異星人国家パニキア。 警戒は当然だった。 二階のバルコニーへ出た幼い妻イオナが、身を乗り出すように手を振る。「あなた、行ってらっしゃいませ!」 下で振
停戦成立後、アーヴィング大公家の艦隊は、グラストヘイム要塞へ必要最小限の守備兵力を残し、主力をいったん後方へ下げた。 そのすぐ後方にある補給拠点として選ばれたのが、惑星ヴァルカンである。 衛星軌道上には、巨大なエーテル・タンカーが数珠つなぎに並んでいた。 鈍く光る船腹のあちこちへ補給アームが食らいつき、青白い流体が脈打つように移送されてゆく。 宇宙桟橋の一角では、VLS用の長大なミサイルコンテナが何列にも寝かされ、整備員たちが汗まみれで搬入指示を飛ばしていた。 また別の区画では、砲弾、予備反応炉部材、艦載機部品、食糧コンテナ、医療資材までが山となって積まれている。 桟橋と地上を結ぶ専用シャトル群も、まるで蜂の群れのように休みなく往復していた。 上がってくるのは物資。 降りてゆくのは、休暇を許された兵員たち。 疲れ切った水兵や機関兵たちは、シャトルの扉が開くや否や、ヴァルカンの酒場街へ吸い込まれていった。 酒、女、賭博、熱い飯。 前線帰りの兵に必要なものは、昔から大して変わらぬらしい。 戦艦ハンニバルの艦橋でも、補給士官たちが目を回すような忙しさで働いていた。「第三倉庫、誘導弾積載完了!」「機関部予備材、右舷搬入口より受領!」「食糧補充、基準値の〇・六倍! この艦、兵員数のデータに消費が読めません!」 怒鳴り声と足音、端末の警告音がひっきりなしに交差する。 その只中で、ユリウスだけは少し離れた高座に座し、正面スクリーンへ映る補給桟橋の光景を静かに見つめていた。 彼の脳裏を占めていたのは、戦況でも、物資量でもなかった。 もっと根源的な、奇妙な違和感である。 ミサイルも、弾薬も、艦内配管の継手も、果ては工具規格に至るまで、帝国軍の軍需物資は地球規格で統一されている。 それだけなら、まだ分かる。帝国は地球文明の流れを汲む国家だからだ。 だが奇妙なのは、その規格が人類統合共和国でも通用し、さらには地球文化を起源に持たぬはずのパニキア連邦でさえ、大筋では同じ規格を用いているという事実だった。 ユリウスは低く呟いた。「……なぜだろう」 そばに控えていた副官が顔を上げる。「何がでございますか、閣下」「規格だよ」 ユリウスは視線を外さずに言った。「国家が違えば、思想も言葉も法律も違う。敵同士であればなおさら、兵器体系など別
数か月前――。 旧第六総管区の片隅に、惑星リチャードはあった。 豊かな鉱脈、繁忙な港、絶えず上下する株価。 この星を治めるドリス伯爵は、善政家か悪政家かで評価の割れる男であったが、ただ一つだけ確かなことがあった。 彼は何よりも経済を優先する統治者である、という事実である。 税制は企業寄り。 港湾使用料は安く、投資家には甘い。 その一方で、労働者への配慮は薄く、景気が悪化すれば真っ先に切られるのは現場の人間たちだった。 たしかに数字の上では繁栄している。 だが、その繁栄が誰の懐を温めているのかは、街路の空気を吸えばすぐに知れた。 そんな折――。 第六総管区を実質的に統治するアーヴィング侯爵が、帝国中央政府へ反旗を翻した、という報せが届いた。 その一報は、遠い戦場の政変では終わらなかった。 人々の胸に長年たまっていた不満へ、火のついた油を注いだのである。 伯爵邸の執務室へ、青ざめた家令が駆け込んだ。「伯爵様! 民衆どもが暴徒となり、屋敷へ押しかけております!」「なんだと!?」 机上の端末から顔を上げたドリス伯爵は、肥えた喉をひきつらせた。「警備隊は何をしておる!」「各所で手が回りませぬ! 銀行街も襲われ、大手保険会社の支店も炎上中にございます!」 伯爵は立ち上がり、窓辺へ走った。 夜の街に、いくつもの火の手が見える。 怒号。 警報。 銃声。 経済優先で築き上げた秩序が、たった一夜で紙細工のように崩れはじめていた。「……すぐ脱出するぞ!」「はっ!」 中央政府に近しい立場を取ってきたドリス伯爵は、民衆にとって旧体制そのものであった。 日頃より不満を募らせていた労働者階級は、侯爵の挙兵を合図に一斉蜂起したのである。 暴徒たちは銀行や保険会社を『資本の城』と叫んで打ち壊し、倉庫を略奪し、酒に酔った群れは婦女子へも牙をむいた。 火は商業区画から住宅街へ広がり、正義を名乗った怒りは、たちまち無差別な暴虐へ変わっていった。革命。 革命と言う甘い言葉を口にする者は多い。 だが現実の街路を埋めるのは、理想ではなく、煙と血と恐怖である。 このままでは星そのものが壊れる。 そう悟った者たちがいた。 教師、下級役人、教会関係者、町工場の親方――いわゆる良識派である。 彼らは広場へ集まり、拡声器を奪い、暴徒たちへ必死
停戦成立の報せが銀河を駆けめぐった翌日――。 ヴァルカン軌道上、アルテミス商会の私室では、場違いなほど気の抜けた空気が流れていた。 長椅子にだらしなく寝ころび、ツーシームは片脚を投げ出したまま新聞を広げている。 唇の端には、いつもの安煙草。紫がかった煙が、照明の下でゆらゆらとたなびいた。 紙面の一面には大きな活字が躍っていた。 ――帝国中央政府軍、アーヴィング家率いる反乱軍、停戦成立。 ――グラストヘイム要塞戦線、当面の戦闘停止へ。 ツーシームは鼻で笑った。「ようやくかい。随分と高くついた花火だったねぇ」 その声には、呆れ半分、満足半分の色があった。 今回の戦は、同じ帝国圏に属する者同士が噛み合う内輪揉めに近い。異星人相手の外征戦争とは訳が違う。 補給線の先にも後ろにも、敵味方と縁を持つ地方貴族家がいる。 交易路が詰まれば、その領内経営は痩せる。鉱山の産出は滞り、農業衛星の資材も届かず、税収もまた細る。 つまり――。 戦場で勝ちさえすればよい戦ではない。 帝国中央も、アーヴィング家も、地方貴族たちの支持なしには戦争を続けられぬ。 兵も金も糧食も、最後にはそこへ行き着く。内乱とは、剣だけでは終わらぬ戦なのであった。 ツーシームは灰を落とし、新聞の経済欄へ視線を滑らせた。 そこには、停戦成立を受けた星間株式市場の混乱が細かく載っていた。 造船。鉄鋼。軍需輸送。 いずれも戦時特需を見込んで買い上げられていた銘柄である。 だが停戦の一報で流れは一変し、値は崩れ、投げ売りが投げ売りを呼んでいた。 彼女の口元が、ゆっくり吊り上がる。「ゾル婆、そろそろゆっくり買いを入れてみるかね?」 部屋の隅で端末をいじっていたゾル婆が、顔も上げずに答えた。「あいよ。どのへんから拾うんだい?」「まずは造船屋だ。慌て者が投げた分を、底でさらう。鉄鋼も悪くないね。停戦したからって、艦隊が消えるわけじゃない。傷んだ船は直さにゃならないし、要塞だって補修が要る」「……ほほう。狼狽売りした連中の逆を行くってわけだね」「そういうこった」 数日前。 停戦の気配を、誰より早く嗅ぎつけていたアルテミス商会は、戦時特需銘柄を大きく売り浴びせていた。 グラストヘイム戦線での空気の変化も、極低周波通信から拾った断片も、彼女らには十分な材料だった。 市場
巨艦「ハンニバル」の現在位置から、およそ六光秒。 その虚空に、音もなく一本の潜望鏡が浮かび上がっていた。 否。 正確には、浮かび上がったように「見えた」だけである。 新型海賊船「モリガン」は依然として位相空間の膜を半ば残したまま、現実宇宙の縁に爪をかけている。 巡洋艦級の船体で異次元潜航を維持するなど、本来なら狂気の沙汰であった。 だが、その狂気を形にしたのが、いまこの艦である。 潜望鏡越しに戦場を覗いていたツーシームは、細く息を漏らした。「……へぇ、やるじゃないか。あの巨艦」 視界の彼方では、「ハンニバル」が帝国軍の集中砲火を正面から受け止めていた。 幾百もの火線。無数の誘導弾。 それらをものともせず進む艦影は、もはや艦艇というより移動する要塞であった。 隣に控えるトロスト技師が、乾いた笑みを浮かべる。頬はこけ、指先はかすかに震えていたが、声音だけは妙に弾んでいた。「そりゃあそうでしょう。あの艦の主機関、燃料はエーテルじゃない。小型とはいえ、人工重力井戸――要するに、ブラックホールです」「本物かい?」「ええ。本物ですとも。生きた地球文明の超兵器。帝国中枢の工廠でも、あそこまで頭のおかしい代物はそうそう作れません」 ツーシームは片眉を上げた。「褒めてるのか、けなしてるのか、よく分からないねぇ」「技術屋にとっては最大級の賛辞ですよ」 彼女は再び潜望鏡に目を戻した。 「ハンニバル」の艦腹には、あの巨大な砲身が抱え込まれている。 戦場へ現れた瞬間から、帝国軍はあれを恐れていた。だが。「だが、やはり撃てないようだね?」 そのひと言で、トロストの笑みがわずかに薄れた。「ええ。火器管制はまだ沈黙したままですな。防壁も対空火器も化け物じみているが、肝心の牙が閉じたままです」「それさえ出来れば、単艦で帝国軍を追い払うこともできように……」「できましょうな。いや、追い払う程度で済むかどうか」 ツーシームは舌打ちし、潜望鏡から目を離した。 艦橋に投影された簡易戦術図では、「ハンニバル」を中心に帝国軍の針路が歪んでいる。 一隻が戦場の戦術力学そのものを書き換えていた。「ヤツを前にしては、この新型『モリガン』の性能がかすむなぁ……」 その声には、珍しく本気の落胆が混じっていた。 海賊船「モリガン」の大改造は、彼女が執着して