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第52話……総統暗殺未遂

last update publish date: 2026-06-10 15:34:30

 ――総統官邸最上階。

 厚い装甲窓の外では、首都星ルシフェルの軌道を巡る星々が、静かに流れていた。

 寝室には甘い香りの香油が漂い、照明は柔らかく落とされている。

 その豪奢な寝台の上で、ノクターン総統は絹の寝具に埋もれ、女を腕に抱いたまま大きな寝息を立てていた。

 旧帝国領の半分を動かす男も、この瞬間だけは無防備だった。

 ――その時だった。

 床板が、ほとんど音もなく開く。

 暗闇の中から、黒装束の男が這い上がってきた。

 官邸の防衛網を潜り抜け、ここまで辿り着いた刺客である。

 男はゆっくりと立ち上がると、寝台の脇に歩み寄り、消音銃を構えた。

 照準は、眠る総統の胸。

 その時、腕に抱かれていた女が、うっすらと目を開けた。

「……誰?」

 短い沈黙。

 次の瞬間、消音銃が低く鳴った。

 ぷつん、と乾いた音。

 総統の身体がわずかに跳ね、赤い血が白い寝具に広がる。

 だが――

 ほぼ同時に、もう一発の銃声が響いた。

 女の手に握られていた小型拳銃が火を噴き、暗殺者の胸を撃ち抜いたのだ。

 男はよろめき、床へ崩れ落ちる。

「……お、お前は……」

 彼は震える指で女を指した。

「宰相……ローゼンタール!?」

 銀髪の女は、静かに銃口を下ろした。

 その表情には、わずかな冷笑が浮かんでいる。

 暗殺者は驚愕の表情のまま、やがて動かなくなった。

 部屋は再び静寂に包まれた。

 ただ、寝台の上で流れ続ける血だけが、ゆっくりと絹を染めていた。

◇◇◇◇◇

――翌朝。

 総統官邸の小会議場では、いつも通り朝の閣議が開かれていた。

 閣僚たちが席につき、ざわめきが広がる。

 やがて扉が開いた。

 最後に入室してきたのは――

 宰相ローゼンタール、そしてその後ろを歩くノクターン総統であった。

 壮健そのものの姿で。

「……ば、ばかな!?」

 思わず声を上げたのは、外務卿コーレイン伯爵だった。

 周囲の閣僚たちは、彼が何を驚いているのか理解できず、怪訝な顔を向ける。

 その瞬間だった。

「コーレイン伯爵を捕らえろ!」

 ローゼンタール宰相が、鋭い声で命じた。

「罪状は――総統への反逆罪だ!」

 扉が一斉に開き、武装した警備兵が雪崩れ込む。

 抵抗する間もなく、コーレイン伯爵は床に押さえつけられ、拘束された。

「くそっ……!」

 彼は歯を食いしばる。

「……あれは影武者だったか!?」

 引きずられていく伯爵の背中を見送りながら、ローゼンタールは小さく呟いた。

「……ふふふ」

 冷たい微笑。

「総統は本物よ」

 ほんの一瞬の間。

「ただし――十三番目のね」

 そして宰相を伴いながらノクターン総統は上座へ歩み、ゆっくりと席に着いた。

 閣僚たちは顔を見合わせながらも、誰一人として口を開かない。

 やがて何事もなかったかのように、その日の議事が始まったのだった。

◇◇◇◇◇

 ユリウスは、アーヴィング大公から婚儀の持参金として、ゴチエ宙域のエーテル鉱区の一角を授かっていた。

 だが、その区域はすでに枯れかけた油井ばかりが並ぶ、錆びついた採掘地帯だった。

 古い採掘リングは軌道上に朽ちかけた骨格のように漂い、かつての繁栄を物語るだけの遺物にすぎない。

 この死んだ鉱区へ、新型掘削装置を伴ってやってきたのは――

 宇宙麻薬中毒だが有能な技師、トロストであった。

 彼はツーシームと共同開発した装置の実験のため、この地へ乗り込んできたのだ。

「重力共振装置、起動します」

 低い電子音とともに、採掘リングの巨大な構造体がゆっくりと振動を始めた。

 やがて、機械の唸りは深く重い低音へと変わる。

 観測窓の外。

 虚空に穿たれた採掘孔の周囲で、目に見えぬ宇宙エネルギーが静かに揺らぎ始めた。

 散逸していたエーテルが、まるで潮流のように井戸へ引き寄せられていく。

 青白い微光が、真空の中にかすかな渦を描いていた。

「流量、上昇中……二割増しです」

 観測士官が声を上げる。

 トロストは細い指で端末を叩きながら、目を細めた。

「まだ上がる。共振を固定しろ」

 技術士官が即座に応じる。

「共振固定――完了!」

 計器の針が跳ね上がった。

「三割突破!」

 ブリッジに静かなざわめきが広がる。

 かつて枯れたはずの宇宙油井が、まるで新たに掘り直されたかのように、息を吹き返したのだ。

 老臣グレゴールは、観測窓の外を見つめたまま呟く。

「……こ、こんなことが」

 彼は思わず声を震わせる。

「いや、待てよ。この調子なら、惑星ヴァルカンの周辺でも……。もしや――」

「もちろん、できますとも」

 トロストが振り向いた。

 宇宙麻薬でこけた顔に、ぞっとするような笑みを浮かべている。

「同じ原理ですからね」

 その言葉を聞き、老臣の胸中に電撃のような思考が走る。

 戦功によってアストレア家がアーヴィング大公家から与えられた領地は、すでに四つの有人星系を数えている。

 そしてそのすべてが、かつてのヴァルカンのような――

 眠れる資源惑星を抱えていた。

 さらに交易中継地として発展を始めた惑星ヴァルカンでは、新型位相鉄の精錬施設が急ピッチで建設されている。

 資源、技術、交易。

 その三つが、いま一つに結びつこうとしていた。

「先代様……」

 グレゴールは、静かに夜空を見上げた。

 暗殺に倒れた亡き当主――

 ユリウスの父の姿が脳裏に浮かぶ。

「若様の先行きは……末恐ろしいですぞ」

 死んだはずの鉱区が、次々と銀河文明の産業の源たる量子エーテルを吹き出し、その財貨がアストレア家に流れ込もうとしていた……。

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