Masuk翌朝、登校すると、昇降口の下駄箱の前で陽生は女子に声をかけられた。靴を履き替えながら誰かと背後を振り返ると、そこには茉莉が立っていた。
「おはよう、貴嶋くん」 「……うす」 「昨日は進路調査票の件、ありがとね。貴嶋くんには何かお礼しないと」 「別に礼とかしてほしくてやったんじゃねえし。……けどまあそうだな、どうしてもっていうなら、さっさと朔也に天沢のこと紹介してやってくんねえか。いつ紹介してもらえんの、って朔也のやつ毎日うるせえから」 「わかった」 何とはなしに二人は並んだまま、階段を上り、教室へと足を踏み入れた。先に登校していたらしい朔也は二人に気づくと目元をにやつかせる。陽生は嘆息すると、じっとりとした視線を朔也へと向けて黙らせた。 「茉莉ぃ、おはよー」 陽生が座席でリュックの中身を整理していると、髪を頭のてっぺんで大きなお団子に結った女子が教室に入ってきた。ブレザーの下の校則違反のピンク色のニットカーディガン。ネクタイはなぜか他校の臙脂のリボンに変えられている。彼女こそが茉莉の友人で、朔也の想い人――――一限目が始まる前に、図書室へ行け。
陽生がそのメッセージに気づいたのは、来月に控えた体育祭の大縄跳びの練習が終わった後のことだった。一応、全員参加ということになっているその練習で、そういえば茉莉の姿を見ていないことを陽生は思い出す。 (あいつ、またサボりか) 普段、素行の良い優等生を装っているせいで目立ちにくいが、茉莉にはサボりぐせがある。そして、彼女がサボるときは、大概が何かあったときだと陽生はだんだんと気づき始めていた。 「ねえ、貴嶋くん。今日の練習で茉莉見かけた?」 学年カラーの水色のジャージの後ろでふわふわと靡く白いレースのリボン。喉元まで上げられたジッパーの周りはフリルで彩られ、裾にも幾重にもチュールが施されている。この改造ジャージに身を包んでいるのは心羽だった。 「いや、おれも見てねえ。天沢も見かけてねえんなら、どっかでサボってんじゃねえか?」 「そっか……」 心羽はどこか浮かない顔をしている。茉莉から何か連絡が来ていないかと陽生がジャージのズボンのポケットからスマホを取り出すと、通知が一件来ていた。 図書室。おそらく、茉莉はそこにいる。スマホをしまい直すと、陽生は心羽に声をかけた。 「天沢、おれ、芦屋の居場所に心当たりあるかもしんねえ。探してくる」 「心当たりあるって、貴嶋くん、どういうこと?」 「ただの勘。だけど、何か知らねえけど、おれの勘はよく当たるんだ」 そう嘯くと、陽生はその場を後にした。他のクラスメイトをよそにそそくさと校舎の中へと戻ると、昇降口で陽生は靴を履き替える。そして、そのまま図書室を目指した。 図書室のドアを開けると、古い紙とインクの香りがうっすらと満ちていた。生成りのカーテンが緑風でふわりと揺れ、カビの臭いが陽生の鼻腔をつく。 「――芦屋。そこにいるんだろ」 陽生がそう声をかけると、外国文学の書架の向こうから、うん、と返事が聞こえた。 「貴嶋くんには、いつも見つかっちゃうね」 「サボりやすい場所なんて、ある程度絞られるだろ。――で、今日はどうしたんだ?」 「あのね……全部、わたしが悪いんだけど……今日、登校途中に瑠音と口論になっちゃって……」 全部、わたしが悪い。茉莉の口癖になっているそれに陽生は内心で溜息をつく。しかし、陽生はそれを指摘することなく、話を続ける。――そんなことをすれば、彼女を泣かせてしまいそうな気がして。 「それで、へこんでここに逃げ込んできたってわけか。大縄跳びの練習サボって」 「……うん。もしかして、練習サボって誰か怒ってた?」 「それは大丈夫だけど……天沢が心配してた。あとで謝っておけよ」 わかった、と茉莉は頷いた。そして、彼女は陽生のジャージの胴を掴むと、胸元に頭をつけた。ヘアミストの香りなのか、かすかに清らかな花びらの匂いがした。 「おい、芦屋……離れろ、おれ、今汗かいてるから。汚ねえぞ」 「大丈夫。それより……ちょっとだけこのままでいさせて」 一体何が大丈夫なんだ。恋愛経験ゼロの陽生は茉莉に密着されているという事実に動揺する。しかし、懇願するようなその声を聞いてしまうと、無理に彼女を引き剥がす気にはなれなかった。 「まったく、臭くなっても知らねえからな」 陽生はくっついてくる茉莉の髪を仕方なくぽんぽんと撫でる。朝の始業前の喧騒から隔絶された世界で、二人はそのままでいた。――瑠音の元に彼女を戻したくないな、などと思いながら。 陽生の視界に海外文学の分厚い背表紙の群れが映る。ここに静かに佇む外国の物語たちは茉莉の心の内を映す鏡のようだ。紙の上に記された恋に迷い、愛に悩む数え切れない声たち――それらは茉莉を苦しめる彼女自身の心にひどく似ていた。「おい、お前、確か茉莉の友達だよな? ちょっと茉莉呼んでこいよ」
「え、と……茉莉は今、職員室に行ってて……」 六月を目前にして、いよいよ夏の気配が濃くなってきた昼休み。トイレから戻ってきた心羽は、制服をひどく着崩した金の長髪の男子――瑠音に声をかけられた。人をひどく見下したふうの、酷薄な視線に心羽は自分の身を掻き抱く。 「ふうん、茉莉の奴、逃げたんだ」 「逃げたとかそんなんじゃなくて、日直の仕事で茉莉は先生に呼ばれてて……!」 「へえ、あのビッチ、俺よりもそんな下らねーこと優先すんだ」 「茉莉はビッチなんかじゃない!!」 思わず心羽の声が高くなる。ふうん、と気分を害したように瑠音は彼女のピンクのニットカーディガンの胸元を掴み上げる。 「お前なんかに茉莉の何がわかる。それにあいつ、最近男二人も侍らせてるじゃねえかよ」 「貴嶋くんと氷上くんはそういうんじゃない! 友達だよ!」 「貴嶋か、俺あいつ嫌いなんだよな。……それはそうと、お前は氷上が茉莉に取られても同じ台詞を吐けるのか?」 「っ、それは……」 心羽は思わずたじろいだ。朔也が自分に気があって、日頃から何かと構ってくるのを鬱陶しく思ってはいる。しかし、あの明るい眼差しが、心羽ちゃんと呼ぶあの声が自分に向けられなくなるのはほんの少し寂しいような気がした。 「ほら見ろよ。さて、茉莉がいねえなら別にお前でもいいや。あっちで茉莉の被害者同士、仲良くお話しようぜえ?」 「やだ! やめて!」 心羽は叫んだ。その目元には涙が浮かんでいる。しかし、心羽の声に耳を貸すことなく、瑠音は心羽の胸倉を掴んだまま、彼女をどこかへ引きずって行こうとする。 「やだってば! 助けて! ――氷上くん!」 心羽は無意識に朔也の名を叫んでいた。刹那、誰かが何かを殴る音が聞こえた。ぐふっと、誰かの口から呻き声が漏れる。瑠音の手が心羽の胸倉から離れていく。思わず心羽は廊下に尻餅をつき、放心したようにその人の名を呟いた。 「氷上くん……」 朔也の腰の入った右アッパーが瑠音の顎を打つ。そして、そのまま今度は左の腰を捻り、左フックで瑠音のこめかみを捉える。そのまま、すっと左右の足を入れ替えると、右手を払いながら流れるように左ミドルを放つ。 再び足を入れ替えると、朔也は仕上げと言わんばかりに前蹴りを瑠音に見舞った。いつもの明るく陽気な様子は鳴りをひそめ、怒りのままに暴力を振るう朔也は何だか心羽の知らない人のようだった。 「天沢、大丈夫か?」 教室から出てきた陽生は廊下に座り込む心羽へと声をかけた。陽生は彼女の横に腰を下ろすと、タオルハンカチを渡してやる。 「朔也さ、昔から許せないことがあるとああなるんだ。朔也のこと、怖いって思うかもしれねえけど、できれば嫌ったり避けたりしないでやってほしい。普段はあんなんだけど――朔也は天沢が大事なんだよ。それだけは理解してやって」 「……うん」 隣のクラスの前まで瑠音が吹っ飛んでいくと、朔也から殺気が消える。すると、血相を変えて、朔也がこちらへと駆けてきた。 「心羽ちゃん! 大丈夫か!? 怪我とかしてない!?」 「だいじょう……って、氷上くん?」 心羽が困惑したような声を上げる。朔也は有無を言わさずに彼女の体をぎゅっと抱きしめた。 「呼んでくれて嬉しかった。……けど、呼ぶなら呼ぶで、もっと早く呼べ」 「……うん」 「オレのせいで逆恨みして、またあいつが心羽ちゃんに絡んでこないとも限らない。なるべく一人で行動するな。せめて、芦屋と一緒にいろ。芦屋がいないときは、オレか陽生から離れないようにしろ。……いや、陽生と一緒はオレが妬くから、オレと一緒にいるようにしてくれ」 なにそれ、と心羽は小さく笑った。友達二人のやりとりが見ていられなくて、陽生は視線を逸らした。何だかこれは見ていてはいけない気がする。 廊下の角を曲がって、茉莉が戻ってくるのが見えた。陽生は立ち上がり、彼女のほうへ向かうと、手に持っていたノートの山を半分引き受けてやる。 「ええと……心羽と氷上くんは一体どうしたの?」 廊下で抱き合う二人を目にすると、茉莉は怪訝そうに傍らの陽生に問うた。それが、と陽生は茉莉に事情を説明する。 「天沢が佐倉に絡まれて、どこかに連れて行かれそうになっていたのを朔也がぼこぼこにしたんだよ」 そう、と得心したように茉莉は朔也にぶっ飛ばされたまま隣のクラスの前で動かない瑠音へと視線をやる。自分の彼氏と友達が喧嘩したとあっては茉莉はさぞ複雑だろう。 「悪いな、朔也を止められなくて。だけど、天沢があれ以上何かされるのも見てられなかったからさ。お前には悪いけど、天沢は友達でも、佐倉は……他人だから」 「うん……」 「そうだ、朔也が天沢に言ってたけど、おれからもお前に言っておく。あんまり一人でうろうろすんなよ。せめて、天沢と一緒にいろ。何かで天沢が一緒にいられないときは、おれを呼べよ。特にお前は一人でどっか行く癖があるから心配なんだよ。佐倉に呼び出されたときもなるべく一人で行くな。せめて、校内にいるときくらいは、おれらでお前を守る」 「守る……?」 不思議そうに茉莉の目が見開かれる。今はまだわからなくていい、と陽生は首を横に振った。彼女の場合、己の自己肯定感の低さに気づかせるのはゆっくりやっていったほうがいい。歪んだ依存関係に関しても。 「さて、あそこでいちゃついてる二人は放っておいて、昼休みが終わる前にノート返しちゃおうぜ。どうせ、先生にこれ返しとけって言われてんだろ?」 うん、と茉莉は頷く。陽生は彼女とともに教室の入り口をくぐる。そして、彼は出席番号が半分から後ろのクラスメイトのノートを返し始めた。窓から四月の柔らかな春の日差しが差し込んでいた。白いタキシードに身を包んだ陽生は、何かおかしなところはないかと、控え室の鏡を見ながらネクタイや髪をいじったりしていた。 今日の日を迎えるまでのことを思い起こすと、ふいに苦笑が漏れる。茉莉のドレスやブーケ選びに始まり、参列者の選定や席次の決定、式や披露宴で使う曲選びなどやることが盛りだくさんだったからだ。ここ数ヶ月の間、その準備に追われ、休日もろくに休めなかった。 (それもきっと……いつかいい思い出に変わるんだろうな。あのときは大変だったな、って笑って話せる日がきっと来る) 高校一年生の文化祭の日に付き合い始めてから今日まで、自分は茉莉とともに歩んできた。そして、この先の人生も彼女とともに歩んでいくつもりだ。――たとえ、いつか遠い未来に死が二人を別つことがあろうとも。 ふいに、こんこんと控え室の扉がノックされた。陽生はすっと居住まいを糺すと、どうぞと返した。 「茉莉様のお支度が整いました。――どうぞ、こちらへ」 はい、と答えた自分の声が歓喜に震えるのを陽生は感じた。陽生は式場のスタッフに連れられて、部屋を出る。一歩床を踏み締める度に、胸が期待で溢れていく。 「――茉莉様。陽生様をお連れいたしました」 アップスタイルにまとめた髪の上でふわふわと靡くヴェール。レースが何枚も重なり合い、繊細な刺繍が施されたドレスの裾はAライン状に大きく広がっている。それでいて、胸元はすっきりとまとめられ、清楚な美しさが引き立てられている。 式場の入り口の前にウエディングドレス姿の茉莉が父親と共に立っていた。吹き抜けの天井から差し込む日差しを浴びて佇む彼女は、まるで絵画の中から抜け出してきたかのようだった。その美しさに陽生の目は釘付けとなる。 「茉莉――綺麗だ」 そんな言葉が思わず口をついて出た。くす、と茉莉は嬉しそうに笑みを溢す。 「陽生くんもとっても素敵。よく似合ってるよ」 「……まあ、馬子にも衣装って言うからな」 「もう、照れちゃって。素直になれないところはいつになったら治るのかな」 「うるせえ。言ってろ」 陽生が緊張しのぎに軽口を叩いていると、茉莉のそばに立つ彼女の父親が彼の名を呼んだ。陽生は軽口をひっこめると、神妙な面持ちで茉莉の父親へと向き直る。 「――はい」 「陽生さん。娘を
「まったく実行委員長の奴……おれたちに後処理押し付けて美味しいところだけ持っていきやがって……」 十月の空は紺青に色を変え、校庭では後夜祭が始まっていた。実行委員長が表彰を行なう声が窓の外から聞こえてくる。優秀賞、最優秀賞、と該当のクラスが呼ばれる度に歓声が上がる。 陽生と茉莉は多目的室で文化祭の後処理に奔走していた。一般公開時間が終わってから、出し物の内容について後申請してきたクラスが山ほどあったからだ。 「貴嶋くん、SJ放送へのお礼メール終わったよ。そっちの申請書捌くの手伝おうか?」 「わりぃ、頼む……」 陽生は申請書の束を半分、茉莉へと渡した。彼女はブレザーの胸ポケットからシャーペンを抜くと、申請書に目を走らせ始める。 「ねえ、貴嶋くん。文化祭、楽しかったね」 「お前にとっては色々あっただろうけど……楽しかったんだったらよかったよ」 「……うん」 ドン、と音が響き、窓の外の空に光の花が咲いた。陽生は席を立つと、多目的室の電気を消す。 「……貴嶋くん? どうしたの、電気なんて消して」 「このほうが綺麗に見えるだろ、花火。まだやることたくさんあるけど、花火くらいは見ようぜ」 そうだね、と茉莉は微笑むと、シャーペンを置いた。そして、席を立つと彼女は窓辺へと歩いていく。 窓の外を眺める茉莉の隣に陽生は立つ。そして、なあ、と彼は緊張で掠れた声でこう言った。 「――芦屋。前にも言った通り、おれはお前のことが好きだ。もし、お前の気持ちが変わっていないなら、これからもおれと一緒にいてくれないか。――付き合おう、茉莉」 「貴嶋くん……」 茉莉は目を見開くと、陽生を見つめた。暗い教室の中で視線が絡まり合う。 「佐倉と別れたばっかりだっていうのもわかってる。おれは不器用で、こういうことも初めてだから、お前のことを傷つけない保証もない。だけど……お前が笑っていられるように、努力はしたい。こんなに危なっかしくて、放っておけなくて、可愛くて――大事な奴は他にはいねえから」 「わたしで……いいの?」 「お前だからいいんだよ――茉莉」 戸惑う茉莉に陽生は真正面からそう言った。茉莉の目が揺れる。やがて、彼女は心を決めたのか、小さく息を吐いた。 「わたしも、貴嶋くんの――陽生くんの、そばにいたい。一緒にいたい。これから未来(さき)を一緒
「なあ、芦屋。おれたちのシフトって、確かこのまま休憩だったよな。何か軽く見ていかねえか?」 瑠音たちのステージが終わり、取材に来ていたSJ放送のスタッフを見送った後、陽生はそう茉莉に声をかけた。いいよ、と茉莉は微笑んだ。 「どこのクラスがどんなことをしてるのかも確認したかったし。申請書の内容だけじゃわからないことも多いから」 「お前、本当に真面目だよな……」 休憩時間くらい肩の力を抜けばいいのに。そう思いながら、陽生は溜息をついた。束の間の間だけでも、お遊びめいたデートを茉莉と楽しみたかった。 校門から戻ってきた陽生たちは校庭の方へと足を向けた。文化祭実行委員会に提出された書類によれば、校庭では各クラスや部活動有志による飲食系の屋台が出ているはずだった。 「……」 校庭をぐるりと見回すと、陽生は頭が痛いと言わんばかりにこめかみを押さえた。なんだこれは。揃いも揃ってトンチキな屋台しかない。 暗雲わたあめだとか海賊が作った山賊焼なんていうのはまだ序の口だ。チョコきゅうりだとか桜姫が愛したタピオカコーンポタージュなどという、正気を疑いたくなるものもある。恋するフォーチュンたこやきに至っては、異物混入がないかどうか、文化祭実行委員として心配になってくる。 「芦屋……これ、どっから突っ込んだらいいと思う?」 「突っ込むも何も、文化祭実行委員なのに貴嶋くん知らなかったの? この学校の文化祭の出し物は、伝統的に変わり種が多いんだよ」 「変わり種って……とりあえず、チョコときゅうりって合うのか? しかも、ミルクとホワイトとビターから選べるとか無駄に凝ってるし……」 「きゅうり自体がそんなに主張が強い野菜じゃないから、意外と大丈夫なんじゃないかな?」 「だとしても……何でこんな企画通したんだよ……」 「だって、きゅうりは桜島市の特産品でしょ? 今回のコンセプト的に、地産地消ができるのはいいことだと思うけど」 きょとんとして茉莉は陽生の顔を見上げた。優等生め、と思わず陽生は毒づいた。 「じゃあ桜姫が愛したタピオカコーンポタージュっていうのはどうなんだよ? 桜姫の時代にタピオカもコーンポタージュもねえだろ」 「どうだろう? 桜姫は舶来品が好きだったし、城下町を潤すために南蛮貿易を先頭に立って旗振りしてたって記録が残っていたから、案外近いもの
どうしてこうなったんだ。茉莉が縫ってくれたピンク色の魔法少女の衣装に身を包んで、陽生は呆然と立ち尽くした。 彼女持ちの男子たちがこぞって女子を裏方仕事に回したせいで、文字通りの正しい意味での魔法”少女”は数人しかいない。魔法少女姿を他の男の目に晒すくらいならと、漢気を見せた女装姿の男子たちばかりが教室内を動き回っている。 頭頂部を彩る大きなリボン。胸元にも同じ色のリボンがあしらわれ、袖は大きく膨らんでいる。パニエを何枚重ねにもして、膨らませた衣装の裾にはフリルがこれでもかというくらいに縫い付けられている。そんな愛らしいスカートの裾の下から覗いているのはすね毛まみれの男子の足ばかりで、ここが地獄かと陽生はうんざりとしていた。 「まじかる☆さくや、お客様ご案内ー! あなたのハートをごりごりずどーん!」 他校の制服姿の女子二人組がやってくると、水色の魔法少女の衣装に身を包んだ朔也が画用紙で作ったステッキをハートの形に振ってみせた。客の女子二人は爆笑しながらスマホを取り出すと、ノリノリで決めポーズを取る朔也を撮影する。 「ごりごりずどーんって……」 確か自分たちのクラスは魔法少女カフェであって、間違っても工事現場とかの類ではなかったはずだ。台詞の前半はコンセプトを考えれば辛うじて理解できるが、後半の物騒な擬音は何なんだ。 この謎のセリフを考案したのはノリノリで接客している、クラスの出し物係でもある朔也だ。普段はセンスのいい彼が、どうして今回に限ってはそのセンスの良さを発揮できなかったのか謎すぎる。 担任の岸野が金と銀の魔法少女衣装で呼び込みをしているのが功を奏したのか、客足は途絶えることはない。ひっきりなしにまじかるなんとかという延べ口上が教室内に響き渡っている。――但し、声変わり後の男子高校生の低音ボイスで。 「魔法少女まじかる☆さくや、愛と希望とオレンジジュースをおっとどけー!」 朔也は裏方仕事をしている女子からオレンジジュースの乗ったトレイを受け取ると、そんなことを宣いながらくるりと回ってみせる。ふわりとスカートの裾が広がり、朔也はウィンクを決めた。 ふいに客と思しきこの学校の制服姿の女子が戸口に姿を現した。他の男子たちは接客をしているか、グロッキーな目でキラキラとしたモールのぶら下がる天井を見つめているかしている。自分が行く
西の空を染める残照を見つめながら、陽生は朔也とともに校舎の屋上から垂れ幕を吊るしていた。屋上のフェンスに紐を結わえながら、随分日が落ちるのも早くなったものだと陽生は感じていた。 明日はもう文化祭当日だ。どこからか金木犀が香り、頬を撫でる夕風は秋の冷涼さを帯び始めている。空の端に残る朱色には夏の烈しさはもう残されてはいない。 そのとき、ずるりと垂れ幕の逆の端が重力に従って、下がるのを感じた。陽生は朔也を振り返ると、文句を口にする。 「おい、朔也。ちゃんと支えとけよ。そっちだけ下がってるじゃねえか」 「ごめんって。ちょっと心羽ちゃんから通話きたから出るわ」 朔也は悪びれたふうもなくスマホを取り出すと、もしもしと通話に応じる。「さっくん、今すぐ来て!」離れた位置にいる陽生の耳にも届くほどの音量で切迫した心羽の声が朔也のスピーカーを劈いた。陽生と朔也は思わず顔を見合わせる。 「心羽ちゃん、どうしたんだ?」 朔也が聞くと、スピーカーの向こう側で心羽が早口に何かを説明する。わかった、と朔也は通話を切る。 「陽生、体育館行くぞ。心羽ちゃんが言うには、体育館ステージのリハでトラブルがあって、芦屋が佐倉に因縁つけられてるって」 なんだって、と陽生は顔色を変える。設置途中の垂れ幕を放り出すと、彼は踵を返した。 「朔也、早く来い!」 そう叫ぶと、陽生は錆びかけた屋上の扉を押し開ける。ズボンのポケットの中でスマホが震えた。おそらく、未来の自分が先ほどの心羽と同じ用件でメッセージを送ってきたに違いない。階段を足早に駆け降りていく彼の背中を追いかけながら、朔也はやれやれと肩をすくめた。 「陽生、お前は本当に芦屋のことになると人が変わるな……」 「お前だって、天沢に何かあったら放っておけないだろ?」 「そりゃまあ、当然そうだけどさ」 二人は一気に一階まで階段を駆け降りると、全力で廊下を走る。各クラスから漏れ出してくる話し声に混じるようにして、上履きの底が奏でる靴音が響いた。 渡り廊下を駆け抜けると、陽生は体育館の扉を開いた。「――芦屋!」茉莉の名前を叫びながら、陽生は体育館の中へと飛び込んでいく。その場にいた全員の視線が陽生へと向けられた。 「――さっくん! 貴嶋くん!」 心羽の声が響く。彼女はステージの上で、茉莉を庇うようにして瑠音と対
「茉莉ー、また糸からまっちゃったあ」 人気のない多目的室に心羽の情けない声が響いた。見せて、と茉莉は作業の手を止めると、心羽の手元を覗き込む。 多目的室にいるのは文化祭実行委員の陽生と茉莉、陽生たちのクラスの出し物係である朔也と心羽だけだった。朔也と心羽は新学期になってから陽生たちの手伝いとして多目的室に入り浸るようになっていたが、気がつけば半分自分たちのクラスの作業部屋と化していた。他の実行委員たちが陽生と茉莉に準備を押し付けて、ろくに顔を出さないからこそ成し得たことだった。 陽生はぺたぺたとハケでベニヤ板にペンキを塗っていく。朔也は陽生の作業を横から覗き込むと、うわっと声を上げた。 「何お前その超前衛的なカラーリング」 「洒落ていると言えよ」 「いやでも、その蛍光ピンクはマジでないわ。何で蛍光ピンク?」 「今年のテーマに沿って、桜姫のイメージで……」 陽生がそう答えると、朔也は芦屋ー! と叫んだ。 「芦屋、陽生ほったらかしにしたらやばいって! 看板すげーことになりかけてるから! 早く止めてこい!」 心羽の代わりに魔法少女の衣装を縫っていた茉莉は布と針をその場に置くと、陽生のそばへと戻る。あの形のまま、茉莉の口が固まる。 「……貴嶋くん、ちょっとこれ、真っ白に塗りつぶしてやり直そう?」 「芦屋、何でだ? 今年のテーマに沿ったカラーリングだと思ったんだけど……」 「なんていうか……ちょっと独特すぎるかな。文化祭には地域の人とかもたくさん来るんだから、もう少し万人受けする感じにしないと」 「……」 憮然として陽生は黙り込んだ。そんな彼をよそに、茉莉は塗り掛けのベニヤ板とペンキの缶をどけて、作業スペースを確保していく。ついでに窓を開けるとペンキの匂いが充満した部屋を彼女は換気する。 「看板の塗り直しはペンキが乾いてからじゃないとできないから、今日はきらりん作りしよう。校内のいろんなところに飾るから、量が必要なの」 そう言うと、茉莉は積まれた段ボールの中から、黄色の画用紙の束を取り出した。床に転がっていたハサミを拾い上げると、茉莉はそれを陽生に渡す。 「……なあ、芦屋」 教卓の中から出してきたハサミで画用紙を切る茉莉へと、陽生は話しかける。何、と彼女は作業の手を止めないまま応じた。 「お前、大変じゃねえの? 実行委







