ログインギリ、ギリ……。死を宣告する金属音が、一歩、また一歩と確実に背後の闇を削り取ってくる。逃げ場のない廊下の突き当たり、古びた扉の前で、僕たちは凍りついた。 「来てるっ……!」 有栖が掠れた悲鳴を上げ、美緒の肩を壊れそうなほど強く抱き寄せた。美緒の体は氷のように冷たく、小刻みな震えが僕の腕にも伝わってくる。 大樹が扉に肩をぶつけ、渾身の力で押し込んだ。だが、扉は沈黙を貫き、びくともしない。 「くそっ、開け……ッ! 開けよッ!!」 焦燥が、肺を焼くような熱さとなって競り上がってくる。 その時だった。 僕の指先から、血に汚れた古い生徒手帳が滑り落ちた。それが硬い床に叩きつけられた、その瞬間。 カチリ。と、静寂を裂く機械音。 まるで、僕たちが来るのを、あるいはその手帳が届くのをずっと待っていたかのように、扉の隙間に埋め込まれた重厚な錠前がひとりでに回転した。 鍵など持っていないはずなのに。なぜ、今、開いたのか。 得体の知れない違和感が胸を刺したが、背後の死神は待ってはくれない。 「……え?」 古びた扉が、重い溜息をつくようにゆっくりと、自ら口を開けた。 中から吹き出したのは、数十年もの間、光を拒み続けてきた場所特有の、腐りかけた湿気と死の抱擁。闇が巨大な喉を広げ、僕らを深淵へと誘っていた。 「……仕掛け、なのか……?」 大樹が短く、警戒を孕んだ声で呟く。 「早く入って!」 僕は美緒の冷え切った手を掴み、有栖と共にその底知れぬ暗黒へと飛び込んだ。 ガシャンッ!!扉が閉まると同時、外側から大鎌が叩きつけられる凄まじい衝撃音が響いた。扉が悲鳴を上げ、天井から積年の埃が雪のように舞い落ちる。 「……クソガキども!また逃げやがったかぁッ!!」 扉の向こうで殺人鬼の怒号がこだまする。だが、分厚いこの扉は今度こそ絶対的な沈黙を守り、僕らを異界の奥底へと隔離した。 足元には、かすかなランプの光が道標のように揺れていた。 石造りの壁はぬめり、地下通路のように細く長く続いている。有栖が乱れた息を整えながら、震える声で呟いた。 「……この奥に、なにがあるの?」 美緒は青ざめた顔で、何かに取り憑かれたように通路の先を凝視していた。 「……ここに連れて行かれ
体育館へと続く大扉の前。逃げ場を断たれた行き止まりの廊下で、死神がその巨大な鎌を頭上高く振り上げた、その瞬間。 「っ……!」 横にいた有栖が、僕の腕を振り払って前に出た。 彼女がポケットから取り出したのは、小さな銀色の音叉だった。 音楽室の隠し扉の不気味な隠し通路を、死に物狂いで彷徨っていた時に瓦礫の山に半ば埋もれていたのを彼女がいつの間にか密かに拾い上げていたものだ。 有栖はそれを、渾身の力で叩きつけた。 キィィィンッ……!!鼓膜を直接針で刺し貫くような、甲高い共鳴音が廊下全体に炸裂した。停滞していた空気が激しく波打ち、鼓膜を震わせる。 殺人鬼の眉間がぴくりと歪み、大鎌を振り下ろそうとした腕が、岩のように硬直した。 「……ッ、チッ……!」 血のような赤い瞳が不快そうに細められ、殺人鬼は顔をしかめて呻く。 「耳障りな真似しやがって……!そういう小細工だけは頭が回るんだよなぁ、有栖……ッ!」 怒号とともに振るわれた刃が、僕らのいた場所の壁を深く裂き、砕け散った破片が礫となって頬を掠めた。 その光景を見て、僕は背筋に冷たい氷を押し当てられたような戦慄を覚えた。 (……間違いない。こいつ、さっきの歌声といい、今の音叉といい……異常なほど音に反応している。人間離れした聴覚で、僕らの呼吸音一つさえ聞き逃さず追ってきているんだ……!) だが、その鋭すぎる聴覚こそが、今は唯一の隙となった。 「……走って!」 有栖の鋭い声に、美緒が弾かれたように顔を上げる。 我に返った僕は美緒を抱え直し、地を蹴った。背後では、殺人鬼がすでに大鎌を引き抜き、地を這うような動作で構え直している。 赤い瞳が、逃がさぬ獲物をむさぼる肉食獣の輝きを帯びて、再び僕らを射抜いている。 「今度は容赦しねぇぞ……!」 僕らは廊下を一気に駆け抜けた。 美緒を抱えた腕
あの封じられた鉄扉の先は、生きながらにして埋葬されたような、濃密な死の気配に満ちていた。 無数に枝分かれした隠し通路を抜け、肺が焼けるほど激しい呼吸を押し殺し、ようやく見覚えのある壁の隙間から這い出した先に。 「……戻って、きたの……?」 有栖の声は、震える赤い月光よりも脆く響いた。そこは、先ほどまでいた音楽室だった。 静まり返った室内には、不自然なほど濃厚な桜の香りと、それを塗りつぶすような時間が経った後のような血の錆びた匂いが混ざり合い、鼻の奥を不快感で支配していた。 だが、安堵はどこにもない。慌てて大樹が隠し扉を閉めると、中から響いていた殺人鬼の足音が慌ただしく別の方向へ遠ざかっていった。 その時、音楽室の隅にある古いスピーカーから、ざらついたノイズと共に歌声が流れ始めた。 それは歌というより、喉を切り裂かれた動物が最期に振り絞るような叫びに近しいものだった。ノイズの隙間から、誰かの咀嚼音のような生々しい音が混じり込み、鼓膜を汚していく。 「待って……この歌声……。」 有栖の瞳が鋭く光る。ただの音階ではない。 「ただの声じゃない。音階に合わせて、肖像画の目が動いてる……。」 並ぶ音楽家たちの瞳は、ただの絵の具ではなかった。 「見て、ユーリ……。あの瞳、濡れているわ。」と、指摘する有栖の震える声に僕が目を凝らすと、バッハやベートーヴェンの肖像画の眼球部分だけが、まるで本物の人間の眼球のように、生々しい光沢を放ってこちらを凝視していた。 旋律が「ド・ファ・ド・ソ」と繰り返されるたびに、並ぶ肖像画の瞳がギチギチと音を立て、一点を指し示している。 並ぶ音楽家たちの肖像画は剥き出しの眼が裏返るような鈍い音を立て、その視線はジッと一点に絡みついている。まるで、死者たちが僕たちの処刑を特等席で待ち構えているかのようだ。 死者たちの視線が一点に絡みつくたびに、僕たちのプライバシーという概念が、ナイフで薄く剥ぎ取られていくような不快感が全身を走る。 「……あそこだ!! 肖像画の視線が交差するスピーカーの中。大樹、あの中に僕たちの居場所を伝える何かがある!歌声が最大になる瞬間に叩き壊して!」 僕の指示が飛ぶ。 大樹は迷いなく黒板の裏のスピーカーへと足を振り上げた。 「三、二、一……今だッ!!」
音楽室の壁と同化した隠し扉がまるで僕たちを誘うかのよう風が吹いている。 僕たちは顔を見合わせた。逃げ出したいという本能的な拒絶は、誰もが抱えていたが、ここで背を向ければこの廃校という巨大な胃袋に消化されるのを待つだけだ。 「……調べるしかないな。」 大樹の声は、地を這うように低く、逃げ場のない決意に満ちていた。 有栖は白く震える唇を強く噛みしめ、縋るように僕の腕を掴んだまま頷く。 扉の前に立つと、古い木材は死人の肌のようにじっとりとした湿気を含み、触れると心臓が凍るほど冷たい。錆びきった蝶番が、招き入れるように揺れている。 「……行くぞ。2人とも。」 ギィィィイ……ッとゆっくりと口を開いた闇は、単なる暗がりではなかった。 鼻を突いたのは鉄と腐敗した内臓が混ざり合う、むせてしまうほどの死の臭い。足元には薄い赤黒い粘液状の染みが広がり、赤い月光を吸い込んでどろりと光っている。 「……血だ。それも、新しい。」 僕の呟きが、闇に吸い込まれていく。 有栖が袖で口元を押さえ、胃液がせり上がるのを必死に堪えるような、潰れた声を漏らした。 「……奥から、風が来てる。この通路……別の地獄へ繋がってるんだわ。」 「新しい舞台かもな…。…?…なんでここに懐中電灯が…。」と、大樹が拾った懐中電灯を点け、その喉元を照らし出す。 そこには、内臓の裏側を思わせるような狭い石造りの通路が伸びていた。 壁には、指を血に染めて書き殴ったような、歪な子供の落書きがびっしりと残されている。 ≪こわい≫ ≪だして≫ ≪うたが、やまない≫ 「……子供が、ここに閉じ込められていたのか?」 僕は耳を澄ますと、メトロノームの無機質な音に混じって、歪な歌声が漂ってきたのを感じ取る。 それは、優しく子供を寝かしつける子守唄のようでもあり、あるいは首を絞められながら無理や
視聴覚室での凄惨な記録に精神を削られた僕たちは、死臭を振り払うように廊下を突き進んだ。 大樹の顔は土気色に沈み、有栖は放心したように僕の袖を掴んでいる。彼女の瞳は、焦点を失ったガラス玉のように虚空を彷徨い、重いショックで意識の半分がどこか遠くへ置き去りにされているようだった。 「……もう、休んでる暇はねぇ。」 大樹が、自分に言い聞かせるように枯れた声を絞り出した。 「次は音楽室だ。まだちゃんと見てないところ…。」 有栖は、壊れた人形のように力なく頷くだけだった。 赤い月光に照らされた彼女の横顔は、死後数日を経た死体のように白く、不気味なほど静かだった。 そのあまりの脆さと儚さに、僕の胸は締め付けられる。かつて蜂蜜入りのお茶をくれたあの眩しい笑顔が嘘のようだ。守らなきゃいけない。 僕が攻略を選択を間違えれば、彼女は本当に壊れてしまう。 僕は握りしめた拳に爪を食い込ませた。この絶望の淵で、彼女を繋ぎ止めておけるのは自分しかいないのだと。 音楽室の重厚な木製扉の前に立つ。 大樹が意を決して取っ手に手をかけ、ゆっくりと引き開けた。 ギィィィ……と、誰かの悲鳴のような音を立てて静寂を切り裂く。流れ込んできたのは、ひんやりと冷たい。 「……誰も、いないな」 大樹が囁く。 カーテンの隙間から差し込む赤い月光が、部屋の中央に鎮座するグランドピアノを照らし出していた。それはまるで、暗闇の中に口を開けて待つ黒い怪物のようだ。 僕たちは、音を立てることを恐れる獲物のように室内へ足を踏み入れた。 有栖はまだ、ぼんやりと夢遊病者のように辺りを見渡している。だが、僕と大樹の全身に、鋭い戦慄が立った。 異常だった。 廃校は確かに綺麗……のはずなのだがこの音楽室で、ピアノの周辺だけが、まるで今さっき磨きあげられたかのように狂気的な輝きを放っている。 黒板
僕たちは調理室を後にし、墓場のような静寂に沈んだ廊下を這うように進んだ。 窓から差し込む赤い月光は、もはや光ではなく、床にぶちまけられたどす黒い粘液のようだ。 自分の靴音がカツン、カツンと乾いた音を立てるたび、その振動が直接脳を叩き、心臓が爆発しそうなほど跳ね上がる。 やがて、体育館の重厚な扉の前に辿り着いた。 意を決して扉を押し開けた瞬間、肺の奥まで侵食するような異様な重みが押し寄せてきた。 それは汗でもホコリでもない。 鼻の粘膜にべっとりと張り付く、強烈な生臭さ…肺が拒絶反応を起こすほどの、腐りかけの内臓が放つむせ返るような死臭だ。 「……っ、う、あ……っ。」 有栖が、喉の奥からせり上がるものを必死に堪えるような、潰れた声を漏らす。 高い窓から降り注ぐ月光が、コート中央に鎮座する|そ《・》|れ《・》を、逃げ場のない鮮明さで照らし出していた。 体育館の照明は落ちているはずなのに、その光はまるで計算された月のスポットライトのように、椅子に縛られた死体だけを鋭く、美しく浮かび上がらせている。 それは、誰かに鑑賞されることを待っている|展《・》|示《・》|物《・》のような、完璧な計算された配置しており、そこに存在していた。 かつて人間であったはずの、無残な肉の塊。 パイプ椅子に縛り付けられたまま、首は皮一枚で繋がっているかのように不自然な角度で折れ曲がっている。 割れた腹部からは、温かさを失った内臓が溢れ出し、床にどろりと広がる赤黒い海に浸かっていた。 月光を浴びた腸が、まるで巨大な芋虫のように湿った光沢を放っている。 その足元からは、引きずり回された際の脂肪と血が混じった太い線が、コートの端までうねるように伸びていた。 逃げ惑う獲物を必要以上にいたぶり、少しずつ遊んで解体していった殺人鬼の、おぞましい愉悦を証明するように周囲の壁には、助けを求めて掻きむしったのだろうか、爪の跡が深く刻まれた手形が無数