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第9話 残滓のゆりかご

مؤلف: 桜花桜餅
last update تاريخ النشر: 2026-04-28 11:12:31

調理室を支配していた殺気は、重い扉を閉ざしたことで、よどんだ静寂へと姿を変えた。

 無機質なステンレスの調理台は、不自然なほどに磨き上げられ、窓から差し込む赤い月光を鈍く跳ね返している。棚には缶詰や乾パンが、まるで行儀よく並ぶ兵隊のように綺麗に置かれていた。

「……ここ、本当に学校なのかな」

 有栖が、指先で棚の端をなぞりながら呟く。

「廃校にしては綺麗すぎるし、備蓄も……揃いすぎてる。まるで、私たちがここで飼育されてるみたい。電気も、ガスコンロも付かないのに…なんで冷蔵庫は機能してるんだろ。」

 僕はその言葉の先にある、おぞましい想像を飲み込んだ。僕たちが見た光景なんか、有栖に言えるわけがない。

 それに、これらは想像ではない。これは確信だ。

 この調理室に並ぶ備蓄品は、プレイヤーに与えられた回復アイテムに過ぎないのだ。電気もガスも止まっているのに冷蔵庫が冷えているのは、それがこのステージの設定だから。

 不自然だと怯える有栖の横で、僕はそんなメタ的な違和感をゲームの仕様として最初から処理している自分に、激しい嫌悪感を覚えた。

 殺人鬼が有栖を見逃したのも、白井先生がカウントなしに殺されたのも、すべてはシナリオを盛り上げるためのイベントフラグの改ざんだ。

 僕たちは意思を持った人間ではなく、この閉鎖空間という箱庭で、観客を飽きさせないように踊らされている動く肉のパーツでしかない。

 棚から取り出したジュースの冷たさが、僕の指先を刺す。

 この液体の甘みさえ、僕たちが絶望をより深く味わうために、管理者が用意した精神安定剤のように思えてならなかった。

 生贄を新鮮なまま保つための、巨大な保冷庫。

 ここは殺されるのを待つ家畜が、飢えで肉質を落とさないように管理された檻なのだ。そして、絶望し死ぬことで観客を喜ばせる舞台でもある。

 殺人鬼が有栖を気まぐれに見逃したのも、僕たちがまだきっと|食《・》|べ《・》|頃《・》ではないからか、あるいはもっと絶望を熟成させてからの方が観客にとっては|娯《・》|楽《・》からかもしれない。

 そんな絶望を口にすれば、彼女の細い肩は今度こそ砕けてしまうだろう。僕は努めて穏やかな動作で、棚から一本のジュースを取り出し、彼女に手渡した。

「今は、これに甘えよう。体力を戻さないと、逃げることもできないから。」

「……ありがとう。」

 有栖は小さく頷き、震える指でプルタブを開けた。カシュッ、という乾いた音が、静まり返った室内にやけに大きく響く。

 カタリ。不意に、調理台の奥、光の届かない隅で硬質な音がした。

 有栖の身体がびくりと硬直する。そこには重い鍋の蓋が置かれており、それがまるで呼吸をするように、わずかに揺れていた。

 風など吹いていない。密閉された空間で、何かが内側から干渉しているのだ。

「……有栖、僕の後ろに。」

 僕は喉の渇きを堪え、一歩、また一歩と調理台の奥へと歩み寄った。床下から、誰かが冷たい吐息を吹きかけているような、粘りつく寒気が足元を撫でる。

 棚の背後、影に隠れるようにして、それは口を開けていた。

 床下へと続く石造りの階段。そこからは、鉄の錆と、古びた血の匂いが混ざった生温かい風が、肺の奥を汚すように吹き上がってくる。

「……何、これ……階段?」

 有栖の声が震える。彼女は、白井先生が保健室のこれと同じ道を通った殺人鬼に殺されたことをまだ知らない。

「……そうだ。殺人鬼は廊下を通る必要なんてない。壁の裏や床下……この学校の|血《・》|管《・》を通って、どこへでも現れるんだ」

 その事実を口にした瞬間、自分の背筋にも鋭い悪寒が走った。逃げ場など、最初からどこにもなかったのだ。

 幸い、有栖には聞こえていなかった。

 その時、静寂を切り裂いて扉が勢いよく開かれた。

「おい……っ、ユーリ!無事か!」

 飛び込んできたのは、大樹だった。

 その姿に、僕は息を呑む。

 端正だった彼の顔は土埃と汗にまみれ、肩は激しく上下している。

 シャツの袖には新しい返り血のような染みが飛び散り、剥き出しの腕には何かにしがみついたような擦り傷がいくつも刻まれていた。

 彼は扉に背を預けて鍵を閉めると、そのままずるずると床にへたり込み、肺を酷使するような荒い呼吸を繰り返す。

「大樹……!何があったんだよ、その怪我……!」

「……ああ、気にするな。体育館の方を調べてたら、例のあいつと鉢合わせそうになってな。死に物狂いでダクトを這いずり回って、ようやく撒いてきたところだ。」

 大樹は震える手で顔の汗を拭い、ようやく僕らの傍らにいる有栖に視線を向けた。

「……有栖。……よかった、お前も無事だったんだな。」

 有栖は大樹のあまりに凄惨な様子に、言葉を失って立ち尽くしている。大樹は僕が指差した闇の階段を見つめ、苦々しく吐き捨てるように言った。

「やはりな……ここにもあったか。保健室の床下も、これと同じだった。」

「……え?」

 有栖が怪訝そうに声を漏らす。

 大樹は一瞬、言い淀むように僕と目を合わせたが、隠し通せる状況ではないと悟ったのか、重く低い声で続けた。

「有栖、驚かないで聞いてくれ。いや…聞いても叫んだりとかしないでくれ。

 ……殺されてた。保健室にいたはずの白井先生が、この階段と同じ、床下の隠し通路を通ってきた殺人鬼に…。」

「……先生が?」

 有栖の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。

 彼女にとって、白井先生は数少ない大人の守護者だったはずだ。その希望が、今、大樹の残酷な報告によって断たれた。

「……だから、俺たちは背後の壁すら信用できねぇってことだ。殺人鬼は影の中を、蛇みたいに這ってどこへでも来る」

 大樹は鞄からペットボトルの水を強引に引き出し、ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲む。

「ほら、お前達も何か飲んで、食べて、落ち着け。パニックが一番寿命を縮める。……少し休んだら、移動するぞ。ここも、もう安全じゃない。」

 大樹の手は、まだ微かに震えていた。

 大樹が語る死に物狂いの脱出劇さえ、僕の目にはどこか予定通りな台本のように映る。

 彼の腕に刻まれた擦り傷。

 それは本当に殺人鬼から逃げる際についたものだろうか。

 しかし、強靭な彼でさえ、ここまでの恐怖を味わってきたのだ。僕は差し出された水を一口飲み、喉に張り付くような鉄の味を押し流した。

大樹の手は、まだ微かに震えていた。強靭な彼でさえ、これまでの恐怖を味わってきたのだ。

 ふと、そのボトルのキャップに赤黒い指紋が残っているのが見えた。

 大樹はそれを汚れだとでも思っているのか、自分の服で乱暴に拭い、無理に作った笑顔で有栖にもカロリーメイト差し出す。

  僕は、大樹が有栖に差し出したカロリーメイトの包装に、黒い何かがこびりついているのを逃さなかった。それは白井先生の最期を整えた際の名残だ。

 移動するぞという彼の力強い宣言が、僕の耳には次の処刑場への誘導アナウンスのように響く。

 大樹というキャラクターが、この極限状態でリーダーという役割を演じれば演じるほど、その裏側に潜む演出家の意図が透けて見える気がして、頭痛がする。

 だが、彼は立ち上がり、決意を固めるように言った。

「……もう休んでる場合じゃない。体育館に行こう。広い分だけ逃げ道もあるし、物資もあるはずだ。

 もし他に生存者がいるなら、あそこに集まっている可能性が高い…と思いたいがあの殺人鬼相手だ。7割以上は死んでるだろうな。」

 大樹の言葉は力強いが、この窮地の中、前向きに振る舞うことで、ようやく正気を繋ぎ止めているのが分かった。

「……でも。」

 僕は言葉を詰まらせる。

 体育館方向から聞こえた巴の凄惨な悲鳴が、今も耳の奥にこびりついて離れない。

 けれど、有栖がそっと僕の袖をつまんだ。

「……一緒に行こう。離れたら、きっともう二度と会えない気がするから。」

 彼女は|死《・》|ぬ《・》とは言わなかった。

 ただ|会《・》|え《・》|な《・》|い《・》と言った。その震える声に、僕は強く頷くしかなかった。

 僕たちは、備蓄された|餌《・》を胃に流し込み、再び廊下へと足を踏み出した。

 背後で調理室の扉が閉まる音。それは、次の|演出《イベント》が始まる合図のように、僕の耳に響いた。

 僕たちは、自分たちが|観《・》|客《・》ではなく、血を流して死ぬことでしか価値を証明できない|役者《キャスト》かあるいはであることを、嫌というほど分からされていた。

「行こう、体育館へ。」と大樹。僕と有栖は頷くと大樹の後ろについて行った。

 調理室を後にする僕の靴底は、廊下に溜まった冷え固まった血痕を、容赦なく踏み潰していった。

 「離れたら、もう会えない」と言った有栖。

 彼女のその台詞さえも、この悲劇のヒロインに与えられた最高のフラグに聞こえてしまう自分の耳を、削ぎ落としてしまい衝動に襲われる。

 体育館へと続く渡り廊下。

 そこには、殺人鬼が引き摺り回した誰かの髪の毛の束が、赤い月光を浴びて、まるで供えられた花のように点々と散らばっている。

 僕は知っている。この先に待っているのは、協力による脱出などではない。

 僕たちが積み上げてきた感情も、失った仲間たちの命も、すべては最も残酷なエンディングという一点に向けて、贅沢に消費されるためのリソースに過ぎないのだ。

 一歩、また一歩。

 僕は、死臭漂う空気とともに、この地獄の仕様を飲み込み、自分の心が完全に摩耗していく音を聞いていた。

 大樹の背中が、赤い月光に照らされ筋肉が不自然に浮き上がって見える。

 大樹は時々背後を振り返っては有栖を気遣うような素振りを見せるが、その瞳の奥にあるはずの恐怖が、僕にはどうしても僕から有栖を狙っているかに見えて仕方がなかった。

 彼の靴底が血だまりを踏むたび、グチャッという、潰れた踏みにじるような嫌な音が反響する。

 「……ユーリ、有栖。絶対、俺が守り抜いてやるからな」

 その力強い言葉。

 普通の脱出ゲームなら、ここでプレイヤーは信頼度を上げる選択肢を選ぶのだろうか。

 大樹が発した守るという言葉は、有栖にとってはこの地獄で唯一の、温かい守護のように機能したのだろう。

 彼女が大樹に向ける信頼の眼差しは、赤い月光に洗われてひどく純粋で、それゆえに僕の胸の奥を嫉妬と独占欲で掻き乱す。

 この状況下で、彼女の瞳を独占したいと願う自分は、やはりどこか壊れている。

 体育館の扉まであと数メートルというところで、大樹がふと足を止めた。振り返った彼の瞳には、有栖を安心させるための作り物のような優しさが出ていた。

「有栖、大丈夫か。……少し、顔色が悪いぞ」

 大樹が大きな手を伸ばし、有栖の肩を包み込むように触れた。有栖は拒むどころか、その温もりに縋るように、わずかに身体を預けてしまう。

「……うん、ごめん。ちょっと、匂いが……」

 有栖は大樹の腕に指先を添えた。その光景を、僕は数歩後ろから、ただ見ているだけしかできない。

 僕は自分のポケットの中にある診察券の角を、親指の腹で何度もなぞった。

 プラスチックの硬い感触が、僕に「お前は観客ではない。だが、ただの役者でもない」と告げている気がした。

「ユーリ? どうした、そんなに立ち止まって」

 大樹の声には、一点の曇りもない。その完璧な仲間としての振る舞いが、かえって彼を人間離れした、運営側の手先のように見せている。

 僕は、有栖が大樹に預けているその無防備な背中を、誰にも気づかれないようにじっと見つめ返した。

 もし。

 もし、この先の体育館か、または別の場所で大樹が予定通り退場することになったら。

 その時、有栖は誰に向かってその綺麗な桜色の瞳を向けて助けを乞うだろう。縋るのだろうかと考える。

 絶望の底で、最後に残った僕の手を、彼女はどんな顔で握りしめるだろうか。

 そんな最低な期待を抱いている自分に吐き気を覚えながらも、僕は無理やり口角を上げ、歪な笑みを作った。

「……なんでもない。ただ、この先のことを考えていただけだよ」

 僕の言葉の意味を理解できない大樹は、怪訝そうに首を傾げた。有栖だけが、僕の視線の冷たさに気づいたのか、わずかに肩を震わせた。

 僕たちは、まだ扉を開けない。

 この閉ざされた廊下の、死臭漂う停滞の中で、僕たちはそれぞれの思惑を抱えたまま、ゆっくりと終わりの時間を共有していたのだった。

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