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第7話 再会の時

Autor: 桜花桜餅
last update Fecha de publicación: 2026-04-27 06:00:00

1-C教室の入り口。

流星だった赤黒い肉塊が転がる足元から、僕たちは逃げるように廊下へ出た。

巴を連れ去った殺人鬼が向かった体育館方面からは、いまだにべったりとした死の残響が這い寄ってくる。

あの方角へ行けば、確実にあの殺人鬼が、まだ獲物の肉を刻んでいる最中に出くわすだろう。

「……今は、体育館に行くのは自殺行為だ。」

大樹の声は低く、自分への怒りで震えていた。

「巴ちゃんの悲鳴……あそこには、まだあいつが居座ってる。今行けば、俺たちもまとめて殺されるだけだ。

……ここは、手分けすべきだと思う。」

この地獄で、一人になる。

呼吸が止まりそうになったが、大樹の返り血に染まった拳を見て、僕は無理やり頷いた。

「……大丈夫。行くよ。効率よく情報を集めないと、全員死ぬ。」

その言葉を最後に、僕たちは左右の闇へと別れた。

大樹の後ろ姿が闇に消えた瞬間、耳鳴りがするほどの静寂が僕を包み込んだ。一歩踏み出すたびに、上履きの裏が廊下にへばりつく。

ぴちゃぴちゃと足元を見なくてもわかる。そこには、さっきまで巴の一部だったものが、点々と道標のように続いているのだ。

ふと視界の隅、1-Bの教室から廊下へとはみ出した赤黒い水たまりが目に入った。そこには、誰かのものだった赤い色ではなく若干桃色の柔らかい肉の塊が、まるで食べ残されたお肉のように転がっている。

それは殺人鬼の鎌で弾け飛んだ、誰かの中身の肉だろうか。

僕はそれを避けて通るべきだった。なのに、僕の脳はそれを回避すべきトラップとして冷めた目でスキャンし、あろうことかその断面の生々しさを、不気味なほど鮮明に脳内に焼き付けていた。

階段を一段上がるたびに、足の裏から冷気が這い上がってくる。校舎が吐き出すミシィッという軋み音が、背後で誰かが階段を上り始めた音のように聞こえて、僕は何度も振り返りそうになった。

校舎は、僕たちの知っている学び舎とは別の生き物に変貌していた。壁のあちこちには、殺人鬼が振り回した大鎌が削り取った木材の粉と、そこにぶちまけられた黒と赤が混ざった内蔵や皮膚が混ざり合い、まるで汚い塗り壁のようにこびり付いている。

ふと見上げると、防火扉の隙間から、誰かの剥ぎ取られた衣服の端が垂れ下がっていた。

そこから滴り落ちる赤い血の水滴が、廊下に規則正しい音を立てて弾け、僕はその水たまりを跨ぐ際、自分の靴底が溜まった血液の泉を踏み潰さないよう、不自然なほど大股で歩くのだ。

その滑稽な動作こそが、今の僕に許された唯一の正気の証明だった。そうただ信じたいだけなのかもしれない。

職員室へ向かう道中、僕は何度も背後を振り返った。

遠くで窓ガラスがガタガタと鳴る音や、自分の足音が廊下に反響するたび、心臓が口から飛び出しそうになる。

大樹という心の安定を失った自分は、これほどまでに無力だったのかと僕は手のひらを握りしめる。

ようやく辿り着いた職員室の扉は、拍子抜けするほど簡単に開いた。

掲示板の端、不自然に浮き上がった壁紙を剥がすと、銀色の埋め込み式金庫が顔を出した。犬、猫、鳥、馬のパネル。

金庫の冷たい金属に触れたとき、指先が微かに濡れた。

赤い月光に透かしてみれば、それは誰かの血液。以前にこの金庫を開けた者が、返り血を浴びた手で番号を回したのだ。

僕はそれを見て、機械的に指を動かした。巴たちが死んだ直後だというのに、脳は勝手に数字を弾き出している。

ダイヤルを回すたび、隙間からギュルリ…という何の変哲もない音が漏れる。

「猫1、鳥2、馬3、犬4。……はい、正解。」

カチリと、あまりに手応えのない解放音。扉の中には、銀色の鍵と一緒に、一枚の小さな|診《・》|察《・》|券《・》が置かれていた。

「……診察券?桜田……有栖?」

そこには、僕の想い人である彼女の名前と、|精《・》|神《・》|科《・》|・《・》|外《・》|来《・》|受《・》|診《・》の文字。

日付は、この地獄が始まる一週間前で止まっている。

「……何だよ、これ。誰の仕業?悪趣味すぎる…。」

銀色の視聴覚室の鍵だけを握りしめ……手のひらに食い込む鍵の感触が、まるで|次《・》|は《・》|こ《・》|こ《・》|に《・》|行《・》|け《・》という管理者の命令そのもののようで、吐き気がした。

僕はしばらく診察券を見ていたが、やがてそれをポケットに入れた。

特に理由はなかった、なのに……診察券の角が指に刺さる感触だけが、妙に現実味を帯びていて、手放すのが怖かったんだ。

職員室の床には、散乱した出席簿や指導案がいくつも重なり合っていた。一枚のプリントを踏んでしまうと、ベリッという、乾いた嫌な音が静寂に響く。

僕はその音にさえ、攻略のヒントを探そうとしていた。

診察券のその文字が意味する絶望を想像するよりも先に、僕は「このアイテムはどのイベントのフラグか」という攻略思考に逃げ込む。

診察券を握る手のひらが汗ばみ、有栖の絶望の象徴であるその紙が、僕の汗で少しずつ汚れていく。

守りたいはずの彼女の秘密を、自分の不潔な手で浸食している感覚。それが、頭より先に心が感じてしまう。…心地よかったと。

三階へ戻る階段を上がりきった時、廊下に引き摺られた粘り気のある血の跡に目が止まる。

大樹の体格よりずっと大きな引きずり跡、その血溜まりの中に、銀歯が一つ、転がっていた。

廊下に落ちていたその銀歯には、まだ生々しい歯茎の神経の筋が糸を引くようにこびり付いていた。

殺人鬼は獲物の顎を掴み、無理やり引き剥がしたのだろう。その周囲には、叩き潰された肉の欠片が、壁一面に飛び散っていた。

「死体を運んでいる? 」その推測が脳に浮かんだ瞬間、僕は自分の指先が凍りつくのを感じた。パズルのピースを埋めるような感覚で、僕は人間の死を|攻《・》|略《・》|情《・》|報《・》として処理し始めている。

恐怖よりも先に、ゲーマーとしての疑問が脳を占拠する。

次のパズルのピースを拾うような感覚で銀歯を見つめたその時、死の腐臭を塗りつぶすように、場違いなが|香《かおり》が鼻をくすぐる。

その死の腐敗臭を塗りつぶすように漂ってきた蜂蜜のように甘く、凛とした百合の香り。

音楽室の入り口。赤い月光を背負った有栖が立っていた。

音楽室へと続く廊下は、まさに地獄の回廊だった。壁に掛けられた歴代の音楽家たちの肖像画は、すべて大鎌で横一文字に切り裂かれ、その裂け目からは、殺人鬼が悪戯で詰め込んだのだろうか、バラバラになった誰かの指や男性の男根がいくつも突き出していた。

それは、生命への冒涜というより、悪趣味なオブジェのようだった。

床に広がるのは、もはや血の海ではない。

腐って液状化したものとそのなりかけの肉と、細かく砕かれた骨が混ざり合った、どろりとしたシチューのような惨状だ。

その地獄の中心で、彼女だけが、汚れ一つない純白の影として立っていた。

しかし、彼女の白いワンピース風の制服の裾には、廊下の血だまりを吸い上げた赤色のシミが、まるで死を予言する花模様のように広がっている。

「……桜田、有栖……?」

彼女を呼ぶ僕の声は、自分でも驚くほど震えていた。

恐怖からではない。目の前に広がる、肉が裂け、骨が砕かれた地獄絵図と、彼女の圧倒的な美しさが、脳内で最悪な形で混ざり合っていたからだ。

彼女がゆっくりと振り返る。その瞬間、ポケットの中の診察券が、妙に重く感じられた。

その瞳は焦点が合っておらず、まるで長い夢を見ているかのようだった。

「……ユーリ君?」

鈴の音のような声。けれどその響きには、生身の人間が持つ熱が欠落していた。

彼女と2-A教室に逃げ込み、扉を閉める。カーテンの隙間から差し込む赤い月光が、彼女の白い肌に朱を指していた。

「ずっと……暗闇の中で、ピアノの音だけが聞こえていたの。気づいたらここにいて、外はあんなに赤くて……。」

彼女は窓の外を見つめたまま、力なく微笑んだ。

何が起きているのか、自分がどんな絶望のふちに立たされているのか、彼女はまだ何も理解していない。

ただ、処理しきれない恐怖のせいで、心が現実から切り離されているだけなのだ。

その儚さに、僕の胸は不謹慎な熱を帯びた。

「月が、綺麗ですね。」

無意識に唇から零れた。

その言葉が零れた瞬間、自分の喉を切り裂きたくなった。カーテンの隙間から差し込む赤い光は、有栖の首筋をなぞり、その奥に潜む青い血管を不気味に浮かび上がらせている。

この地獄で口にするには、あまりに皮肉で、切実な言葉。…その言葉を口にした瞬間、僕の中で何かが決定的に壊れた音がした。

巴の叫び、流星の肉が裂ける音、そして大樹の震える拳。それら全てをただのノイズとして切り捨て、僕は今、この血生臭い校舎の中で、甘ったるい恋の真似事をしている。

僕は今、彼女の細い指先に触れたいと願っている。

この地獄を二人きりのシチュエーションとして楽しもうとしている自分がいるんだ。

有栖の瞳に映る僕は、きっとあの殺人鬼よりも醜悪な顔をしているはずだ。

彼女の肌から漂う甘い香りと、廊下から漂う死の臭い。その二つが混ざり合い、僕の理性をドロドロに溶かしていく。

彼女を守るんじゃない。彼女を守っている自分という物語に、僕は逃げ込んでいるだけなんだ。

「ええ。本当に……全部が真っ赤ね。」

彼女はただ、吸い込まれるような瞳で月を見つめていた。

その無垢な横顔を見ていると、ポケットの診察券が妙に重く感じられる。

彼女はこの場所のルールも、殺人鬼の快楽も、僕が犯した言葉の過ちも知らない。

だからこそ、守らなければならない。彼女だけは、この穢れに染めてはいけない。

「僕、大樹を呼んでくる。絶対に、ここから動かないで。」

僕は彼女の肩に誓うように手を置き、しばらくしてそっと手を離す。

彼女の肩越しに見える窓の外では、赤い月がすべてを嘲笑うように輝いている。その光に照らされた有栖の瞳は、まるで磨き上げられたガラスの桜色のように無機質で、けれど、何よりも深く僕を捉えていた。

彼女の指先が、僕の袖口に微かに触れる。彼女の指先は震えており、その冷たさは、廊下に転がっている温度を失った遺体の肉と同じはずなのに、僕にはそれが、熱い火傷のような衝撃となって伝わった。

この教室の壁一枚隔てた向こう側には、引きずられた肉の跡があり、砕かれた銀歯が落ちている。

この愛の告白という舞台装置を維持するために、僕はどれだけの死を積み上げればいいのだろうか。

再び廊下へ出ると、背中に感じる彼女の視線が刃物のように冷たく突き刺さる気がした。

もし彼女が、僕がこの診察券を隠し持っていると知ったら? もし、彼女の絶望の理由が、僕の知らない誰かにあるのだとしたら?

……いや、考えるな。今は、大樹を探さなきゃ。

僕は丸メガネを強く押し上げ、レンズの曇りを拭うことすら忘れて歩き出す。ポケットの中の診察券が、一歩ごとに僕の肉を削っていく。

それは、偽物のヒーローに与えられた、唯一の罰のように思えた。

それでも…「月が綺麗ですね」なんて、その言葉を口にした瞬間、僕は自分自身にゾッとしていたのだ。

巴たちの内臓がまだ温かいうちに、僕は、体温を失ったような彼女に愛を囁いた。

同級生や巴と流星があんな無惨な死に方をした場所で、僕はまだ、愛の告白ごっこを演じる余裕があるのか、と。

僕は僕を軽蔑する。

教室を出る際、僕は振り返り、閉じた扉を見つめた。

ポケットの中の診察券が、体温でじりじりと熱を帯びている。それは、彼女の闇の一部だ。僕が知らない彼女の苦しみ、彼女が隠していた精神の崩壊。

それを隠し持っているという背徳感が、僕を奇妙な優越感で満たしていく。

廊下に溜まった誰のかも分からない血を踏みしめながら、僕は丸メガネを強く押し上げたた。

巴の死も、流星の無念も、今はただの背景でしかない。この愛の告白ごっこを完遂するために、僕は大樹を探し、情報を集め、ゲームを攻略しなければならない。

足元で、誰かの剥がれ落ちた爪がパキリと乾いた音を立てて砕けた。その音さえも、僕にとっては次のステージへ進むための合図に過ぎなかった。

僕は、僕自身の薄汚いエゴに吐き気を催しながら、赤い闇の奥へと、遺体の血で滑りそうになる足を一歩ずつ踏み出していった。

この、吐き気がするほどの独りよがりの僕を……誰か、殺してくれ。その願いさえ、この校舎に響く無数の断末魔にかき消されていく。

僕が吐き捨てた殺してくれという言葉は、廊下の闇に消えていくのだ。

ふと見上げた窓に映る自分の顔は、返り血を浴びたわけでもないのに、ひどく泥のように汚れて見えた。丸メガネの奥の瞳は、死体たちの虚ろな瞳と同じように、光を反射することなく闇に沈んでいる。

背後にある2-A教室からは、もう有栖の百合の香りは届かない。足元の剥がれ落ちた爪を再び踏み砕きながら、僕は止まらなかった。

この地獄を攻略し、彼女を僕だけの檻に閉じ込めるまで、僕はこの地獄の絨毯の上を歩き続けなければならないのだ。

自分が最も軽蔑する、この醜悪な心臓の鼓動が、静まり返った校舎に処刑の合図のように重く響き渡っていた。

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