로그인巨大な石造りの棺桶のような体育館の中、僕たちは足元の感覚だけを頼りに、一歩ずつ死への道を歩んでいた。 床に点々と続く、どす黒く変色した血痕。それはまるで、何者かが僕たちを冥界へと誘うためにあえて残した、不吉な道標のようだった。 倒れた椅子や、無残に引き裂かれた跳び箱の残骸を縫うように進むたび、乾いた木の葉を踏むような不快な音が静寂を削り取っていく。 「……ここ、何か手掛かりがあるかもしれない。」 大樹が地を這うような低い声で呟いた。彼の視線の先には、壁に叩きつけられたような血の手形と、そのすぐ側に落ちている、一枚の古びた紙片があった。 美緒は僕の腕を折れそうなほど強く握りしめ、肩を小刻みに震わせながら、暗闇の奥に潜む何かを怯えた瞳で探っている。 ズ……ズズ……。遠く、舞台の袖か、あるいは天井の上か。 重い何かを引きずるような、あるいは刃物が床を舐めるような微かな音が、体育館の高い天井に反響して降り注ぐ。 僕の胸が、心臓を直接鷲掴みされたかのように締め付けられるように苦しくなった。この暗闇のどこかで、まだ死が呼吸をしている。その確かな気配が、皮膚を突き刺すような悪寒となって全身を駆け抜けた。 「慎重に行こう。殺人鬼の耳は、僕たちの心臓の音さえ拾おうとしている。」 大樹の硬い声に我に返り、僕たちは進み始めた。 床に落ちた衣服の切れ端、砕け散ったパイプ椅子の欠片……。それらはすべて、かつてここで起きた惨劇の、無言の断片だった。 体育館の最奥。光さえも届かない濃厚な闇の中、僕たちは奇妙なものを見つけた。 床一面に、雪のように散らばる破られた新聞の切れ端や、引き裂かれた手帳のページ。それらはどれも黒いインクで塗りつぶされていた。 「……これは……。」 美緒が指差した先。そこには、一つの単語だけを残して完全に塗りつぶされた、週刊誌の切り抜きがあった。 ≪ 凶悪無差別殺人鬼 ―― ■■■■ ≫ その文字列を目にした瞬間、肺の奥が焼けるような圧迫感に襲われた。黒塗りの下に隠された名前が、今もなおこの空間に呪いとして漂っているかのような…。 大樹がその紙片を指でなぞり、苦々しく吐き捨てる。 「血痕とこの紙の端がセットになって配置されてる……。まるで、誰かが俺たちを正しい死に場所へ導いて
長い廊下を抜け、ついに体育館の重厚な扉が目の前に現れた。 もはや外の光は一滴も届かず、巨大な扉は、墓石のように冷たく鈍い光を反射している。 その向こう側から、キィ……キィ……という、わずかな金属音が響いてくる。 大鎌の鋭利な刃先が、ゆっくりと床を撫で回す音だ。 「……ついに、戻ってきてしまったな。」 大樹の声が、初めて弱々しく震えた。僕も美緒も、声にならない声を飲み込み、ただ深くうなずくことしかできない。 扉をそっと、数ミリだけ開くと、体育館の内部は底知れぬ暗闇に支配されていた。 その空間の中央。赤い瞳が、僕たちが来るのを予期していたかのように、ぎらりと光り、こちらを見据えていた。 殺人鬼は、大鎌を杖のように突き、苛立ちを隠しきれずに獣のような足取りで歩き回っていた。 「……あぁ? 何だ、まだくたばってなかったのか。チッ……どこまでも運が良いというか、小癪に頭が回るガキどもだぜ。」 その声には、底なしの怒りと、獲物をいたぶる愉悦が混じり合っていて、聞くだけで五臓六腑が凍りつく。 美緒が、呼吸を忘れたように小さく息を吐き、僕の腕を握る手に力を込めた。 「……ユーリくん、どうすれば……」 僕は答えを探すが、心臓はドクドクと脈が早くなり思考は真っ白に霧散していく。 殺人鬼は、ゆっくりと、そして優雅にさえ見える所作で大鎌を振り上げた。 その一挙手一投足が、僕たちの反応を愉しむための残虐な誘いのように見える。 「……今だ、走れっ!!」 大樹が僕たちの肩を力任せに押し、合図を送る。 僕たちは死の影に飛び込むように、一斉に体育館の暗がりへと滑り込んだ。 その瞬間、殺人鬼の狂った咆哮が体育館の隅々にまで反響した。 「どこへ消えた……!? チッ……俺を舐めるのも大概にしろよ、あの女もろとも、細切れにしてやるッ!!」 赤い瞳が暗闇を鋭く切り裂き、僕たちが潜んだわずかな影を暴き出そうと、血に飢えた視線を走らせる。 逃げる、ただそれだけが唯一の生存戦略だった。体育館はあまりにも広く、隠れる場所はあまりに脆い。 だが、この極限の恐怖の渦中で、僕たちは確かに、明日を掴み取るための決死の一歩を踏み出したのだ。 床に散らばる、かつての犠牲者のものと思われる血痕を踏まぬよう、
肺に突き刺さるような土の匂いと、腐朽した木材の湿り気が立ち込める通路。 僕たちは、ただ生き延びるためだけに、獣のように四つん這いになって闇を這い進んだ。 背後で遠ざかる殺人鬼の笑い声が、地底を伝う振動となって鼓膜を震わせるたび、腕に抱えた美緒がすすり泣く。 「……もういや……もう、ここから出して……」 消え入りそうなその声に、僕は自分自身に言い聞かせるように必死で説得するように耳の良い殺人鬼に聞こえないように囁く。 「大丈夫だ、美緒ちゃん。絶対に……絶対に出口を見つけてみせるから……!」 先頭を進む大樹が、泥にまみれた手で壁をまさぐりながら、狂ったように出口を探す。やがて彼の指先が、鈍い音を立てて硬い金属に触れた。 「ここだ……何かあるぞ。」 彼が力任せに古びた木板を押し上げると、ぎいぃぃ……と地獄の蓋が開くような嫌な音が響く。 その隙間から、淀んだ地下の空気とは対照的な、刃物のように鋭く冷たい外気が流れ込む。 辿り着いたのは、図書館裏の打ち捨てられた資材置き場のようなスペースだった。 月光に照らされて白く浮かび上がるのは、カビに侵食され、巨大な墓標のように積み上がった古い書籍の山。 そして、誰かが使っていたであろう古いオイルランプが不気味に転がっている。 壁際には、まるで奈落へと通じているかのように闇が続く細い階段が口を開けていた。 「……舞台の下が、こんな場所に繋がっていたなんてな……。」 大樹が眉をひそめ、刺すような警戒心を周囲に張り巡らせる。 背後からは、まだ殺人鬼の獣じみた怒声が、体育館の反響を伴って遠く、低く響いていた。だが、ここに出られたのは、死神が獲物を見失ったわずかな空白の時間に過ぎない。 僕は美緒の震える肩を抱き寄せ、有栖を一人、あの地獄に置いてきてしまったという、心臓を抉られるような自責の念を必死に押し殺す。 「……進むしかない。どんな先が待っていても、彼女が繋いでくれたこの命を、ここで終わらせるわけにはいかないんだ。」 僕たちは互いに血の気の引いた顔を見合わせ、地下へと続く未知の階段を見下ろした。 その暗闇の奥底からは、風の鳴る音とは明らかに違う、何者かが苦痛に悶えるような、かすかな呻き声がじわじわと、せり上がってきていていた。 薄暗く、埃が雪の
せり上がった暗幕の奥、光さえ届かぬ闇から、床板をきしませる重い足音が響き渡った。 ドン……ドン……ドン……。それは心臓の鼓動を外側から無理やり同期させるような、不吉なリズム。 広い体育館の空間で増幅され、鼓膜を震えさせた。 やがて、舞台の中央に血のような赤い光がぽつりと灯った。逆光に照らされ、ゆらゆらと陽炎のように揺れる巨大な影………大鎌。 身の丈を超えるほどの凶器、鈍い銀光を放ちながら、舞台の床を擦って火花を散らす。 ギギ……ギィィン……と、鉄と木が削り合うその音は、黒板を爪で立てる音よりも不快で、美緒は歯をガタガタと震わせる。 幕の闇の中から、爛々と輝く二つの赤い瞳が僕らを射抜く。 それはもはや人間の瞳ではない。獲物の急所を品定めする飢えた獣の瞳だ。その粘りつくような視線が僕ら三人を舐め回し、逃げ道をじわじわと、物理的な質量を持って奪っていく。 「……来た、のか……」 大樹が喉の奥で唸るように絞り出したその次の瞬間、殺人鬼は咆哮とともに大鎌を頭上高く振り上げ、高さのある舞台から、迷いなく飛び降りた。 ドォォォンッ!!凄まじい衝撃に床が波打ち、蓄積した埃が視界を真っ白に染め上げる。 僕は反射的に、恐怖で硬直した有栖と美緒を背中に隠すように庇った。けれど、埃の霧の向こう側で、赤い瞳はすでに僕らの死を完璧に確定させるかのように舐めるように僕たちを見た。 「チッ……やっぱりここへ逃げ込んだか。クソガキの分際で、頭が回るじゃねぇか、テメェら!」 鼓膜を震わせる怒声。それと同時に、大鎌の刃が空気を裂く凄まじい風切り音を立てて横に振るわれた。 ガガァァンッ!!僕らのわずか数センチ横、頑丈な床板がまるで紙細工のように容易く引き裂かれ、鋭い木の破片が|礫《つぶて》となって僕らの頬を掠める。 飛び散る木片、耳をつんざく破壊音。 僕らはあまりの圧力に呼吸を忘れ、ただ本能のままに後ずさるしかなかった。 「今度は……容赦しねぇぞ。一人残らず、その喉笛を掻っ切ってやる!」 血の池のような赤い瞳が、確実に僕らの終焉を見据えていた。 殺人鬼が力任せに大鎌を引き抜くと、抉られた床の裂け目からさらなる木片が舞い上がり、体育館全体が、殺人鬼の殺意に当てられて激しく揺れているような錯覚に陥る。
体育館のスピーカーから、鼓膜を突き刺すような最後のノイズが消えると、そこには凍りつくような沈黙が降りた。 だがその静寂は、けして安堵を与えるものではない。むしろ、獲物が罠にかかるのを息を潜めて待つ、捕食者の気配そのものだった。 有栖は青ざめた顔で唇を強く噛み、血の記録が刻まれたノートを、壊れものを扱うように胸に抱きしめた。 「……ここにいたら、だめ。絶対に……飲み込まれるわ。」 僕は短く頷き、大樹の湿った袖を強く掴んだ。 「……戻ろう。ここは罠だ。奴はわざと、俺たちの良心や好奇心を餌に、この地獄へ引き寄せているんだ。」 大樹は険しい顔で、月光すら届かない体育館の奥の闇をじっと睨みつけていたが、やがて肺の奥にある重苦しい空気を吐き出した。 「……あぁ。これ以上深追いは危険だ。一旦、仕切り直す。」 振り返ると、入り口の闇が不自然なほど濃く、粘り気を持ってうねっているように見えた。背後から無数の視線が突き刺さる感覚を振り払うように、僕たちはその呪われた空間を後にした。 校舎の外、隙間からながれる夜風に触れた瞬間、肺の奥に溜まっていた空気を一気に吐き出す。 それでも胸の鼓動は速く、汗ばむ指先は制御できないほどに震えていた。 大樹が低く、自分に言い聞かせるように言った。 「次は……奴の用意した道じゃない、別の痕跡を追うしかない。殺人鬼の思惑の、その裏をかくんだ。」 有栖は依然としてノートを抱きしめたままだった。 その表情は恐怖に染まってはいたが、瞳の奥には死者の無念を背負った者特有の、鋭く、悲痛な光が宿っていた。 「……誰かの最期の声を、無駄にしたくない。これ以上、この場所で文字を途絶えさせちゃいけないの。」 その言葉が、震える足に次の一歩を踏み出させる微かな、だが確かな力となった。「ここ…講堂?…あ、ユーリ、そこに地下へと続く道がある」 そう大樹は発見すると僕たちは、講堂の地下へと足を踏み入れた。 急な階段を一段降りるごとに、空気が目に見えて変質していくのがわかる。 じめじめとした死の湿気が肌にまとわりつき、鼻を突くのは地下室特有の臭いと、空気に溶け出した吐き気を催すような異臭。 「講堂の地下って、こんな場所だったんだ……。」 僕が絞り出した呟きに、有栖が幽霊
ギリ、ギリ……。死を宣告する金属音が、一歩、また一歩と確実に背後の闇を削り取ってくる。逃げ場のない廊下の突き当たり、古びた扉の前で、僕たちは凍りついた。 「来てるっ……!」 有栖が掠れた悲鳴を上げ、美緒の肩を壊れそうなほど強く抱き寄せた。美緒の体は氷のように冷たく、小刻みな震えが僕の腕にも伝わってくる。 大樹が扉に肩をぶつけ、渾身の力で押し込んだ。だが、扉は沈黙を貫き、びくともしない。 「くそっ、開け……ッ! 開けよッ!!」 焦燥が、肺を焼くような熱さとなって競り上がってくる。 その時だった。 僕の指先から、血に汚れた古い生徒手帳が滑り落ちた。それが硬い床に叩きつけられた、その瞬間。 カチリ。と、静寂を裂く機械音。 まるで、僕たちが来るのを、あるいはその手帳が届くのをずっと待っていたかのように、扉の隙間に埋め込まれた重厚な錠前がひとりでに回転した。 鍵など持っていないはずなのに。なぜ、今、開いたのか。 得体の知れない違和感が胸を刺したが、背後の死神は待ってはくれない。 「……え?」 古びた扉が、重い溜息をつくようにゆっくりと、自ら口を開けた。 中から吹き出したのは、数十年もの間、光を拒み続けてきた場所特有の、腐りかけた湿気と死の抱擁。闇が巨大な喉を広げ、僕らを深淵へと誘っていた。 「……仕掛け、なのか……?」 大樹が短く、警戒を孕んだ声で呟く。 「早く入って!」 僕は美緒の冷え切った手を掴み、有栖と共にその底知れぬ暗黒へと飛び込んだ。 ガシャンッ!!扉が閉まると同時、外側から大鎌が叩きつけられる凄まじい衝撃音が響いた。扉が悲鳴を上げ、天井から積年の埃が雪のように舞い落ちる。 「……クソガキども!また逃げやがったかぁッ!!」 扉の向こうで殺人鬼の怒号がこだまする。だが、分厚いこの扉は今度こそ絶対的な沈黙を守り、僕らを異界の奥底へと隔離した。 足元には、かすかなランプの光が道標のように揺れていた。 石造りの壁はぬめり、地下通路のように細く長く続いている。有栖が乱れた息を整えながら、震える声で呟いた。 「……この奥に、なにがあるの?」 美緒は青ざめた顔で、何かに取り憑かれたように通路の先を凝視していた。 「……ここに連れて行かれ