LOGINとわこは鋭く感じ取った。自分の体に本当に何か異常があるのではないかと。最近は生理中でもなく、怪我をして出血したこともないのに、数値がこんなふうに出るのはおかしい。ここ最近ひどい頭痛が続いている。病院で脳のCTを受けた方がいいかもしれない。神経内科の医師である彼女は、脳の病気に対して特に敏感だ。もし脳に異常があるのなら、大変なことになる。日本。一郎は空港を出ると、そのまま家へ向かった。帰国のことを事前に両親へ伝えていなかったため、父親は彼を見てとても驚いた。「一郎、ちょうどよかった。奏の件はどうなっている?」父が尋ねた。「母さんは?桜は?二人はどこだ」一郎は怒りをあらわにした。「母さんは桜を連れて服を買いに出かけたぞ」父は息子の険しい顔に気づき、慌てて言葉を添える。「おい、その顔は何だ、人でも食いそうじゃないか」「僕が人を食う?食おうとしてるのはあんたたちだろ!桜がどういう人間か、分かってないんだ。彼女の腹の子は僕の子じゃない!そんな相手を僕に娶らせるなんて、冗談にもほどがある!」一郎は父のそばに腰を下ろした。「桜は自分でお前の子だと言っていたぞ」「彼女と寝たことすらない。どうやって僕の子ができるんだ」一郎は頭痛に襲われ、八つの口があれば同時に叫びたいくらいの気持ちで訴えた。「今すぐ呼び戻して、本人に直接問いただす!」「待て」父はきょとんとした顔になり、「そういえば桜は子どもの父親が誰かはっきり言ってなかった。ただ母さんが勝手にそう思い込んだんだ。桜が否定しなかったから」と言った。「なんて馬鹿な。もし本当に僕の子なら、気づかないはずがない。もし僕の子なら、とっくに……」一郎はそこで言葉を飲み込んだ。頭の中が真っ白になり、自分が何を言おうとしたのかさえ分からなくなる。父は眉を上げた。「とっくにどうした?結婚でもしたか?この何年も母さんがどれだけ急かしたと思っている。お前はずっと『合う相手がいない』と突っぱねてきたじゃないか」「そうだ。今でもその気持ちだ。たとえ桜の腹の子が本当に僕の子だったとしても、彼女と結婚しない。あいつは計算高くて腹黒い。自分の子じゃないのに否定もせず、わざと誤解させて、僕を追い詰めようとしてる。僕たち一家を馬鹿にしてるんだ」一郎の怒鳴り声は外にまで響いた。買い物から戻っ
護衛の数は多く、しかも歩く速度が速すぎて、とわこには車椅子の人物が誰なのかまったく見えなかった。背中すら見えない。屈強な体格の護衛たちが、車椅子を完全に覆い隠していたのだ。あの中にいるのは、奏に違いない。強烈な予感に胸が締めつけられる。心臓が早鐘のように打ち、息すら乱れた。彼の気配を嗅ぎ取ったような錯覚さえある。気がつけば足が勝手に動き、エスカレーターへと駆けだしていた。確かめなければならない。あの車椅子の人物が誰なのか。だが二階から降りてきた時には、すでに車椅子の人物は護衛に押され、黒塗りのワゴン車へと乗り込んでいた。「バンッ」と車のドアが閉まる。結局、何も見えなかった。護衛たちは一斉にそれぞれの車に飛び乗り、次の瞬間には鋭い矢のように病院を後にする。とわこは、まるで一時停止ボタンを押されたようにその場に立ち尽くし、声も出せず、ただ彼らが消えていくのを見送るしかなかった。数秒間の茫然の後、頭に閃く。車の向かった先は剛の屋敷だ。もしあの車椅子の男が奏なら、必ずあそこにいるはず。ならば剛の家に行けば答えが出る。一方その頃、病院では。護衛がしばらく待ってから、とわこの検査結果を受け取った。数値のいくつかが赤字で印字されている。つまり異常値だ。だが、それがどれほど深刻なのか、護衛には判断できない。用紙を持ってとわこを探しに行く。とわこは「胸部CTを撮る」と言っていた。だがCT室の前でどれだけ待っても彼女は現れない。不安になり、すぐさま電話をかける。彼女は電話に出て、軽い調子で答えた。「今、外にいるの。病院で待ってて、すぐ戻るから」「外?どうして外にいるんですか!今どこです?迎えに行きます!」「剛の家の近くよ。すぐ病院に戻るつもり」実際には屋敷の門の前で張り込みをしていたが、例の車両を見かけることはなかった。やっぱり思い込みだったのかもしれない。あの車椅子の人物は、奏ではなかったのか。「何かするなら先に言ってくださいよ!勝手に動かれると守りようがないんです!あなたに何かあったら、マイクに責められるのは俺なんですから!」「私はあなたのボスよ。なんでいちいち自分の行動を報告しなきゃいけないの」「だって俺は護衛ですよ!居場所が分からなければ、どうやって守
ここが剛の縄張りだとしても、彼に好き勝手されるわけにはいかない。およそ四時間後、マイクがY国の空港に到着した。電源を入れると、一郎からのメッセージが目に飛び込んでくる。「とわこは以前のホテルにいる。国内に急用ができたから先に帰国した」マイクは低く罵った。「この野郎、とわこをひとり残して行きやがって!あの子をひとりにしたら、何をしでかすか分かったもんじゃない!」そう吐き捨て、すぐにとわこの番号を押す。幸い、彼女は電話に出た。「マイク、奏はたぶん死んでない!剛の手元にいるの。だからもう、そんなに辛くないわ。だからあなたは来なくていいの」とわこの声は驚くほど落ち着いていた。「子どもたちをお願い。すみれは戻ってるはず。あの人が何か企んでる気がして心配なの」「一緒に帰ろう!」「だから言ったでしょ、奏は生きてる。私はここに残って彼の行方を探す。護衛には連絡してあるわ、すぐ合流できる。無茶はしない、剛と正面衝突する気なんてないから」その声に、マイクはようやく彼女が冷静さを取り戻したのを感じ取った。「本気で今すぐ帰れって言うのか?」「ええ。会社と子どもたちを見てて。私は毎日あなたに電話するから」「わかった……」と口では答えたが、わずか二秒後にはすぐに言い直す。「いや、駄目だ!血液検査に異常が出てただろ。医者は追加検査を受けろって言ってたじゃないか!」「こっちでも検査できるわ。今日はちょっと疲れたから、明日護衛が来たら一緒に病院に行く」「結果が出るまで俺は帰らない。もし重い病気だったら……」「縁起でもないこと言わないで!仮に大病だったとしても、私は治すわ。奏を見つけるまでは死なない!」そこまで強く言ったあと、少し声を和らげる。「自分の体のことは分かってる。奏が生きてるかもしれないと知っただけで、ずいぶん楽になったの。今はそれより、すみれが会社や子どもに何かしないかの方が心配」「心配するな、俺がすぐ帰って見張っておく。けど約束しろ、明日必ず検査を受けて、結果をすぐに送るんだ。さもないと俺が迎えに行くぞ」「分かったわ」通話を切ると、とわこは道端で車を止め、剛の屋敷に近いホテルの名前を告げた。彼のことはほとんど何も知らない。だからこの機会に情報を集め、奏の手がかりを探すつもりだった。チェックインを済ませ
それは黒い手帳だった。「とわこさん、俺がこれまで口をつぐんできたのは、お前らにまだ三人の子供がいるからだ。奏はもういない。これからも生きていかなきゃならないだろう」剛の言葉は一つひとつが胸を抉った。「この字、見覚えがあるはずだ。ここに書かれている『最も大切な人』の中に、お前の名前はない。生きていようが死んでいようが、奴の心にはお前はいなかったんだよ」とわこは手帳を手に取り、開いた。目に飛び込んできたのは、見間違えるはずのない奏の筆跡。彼の字を熟知している。まるで彼自身を知っているかのように。書かれている内容を読み終え、唇を固く結んだまま、長い沈黙に沈んだ。一郎が歩み寄り、横から覗き込み、剛に問いかける。「奏はどうしてこんなことを書いた?」「知らん。自分で書いただけだ。俺が強制したわけじゃない」剛はうんざりしたような目を向ける。「俺と奏は長年の友人だ。裏切るはずがない。もう十分だろう。さっさと日本へ帰れ」「剛、遺体はどこにある?せめて一目でもいい。奏を見せてくれ!」一郎は食い下がる。「はっきり言おう」剛の声は冷えきっていた。「とわこを連れて帰れ。いつか会えるかもしれん。だがこれ以上俺を煩わせるなら、この先一生会うことはないと思え」苛立ちを隠さず言い捨てると、彼は立ち上がり、客間を出て行った。追いかけようとしたとわこの腕を、一郎が掴んで止める。「とわこ、今は抑えろ」低く囁く。「あの口ぶり……奏は確かに奴の手の中にいる。もしかするとまだ生きていて、治療を受けてるのかもしれない」「本当に?」「推測だ。だが今は帰れって言葉が引っかかる。なら」「あなたは帰って。私は帰らない」とわこは頑なに言った。「一人でホテルに戻る。そこで待つ」「どれくらい?」一郎は剛の家を出ながら問い詰める。「一人にして安心できると思うか」「もう子供じゃない。ただ奏の近くにいたいの。万が一、消息が入れば一番に駆けつけられる」一郎は彼女を放っておけるはずがなかった。「そういえば、あなたのお母さんが私を訪ねてきた」とわこは話題を変えた。「だからあなたは早く帰国したほうがいい。桜のお腹が大きくなる前に結婚式を挙げなさい」「……は?」一郎は耳を疑った。意味がわからない。「お腹が大きくなることが僕に何の関係がある?結婚式?まさか……桜
とわこは携帯を握りしめ、震える声でつぶやいた。「奏のじゃない……奏の痕跡は何もない……きっとまだ生きてる」一郎はその呟きを聞き、胸が締めつけられた。もう一週間も経っている。奏が生きている可能性は限りなく低い。落下の瞬間、遠くへ投げ出されたのかもしれない。救助範囲はまだ狭く、人の入れない場所も残っている。範囲が広がれば遺体が見つかるかもしれない……だが、その時はもう遅いだろう。一時間後、一郎は事故現場でとわこを見つけた。彼女は石像のように硬直し、ただそこに立ち尽くしていた。一郎は彼女の腕を掴み、車へ引き寄せる。「熱が下がったばかりなのに、また体を冷やす気か」一郎は厳しい声をぶつける。「マイクが心配してる。君を見つけたら病院へ連れて行けと言われてる」「私は平気。なんで病院なんか行かなきゃいけないの」彼女は冷ややかに睨み返し、言った。「私は剛に会いに行くの。連れてって」「剛に?何のために。奏を殺したのが奴だと思ってるのか?仮にそうだとしても、ここは奴の縄張りだ。僕たちに太刀打ちできるわけがない。落ち着け。奏の遺体が見つかれば、まずは国に連れて帰って埋葬するべきだ」「復讐なんて考えてない。奏を返してもらうの」声は詰まり、涙がにじむ。「きっとあいつが奏を隠してるのよ。そうでなきゃ生死不明のままなんておかしい。救助隊が一週間も探して半分の遺体すら見つからないなんて……絶対に誰かが先に運び去ったに違いない!」一郎の胸が軋む。「だが剛が奏の遺体を欲しがる理由なんてあるか?あいつは商人であって、死体を集める趣味なんかない。理由が見つからん」「理由なんて普通の人間にはわからないのよ」疑念は膨らむ一方だった。「おかしいと思わない?私たちが来てから剛は姿を消して、完全に身を隠してる。あれは後ろめたい証拠よ。必ず説明させる!」「手下からは説明を受けている。あいつは悲しみで倒れて入院中だそうだ」「ふうん。じゃあ病院に行きましょう」とわこは車に乗り込む。「連絡先は?番号を知ってる?手下でもいい。会わせてくれないなら家に行く」「家がどこかわかるのか」「知らないけど調べられる。奏のSNSに剛と共通の友人がいるはず」とわこの決意を悟り、一郎はすぐに剛の手下へ電話し、居場所を確かめた。一時間後、二人は剛の豪邸へ着いた。幾
マイクの頭は真っ白になった。医者の言葉に驚いたからではない。とわこがいなくなったからだ。クソッ、彼女を見張るって言ったじゃないか。逃がさないって約束したのに、彼女は俺がぐっすり眠っているすきにまた逃げた。考えるまでもない。問いただすまでもない。今ごろ彼女はY国行きの便に乗っているに違いない。医師はマイクの言葉が出ないのを見て、急いで外へ出ようとする彼の腕を引き留める。「さっき言ったこと、聞きましたか。彼女は必ず検査を受けに戻ってこなければなりません」「わかっています!見つけ次第、病院へ連れて行きます!でもここで検査は無理かもしれません。多分もう出国しているんです」マイクは慌てふためいて叫ぶ。「どこで検査を受けても構いません。検査を受けさせることが重要です」医師は落ち着いて答える。「病院は患者を見張らないのか。どうして勝手に出歩かせるんだ」マイクが責める。「ここは病院であって、刑務所ではありません。患者が自力で移動できるのなら、行きたいところへ行く自由はあります。ただし入院中に外出して何か事故が起きても、当院は責任を負いかねます」医師は説明する。「わかった。今すぐ退院手続きをする」「退院の書類は出します。ただし早く見つけてください。血液検査で異常が見つかっていますし、肺にも感染の兆候があります。入院が必要です。入院を拒むなら薬で抑えるしかありません」医師が念を押す。「わかった。面倒だ!」マイクは頭を叩く。「昨夜どうしてあんな深く寝てしまったんだ」今回とわこが逃げたことで、マイクは自分で彼女を連れ戻せるのか自信がなくなった。Y国。とわこは空港に着くと、そのままタクシーで山へ向かった。今日は雨が弱く、傘をささなくても濡れない。救助隊は依然として捜索を続けている。彼女は事故現場に立ち、眼下の木々と岩の連なりを見下ろし、指を固く握る。生と死の境は一念の間にある。もしいま身を投げれば、奏のそばに行ける。「とわこさん、また来ましたか」救助のスタッフの一人が彼女を見て声をかける。「どうやって上ってきました?誰か付き添いはいませんか?それに体調は良くなりましたか?」見知らぬ人の気遣いが、とわこの理性を取り戻させる。「お気遣いありがとうございます。体調は良くなりました。救助の進展はありますか」彼女は







