孤独に震えている子猫を拾うみたいなそんな再会だった。
雨の中、ゴミ捨て場にセツ君は居た。
雫たちが染み込んだアスファルトみたいに、冷たさを身体にまとわせては、ぽつりと存在していた。
私は何者か知らないまま、助けた。
どうしても放っておけなかったから、家に連れてきたけど、まさかセツ君だったなんて。すっかり大人になった彼はかっこよくなってた。でも、何1つ聞けないままセツ君は帰ってしまた。
謎が残りながらも、また会う約束をした。2週間以上たった日曜日に、セツ君は私の家を訪ねて来た。
もう会えないかと思っていたから、少しほっとする。
玄関のドアを開けた時、外はどんよりと曇り空だった。春の匂いが家に入ってくるような微風が吹いていた。
その風がセツ君の香水の匂いを私へと運んでいく。
匂いはセツ君のものだと簡単に分かるほど、鮮やかに香っていた。
一瞬、セツ君が持ってる花束から放たれているのかと思ったけど、違ったみたい。
セツ君はお礼の言葉を添えながら、傘を返してくれた。私は傘を玄関に置いてある傘立てにしまった。するとセツ君は更に、プレゼントだと言って花束を私に差し出した。
え?と一瞬にして、私の中の時が止まる。
固まってる私に、セツ君は跪きスマートさ全開で渡してきたので、その雰囲気に流されるまま受けとった。
戸惑いつつもとりあえず、上がってってよと迎えると、セツ君はお邪魔しますと言いながら丁寧に靴を揃えて家に上がった。
セツ君が来ただけで、私の部屋の温度は2人分のあたたかさになったように思える。
全く人を自分の家に呼ばないものだから、それはなんとも不思議な空気感だった。セツ君をリビングのソファに座わらせて、自分は向かいに座布団でいいやと正座しようとしたらーーセツ君が隣に何で来ないのと聞いてきた。
「隣、おいでよ」
「い、いいよ。私はここで」
「帰っちゃおうかな。じゃあ、今日はこの辺で」
「えっ!?」
「僕に帰ってほしくないよね、だからお願い。隣に来てよ」
そんなんズルいよ、セツ君ってば。
すぐに帰ってしまったら、また話を聞けない。
仕方ないなと恐る恐る隣に座った。セツ君がそっと私の傍に身体を寄せた。
どうしよう⋯⋯いくらなんでも距離が近すぎるって。呼吸する音さえ聞かれてしまいそう。
セツ君は嬉しそうに微笑んだ。
まるで私の緊張なんて知らないみたいに。 私は、自分のときめいてる感情に知らんぷりをしたかったから、さっき受け取ってテーブルに置いた花束の花びらをひとつひとつ見つめた。「無理なくっていわれてもな·····」「そんなに難しく考えないで。僕は若頭である前から花ちゃんの同級生だよ」「それはそうだけど·····」「うーん。そんなに不安なら、そうだな·····いっそ僕と、どこか出かけてみる?」「えっ、デ、デートするの」私と·····セツ君が?そんなことして大丈夫なのかな。·····不安でしかないんだけど。「うん。デートしよっか。同級生の僕とね」「い、いきなりだね」「いや、ずっと前から誘うつもりだったんだよ。でもタイミング的にどうしようかなって思ってたんだ」「でも変なことに巻き込まれたり、とか。ほら、危ない人たちに囲まれて襲われるとか、絶対にない?」「ん?そんなん無いから大丈夫だよ。もし万が一何かあったら僕が花ちゃんを守るよ」「そんなこと言われても、やっぱり怖いよ」セツ君はふっと笑った。まるで本当に大丈夫みたいに。「本当に、なんにも変なこと起きないから安心して。大丈夫じゃなかったら、あの日に傘を返しに来たりしない。」その言葉、信じていい?デートしてみる、のか。うーん。·····正直悩む。デートするってことは私はセツ君を好きになるしかない流れに確実になっていくってことだよね。でも、セツ君簡単に引いてくれなさそうだし。決めかねてる私にセツ君が優しく言葉をかけてくれた。「デートが難しいなら一緒にお出かけってことでもいいよ」えっと、一緒にお出かけするのを一般的にデートと言うのでは?「一緒に出かけるのをデートって言うんだよセツ君。言い方変えただけじゃん」「ふふっ。そうだね」セツ君が楽しそうに笑ってる。そんな姿を見てるともう、逃げられないような気がしてならない。そうだ!デートでセツ君を幻滅させてみるとか、そうしたら諦めてくれるかも!
そうかもしれないけど、私は若頭って普通に恋愛できるものなのかしら。そもそも、セツ君は普通を望めないはず。だって、極道の世界ってきっと甘くない。恋愛なんて、ましてや一般の人とだなんて許されるはずないと思うけど。それに、全く極道と無関係の私がセツ君と付き合ったら、そういう危ないことに巻き込まれるかもしれないし。「やっぱり僕じゃ駄目なのかな」「うん。だって、やっぱり怖いよ」「そっか」ーーまた、静かな数十秒が流れる。セツ君は何か言いたげに、だけど言葉を詰まらせていた。そろそろ諦めてくれそうかな。「·····もしかして花ちゃんって色々考えすぎて不安になってない?大丈夫だよ、花ちゃんと恋愛しても、君を極道の世界に巻き込んだりしないし」えっ!セツ君、私を好きになるのやめてくれないつもり·····?「僕は、花ちゃんと普通の恋愛がしたいんだ。だから、花ちゃんは僕を好きになってくれるだけでいいんだ。若頭としての僕じゃなくて、昔からのセツ君だと思ってくれていいんだよ。だから覚悟とかそういうのはいらないから大丈夫」そう言われたって困る。まるでセツ君を好きになるしかないみたいに展開を持っていかれてる。「でも、やっぱり駄目だよ。セツ君は分かってない」どうにか分かってもらわないとなのに、セツ君の意思があまりにも固すぎる。「どうしても僕を受け入れられないなら、ちょっとずつ、無理なくでいいんだ」
私の言葉にセツ君は何も言わず、ただ静かに見つめるだけ。私は、またその目を見てしまった。心に強く刺さる、瞳。視線がやけに熱い。 深い闇に包まれた炎が揺らぐ黒い太陽みたいな瞳孔がひどく綺麗だった。怖くてたまらないのに、目が離せない。 圧倒された私は焦って、とにかく喋らなきゃと一方的に言葉を押し付けるように言った。「私は何でも普通過ぎて、平凡な人間で。それでセツ君は極道の若頭なんだ。だから⋯⋯うん、やっぱり好きになれないよ。どうしたって駄目。だから、もう私を好きでいるの止めて」セツ君は眉をひそめながら、口を結んだまま俯いていた。さっきの鋭い瞳が、不安定へと変わった。私をまっすぐ見ていたはずの瞳が俯いた時、迷うかのように揺らいでいた。その揺らぎで、分かった。 セツ君が傷ついているということが。それを知った瞬間に、私の心がゆらゆらした悲しみに触れたような気がした。セツ君はただ黙っていた。私もこれ以上何も言えないと思い、静かにしていた。気まずい沈黙が少し続いたあと、セツ君が沈黙をやぶった。 僕は恋愛なんて一生できない人間だって悩んだりもしたけど·····でもねと、傷ついたような顔のまま少しだけ笑って言った。「若頭だと、恋愛しちゃいけないなんて決まりはないよ。だけど大切な恋が叶うとは限らない。若頭の立場である以上は。それでもね、僕だって人を愛したい気持ちくらいある。至って普通の人と同じ」
もう、花ちゃんの全てが欲しくてたまらない。だって、こんなにも大好きだから。セツ君の言葉の1つ1つが、痛い。どうして、ここまで私を好きなのが正直わからない。人って誰かを好きになったら、こんなにも激しい感情になるんだ。私には、わからない感情がセツ君の心に宿っている。私はセツ君に目を合わせないように、唇を見るしかなかった。すると、セツ君が私に触れようとしてきて、大げさなくらい身体がびくっと、反応してしまった。胸の鼓動の激しさが、身体中に染み渡るように響いている。セツ君の骨張った男性らしい指が、私の長い髪に触れるのが感覚で伝わってきて、少しくすぐったい。「この長い柔らかな髪も、綺麗で透き通ってる瞳も、細くてしなやかな身体も、花ちゃんのなにもかもを僕のものにしてやるって決めたんだよ」私は恐怖のあまり、どうすることも出来ずにいた。セツ君をおかしくさせてしまったのは、わたしのせいなのかな。だとしたら、申し訳ないよ。「なんで⋯⋯」セツ君は目を大きく見開いて、驚いているような。一瞬そんなふうに思えたけど、気のせい?「なんでちょっと泣きそうなの。花ちゃん。僕、ちょっと怖すぎたかな」続けて「ごめんね」と言ったセツ君の声は、ひたすらに優しかった。「セツ君ってやっぱり昔と違う」言うつもりのなかった胸の内がふと、言葉として落ちていく。セツ君は、そうだね、花ちゃんを好きすぎるからだよと少しだけ笑いながら言った。「ごめんなさい、私のせいでセツ君は壊れちゃったんだよね」
いつものセツ君じゃない。セツ君がおかしなことを言い始めるから、更に返事する言葉が見つからなくなった。「前から思ってたけど、やっぱりプレゼントじゃなくて気持ちが何より大事だよね。僕を好きになるまで、待てなくなっちゃった。今すぐ僕のものにしなきゃだね」私を支配しようと企んでるみたいな、妖しさが含まれた目つきがいつものセツ君とは全く違う。じっくりと、目が合う。その瞳は間違いなく私を捕まえようしてる。その目の中の私は少しずつ溶けていき、一部になろうとしてる。このままでは、外の世界に出してはくれない。きっと閉じ込められてしまう。自由という、私の大切にしている『普通』をいとも簡単に奪おうとしてる。私に向けられた強い視線がじりじりと痛くて、胸の奥底が少しずつ焼けていく。このまま見つめてたらもう、逃げられない。その透き通っていない、真っ黒な瞳で私を見ないで。ねえ、花ちゃんと呼ぶ声は逸らしてるせいか、より鋭く聞こえた。ねえ花ちゃんともう1度呼んだあとあのね、と続けた。花ちゃんは知らないだろうけど、僕は独占欲が強いんだ。セツ君の言葉が重さを伴いながら静かに響く。「花ちゃんをやっと見つけられた時、静かに見守ろうって決めてたんだけど、それだけじゃもう満足出来なくなってしまった。花ちゃんを誰にも取られたくないって思ったんだ。でも僕は極道の世界の人間、花ちゃんの日常を壊してしまう。それが怖くてたまらなかった⋯⋯でも」
「セツ君⋯⋯もう、プレゼントはしてくれなくて大丈夫だよ。今までありがとう」「ん?どうしてそんなこと言うの。やっぱりまだ遠慮してるのかな」私は首を横に振りながら、違うのと言葉を続ける。セツ君の顔を見るのがなんだか怖くて下を向くしかなかった。「前にも言ったはずだけど、私、セツ君にこんなに贈り物される程、素敵な女性じゃない」「花ちゃんは素敵だよ。他の誰かに渡したくないくらい、魅力的なんだよ」いつものように、柔らかい口調の優しい声が聞こえる。私は言いづらかったけど、傷つけないように言葉をどうにかこうにか探し、選んだ。「極道なんて怖い世界に居る人、私にはどうしたって好きになれないと思う」「⋯⋯そっか」「⋯⋯うん」「そっかあ。で?それがどうしたって言うんだい」 え?びっくりして、セツ君の顔を見た。微笑みはでなく、暗い笑顔を浮かべている。その笑い方はどこか歪んでるように見えて、私は自分の身体の温度が一気に下がったみたいに、背筋が凍りついた。まるで私の心を、セツ君の温度に染め上げるみたい。心臓が言うこときかないみたいに、激しく動く。緊張のあまり、吐き気さえしてくる。「若頭だから好きになれないなんて、そんなこともう、2度と言わせないから」「え⋯⋯だって住む世界があまりにも違い過ぎるよ」私は言葉に詰まった。少しの沈黙のあと、セツ君は声をあげながら笑った。渇いた笑い声が響いてなんだか不気味。部屋の空気が一気に重いものへと変わった。「⋯⋯だから何?そんな世界がおかしいんだよ。それなら、花ちゃんと僕だけの世界を作れば良いだけの話じゃないかな」おかしい。