LOGIN「桜……」 覗き込む鏡の向こうに、愛しい人の姿。 「龍之介さん……」 振り向いた桜に、目を細める龍之介。視線を横に流し、らしくもなく、下を向く。 「綺麗すぎて、直視できねぇな。ホント……こんなに綺麗な女、初めて見る」 顔立ちから、黒いタキシードが似合うと言われたのだろう。 背中に特徴的なデザインが描かれたスーツがよく似合う。 「そっちへ行ってもいいですか?」 「あ、そりゃ……もちろん」 龍之介は両手をスラックスのポケットに入れ、落ち着かない様子だ。 彼に近づこうと方向転換するため、長い裾を持ち上げる桜に気づいたらしい。 龍之介は慌てて自分から桜に近づいた。 「あぁ、そばにいると緊張する。……ほら」 桜の手を自分の胸元に当て、龍之介は困ったような視線を送る。 「……龍之介さんだって、カッコよすぎて、私もですよ?」 彼の両手を自分の鎖骨の下あたりに持ってくると……龍之介はニヤリと笑う。 「ほんとだ……!」 笑い合う2人に、撮影スタッフが声をかける。 「風もなくてちょうどいいので、撮影を始めましょうか!」 「「はい、よろしくお願いします」」 偶然、ハーモニーを奏でる2人の声…… 窓の向こうで桜の花びらが揺れた。 ホテルの前は、見事に満開の桜が咲き誇り、チラチラと雪が舞うように花びらが散り始めている。 「……綺麗」 ほんのりピンク色の桜と青空……そして葉の緑が、美しい自然の色を描いていて、桜の心に忘れられない思い出を積み重ねていく。 「あ…!いたいた!」 遠く、真理と美紀の声が聞こえて、桜は振り返った。 そこには、蔵之介や昭仁、斎藤や義母の姿も見える。 「まま、ぱぁぱ……」 真理に抱かれた龍桜。ちゃんとタキシードを着せてもらったようだ。 2人に向け、手を伸ばす龍桜を、そっとしゃがんだ真理が手放す。すると龍桜は、おぼつかない足取りながら、よたよたと走り出した。 「……龍桜!」 ドレスやタキシードが汚れるのも構わず、2人は龍桜に視線を合わせるようにその場にひざますき、手を広げた。 よたよたした足取りが、やがて小走りになる。手を前に出して、危なっかしい足取りに、桜も龍之介もハラハラと目が離せない…… 「キャッ…!」 龍桜が転んでしまった。
「龍之介さん……もう起きたんですか」「うん……嬉しくて、よく眠れなかった」メンズスーツブランドMatusiro.Hommeのプレ公開ショーから日を置かず、桜と龍之介は東京から少し離れた場所のシティホテルに宿泊している。今日は、ウェディングフォトの撮影会。結婚式をしたい、という桜のひとことで、龍之介があっという間に決めてしまったプランのテーマは「桜」「桜の花びらが舞う中で結婚式の写真を撮ろう」と、桜前線を追いかけ、この町にやってきたのだ。「お天気はどうだろう……」ベッドから降りてカーテンを開けてみれば、見事なまでの青空……「龍之介さん……持ってますね?」「ん?何をだ?」「今日はいいお天気だから、運を持ってるな、って!」良いことは全部、龍之介さんのおかげ。悪い事が起こったら、それは半分こ。いつの間にかそんな考え方になっていた。「そういうの、持ってるっていうのか……」はてな顔がキュートで、桜は自分から龍之介に抱きついた。キスをねだり、熱くなる龍之介を受け入れようとして……「ダメです、龍之介さん!カメラマンさんを待たせちゃう」スッと離れ、お先に……とシャワー室へ向かう桜。いつもなら龍之介に先を譲るが、今朝の私にはやることがたくさんあるのだ。「……煽っといて、放置?」熱っぽいまなざしで桜を追うも、シャワー室には鍵がかけられて開かない……「もぅ………っ!今夜覚えとけよっ!」髪をかきむしる龍之介だった。入れ替わりに龍之介をシャワー室へ押し込み、桜は大きな鏡の前に座る。この日のために龍之介が通わせてくれたエステサロンから、たくさん受け取った化粧品の数々……今日使い切っておしまいだ。「化粧水は……たっぷりと、手のひらにとって、なじませる。その後、コットンに浸してはり付けて、しばし時間を置く……」担当のエステティシャンに基礎化粧品の使い方を教わって実行している。普段も同じようにやるといいですよ、と言われたけれど、龍桜の世話が忙しくてそれどころじゃない……!シャワーを終えて、龍之介がやってきた。桜は顔に乗せていたコットンを慌てて取る。「……なに焦ってんの?」「だって、コットン顔に乗せて……変でしょ?」「全然。桜なら、キュウリとか梅干しとか、何をはり付けてても可愛いわ」そんなものはり付けません……と言いながら、腰のあたりをバシっ
始まりこそ派手な演出だったものの、その後は大人の男をイメージしたブランドだからか、比較的静かにショーは進んでいく。龍桜が座っていてくれないので、後ろに人がいない事を確認して立って見ていた。それは、すごいとか圧巻とか……言葉を超えたステージだった。こんなに心臓が高鳴ったのは生まれて初めてで、なんとかなだめようと自然に胸元に手を置いてしまう。「落ち着いて……私……あの人は龍之介さんで、私の、旦那さんなんだから」コソコソ、自分にだけ聞こえるようにつぶやいた言葉の先に、龍之介が見える。片側に長めの前髪を垂らし、もう片側はピッタリと撫でつけたヘアスタイルは、誰もが似合うものじゃない。西門龍之介という強烈な個性がそれを可能にしていると理解できる。中央に堂々と立つ、ひときわ背の高い人……少しメイクもしているのだろう。いつも以上に目力が強く、妖しい雰囲気で……私の夫だなんて、信じられない。惚れ直す、というのはこういう事をいうんだと思う。ステージを踊るように歩く龍之介を瞬きも忘れて見ていた。やがてステージ裏に引っ込み、やっと少し、心臓の高鳴りから解放されてホッとする……他のモデルたちも下がり、しばらくの暗転のあと、照明と音楽の雰囲気が明らかに変わったステージ。……またも息を呑む。柔らかい照明に照らされたステージに、白いスーツを着た龍之介がゆっくりと歩いてくる。髪は前髪を幾筋かハラリとおろしたヘアスタイルに変わっていて、手には大きな花束……白いスーツ、いや……あれは、結婚式で新郎が着るような、タキシード?中のベストはグレーで、ジャケットは少し長めのデザインで、とてもよく似合う。龍之介が結婚式を挙げたいと言っていたことを思い出した。あんな姿で私の隣に立ってくれるとしたら……「……素敵」見惚れているうちに、ショーはすべて終わったらしい。スタッフが呼びに来て、龍之介の楽屋に向かった。以前の麗香の一件以来、桜がステージを見に来ると、龍之介はこうして必ず楽屋に呼ぶようになった。その上、誰からの差し入れも食べず、桜に手渡される弁当を待っているのだから可愛らしい。そうなれば、桜も腕によりをかけて作り、張り切って持ってくる。この日は鮭とたらこのおにぎり。そして卵焼きとソーセージと、手作りのピクルスだ。「……2人とも、ホールの中暑かったろ?気持ち悪くな
「……しっ!」「な、なんですか、こんなところで?!」今日、美紀がカフェにやってくることは、桜に昨日のうちに聞いていた。プレショーの本番を来週に控え、今日も舞台装置の確認と衣装、立ち位置などの決定をして……椎名社長に送ってもらった。カフェの近くで降りたところで……美紀が生垣を曲がってこちらにやってくるのが見えたのだ。そこで、とっさに思いついたこと……「驚かせてごめんな。今日桜と、どんな話をしたのか教えてくれよ」何か言いたそうで、言い出せない桜が心配で聞いたこと。けれど美紀は、眉間にシワを寄せ、険しい表情になる。「……そんなの、いくら旦那さんでも、第三者にホイホイ言うわけないじゃないですか。……私達の結束は、鉄より硬いんですから」両手を握り合わせ、美紀は俺に向かって笑顔を見せる。「俺たち夫婦の絆はダイヤモンドより硬いぜぇ……なぁ、教えてくれよ。桜、なんか言ってたろ?結婚式の話ばっかりして、龍之介がうぜぇとか」「あぁ…!言ってましたね!」「……………え、まじ?」軽くショックを受ける俺を、楽しそうに手を叩いて笑う美紀。ダメだこりゃ……と、聞き出すのを諦めかけた時だ。「帰ったら話をしてくれると思いますよ?……意外な話だとしても、ちゃんと最後まで聞いてあげてくださいね?」「……意外な話って、?」「例えば、その……」うまい例えが出なかったらしく、美紀はジリジリと後ずさっていき、気づけばかなり離れてしまっていた。「龍之介さん…!頑張ってくださいね」……気になりすぎるんだが。美紀を捕まえたものの、結局、何の情報も得られなかった。結婚式はしなくていいという本音がどこにあるのか、探りたかったのだが。美紀に手を振り返して、カフェの裏から家に入った。「おかーしゃぁい!」ドアが開く音で、部屋から龍桜が飛び出してきた。帰ってくるだけで毎回ものすごい喜びようでとても嬉しい。「ただいま、龍桜!」パッと抱き上げ、ぐるんと一回転してやって、部屋に入る。ダイナミックな動きが楽しかったのか、もう一回とねだられた。「おかえりなさい。……龍之介さん」「ただいま」桜が顔を出し、すぐにその顔を見つめた。……何か言いたいことがあるか、自然と表情から探ってしまう。「あの、龍之介さん……後でちょっと、いいですか?」「あん?あぁ…もちろん!」良かっ
「綺麗でしたね。真理さん……」「あぁ。母さんも物持ちがいいな。自分の婚礼衣装を持ってるなんてさ」真理と蔵之介の結婚式は、龍之介家族と母に見守られ、厳かに行われた。「私、西門蔵之介は、真理だけを一生守り抜くと、ここに誓います」「私も……誓います」義母によって酒が注がれる盃。三々九度の作法に則り、2人は口をつける。自分の婚礼衣装を身につけた真理を、義母が眩しそうに見つめていることに気付いた。きっと、自分と組長の結婚の儀を思い出しているのだろう。家族の前で婚姻届を記入した2人の表情は晴れやかだ。きっとここまで来るのに、この2人にも、いくつもの眠れない夜と涙があったのだろうと想像した。「おめでとうございます……どうか、幸せになってください」つい、涙がこみ上げてしまった。自分とは違う形で、きっと真理さんはたくさん悩んで苦しんで、蔵之介さんの手を取る決意をしたと思う。まだ自分の家族には認められてもらえない中で、西門の名前を名乗る道を選んだことが、どれほど勇気がいることだったかと思うと泣けてくる。「桜ちゃん……これからはお義姉さんとして、改めてよろしくね」「はい……姉妹ができて、嬉しい」「私も、娘が2人もできて……なんだか泣けちゃうわね」龍之介と蔵之介が、そっと視線を交わした。義母の家には蔵之介夫婦だけが泊まることになり、龍桜を連れ、私達は帰路につくことになった。「桜、本当に結婚式、挙げないか?」龍桜をチャイルドシートに乗せながら、龍之介が何気なく言った言葉に、桜は反射的に下を向く。それは、自分の生い立ちがかけた呪いだと感じていた。龍之介さんと再会できて籍を入れ、家族になれたのに……これ以上の幸せが訪れたら、すべてを失ってしまいそうで、怖い。「いえ、私は……」「どうしてだ?俺が桜の花嫁姿を見たいんだが」「それは……」龍之介には、今だに暗い心を抱える自分を、知られたくなかった。表面的には、私は幸せな主婦だ。カフェの経営という夢まで叶えた幸せな主婦だから、明るい自分だけを見ていてほしい。そして……実は龍之介に打ち明けられずにいることがあった。結婚式というより、先にその話をしなければならない。「蔵之介たちが、日本にいる間に挙げたい。……そう頻繁に帰ってくることもないだろうからな」「あ……」先日、真理の実家に行った帰り道
「いや、俺はもうステージは……」「どうしてです?この前のショーも、龍之介さんキッチリ目立って、さすがの迫力でしたよ?」松白屋、会議室。メンズスーツブランド「Matusiro.Homme」の社内向けに発表するショーが終わり、いよいよブランド公開の運びとなった。メインモデルは龍之介。そして10人ほどのモデルが集められ、会議とショーの打ち合わせが重ねられる日々。先に到着した斎藤と話しながら、椎名社長とモデル達、その他関係者を待っているところだ。「定期的にやっていきたいんですよね。ショーって楽しいじゃないですか!……なんか華やかで、ワクワクするし!」「わかりますけどねぇ……俺は嫁も子供もいるし、あんまり目立って隠れるような生活はしたくねぇし」やはり極道時代は、太陽より夜、日なたより日陰や裏通りが似合う毎日だった。「これから龍桜もどんどんわんぱくになっていきますからね!?そしたら全力で付き合ってやりたいんですよ。野球とかサッカーとか……」「なるほど!そこまで言われたら、無理強いはできませんね」モデルを断る龍之介の理由を、斎藤はそれはそれで嬉しそうに聞いてくれる。「ありがとうございます!……その代わり、初めてのブランド公開のショーは、絶対にキメてみせますから!」「そうですね、皆で頑張りましょう!」やがて続々と関係者が集まってきた。挨拶を交わしながら、ふと自分の目線の先に立った斎藤を見て、龍之介は思った。斎藤さん……背ぇ高ぇな。肩幅が広くて、手足も長い。頭も小さいし……何より全体のバランスがよくてスーツが似合う……!2回目以降のメインモデル……斎藤さんがやればいいんじゃねぇの?話し合いは進み、大事なことが次々に決まっていく。そんな様子を見ながら、龍之介は頃合いを見計らって発言した。「ブランド公開のショー以降も、定期的に開催していくってのは、アリなんですかね?」「2回目以降もぜひやっていきたいと思います。プレショーの段階で連絡してきたバイヤーもかなり多かったし」「SNSでも拡散されてましたよね。あの松白屋がメンズスーツブランドを展開した、って……」関係者の話を聞く限り、ショーはやって損はない。むしろ積極的にやったほうがいいという意見が多数だ。加えて……担当役員の斎藤専務のGOがあるのだから……できないはずがない。「それなら、俺の後釜
「……やぁ、めずらしいお客さんだね」あくまでも冷静に、静かに、感情を乗せないよう言ったつもりだろう。だが、俺にはわかる。斎藤がキスをしている俺たちを見て、何を思ったのか。「蔵之介に、桜がカフェを開いたって聞きましてね。……そして俺の子供を産んだとも」「そうですか。龍桜くんは桜さんが愛情深く育てているから心配ありませんよ。……僕もここへは日を置かずに来るようにしてますし」「日を置かずに?……それは、世話になりましたね」火花が見えるようなやり取りだ。初めて会った時の柔らかい印象を残しながら、3年という年月が斎藤を強くしたように感じる。それがもし、年月を重ねた強さだけではないとしたら
「あ、ごめんね、今行くね!」龍桜の手を取り、店の中に戻った。……もしかしたら木の陰で、猫が子供でも産んでたりして。あとで物音がしたあたりを確認することにして、桜はカフェの仕事に戻った。「真理さん……お手伝いありがとうございます!ランチ、食べてください!」忙しい時間が一段落して、洗い物をしてくれている真理に声をかけた。「今日のランチも美味しそうだったね!煮込みハンバーグとチキンソテー、ミニサラダと煮物と……なんだっけコレ?」「自家製の切り干し大根です。めっちゃ和洋折衷なランチですけど、得意な料理が田舎っぽいものばかりで……」「そこがいいんだと思う……手作りパンも美味しいけど、炊
蔵之介が、屋敷を出て1週間が過ぎた。「かしら、龍城の組長を佐竹が仕留めました」「そうか。きっちりカタをつけさせろ」「方法は?」「お前の……志田川のやり方でいい」返事をする前に、わずかに嫌味な視線を向けられたことに気づいた。この3年、ずっとこんな調子だ。頭を下げて出ていく組員を見送って、俺は西龍会組長の部屋へ向かう。「お呼びですか……」「蔵之介はどこへ行った?最近姿を見ないが」思ったより早い追求に、西龍会の崩壊が進んでいることを物語っていると感じる。「……破門にしました」「なに?」「女ばっかり追いかけて……使いものにならねぇんで。俺の判断です。どうかご承知ください」組
「……待って、蔵之介」ドアを出ていこうとした俺を、麗香が引き止めた。「なんだよ」「今、また1人女が人生狂わされたって言ったけど……どういう意味?」「お前には関係ねぇことだ」正面に立ってきっぱり言う俺に、さすがの麗香も二の句が継げない。「まぁせいぜい幸せにやれよ。俺は明日から別のところで寝泊まりすっから……酔いが覚めるようなことがあれば、伝えとけ」嫌味を含む言い方……体を曲げ、咳をする龍之介を見下ろして言った俺に、麗香はもう何も言わなかった。翌朝、必要なものをスーツケースに詰め、簡単に部屋の掃除をした。子供の頃は、2階に自分の部屋があった……ここは組の仕事に入り、忙しくなって







