僕は、一人だった。人には視えない何かが視える、それだけで両親からは距離を置かれた。霊感なんて欠片もない、弟二人が羨ましい。そんな日々を送っていた。
僕の家の近くには、大きな神社がある。そこに居る時だけ、心が休まっていた。清廉な空気が、傷ついた心を癒してくれた。そして、他の人には視えていないであろう『人間じゃない存在』も。
神社に通っていた幼少期の、とある日のことだ。
「貴様、私が視えるのか?」
その存在は、とても美しかった。青緑色の、大きく澄んだ瞳。長い水色の髪は、毛先に向かうにつれ青くなっている。長い睫毛は耽美な雰囲気を構成していた。明らかに、この世のモノを超越している美しさ。それは今でも、僕の目に鮮明に焼き付いている。
「……あなたは?」
目の前の存在は、口元をほころばせて答えた。
「私は神だ。この神社で祀られている、偉大な神だ。崇めると良いぞ。……そういえば、貴様。名は何という」
神様というのは、随分高飛車だと思った。だけど、名前を訊かれているのに答えないわけにはいかないとも考えたので、とりあえず名乗る。
「僕は、
「一成か、良い名だ。私の名は……
「才能?」
僕に何の才能が? そう思い問うと、蓮は答えた。
「一成、貴様は私が視えるだろう。それに、この世のモノではない——言うなれば幽霊などを惹きつける体質だ。現に、私の目にも貴様の存在が留まった。まだ幼い貴様にはわからないかもしれないが、それは危険な状態だ。私の様な神ならともかく、悪霊に憑りつかれでもしたら貴様も困るだろう。そこで、私が貴様に能力の制御を教えてやろう……という訳だ。感謝するがいい」
一方的な押しつけの様にも思えるが、当時の僕は何も考えずに
「はい、よろしくお願いします」
と承諾してしまったのだった。
それから十五年、蓮の修行は厳しいものばかりだった。投げ出そうと思ったこともあったが、自分の為になると諭されて続けてきた。その結果、僕は自分の力を使いこなすことが出来るようになり——幽霊退治に勤しんでいる。
『嫌だ、まだ成仏なんかしたくな——』
「往生際が悪いですよ、成仏しなさい」
目の前の中年男性の姿をした幽体に向けて、手をかざし念じる。段々と幽体が天へと昇っていくのを見届けながら、一息つく。
もう夜も遅い。早く家に帰って、弟たちを安心させなければ。
弟二人は、有難いことに僕に懐いてくれている。
三兄弟の真ん中である宗吾は、素直ではないが根は優しい。昔は真っ直ぐな子だったのだけれど、反抗期なのか最近はあまり話せていない。誰に対してもそんな感じなので、嫌われているという訳ではないだろう。
末っ子である蒼麻は、宗吾に対してはつっけんどんだが僕にはデレデレだ。宗吾と昔大喧嘩したことを、今でも引きずっているらしい。僕からしたら可愛い弟だけど、宗吾は複雑な感情を抱いていそうだ。
「ただいま、帰りましたよ」
「兄さん、お帰りなさい!」
大体出迎えてくれるのは蒼麻だと決まっている。宗吾はバイクに乗っているか、部屋で勉強しているかだ。一応、蒼麻に尋ねてみる。
「宗吾はどうしていますか?」
「宗吾? 今日は肝試しで学校に行くとか言ってたような……あんな奴どうでもいいでしょ。そのうち帰ってくるよ」
嫌な予感がした。霊感がなくても、普通の人よりは宗吾も蒼麻もこの世のモノではない存在を引き寄せる体質だ。そんなところばかり僕に似なくてもいいのに、と思うが今はそれどころではない。
「ちょっと出かけてきます。ごめんなさい、すぐ戻りますから」
「あ、ちょ、兄さん⁉」
蒼麻の静止を無視し、家を飛び出す。幸いなことに、宗吾が通っている高校は家から近い。飛んでいけば五分もあれば到着するだろう。周りに人が居ないことを確認し、ジャンプをして念じる。ふわりと身体が宙に浮く。これは人目があるところでは絶対に使えない技だ。騒がれては色々と困る。今が夜更けであることに感謝し、目的地へと急ぐ。
「宗吾、どこですかー⁉ 返事をしてください」
校庭に降り立ち、彼の名を呼ぶ。夜の学校は幽霊の溜まり場だ。特に、プールに水が張ってある夏場——今は一年の中で最も幽霊が多い。宗吾の様な存在がいたら、餌食になる可能性も十分にある。
校舎に入り、何度も宗吾の名前を叫んだ。しかし、答える声はない。こちらの存在を不用意に察知されたくないが、そうも言っていられないので目に力をこめる。一時的に千里眼と化した僕は、宗吾の姿を捉えた。最悪なことに、彼らはプールに向かっている。もうここまで目立っているのだから、何をやっても同じだろう。自らの脚に触れ、霊力を流し走るスピードをあげる。
「宗吾!」
プールに繋がっている扉をバン、と開くと宗吾と——恐らくその友人——が立っていた。
「兄貴、何の用なんだよ。邪魔すんなっての」
「え、あれ宗吾の兄貴なん? 姉貴かと思ったわ」
友人の一人がそう言って、僕の顔を凝視している。確かに僕はよく女性に間違われるけど……今はそれどころじゃない。
「宗吾、肝試しは危険です。家に帰ってください」
「あー、蒼麻のやつ喋りやがったな⁉ クソが……。絶対帰んねーからな、ムカつくし」
話を聞く気はないようだ。これは骨が折れる、と思った次の瞬間——プールから何かが姿を現した。
それは、巨大な手だ。それは、一直線に宗吾に伸びたかと思うと、ひょいっと彼を掴み上げた。
「宗吾!」
宗吾は、何が起こっているのかわからない様子で口をパクパクさせている。友人たちは、彼をおいて逃げてしまった。
『この子、宗吾って言うのね。可愛い顔……』
手は、テレパシーで語りかけてくる。そして、指を宗吾の顔に伸ばし撫で上げる。
「なっ……何なんだよ! おいクソ一成、早く助け——」
宗吾の言葉は、途中で途切れた。骨が折れる音と同時に、彼の首が血飛沫と共にプールへと落ちる。
何が起きたのか、わからなかった。殺された? 宗吾が? 僕の目の前で?
『あ、力入れすぎちゃったわ。まあ、人間だものね。別にいいか』
いけない。どんな時も冷静でいろと、教えられたじゃないか。そうでないと、霊力が暴走するから——息を深く吸い込む。しかし、頭は全く冷えない。目の前のこいつを殺らなければ、次は僕がああなる。何より、宗吾の命を奪ったこいつを許すわけにはいかない。
「絶対に許しません、ここで葬ります」
『出来るかしら? 無力な人間に』
相手の語りかけは、僕には届かなかった。霊力で作った即席の刀で、手の先から根元まで一刀両断にしたからだ。崩れて粒子になっていく幽体から、宗吾の体が解放され地面に落ちる。
「……無力な兄でごめんなさい」
宗吾の魂は、もう還ってしまった。戻ってくることは二度とない。少し軽くなった体を抱き、家へと歩き始める。飛ぶ気分ではない。家族にどう説明しようか、そればかり考えていた。
家の扉を開けると、流石に夜遅いからか全員寝ているようで迎えはなかった。宗吾の体をそっと置く。せめて安らかに眠ってほしい。誰か起こそうかとも思ったが、僕自身考えが整理できていないので上手く事情を話せないと判断してやめた。
……とりあえず、一度寝よう。血に塗れた手を洗い、部屋に行く。目の前で誰かが、しかも肉親が死ぬなんて思いもしなかった。自分の力に自惚れていたのかもしれない。明日、蓮に相談しよう。
翌日に蓮のところへ行こうと思っていたが、宗吾の一件でバタバタして遅れてしまった。そもそも身内に亡くなった人間がいる以上、神社に参るのはマナー違反だ。約二ヶ月、僕は怠惰な日々を過ごしていた。蒼麻は「兄さんのせいじゃないよ」と慰めてくれたが、自分で自分を責めてしまう。あの時、宗吾のことを助けることが出来たはずなのに。僕は愚かだ。 神社の空気は、いつも澄んでいる。礼をして足を踏み入れると、「やっと来たか、大馬鹿者め」と声をかけられた。「蓮……」「貴様の事情はわかっている。弟が亡くなったらしいな」 事実を改めて突きつけられ、気分が落ち込む。「僕のせいです、思い上がっていたのかもしれません。今まで、挫折なんて知らなかったから」 蓮は、瞬きしてから「そうだ」と肯定した。「一成、貴様の思い上がりは確かにあっただろう。だが、悔いたところで弟が帰ってくる訳ではない。挫折は悪いことではない、経験すればもっと強くなれる。これは貴様に課された試練の様なものだ」 いつでも手厳しいのが蓮だ。確かに、言っていることはわかる。だが、理性と気持ちは必ずしも一緒ではない。そんなに割り切れるほど、僕は強くないのだ。「……その為に、宗吾が死ぬことはなかったのでは」「甘いな、貴様は強いから少しのことでは挫折などしないだろう。弟の命は、考え得る限り貴様の中でかなり大事なものだったはずだ。それを失ってしまったからこそ、今貴様は岐路に立っている。もっと強くなるか、このまま立ち直れず生涯を終えるか。貴様は、どうする」 考える。蓮としては、もっと強くなってほしいと思っているのだろう。だけど、僕は弟を失ってまで戦おうとは思えない。そもそも、平和が好きなのだ。好んで戦っている訳ではない。今まで幽霊を退治していたのだって、平和な世の中を保ちたかっただけなのだ。僕は、どうすれば良いのだろう。「貴様がどうしようが、それは自由だ。だが、忘れるな。私の気は長くないぞ」 蓮は、そう言い残すと姿を消した。僕に残された時間は、そう長くないだろう。とりあえず、家に帰って考えるか。ここに居ても、考えはまとまらないだろうし。「兄さん、お帰りなさい!」 今日も相変わらず蒼麻が出迎えてくれる。蒼麻だけでも、守り切らなくては。これ以上、命を失う瞬間を見たくはない。「……兄さん?」「あ、いや……何でもないです」
僕は、一人だった。人には視えない何かが視える、それだけで両親からは距離を置かれた。霊感なんて欠片もない、弟二人が羨ましい。そんな日々を送っていた。 僕の家の近くには、大きな神社がある。そこに居る時だけ、心が休まっていた。清廉な空気が、傷ついた心を癒してくれた。そして、他の人には視えていないであろう『人間じゃない存在』も。 神社に通っていた幼少期の、とある日のことだ。「貴様、私が視えるのか?」 その存在は、とても美しかった。青緑色の、大きく澄んだ瞳。長い水色の髪は、毛先に向かうにつれ青くなっている。長い睫毛は耽美な雰囲気を構成していた。明らかに、この世のモノを超越している美しさ。それは今でも、僕の目に鮮明に焼き付いている。「……あなたは?」 目の前の存在は、口元をほころばせて答えた。「私は神だ。この神社で祀られている、偉大な神だ。崇めると良いぞ。……そういえば、貴様。名は何という」 神様というのは、随分高飛車だと思った。だけど、名前を訊かれているのに答えないわけにはいかないとも考えたので、とりあえず名乗る。「僕は、如月一成です。ええと……神様はどんなお名前なのですか?」「一成か、良い名だ。私の名は……蓮。貴様の才能を認め、制御する術を教えようと思っている」「才能?」 僕に何の才能が? そう思い問うと、蓮は答えた。「一成、貴様は私が視えるだろう。それに、この世のモノではない——言うなれば幽霊などを惹きつける体質だ。現に、私の目にも貴様の存在が留まった。まだ幼い貴様にはわからないかもしれないが、それは危険な状態だ。私の様な神ならともかく、悪霊に憑りつかれでもしたら貴様も困るだろう。そこで、私が貴様に能力の制御を教えてやろう……という訳だ。感謝するがいい」 一方的な押しつけの様にも思えるが、当時の僕は何も考えずに「はい、よろしくお願いします」 と承諾してしまったのだった。 それから十五年、蓮の修行は厳しいものばかりだった。投げ出そうと思ったこともあったが、自分の為になると諭されて続けてきた。その結果、僕は自分の力を使いこなすことが出来るようになり——幽霊退治に勤しんでいる。『嫌だ、まだ成仏なんかしたくな——』「往生際が悪いですよ、成仏しなさい」 目の前の中年男性の姿をした幽体に向けて、手をかざし念じ