ログイン大学の構内で叶糸に声を掛けてきた『宮東リフ』は、四度目の人生で叶糸の友人だった男だ。 どちらも優秀が故に一度目の人生の頃から軽い面識はあったが、学部が違うからか、本格的に親しくなったのは四度目の人生で大学生活が無事四年目に突入出来たばかりの頃だけだった。 南風家と同じく“侯爵”の爵位を持つ家に生まれた“ライオンの獣人”で、筋肉質で高身長なうえに金髪金眼と見目はかなり派手なのだが、性格は穏やかで清廉潔白、聖人君子でもあり、人の悪口は絶対に言わないし(そもそも他者に悪感情を抱いた事すら無さそうだ)、ボランティアにも高頻度で参加し、困っている者を見れば喜んで手を差し伸べ、貴族でありながら平民を下には見ない。商魂逞しいからといった利害ではなく、心から皆平等と考えているタイプだ。 そんな彼だからか、叶糸が四度目の人生で困り果てていた時も親身になってくれた。 婿入りさせてもらうという形での“結婚”を理由に剣の家を出る計画は二度に渡り失敗はしたが、人生ごと頓挫した理由が理由だったので、人生四度目の時もその手でいければと叶糸は考えていた。……だが彼は、性欲旺盛なはずの獣人でありながら、これまでの経験のせいで完全に勃起不全に陥っていた。血筋的には平民の出ではあっても、戸籍上は“貴族”であり、“獣人”の結婚ともなると、どうしたって『子孫を残す』ことを求められる。同性婚も認められてはいても、一夫一婦か一夫一夫しか許されてはいないこのご時世でありながら、貴族だけは『代理出産者』や『精子提供者』などを一時的にでも囲う事を認められる程に。 なので生殖能力に問題がある状態では結婚は出来ない。 そうであると結婚後に検査等で初めて知ったのならまだしも、以前から隠していたのだと相手にバレれば即離婚されて実家に追い返されるだろう。重要な情報を隠して結婚したともなれば損害賠償金だなんだと請求されもする事を考えると安易には踏み切れず。かと言って子孫を残す義務の無い平民との結婚は義父達の許可が絶対に得られないし、だけどこのまま実家に残る気も更々無く、当時の叶糸は相当困り果てていた。就職先が決まって安堵しているはずの時期なのに、長らく様子のおかしい彼を捨て置けず、宮東の方から声を掛け、相談に乗り——『なら、僕と結婚するのはどうだい?』と彼は叶糸に提案した。 突拍子もない提案ではあったものの、
「にしても、医療系最大手な北尾家が厄災の渦中にあるとなると、叶糸の就職活動に影響が出るんじゃないのか?」 一つ前の人生では何とか就職にまで漕ぎ着けて、その時は南風家の製薬関連会社に就職したらしいが、本命は北尾の方だとかがあるとしたら、とんだ災難だ。 「いいや、実は就職活動はしない事になったんだ。アルサ達からいずれは家業を手伝って欲しいと頼まれていて、暫くは家令の補佐とかをやりつつ、アルカナとの新婚生活を楽しんでって言って貰えているんだよ」(……初耳だぞ?) 外堀を埋める事で剣家の当主が我々の婚約と結婚を了承しさえすればいい話なんだ。別に結婚後にまで周囲に『ラブラブアピール』をする必要は無い気がするんだが……アルサ達には何か私の知らない算段でもあるのか?だけどここであれこれ考えても答えは出ないか。 「でも良いのか?折角此処の薬学科に進んだのに、それを活かせる仕事じゃないなんて。勿体無いんじゃないか?」 「“薬学科”を選んだのは、そもそも深い意味があってじゃないんだ。義兄達と被らない学科で、興味を持って学べればそれで良かっただけだから」 「成る程な。ただでさえこの大学に合格して強い反感を買っているのに、これ以上義兄達との能力の差を突き付けると面倒な事になるからって感じか」 「あぁ。だからアルカナとゆっくりじっくり新婚生活を満喫して——」と言い、叶糸が私の方へ手を差し伸べようとした時、突然人影が差し込み、私達を照らしていた陽射しが遮られた。「——あれ?もしかして、剣君?」 それと同時に聞こえた覚えの無い声。前に会った事のある古村君の声じゃない。『別の友人の一人だろうか?』と思い、叶糸の目元を隠していた手を避けてやる。するとすぐに叶糸が瞼を開いて、声の主の方へ視線をやって男の名前を呼んだ。「……宮東か。どうした?」 その苗字を聞き、バクンッと心臓が大きく跳ねた。以前に補佐達が送ってくれた報告書で見た記憶のある苗字だったからだ。 「あ、いや、別に用事があったとかじゃないんだ。ただ剣君が居たから、つい勢いで声を掛けただけだったんだけど……お邪魔だったよね」 「そうだな」と言って、叶糸が少し笑った。 既にもう二人の仲が良いだなんて予想外だ。 顔を上げられず、変な汗が体からじわりと溢れてくる。 視線だけをちらりと
私がアップルパイを完食してしまった後もしばらくはカフェに居たが、終始叶糸の態度が甘々で、真夏の氷の様に私自身が溶けるかと思った。二人で座るにはやや狭いせいもあって、常に寄り添っているままだったし。蕩ける様な瞳をこちらに向け続け、男性的なごつい手を私の細い指に絡めてそっと肌を撫でていたりと。アピールが過ぎる気がする程の役者顔負けの愛情表現過多な演技だった。 帰宅後も、私がマーモットに戻っていようがベタ甘で、勉強中ですらも膝に座らせて抱っこし続けるとか。『此処にはもう人目も無いのに、どした!?』と訊きたくなったけど、まだまだ癒しが足りなかったのかもだから好きにさせた。(彼が大事な『後継者』だからか、どうも私は叶糸にかなり甘い様だ。——いや、元々こんな子な気も……まぁ、いいか) それ以降も叶糸からの外出の誘いは続いた。護衛の同行や車での送迎が必須ではあったものの、水族館やら映画館やらと定番の施設には粗方回った気がする。流石に街中散策デートだけは保全の関係で行けず、その事が少しだけ残念だ。(とはいえ、本気で行きたいとなれば、更に別の容姿に姿を変えてしまえばいいだけの話だから別にいいんだけどな) “この容姿のままで”となると人気のデートコースは段々と面倒になっていって(千年近くも引き篭もっていた弊害か?)、最近ではもっぱら大学の構内デートが定番となっている。『龍の獣人』状態で外出するには、まずアルサ夫婦に毎度申告せねばならず、護衛の人数が大幅に増えたりもするから申し訳ない気持ちで一杯にもなるからだ。だが大学の構内であれば既に警備がしっかりしているから報告も不要だし(親戚筋でもある学長のご厚意で、大学側への立ち入り申請も省略出来る様にしてもらった)、連れ歩く警護も最低人数である二人だけで済むし、お気に入りである芝生の広場なんかは大学を守る結界の対象内に位置しているので気持ち的にかなり楽なのだ。なので専ら天気がいい日は芝生広場で、それ以外の日は正門前のカフェでといった流れになっている。(誘拐だ何だといった危険性が常にあるとか、高位貴族の生活ってのは何とも面倒なのだな) 今日は午前の授業が終わってから叶糸と構内の芝生広場で合流した(彼の授業中はずっと、私も姿を消した状態で『管理者』としての仕事を芝生に座って勤しんでいたぞ)。次の講義が始まるまでの時間だけという短い
狼の獣人であるが故に音には敏感な叶糸が、じっと外の方に意識を集中している。私も彼に倣って騒ぎの元凶がいる方へ視線をやると、そこには大学の警備員と揉めている剣家の三兄弟が立っていた。「うわ……」 つい私が素でこぼすと、叶糸がクスッと笑った。その笑顔が本当に楽しそうで嬉しくなる。出会った時は目の下のクマが酷かったけど、あの頃とは雲泥の差な眩しい笑顔だ。「ウチの義兄達が揃いも揃って来たみたいだね。此処まで来るのが早かったって事は、大学の近くにいたのかもな」 「何故近くに?彼らの通う大学も大学院も、どっちも此処からは遠いでしょうに」「そりゃ、アルカナに会う為でしょ」「げっ」 「『げっ』て」と言って叶糸がまた笑う。 美丈夫ながらも可愛いこの笑顔をいつまでも見ていたくなったが、外がまた煩くなってきた。気にはなるけど、私には南風家一同の様に唇を読む技量は無い。三義兄弟達の声を聞くにはどんな魔法が適当かと考えていると、叶糸が口を開いた。「『——いいから中に入れろって!』『ですから、きちんと申請をしてからお願いします、と』『薬関係の学部にいる“剣叶糸”の義兄だってんだろうが!親族ならいいじゃねぇか!』『だから、そうはいきません。警備の都合上、親族のみでは、許可が無いと立ち入りが出来ない箇所が多いんです!弟さんに許可申請を頼み、同行してもらって下さい』のやり取りを、馬鹿みたいに何度も繰り返しているな」 国内最高峰の大学だ。歴史的な価値もある建物をちらりとでも見てみたい観光客や、学生との待ち合わせにも使う人がいるから、このカフェ付近までは立ち入れるはずだ。なのに正門の前で止められているのは、彼奴らが騒ぎ過ぎたせいか?それとも、低脳過ぎて彼らの家族が通っていそうな雰囲気じゃないからだろうか。「聞こえるのか?この距離で、向こうは外だっていうのに流石の聴力だな」 「雑音を拾い過ぎても脳が疲れるから、普段は意識して聞こうとでもしないと音は拾えないけどな」 「そうなのか。でもまぁ確かにそうじゃないとキツイよな」と納得していると、ちらりと周囲に目を配り、そっと叶糸が息を吐いた。 「……どうかしたの?」「あ、いや。予想通り過ぎて嫌になるなと思ってな」「予想通り?」と私が不思議に思っていると、「義兄達の到着が随分と早かっただろう?」と叶糸が言う。 「あぁ。でもそれは
叶糸の通う大学の構内はかなり広大だからか、併設されているカフェは四ヶ所もあるそうだ(その他にも食堂や購買などもある)。学生のみが利用出来るお値打ちな店もあれば、やや価格は高めだがゆったりとしていて寛ぎを重視した店、貴族専用の店、そして私達が入った正門近くのこのカフェのように部外者も利用可能な店など様々だ。利用者の立場や同行者の有無、財布事情に合わせて店を選べるのはありがたい。 ここは部外者も利用可能とはいえ、主な利用者はやはり学生だ。その為、テーブルの高さや椅子はリラックス重視ではなく、自習のしやすさを優先した造りになっている。奥には四人から六人ほどが座れるソファー席もあるが、両サイドはしっかりと壁で仕切られており、個室のような造りになっているため議論が白熱しても問題ない。二人掛けの席でもテーブルは広めで、資料や本を広げやすい。店内で流れている音楽もクラシカルで勉強に集中しやすそうだし、細部にまで将来を担う学生達への配慮が感じられた。(カフェは本来自習室じゃないけど、どうしてもそういう使い方をする生徒が多いから、こうなったのかな) 店員に案内されて席に着く。二人掛けの席ではあるのだが、横幅のあるソファータイプだからなのか……何故か叶糸が私の真横に座った。向かいの空席には、私達のマーモットバージョンにそっくりのぬいぐるみが二体並んでいる。叶糸版はすらっとしていて大きく、私の方はずんぐりとしていて可愛くない。先程までは、最近叶糸が研究・開発したらしい『亜空間への収納魔法』に収められていた物を、何故か彼がわざわざ取り出したのだ。(在籍しているのは薬学部なのに、何をやっているんだ君は。……にしても、第三者視点で見ると、ホント『マーモット版』は太っていて可愛くないなぁ……) 目付きは悪いが、圧倒的に叶糸版の方が可愛くて、つい対面に腕を伸ばして撫でたくなった。だが、「——わざわざ出さなくても……」と私が呟くと、「アルサからの依頼でもあるんだ。オレ達の『噂』に便乗して、『幸運のマーモット』的なグッズ展開をしたい家門があるらしい」と教えてくれた。「ハコブネの貴族達は随分と商魂逞しいな!」 小声ながら、叫ぶような勢いになってしまった。「今じゃどこもこんなもんだよ。領地から得られる収入だけで豪遊しているようじゃ、すぐにネットで叩かれて、御貴族様だろ
南風の邸宅に剣家御一行が異議申し立てと新たな婚約者の提案をしてきやがった日以降、アルサとサリアの二人から、私はミッションを与えられた。『叶糸君と仲睦まじくしているシーンを、多くの者達に目撃されておいてね』というものだ。 叶糸が大学の構内でマーモットのぬいぐるみと戯れている様子は度々誰かしらの目に留まってはいるが、よくよく考えると、確かに『南風アルカナ』と『剣叶糸』が二人で居るシーンを目撃されているのは星澤家の夜会くらいなものだ。身分差の恋が故に『噂』だけは一人歩きして知名度を得ているが、今のままでは信憑性に欠けるのだろう。 ——という訳で、本日は早速叶糸と大学の正門付近で待ち合わせをしてみた。同世代のカップルという|体《てい》なのだから通学路も一緒にと、私としてはそう考えたのだが、双方とも『貴族』なので、逆に違和感しかないとアルサ達に指摘されて構内での合流となった。 基本的に爵位の高い貴族令嬢が外に出る時は護衛を連れて、となる。政敵の思惑や身代金目的の誘拐の危険が高いためだ。私も叶糸も警護なんか必要ないくらいには有能である自信はあるが、一応は『深層の貴族令嬢』で『高位貴族』ともなると、実際の腕っぷしがどうであれ人様の目があるので『お好きにどうぞ』とはいかないらしい。(とは言っても、私は叶糸の家に居候している身だから、ギリギリまでは一緒だったのだけどもな) 婚約がきちんと成立するまでは義家から出られないため、叶糸はまだ剣家の敷地内にあるプレハブ小屋のような家から大学に通っている。そんな彼を一人にはしたくないので、私も今まで通りそこで生活しているのだが、最近では敢えて剣家の義家族の前でマーモットな私を晒している。 偏に『希少なマーモットをプレゼントされるくらいに、南風アルカナ令嬢とは良好な関係を築けていますよ』というアピールの為だ。 この程度でアイツ等の慢心と欲望が止まる気はしないが、叶糸が『私』を抱っこしている時には剣家の一同が彼に手出しをしてこない。『生き物』だし、何よりも『南風侯爵家』からの『贈り物』に害を与えるのは得策じゃないからだろう。所詮は『虎の威を借る狐』状態に近いが、効果はちゃんとあるので、このままでいこうと思う。(『南風アルカナ』がマーモットを抱っこしていたのをアヤツ等も見ているので、本物の『贈り物』であること
二人の婚約期間が半年目くらいの時期に入ると、今度は呪詛の様に『愛してる愛してる愛してる愛してる——』と何度も何度も何度も毎時間送れと、『私への愛を証明し続けて♡』と指示される様になった。すると叶糸は早々にプログラムを組み上げて、一時間置きに自動的にそれっぽい文章を送るシステムを構築した。即席で作った物だ、どうしたって最新のAI程には優秀では無いにしても『毎分毎秒、貴女の事を考えてしまう』『会いたくって堪らない、次に貴女に会えるのはいつになるんですか?』『恋しくって狂いそうだ、せめて夢の中だけでも会いたいと思いながら眠るよ』だのと、勝手に多種多様な愛を綴って送信し続けるという何ともヒト泣かせ
『医療行為』として記憶を消し、いくら当事者の間では『何も不都合な出来事など無かった』事にしようが、約十年の間で三度離婚し、一時的にではあれども元夫達が全員精神科の病棟に入院していたという事実までは隠し切れない。身分の高い『侯爵令嬢』でありながら貴族達の間で『地雷』扱いされている。こんな状態では次の結婚相手を探すのも困難だ。なのでもう彼女自身は結婚に興味はなかったのだが、北尾の血を繋ぐ者を求める両親の必死の願いを受けて、結局スリエは四度目の結婚相手を渋々探し始めた。『何度結婚してもぉ、“夫”の子供なんか絶対に産まれないのになぁ』 そもそも、スリエを愛していた歴代の『夫』達とは一度も性行為
病院や医療機器メーカーなどを含む医療業界で真っ先に名が挙がるほど有名な『北尾』家の一人娘、『北尾スリエ』は、剣叶糸の『三度目の人生』で彼の婚約者となった女性だ。二十九歳にしてすでに三度の離婚歴があり、元夫たちはいずれも心を病んで離婚に至っている。 その経歴から、周囲に少なからず警戒されている人物でもある。 不妊で長年苦しんだ末にやっと誕生した『蛇』の『獣人』であったが故にスリエは蝶よ花よと育てられはしたが、一人目の婚約者であった『西條ソリア』とは違って、徹底的に英才教育も施された。『医療の北尾』の次期当主として医療機器の開発関係者か、もしくは何かしらの医療従事者になってもらう為にだ。
北尾スリエは『蛇』の『獣人』女性だ。過去に三度の離婚歴があり、その全てで『夫』となった男性が心を病んだ事を理由に離婚に至っている、生きた『地雷』である。北尾家の現当主夫婦は長年子宝に恵まれず、やっと生まれたのが『獣人』だったもんだから、蝶よ花よと育てられて歪んだ人格形成に至ってしまった典型的タイプだ(『地雷』となる決定打はもっと別の理由があるのだけれども)。好む服装や装飾品のせいなのか、二十九歳とは思えぬ可愛らしい雰囲気のある女性で、紫色のふんわりとした髪は腰までと長く、橙色の瞳がその容姿とよく合い、細長い舌や瞳孔には蛇の特徴がよく出ているが白い肌に鱗などは無いらしい。「三度の結婚では子