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3.

Auteur: 桜立風
last update Dernière mise à jour: 2026-02-28 15:48:26

…いったいどういうつもりなのか。

本当に部屋にやってきた上司が、部下の部屋で普通にスーツの上着を脱ぐなんて…

会議室での話は、役員たちが集まってきて呆気なく終わった。2人で中にいた事をごまかすように、とっさに会議の準備を手伝っているふりをした凛花。…お茶汲みまでさせられたところで、神西に声をかけられた。

「ありがとう鈴原さん。もうデスクに戻っていいですよ」

ドアを開けてくれる仕草が自然で、意外にジェントルマンだと感心したのに…バシッと強めにファイルを押し付けられた。

「…このファイル、あとでよく目を通しておいてください」

デスクに戻って確認してみれば…中味は小さなメモ1枚。

『寄り道厳禁。帰宅後、すみやかに鍵をかけて俺を待て。帰りの予定は23時』

…なかなか男らしい命令調だ。

けれどこの時点で、凛花にはまだ余裕があった。なぜなら、住所を尋ねられていないし…他の手段を使っても、神西が私の自宅にたどり着ける可能性は低いから。

実は引っ越して日が浅く…まだ新住所を人事部にも総務部にも伝えていないのだ。だから例えば…社内の個人データにアクセスして住所を調べようとしても無理だし、そもそも会社の人に引っ越した話すらしていない。

どうやって住まいを突き止める気なのか…凛花はまず来ないだろうと高を括って、のんびり過ごしていた。

なのに…メモの通り23時きっかり、部屋のチャイムが鳴らされた。…驚いて、座ったまま1センチくらい飛び跳ねたと思う。

そして、本当に神西が来たのか確認したい気持ちが勝って、躊躇なくドアを開けてしまったのだ…

「…よし、いるな」

夜も遅くなっているのに、ざっくり後ろに流した髪に、乱れひとつ見当たらない。疲れた様子もなく、会社で会った時と同じ様子の神西は、凛花が何か言う前に部屋に入った。

…そしてリラックスした様子でスーツの上着を脱ぎ、それを手渡してきたのだ。

あまりに自然なので受け取ってハンガーにかける。

つい、お食事は…?なんて、聞いてしまいそうだ。

「シャワーを借りていいか」

「は…」

切れ長の瞳に見つめられると、ダメなんて言えない…それでも、わずかな勇気を振り絞って言った。

「あ、当たり前みたいに部屋に入ってきて夫みたいに上着渡してきて、シャワーってなんですか?…次はご飯ですか?」

…文句の言い方が少し違う気がする。神西もポカン…としているので、次の反撃が見つからない。

「…きょ、今日はもう、いいですよ。遅いし、シャワー浴びて適当にソファで寝てください。ご飯は炊いてあるので、納豆とたくあんで良かったらどうぞ」

「あぁ。食事は結構だ」

風呂場に向かう背中を見送りながら、納豆とたくあんでご飯をかきこむ神西なんて、想像できないと思った。

…でもまぁ、情けだけはかけてやったんだから、十分でしょ。

凛花はいつもより端に自分の布団を敷き、横になった。

翌朝…

目を覚ました凛花の目に、カーテンの隙間から漏れる光が映る。

…朝になった。

神西は眠れただろうか。

部屋の中をぼんやり見渡し、間接照明がついたままだったと気づいてがっかりしたところで、自分がいる反対側の壁から声が聞こえた。

「…これは、ソファとは言わないな」

凛花が体を起こすのと同時に、神西も起き上がった。

「壁に沿って敷いてある布団だ。…そうだろう?」

「…そうですよ?余った布団を大きな布にくるんで、なんちゃってソファとして使ってるんです。何か文句でも?」

「フワフワしすぎて体が安定しなかった」

朝起きて、神西がいた事を思い出しても、十分冷静でいられた。

余った布団の有効活用をして何が悪いのよ…?!

イケてない伸び切ったTシャツを着ている事も忘れ、布団から起き上がって、神西に文句を言ってやろうと近づいた。

すると…薄暗くてもわかるほど、不気味に光っているものが見えた。

「…ひゃっ…!…あっぶないなぁっ!」

布団ソファの足元に、大きなカマが置いてあったのだ。

「これ!…昨日言いましたよね?危ないって。…カバーをつけるとかなんとかしたらどうですか?」

「鈴原、今日はコレが見えるんだな」

「…見えますよ?一旦見えなくなりましたけど、今日はまた復活です」

「…そうか。それならちょうどいい。これから俺の話を聞いてもらおうか」

よく見ると上半身裸で、下はスーツのスラックスをはいている神西。

…見慣れない男の裸から、慌てて目をそらした。

「…何の話ですか?だいたい今日は平日で、有休でも取ってなきゃ仕事ですけど?」

「なら後で有休扱いにすればいい」

「ダメですよ。今日は新サービスの企画書の会議があります。…それに私も、まだ出してませんし」

のんびりした雰囲気を一気に緊張感に変え、眉間にシワを刻んだ神西。

「お前…まだ提出してないのか…」

上半身裸のまま布団ソファから立ち上がり、近づいてくる神西から後ずさりして逃げる。

あれ…確かこの間も、こんな風にして神西から逃げた気がする。

「パソコン」

「…え?」

「パソコンを起ち上げろ。見ててやるから、今全部仕上げてしまえ」

えー………っという言葉を飲み込んで、仕方なくパソコンを起ち上げた。

「これ、社用パソコンじゃありませんけど」

「下書きくらい、自分のパソコンで作ってるだろ」

確かに…就業時間内に企画書まで作るなんてとても無理で、下書きやアイディアをドキュメントにまとめてある。

そこで言われた通り、デスクにパソコンを置いて開いてみたものの…後ろからの圧がものすごい。

「あの…近いです」

「…そんなこと気にするな」

椅子の背に手をかけられて、画面を一緒に覗かれているという近さ…ちょっと横を向けば神西の頬。仄かな神西の香りが鼻腔をくすぐる。当然だ…こんなに近くにいるのだから。大人っぽい、妖艶な香りにクラクラする…

「…鈴原は、企画書の書き方からして問題があるんだよな」

凛花とは違い、真剣な表情で画面を睨む神西が、思い出したような説教を始めた。

「そもそも企画書とは、目的、概要、企画内容、その他…簡潔かつわかりやすくまとめる事が重要だ」

「ま、まとめてるつもりですけど…」

「…これは単なる箇条書き。しかも思いついた順に書いてるに過ぎないから、頭を使って読まないと、何を言ってるのかさっぱりわからん」

…神西の熱い講義で、1時間後には企画書が出来上がった。

「…なんか入社2年目でやっと、まともな企画書が書けた気がします!」

「…あぁ。わからないことは質問すれば、その場で解決できるだろう。後回しにしないで、質問をする癖をつけなさい」

「…あぁ、はい」

出来上がった企画書を前に満面の笑みを浮かべたのに…急に困ったような表情になったことに気付いた神西。

「なんだ、聞きにくい雰囲気でもあるのか?…うちの部署は」

「いえ…ただ、ちょっと質問すると、食事やお酒に誘われるんです。それがちょっと…」

「ほぅ……………」

「…それより、支度して行きましょう!そろそろ時間ヤバいです」

ワイシャツを着てネクタイを締めるだけの神西を洗面室に閉じ込め、凛花はオフィスカジュアルな服に身を包み、玄関で待つ神西と合流した。

「今夜は俺のマンションに来てくれ」

「…え、まだそんなこと言って……」

全部言い終わらないうちに神西の右手が伸びてきて、凛花の腕を引き寄せた。

「…何を………」

…するんですか、と言おうとして。

凛花の中で時が止まる。

唇に触れる…温度のない神西の唇。触れるだけのキス…なのに時間が長いやつ…

だから…なんでキスするの?

「このマンション、築年数はどれくらいだ?」

「は…?」

キスの余韻もなく、おかしなことを聞いてくる神西。でも別に腹も立たない。…おかしいな、今朝はもっと戦闘態勢だったはすなのに。

「見たところ、他に入居者がいるように見えないが」

凛花が引っ越してきたのは、築60年の古めかしいアパート。…神西の推察通り、他に入居者はいない。

「取り壊し間近だから、敷金や礼金がいらなかったので引っ越したんです」

「そうか。…一晩泊まって思ったが、荷物も少ないな」

「まだ実家から運んでないんです。今週末にでも、運び入れようと思ってます」

「なるほど…」

隣を歩く神西の目が、金色に光ったように見えた。

「………………嘘でしょ。どうして、こんな…」

その日の夜、帰宅した凛花の目に飛び込んできたのは…変わり果てたアパート。黒く炭化して、消火するために撒かれた水分が、ポタポタと落ちている。

「焼け出された…」

力が抜けてその場に崩れ落ちる凛花を、力強い腕が支えた。

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