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4.否が応でも

Auteur: 桜立風
last update Dernière mise à jour: 2026-03-09 10:38:41

「今日から、俺の部屋においで」

…妖艶な香りと共に寄り添うのは、神西。

「い…いつの間に?」

驚く凛花の目が、今朝は注がれなかった自分の背後を見ていると気づく。

やはり…忘却のキスの効果は短いと知る。

「…忘れ物に気づいて…取りに行こうと思って来た」

「…え、何を、忘れたんですか?」

「替えの…ネクタイを」

取り返しのつくものだったとホッとしたのだろう。凛花はそれでも律儀に言った。

「…こんなことになっちゃって…あの、お給料が出たら買ってお返しします」

グスッと鼻をすすり、涙ぐむ目元を拭くのを見て、神西はわずかに首をかしげた。

なぜ泣く…?

引っ越したばかりでたいした荷物はなく、ほかの入居者もいないというので焼き払ったのに。…俺の魔力で。

「こ…ここですか?」

「そうだ。まぁ古いマンションだが、造りはしっかりしている」

薄暗い廊下にオレンジ色の裸電球がぶら下がり、エレベーターの中の明かりも、切れかかってチカチカしている。

「ひ、1人の時は…階段が良さそう…」

…ここに住む気になったようだ。

つい、口角が上がる。

5階建ての4階に到着し、一番手前のドアを開け、まずは凛花に入るよう指先で示す。

「あの、鍵は…閉めてないんですか?」

「あぁ。盗られて困るものはないからな」

本当は鍵などなくても、バリアを張れば…誰もこの部屋に入れないからだ。

「君は、この部屋を使ってくれ」

恐る恐る足を踏み入れた凛花に、神西は後ろから声をかけた。

「…ヒィ…っ…!」と驚いた声を上げ、慌てて口元を押さえる凛花。

神西が開けたドアの向こうに入っていく。

明るさや日当たりなどを求めない死神の住まいは、夏はひんやりとしているが、冬なら極寒の寒さを誇る。

「…わぁ…見晴らしがいい部屋ですね」

そんな住まいのなかでも唯一陽射しが入る部屋を凛花に与えた。4月とはいえ…まだ寒い夜もある。彼女には長い寿命があり…わざわざ暗い部屋で寒さに耐える必要なはい。

…死神でも、それくらいのことは考えるのだ。

「シャワーも風呂も、好きなだけ使ってくれ。人間は、温まるのが好きだろう?エアコンも自由に操作して、快適を追求したらいい」

「人間は…って、神西さんだって同じ人間じゃないですか!」

「いや、俺は…死神だから」

「死神って…!」

笑う凛花に、自分の名前の由来を話した。

「神西は…『しにがみ』を入れ替えて作った偽の名字。俺の本当の名前は『蓮』だけだ」

「……はぁ、そうなんですか」

…どう返そうか迷っている表情。視線を左右に泳がせ、両手で口元を覆う。

疑っているのか。

何やらクスクス笑われている気がするが?

「背中のカマだが…あれは死神のカマだ。寿命が来た人間に振り下ろして、冥界に送る」

泳いでいた視線がピタっと止まった。

「お前に見えているカマは、実際に存在するものではない。触れる事ができるのは俺だけ。…他の死神も同様、操れるのは、自分のカマだけだ」

「…どうして、あんなものを背負ってるんだろうって…思ってました」

納得したような、驚いたような表情。

「これから、俺の死神としての本当の姿を見ることがあるかもしれない。でも心配するな。記憶に残ることはないし、鈴原にカマを振ることもない」

「それは私が部下だから、冥界に送らないという情けをかけてもらってるんですか?」

「…ん?」

なかなか面白いとらえ方をする人間だ。久々に、声を上げて笑った。

「情けではない。鈴原にはまだ寿命があるからだ」

寿命が切れきった人間にカマを振れなくて…人間界に修行に来た事を思い出しながら、ふと不思議に思った。

「こういう話を…人間というのは信じるものなのか?素直に納得してうなずいているが」

凛花は首をフルフルと横に振った。

「…まさか、信じてませんよ。正直心配してます」

「…どういうことだ?」

「神西課長、大丈夫ですか?お疲れなんじゃありませんか?」

こちらに向ける目の奥に、心配の色が見て取れる…

こんな真実、やはり信じる人間はいないらしい。

「大丈夫だ。…それより、例のカマは、今も見えるか?」

信じても信じなくても、忘却のキスで消すつもりだった。…凛花の場合効きにくいようだが、2回で記憶は消せるはず。キスをした記憶は残ったとしても、そんなものは取るに足らないこと。

「…はい、見えます」

神西は断りもなく凛花の腕を引いて、迷いなく唇を合わせる。1.2.3…時間にして5秒。

「…どう?」

「何が…ですか?」

頬を赤らめ、目を潤ませた瞳が自分を見上げている。

…カマのことは忘れたな。

もう1回…

顔を近づけると、凛花のまぶたが自然に落ちた。…抵抗する様子はない。

ということは、忘却と操作…このキスで、どちらの効果も得られていると思っていいだろう。

そして…5秒。

唇を離すと、凛花が不思議そうな目で見上げてくる。…確信した。5秒のキスを2回で、しばらくの間、記憶を消すことはできると。

ただこの子の場合、思い出すのだ。

それまでにどのくらいの時間がかかって、どのへんまで記憶がよみがえるのか…同居しながら検証するとしよう。

「食事は適当に済ませてくれ。…俺は少し出かけてくる」

神西はもたれかかる凛花を押し戻し、キッチンに向かう。

…冷蔵庫はほとんど使っていなかった。ただ、時折猛烈に食欲がわく事があったので、一応置いてある。

「あ、クッキーが入ってる…」

いつの間にか後ろにいた凛花に冷蔵庫を開けられ、見られてしまった…

「アイスクリームも…神西課長、甘党なんですね?」

「…いや、焼きおにぎりが一番の好物だ」

アイスクリームが入っているところとは別の冷凍庫から、焼きおにぎりを出して見せる。

ちょっと待て。これはなんのマウントだ…。

「まぁ…この焼きおにぎりを食べてもいいし、他に…食べられそうなものは買ってある」

「レンチンものばかりですね」

「…レンチンもの…」

「電子レンジで調理する食べ物のことです。…今日はいいけど、明日から何か作りますよ。神西課長は何がお好きですか?」

…クッキーとアイス以外で…と付け加えられ、少しため息をつく。

昨日のうちに食べきっておけばよかった…

「俺は基本的に食事をしない。たまに食べる時があるが…それは自分で用意するから、日々のことは気にするな」

とりあえず、今夜凛花が食べるものがあることを確認して、神西は玄関に向かった。

…外に出ると、さっきは吹いていなかった風が、音を立てて自分にまつわりつくのを感じる。

この風は、多分あいつだ。

…正直、相手をするのを面倒に思う。

今夜俺は、数人の人間にカマを振り下ろす予定になっている。…方向音痴で迷う可能性があるので、早めに向かいたいのだが。

風に…少しずつ匂いが混ざった。

⋯甘くて少しくどい匂い。

「…メグだろ?」

「正解…!」

やがて風は、目に見える形になった。

黒いマントを翻し、その場にトンッとカマの柄の部分を突き立てる。

…どうやら仕事帰りらしい。俺たちの、本職の方の。

「お疲れさま。うまいことやったみたいね」

凛花を置いてきたマンションを顎で指しながら、めぐみが笑う。

人間社会にいる以上、住まいを持たないわけにいかず…彼女も同じマンションで暮らしている。…暮らすというより、我々の場合『ねぐら』といったほうが適切だが。

「まぁな。これで少しは安心だ」

「私も挨拶に行かなくちゃ!」

「来なくていい。だいたい、お前は瞬間移動で出勤してるだろ。これからも会わないように姿を見せるな」

神西の言葉に吹き出すめぐみ。

「蓮は人間と一緒に電車通勤なんて…毎日大変ね!」

「研修の身だ。仕方あるまい」

まだ何か言いたいめぐみを残し、神西の体は一瞬で揺らめく風になる。

…その一部始終を、窓から凛花が見つめているとも知らずに。

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