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第9話:料亭の味、権力の刃

作者: ちばぢぃ
last update 最終更新日: 2025-06-06 09:00:26

芝の海沿い、秋の風が潮の香りを運ぶ夕暮れ。佐久間宗太郎は、料亭「月見楼」の門をくぐった。享保年間の江戸で、芝は大名や旗本の別邸が並ぶ一角であり、月見楼は権力者の宴席を彩る高級な店として知られていた。宗太郎は、本所の湊豆腐で菊乃の創作豆腐を評し、江戸中の話題となった今、月見楼の豪華な膳を味わうべく舌を研ぎ澄ませていた。だが、松葉屋の藤兵衛と川柳の平蔵による偽装うなぎの策略、弥蔵の襲撃が、彼の心に深い影を落としていた。腕のかすり傷は癒えつつあったが、宗太郎は、敵の刃がさらに近づいていることを感じていた。

月見楼は、石畳の小道の先に佇む壮麗な建物だ。松の木々に囲まれ、庭の池には錦鯉が泳ぐ。提灯の明かりが畳の廊下を照らし、奥の座敷からは箏の音が漏れる。宗太郎は藍色の着物をまとい、腰の筆と紙の袋を握りしめた。案内された座敷には、旗本・松平忠勝がすでに座していた。忠勝は、宗太郎の評に興味を持ち、以前の屋敷での膳に続き、彼の舌を試したかったのだ。忠勝の目は穏やかだが、どこか底知れぬ光を宿していた。

「佐久間殿、よくぞ来た。月見楼の膳は、菊乃井に勝るとも劣らぬ。存分に味わい、その真髄を評してくれ。」

宗太郎は一礼し、膳を見渡した。鴨の塩焼き、秋刀魚の刺身、松茸と鱧の吸い物、菊花を散らした季節の野菜の炊き合わせ。どの品も、見た目からして精緻で、月見楼の料理長・宗右衛門の技が光る。宗右衛門は、50歳ほどの厳つい男で、忠勝の信頼厚い料理人だ。宗太郎は、菊乃井の勘助の偽装を思い出し、警戒心を強めた。だが、舌はすでに膳の香りに引き寄せられていた。

宗太郎はまず鴨の塩焼きに箸を伸ばした。鴨の皮はカリッと焼き上がり、身はしっとりと輝く。塩は淡路のもの、焼き時間は絶妙だ。宗太郎は一口噛み、鴨の濃厚な旨味と脂の甘みを捉えた。塩の粒が舌で弾け、炭火のほのかな苦みが味を締める。彼は目を閉じ、つぶやく。

「この鴨の塩焼きは、秋の野を閉じ込めた一品だ。脂の甘みが、塩に抱かれて響く。」

忠勝は微笑み、家臣たちがざわついた。宗太郎は次に秋刀魚の刺身を味わった。秋刀魚の青い背は鮮やかに輝き、薄く切られた身は透き通る。醤油と山葵を軽くつけ、口に運ぶ。秋刀魚の脂の甘みが、舌の上で溶け、山葵の辛味
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