Masuk連行される馬車の中でジェイドは人知れずニヤリと口角を上げた。
ここまでは計算通り。
ラヴェルに“偽装結婚”と言う形ではあるが、婚約まで持ち掛けさせることが出来た。
事件がこちらの自作自演だと知って、日記の中身を知って、ラヴェルがどう判断するのか。
ただ見守るだけの時間は果てしなく長かった。
だが、ジェイドは彼が自分を選ぶように、じっくり、ゆっくり、逃げ道を塞いで来たのだ。
そして今日、調査隊が来たのも掌の上――。
「降りて下さい、デルメール男爵」
屋敷に来ていたフォルツ少佐がそう言って馬車の扉を開ける。
彼が来たと言うことは、調査隊を率いているのはあの男だ。
こちらが用意した宿の中でも、一等客室を使っているのが彼らの主人である。
「お連れしました」
海の見えるアズユリカの丘の上。
昔、貿易が盛んだった頃、異国からの
長い沈黙。 デルメール家で初めて見た時、ベル・デルメールはまるで言葉を覚えただけの人形のようだった。 少し疑惑をちらつかせれば動揺し、成人したばかりの若い令嬢のような幼稚さがあったのに――。 今は毅然とこちらを見て立っている。「どういう意味です?」「上級大尉で皇太子の側近、ナハト家にそんなご子息がいると聞いた事はないわ」「そりゃ、裏で動く事が多いですから。これでも一応、軍では顔が知れているんですが」「ナハト家は先々代の王女を輩出した上位貴族。そのナハト家の子息が、裏家業なんてあり得ないわ」 セルジオは淡々と詰め寄るラヴェルを見て、何か気付いているのか、と疑い始めた。 皇太子でさえ気付かなかったというのに。「仕方ないじゃないですか。俺ってほら、顔が良いから」「上級大尉と言う地位を与えられているのに、顔で仕事をさせられるなんて、もっとあり得ないのではなくて?」「俺はベル嬢の味方ですよ? 何をそんなに……」「本当にそうでしょうか?」 そう口を挟んだのはリゼルだった。「君の事だって助けてあげたでしょう? しかも二度も」「ですが、貴方はあのオルレイン医師と繋がっていますよね? あの時の会話……」「あーあー、まぁ、そうねぇ。聞かれちゃってたの? あれ」 セルジオは何処まで開示すべきか、脳内で忙しなく情報精査する。「貴方はあのオルレイン医師に“仕事をしろ”と言われていた」 自分の立場を隠蔽する事には慣れている。 昔から本当の自分というものが分からずに生きて来た。 だが今、目の前に立っているラヴェル・ローゼンは自分の意思でベル・デルメールへと変貌を遂げ、強い眼差しでこちらを見ている。 その視線が余りにも美しくて、やはりただの人形ではないのだと思い知る。 結局自分が何者なの
バロー家との面会を終えた皇太子は、虫でも見るような視線でランベルトを見る。「裏切者を引き取りに来た」「殿下……」「カルアン、連れて行け」「はっ」 命を受けたフォルツ少佐がランベルトへと手をかけ、ラヴェルは「お待ち下さい」と静かに止めた。「何だ? ベル」「彼がバロー家からの手先だと、ご存知だったのでは?」 ラヴェルはしっかりと向き直り、皇太子を見据える。「何故だ?」「殿下の周りには優秀な方がたくさんいらっしゃるのに、彼の潜入に気付けないはずがない。もしそうだとしたら、側近の方々は間抜けなのでは?」 ラヴェルは挑発するように態とけしかけ、皇太子の様子を窺う。「口を慎め、ベル」「あら、本当にお気付きでなかったのですね。ならば……」「この男がバロー家の息のかかった者だと分かっていて、君の護衛につけた事を怒っているのか?」「私の体が暴かれようと、このように助かろうと、どっちでも良かったのですよね?」 ランベルトが自分を汚していたら、それを理由にバロー家を追求できる。 今回のように未遂に終わってもランベルトを利用できると踏んでいた。 ようは意図的に護衛という立場を与え、ランベルトが動くように仕向けたのだ。「だからすぐにナハトを向かわせただろう? 侍女も君も無事だ。何が問題だ?」 そう言われてラヴェルは失笑を漏らした。 これが次代の王になる男なのだ――掲げている目標はジェイドと同じでも、まるで人を駒としか見ていない。 隣に立っているリゼルの拳が震えている。 ラヴェルはそれに気付いてリゼルを宥めるように肩に手を置いた。「バロー家はどうなりましたか?」「お前が言うとおりにして来たぞ。この男に襲われた事にしておい
扉の開いた隙間にラヴェルは固まる。 視線は扉から外せず、ごくりと息を飲んだ。 逸る鼓動を、ドレスを握り締めた拳で押さえる。 乱れた自分の姿を整える間もなく飛び込んで来たのは、リゼルだった。「ベル様ッ!!」「……リゼルッ⁉」 駆け寄って来たリゼルに抱きしめられる。 その後ろからセルジオが姿を現した。「大丈夫ですか? ベル嬢」「セルジオ……」 リゼルは乱れた着衣を気にして直しながら「すみません」と零す。「リゼルは大丈夫なの? 怪我は?」「私は大丈夫です」 そう言ったリゼルは珍しく悲壮な顔をして見せた。「ひとまずここを出ましょう」 そう言ったセルジオの視線は、気を失って倒れているランベルトへと落とされている。「立てますか? ベル様」「大丈夫よ、リゼル」「急ぎましょう。誰かに見つかるとマズい」 ラヴェルはリゼルに付き添われるようにして部屋を出た。 セルジオは倒れているランベルトを担ぎ上げ、そっと人の気配のない通路を無言のまま歩く。 誰にも会わずに自室まで戻れたのはセルジオの導きがあったからだ。 彼はこの時間の衛兵の配置と、城内の動きを把握している。 彼がいなければ、こんな簡単に戻れなかっただろう。「俺はこのまま殿下の所に報告に行って来ます」 伸びたランベルトを担いだままのセルジオが、そう言って部屋を出ようとする。「待って……殿下は今どこに?」「侍女殿の事を聞いてバロー親子を引き付ける為に面会なさっています。だから、そっちに護衛が固まっているんです」 ラヴェルは少し思案し、セルジオへと向き直った。
分厚い木の扉が大きな音を立てて閉じられ、小さな物置のようなその部屋は薄暗く埃臭い。 床の上に放り出されたラヴェルは身を起こして、入り口付近に佇むランベルトを睨む。「ランベルトッ! こんな事をしたら妹が悲しむって分からないのっ?」「ベル様……もう、そんな次元の話ではないのです」 ランベルトの表情はこんなこと望んでいないのに、彼の行動はそれに反している。 ラヴェルは一歩一歩距離を詰めて来るランベルトから、後ずさりした。「私に手を出せば、貴方は極刑よ」「存じております」 もう言葉での脅しには何の意味もないのかもしれない。 ランベルトの目はこちらを見ている様で見ていない気がした。「皇太子殿下の側近である俺が貴女を汚し、貴女は皇太子殿下の婚約者の座を失う。そして俺を側近へと抜擢した皇太子殿下の評判も地に落ちる。そう言う筋書きなのです」 冷静に淡々とそう述べるランベルトは、跪き身を寄せる。「それでは貴方の妹は誰が助けるって言うの?」「俺がこの役目を果たせたなら、地下から出られる約束です。俺はそれでいい」 ラヴェルはそれを聞いて「そんなバカな……」と漏らす。 妹が地下から解放される確約なんて無い。 しかも、本人は首をはねられる事も厭わない覚悟で、そんな曖昧な約束を信じるなんて――。 ランベルトの手が肩を掴み、石床に縫い留められる。「ちょっ……触らないでっ!」「俺にはもう、この方法しか残っていません」 ラヴェルは頬に滴って来た水滴を感じて、ハッとランベルトを見た。 ボタボタと涙を流しながらも笑っているランベルトは、もう正常な判断が出来ている様には見えなかった。「やめなさいっ! ランベルトッ! 離してっ!」 ラヴェルは力の限り
ランベルトの言葉に耳を疑い、ラヴェルは振り返る。 ダフィーニアを庇うように立っているランベルトを見て、気付いてしまった。 よく見ると、彼の制服の裾には目立たない程度の血が滲んでいる。「あ! そうだわ。あの侍女が運ばれたのはオルレイン医師の所ですの。今頃、どうなっているかしら?」 オルレイン――その名を聞いて、ラヴェルは息を飲む。 彼はアンドールの検体を探していると聞いている。 リゼルの体を見られたら……「今頃、人の形をしていないかも」 明らかにこちらを挑発している。 でもここで心を乱せば、この娘の思う壺だ。 ラヴェルは奥歯を噛み締め、怒りを腹の底へと押し込める。 上位貴族の腹の探り合いに比べたら、まだ可愛いものだ。「オルレイン医師というのは、良識のない方なのですか?」「どういう意味ですの? オルレイン医師はとても博識で素晴らしい人よ」「なら、王宮医の彼が皇太子殿下の賓客である私の侍女に、そんな手荒な事はなさるはずがありませんわ」「殿下の威光を翳すなんて、なんて品がないのかしら!」「そのお言葉、そのままお返しします。ダフィーニア様」「なっ……何てことっ!」 彼女との会話は、まるで子供を相手にしているような錯覚を覚える。 ラヴェルは彼女を憐れむ様に見て、ランベルトへ向き直った。「ランベルト」「はっ」「もう一度言います。お帰り頂いて」 ラヴェルは低くて冷たい声で、ランベルトにそう告げた。 視線を逸らすことなく、無言の圧で彼の選択を待つ。「ランベルトッ! この人を拘束して! 私の言う事を聞かないと、妹がどうなっても知らないわよッ!」 妹――その言葉にランベルトは痛みを堪えるような顔をする。
バロー伯爵と顔を合わせて数日が経つ頃、その声は切り裂くように飛び込んで来た。「ベル様っ、侍女殿がっ!」 毎日書庫へ行き、与えられた部屋で本を読むふりをしながら、皇太子に言われた事を延々と考えている。 その思考に終止符を打ったのはランベルトだ。 ラヴェルは驚き、一瞬瞳を瞬かせる。「ど……どうしたの? ランベルト」 いつもは寡黙な彼が、息を荒げて飛び込んで来た。 それだけで緊張が走る。 リゼルはお茶を淹れて来ると部屋を出て行き、しばらく経っていた。「何者かに刺されてっ……」「刺されたっ⁉」 ラヴェルは読んでいた本を閉じ、思わず立ち上がる。「リゼルはどこにいるのっ?」 ドレスの裾を持ち上げ、部屋を出ようとして、ドアの前に立ったランベルトに制された。「いけません、ベル様。何があるか分からない」「いいえ、リゼルは私の侍女よ。そこをどきなさい」「承服しかねますッ!」 ランベルトはそう言い切って、こちらをジッと見ていた。 彼には彼の責務がある。 皇太子に護衛を頼まれている以上、敬語対象に何かあれば、罰則では済まないだろう。 そこまで考えてラヴェルはふぅっと深く息を吐いた。「ランベルト、リゼルはどこにいるの?」「今は医務室で手当てを受けているはずです」 ラヴェルは治療を受けていると聞いて、ホッと胸を撫でる。「大丈夫なの?」「分かりませんが、呼吸は確認できております。背後から刺されたようです」「一体誰が&hel
「生まれ変わる?」 起き上がれる様になり、初めて食堂で一緒に晩餐をとった夜。 ラヴェルはジェイドにそう聞き返した。「えぇ、そうです」「ど、どう言う意味だ……?」「ラヴェル・ローゼンとしての全てを捨てて、別人としての人生を歩むのですよ」「別……人……。しかしっ……」「では、他に方法が?」 そう言われてラヴェルは唇を噛む。 ローゼン家の嫡男として追われている自分が、怪しまれずに外へ出るには、それしかない
ジェイドは出先から帰って来てリゼルとラヴェルの会話を扉越しに聞く。 巷では公爵家の嫡男が王家の秘密を持って逃走した――と派手に吹聴されていた。 「さて、どうするか……」 ジェイドが幼い頃はまだデルメール家が貿易の拠点として栄えていた。 王家御用達の宝石商として栄華を誇るローゼン家と、輸出入を担うデルメール家は懇意にしており、二つ年下のラヴェルとは幼馴染として過ごした時間もある。 だがデルメール家は十年ほど前にとある事情で、衰退の一途を辿る事になった。 静かに、沈殿するよう
ジェイドは白シャツにサスペンダーと言う軽装で、貴族の外出着とは言えない装いだった。「お加減はいかがですか? ラヴィ様」「あ、あぁ……大分良い」「貸して下さい。私が拭きましょう」「いや……それは……」 下位の貴族とは言え“旦那様”と呼ばれているという事は、デルメール家を継いでいるという事だ。 ヴェルモナ王国の南の辺境であるデルメール領。 小さな領地ではあるが、その昔は港を有した貿易の拠点として栄華を誇った土地でもある。 今は国境を
「ぐえっ――! げほっ、げほっ――!!!」 ラヴェルは必死に目を開け、直後に海水を激しく吐き出した。 肺が引き裂かれたように痛む。 呼吸の一つ一つが拷問だった。 「ゔっ……」 「ラヴィ様っ! お