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烏丸京司という男③

Author: rinsan
last update publish date: 2026-04-26 10:45:46

その惨禍は、京司の心にも濃い影を落とした。

京司は、まるで拭いきれぬ咎をそそごうとするかのように、幾度も幾度も兄の門を叩いた。

しかし、その扉が開くことは、ついに一度としてなかった。

それは、彼が背負うべき咎ではなかった。その明白な事実を、彼自身を含め、誰もが深く理解していた。

それなのに、京司の心に降り積もる自責の念はやむことがない。

理由なき贖罪を求めるかのように、京司はただ、

〝生きている“というその一点において己を責め苛んでいた。

---やがて京弥は、京都の北辺、人里離れた地にひっそりと佇む療養所へと身を寄せた。

しかし、京司がその重い扉を叩くことはついになかった。

我欲の身勝手な再会が、兄にとって救いではなく、

むしろ無遠慮な侵入にしかなり得ないことを、彼は痛いほどに自覚していた。

(俺なんか生まれへん方がよかったんとちがうか…)

その楔は、消えることのない痣のように京司を生涯、苛み続ける事となった。

目の前の人々は、

血を流す兄弟を通り越してその背後に重くのしかかる“後継者”という名の偶像を熱望していた。

彼らの期待は、もはや敬意ではなく、呪いのような執着として京司にまとわりついて離れなかった。

京弥の心が流す血を誰も見ようとしないその空疎な熱情が、何よりも冷酷に、

京司の心を芯から凍えさせた。

「もうどうでもええわ…」

世界の色は、京司の瞳から急速に零れ落ちていった。

時計の針が講義の開始を告げても、彼はただ、自室の天井に漂う埃を数えているだけだった。

かつて彼を規定していた「名門大学生」という記号は形を失い、

あとに残されたのは、ただ消費されるのを待つだけの膨大で無為な空白の時間だった。

抜け殻と化した京司であったが、それでも女たちはその虚無を埋めるべく、競うように彼を渇望した。

彼女たちは、自らの財を、惜しみなく費やす時間を、そしてその柔らかな肌さえも、

捧げ物のように彼の足元へ投げ出した。“供物”という名で差し出される女たちの献身を、

京司は湯水のごとく消費した。贅を尽くした狂宴の果て、望むものはすべてその掌中に転がり込み、

彼を満足させるのは容易だった。

熱を失えば、彼はまた新たな灯火を求めて女たちの間を渡り歩く。その足跡が途絶えることはなく、

彼はただ、尽きることのない欲望の回廊を彷徨い続けていた。

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