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第2話

作者:
日南の身体がぴくりと強張った。

慌てて振り返ると、ちょうど二日酔いから目覚めた淳人が階段を下りてくるところだった。

彼女はすぐに離婚専門の弁護士へ目配せして、弁護士を帰らせた。

相手の姿が見えなくなってから、ようやく振り返って嘘をついた。

「聞き間違いよ。さっきは弁護士さんに不動産のことで相談しているの」

どう見ても穴だらけの言い訳だったが、淳人はそれ以上追及しなかった。

なぜなら彼は、彼女に興味がなかったからだ。

この時点では、まだ明音は自殺していない。

だから結婚後の淳人は彼女を憎んではおらず、ただ冷淡なだけだった。

彼は軽く頷くと、疲れたように眉間を押さえた。

「悪い。昨夜は結婚が嬉しくて飲みすぎた。必ず埋め合わせするから」

――嬉しかった?

日南の目元が、またどうしようもなく熱くなる。

結婚したあとの10年間、淳人は毎日のように泥酔していた。

酔うたびに自分を抱きしめながら明音の名前を呼び、胸が張り裂けそうなほど苦しみ、狂おしいほど悲しんでいた。

明音への想いはあまりにも深く、手に入らないまま生涯を悔い続けたその愛情は、まるで巨大な網のようだった。

淳人を縛り、そして自分の人生までも縛りつけた。

日南が何か言おうとしたその時、執事が近づいてきて恭しく口を開いた。

「淳人様、日南様。お土産とお車のご準備が整っております」

淳人は短く返事をすると、日南へ手を差し伸べた。

漆黒の瞳には何の感情も浮かんでいない。

「行こう」

日南は脇に下ろした手をぎゅっと握りしめてから、その大きな手に自分の手を重ねた。

触れ合った瞬間、温もりが全身へ広がる。

けれど凍え切った心だけは、どうしても温まらなかった。

道中は信号に何度も引っかかり、黒いマイバッハは進んでは止まりを繰り返していた。

赤信号の待ち時間。日南が目を閉じて少し休もうとした時だった。

隣からスマホの通知音が鳴る。

思わず視線を向けると、淳人の長い指が点灯した画面を滑っていた。

彼の表情は徐々に沈み込み、やがて瞳の奥は濃い墨を流し込んだような暗さへ変わっていく。

そして突然、スマホを裏返して膝の上に置くと、彼女へ視線を向けた。

「悪い。会社で急用ができた。今日は君の実家へ一緒には行けそうにない。ご両親には改めて直接謝罪するから」

返事を待つことなく、彼はドアを開けて車を降りた。

その背中に迷いはなかった。

日南は目を伏せ、自分のスマホを開く。

画面に表示されていたのは、明音のSNSだった。

9枚の写真の中で、彼女は見合い相手と遊園地ではじけるような笑顔を見せている。

中央の一枚には、手を繋ぎながら見つめ合う二人の姿。

その甘い空気は目が痛くなるほどだった。

好きな女性が他の男に向かってあんな笑顔を見せるのを、平気で見ていられる男などいない。まして淳人ならなおさらだ。

だから会社の急用など嘘だった。

彼が急いで立ち去った本当の理由は、それだった。

桑原家の前では、桑原夫婦がすでに長いこと待っていた。

娘が一人で車から降りてくるのを見て、二人はまず驚いた。

何か言いたげな様子を見せながらも言葉を飲み込む。

桑原母は諦めきれず日南の後ろの車内を覗き込んだが、本当に誰もいないと分かると口を開きかけた。

しかし娘の静かな眼差しに気づき、そのまま言葉を呑み込んだ。

......

食卓についた時、先に口を開いたのは日南だった。

「お父さん、お母さん。私、淳人と離婚するつもりなの」

その瞬間、食卓は死んだような静寂に包まれた。

桑原父が眉をひそめる。

「何があったのか?どうして急に離婚なんて」

桑原母も慌てて言葉を重ねる。

「そうよ、日南。話し合えば解決できることだってあるでしょう?淳人のことが大好きだっていつも言っていたじゃない。それにまだ結婚して一日しか――」

言葉は途中で止まった。

日南が顔を上げたからだ。

その赤く染まった瞳は、涙でいっぱいになっていた。

「お父さん、お母さん」

彼女は震える声で言った。

「彼と一緒にいても幸せじゃないの。だから離婚したい。彼のためにも、自分のためにも。お願いだから、私の決断を認めて。応援してほしいの」

声はとても静かだった。

けれど話しているうちに涙は次々と溢れ、まるでこの世のすべての悲しみを抱え込んでいるかのようだった。

何があったのかは分からない。

だが、愛娘がここまで泣いている姿を見れば、それだけで十分だった。

桑原夫婦は慌てて箸を置き、娘を抱きしめる。

それ以上問いただすことはなかった。

「分かった、分かったよ。お父さんもお母さんも賛成するから」

「離婚したいなら離婚しなさい。全力で支えるから」

日南は両親の腕の中で、止めどなく涙を流した。

二人は本当に自分を愛してくれている。

前世では、自分の結婚生活がうまくいかないことを心から心配し、数年で髪が白くなってしまった。

だから今度こそ、もう二度と両親に心配などかけない。

「お父さん、お母さん」

日南は涙声で続けた。

「離婚したら、一緒に海外へ移住しましょう」

二人は顔を見合わせ、それから優しく頷いた。

「いいとも」

「日南が行きたい場所なら、どこへだって一緒に行く」

日南は涙を拭い、ようやく微笑んだ。

今度こそ、明音を死なせない。

淳人から最愛の人を奪わない。

両親を悲しませない。

そして、自分自身も苦しみ続ける人生を歩まない。

自分は必ず、誰もが救われる結末を掴み取る。

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